[4]生存率を少しでも上げるためには

『リッチェ!! 術式処理の交代を!! テサロはすぐに治療を――』


 襲来する怨人を片手間で避けながら、テサロは首をゆっくりと横に振り拒否する。


「すでに手に負えないほど、この体はオドに浸食しんしょくされています。すでにマナの生成が出来ない程に、です」


『まさか……』


 何かを察したミグは、直後、なぜ気付かなかったのかと自分を責めるような声を漏らし、それでもなおテサロに対し声を上げる。


『テサロ、その術式は必要ない! そんなもの、いつの間に――』


「今は、それどころではありませんよ」


『いいや、早く破棄はきするんだ! ウチら全員分のオドの浸潤しんじゅんを肩代わりするなんて、はじめから死ぬ気だったの!?』


「私の代わりは、リッチェがいますので」


『だとしても必要ない! 至誠は相変わらずオドを受けていないし、リッチェの分解ぶんかい速度ならこのくらいの濃度のうども平気だ! 王子も、ウチがカバーすれば六時間くらいならえられる!』


 数秒の静寂せいじゃくが舞い降りる。実際には怨人のたけびや地響きで静寂ではないのだが、確かに会話は沈黙ちんもくしていた。


『テサロ! 霊術れいじゅつの対価として霊体を摩耗まもうさせた直後はオドの浸潤しんじゅんが加速する――それはテサロだって知ってるでしょ!』


 再度ミグが催促さいそくすると、数秒の間を置いてテサロの近くにあった術式のひとつが砕け散った。


 直後、周囲で可視化しているオドがやや濃くなったことに至誠も気がついた。


 ――なるほど、オドによる悪影響を一身いつしんに受けることで僕らへの影響を薄めていたのか。


 至誠にもオドがテサロの身をむしばんでいることも理解できたが、天文知識てんもんちしきと違い、安易に口を出すことができない。


「さぁリッチェ、もう時間がありません。はやく――」


『ダメだ! ここで自己犠牲じこぎせいは認められない! 軍籍としては今はウチのほうが階級が高いんだ。したがってもらうよ!』


「陛下よりたまわりし我々の任務は、至誠様をまもり、連れ帰ることです。すなわち私の生死は問われないのです。分かるでしょう? 軍籍ぐんせきを持つ者として、より上位の命令に従うのは義務ぎむです」


『その任務遂行にんむすいこうのために、テサロの力が絶対に必要だと言ってるんだ!』


「いいえ。私は足手まといです。そしてリッチェの実力では全員を連れて帰ることは難しいのです。最低でも1人は減らさなくてはなりません。ならば、すでに多量たりょうのオドに暴露ばくろし、意識いしき朦朧もうろうとし始めた私からでしょう。私一人のために危険リスクを増やすなど、それこそ許容きょようできるものではありません。非常時において『一人が死ぬか、全員が死ぬか』を選べなくては、陛下の眷属ぞくとして失格ですよ」


 誰か1人は降りなくてはならない――それはミグも分かっているのか、反論の言葉を躊躇ちゅうちょする。


 リッチェは何かを言わんとしているが、引きとめられる言葉が出てこない様子で、くやしさと恐ろしさとあせりともどかしさと悲しさの折り混ざった表情をしている。


「それはなりません!!!」


 代わりに大声を上げたのは、ヴァルルーツだった。


 ヴァルルーツはこの場において無力だったが、ほこりがある。狼魔人ろうまじんとしての誇り。王族であることの誇り。男であることの誇りだ。


 その矜恃きょうじは王国を、たみを、婦女子ふじょしを守るためにあるのだと確信していた。


 そして今、目の前で自己犠牲じこぎせいすらいとわない淑女しゅくじょが、その身をささげようとしている。そのような状況下で、ヴァルルーツは黙ってみていることなど出来なかった。


