[3]距離の算出

「月の位置から考えると、元の位置から大きく南に移動していますが、逆に東西へのズレは少ないと思います。なので、当面目指すべきは北です! テサロさんが教えてくれた天の北極は常に真北を指し示していますので、そちらに移動すれば、闇雲に移動するより生存率が上げられると思われます」


 至誠の説明に、ヴァルルーツが「な、なぜそのようなことが!?」と声を荒らげるが、決して意見を否定しようとしている訳ではないのが伝わる。

 単に恐怖と焦りから、もっと明確な根拠こんきよ提示ていじしてもらって安心したい――そんな心境しんきようだろう。


『ヴァルルーツ王子、悪いけど今は検証けんしょう証明しょうめいをする時間はない。――至誠。それは自暴自棄じぼうじきでも当てずっぽうではない、至誠の持つ知識から導き出された言葉と受け取って構わないね?」


「はい。この世界が僕の知る地球と同形状であり、かつ同一の天体模様てんたいもようをしている前提で導かれる仮説です」


『世界の形状