「誰かが降りるべきなら、私が降りるべきです!!! 足手間というのならば、私こそがその汚名おめいさわしい!!!」


 ヴァルルーツがリネーシャたちに謁見えっけんしたのは王国を守るためだ。そしてその言質げんちはすでに取ってある。ならばすでに役目やくめは終えているともいえる。だが、ここで自分のいのちかわいさにここで黙っているのは、レスティア皇国へのおんあだで返すに等しい。


 ――そんな抜けた王族の国など、誰が助けてくれるというのか。覚悟なら出来ている。


「いけませんよ王子。賓客ひんかくたる者が、それも、王族がそのような――」


 優しく諭す様に告げるテサロだが、ヴァルルーツはその言葉をさえぎり反論する。


「それは違います! 我がヴァルシウル王国に皆様を迎え入れた以上、あなた方が国賓こくひんであり賓客なのです! ならば、真っ先に降りるべきは私でございましょう!!」


 そこに反論の余地はない。アーティファクトの調査のためとはいえ、間違いなくヴァルシウル王国にまねかれた皇国民こうこくみんの一人なのだから。


 故にテサロも論点を変える。


「それでも王子はまだ余力よりょくを残しておられる。必ずその力が必要になる時が来ます」


「未熟な自分など、それこそ身代わりとなることくらいしかできますまい!」


わたくしは王子と違い、もう、手遅れです。故に――」


 何を言ってもその意思に変わりはない――そう訴えるように語るテサロの言葉を、今後はミグがさえぎる。テサロの論弁ろんべんは『自分が手遅れだ』という前提ぜんていだ。そこがくずれれば、反論の余地よちはなくなる――そうミグは訴えかける。


『まだ間に合う。今治療ちりょうすれば!』


「自分の体のことは、自分が一番よく分かっています」


 いまだ断続的だんぞくてき来襲らいしゅうする怨人を悠々ゆうゆうと避けてはみせるが、確かにその挙動に鈍重どんじゅうさが増してきている。


『いいや分かってないね! 末席まっせきとはいえ、陛下のけんぞくとして、今ならまだ治せると言ってるんだ!』


 それでもまだ今なら助けられるとミグは確信していた。


「しかししんなる問題は『不浄の地を踏破とうはできるかどうか』その達成率です。何ごとにおいても100%はあり得ませんが、わずかでも、一欠片ひとかけらでも、その可能性を上げるべきです。陛下の定めた優先順位をお忘れですか? 最優先すべきは、『至誠様の身の安全』なのですから」


 至誠を連れて帰る可能性を上げるなら考慮こうりょするとテサロは語るが、テサロの治療にミグが取りかかれば、それだけ至誠への危険が増す。


 ミグの立場に求められるのは、最悪、他の全員を切り捨てでも至誠を無事に連れて帰ることだ。


 そんなことは何より当事者とうじしゃであるミグがよく分かっている。


 だからこそ、ミグは言葉を詰まらせる。


「ミグ。皇国に私の代わりはいても、至誠様と至誠様の持つ知識は唯一無二ゆいいつむになのです。優先順位を違えてはいけません。それに今なら、残った力を使ってしばらくは怨人を誘導ゆうどうできます。リッチェが飛行術式に慣れる時間もかせぐことができます」


 テサロの言葉はうそではない。より真情しんじょう吐露とろするならば「リッチェとミグにも生きて帰って欲しいから」と口にすべきだろう。


 それをしないのは、リッチェが「ならば自分が身代わりになる」と言い出しかねない性分しょうぶんだと知っているからだ。


 テサロは、特に愛娘まなむすめであるリッチェにそのような事は考えて欲しくなかった。親のために子が犠牲ぎせいになるなど、断じてあってはならないのだと考えていた。


『……ダメだ。許容きょようできない』


 それでもなお、引かないミグに、テサロは語りかける。


「私が生にしがみつくことは、それだけ危険を抱えることに他なりません。親のわがままで、無為むいに子供らが危殆きたいひんすることはむべきです」


 これまでのテサロの言葉は本心ではない。

 うそはついていないが、正論によって本心をけむに巻こうとしている。


 しかし今の言葉は本心だと、ミグは理解できた。


 ミグは、リッチェのことは生まれたときから知っていた。

 妹やめいのように感じていたし、テサロのことは姉や母親のように親しみを感じていた。


 そしてなにより、リッチェが生まれる前のテサロの苦辛くしんを知っていた。


『分かるよ。子はいつか親を超えていくものだ。そうあるべきだ。でも、だからこそしかばねを踏み越えさせるのは今日じゃないはずだ!!』


 ミグに親しい者を切り捨てる判断が難しいことを、テサロもまた知っていた。故に、それまで平静だったテサロが声をあららげる。


「あなたには分かるはずですッ!! 親よりも先に子が死ぬなどあってはならない!! 手遅れになってからでは遅いんです!!!」


『だから手遅れになる前に君を治療するんだ!!!』


 呼応こおうする様にミグも叫び返す。


 リッチェは止めたかった。口論も、テサロの行動も。しかしその言い交わす言葉に割って入ることができず、考えのまとまらない感情が頭に止めどなくあふれる。


 今回のアーティファクト調査に同行したのは、リッチェのわがままからだ。


 学校では勉学、実技じつぎともに最優秀さいゆうしゅう成績せいせきおさめ、首席しゅせきでの卒業が決まっている。


 だから自分は優秀なのだと思っていた。自分はテサロやミグのように、優秀で頼りがいのある素晴らしい研究者になるのだと、大いなる自信を持っていた。


 だからミグに頼み込んで、今回の調査に半ば無理やり推薦すいせんしてもらった。


 だが結果はどうだ。


 至誠が蘇生そせいされるまでのひと月半。蘇生後の不測ふそく事態じたい。そして今。まるで役に立てていない。


 もしも自分が同行せず、もっと優秀な人員が代わりに入っていれば、母が自己犠牲になる覚悟をする必要はなかったのではないだろうか。不浄の地に飛ばされるなどという事態に追い込まれることもなかったのではないだろうか。蘇生がもっと早く完了し、有事ゆうじに巻き込まれることもなく、今ごろは帰国していたのではないだろうか――そう、リッチェの頭の中で何度も後悔が堂々巡りしている。


 いつだって優しく、時には背中を押して、何より幸せを願ってくれる母が、今回の彁依物アーティファクトの調査に同行することを強く反対した。


 その時に自分の未熟みじゅくさに気が付くべきだった。


 だがその反対は「親に反対された程度のことでくじけるようではダメだ」と教えるためだろうと勝手に解釈かいしゃくしていた。だからこそ、その試練しれんを乗り越えてみせると奮起ふんきした。


 だが結果は、目の前で母が自らを犠牲ぎせいにしようとしているのに、何もできない。自分には力がないから。無力で無知で無能な自分が、今まさに母親を殺そうとしている。


 リッチェは、感情を制御せいぎょできなくなっていた。


 脳裏は混乱をきわめ、眼前の狂気きょうきと内心の悲嘆ひたんの入り交じり、涙があふれこぼれ落ちる。むせぶこともなく、すすげることもなく、ただただ悲涙ひるいほおをつたう。


 その様子に、テサロとミグの言葉がさえぎられた。テサロは表情をほころばせながらリッチェを柔らかく引き寄せ、腕で優しく包み込む。


「これからあなたは皆を牽引けんいんするのです。涙でひとみくもらせてはなりません」


「――でっ……でも――」


 テサロの手は不浄の地のように白く色彩が失われ、すでに冷たくなりつつあり、リッチェの顔に触れた瞬間、リッチェは感情が決壊したかのように泣きじゃくる。


 ミグは、何とか説得しなければ――そう焦りを募らせていると、口元を手で覆い隠した至誠が小声で話しかけてきた。

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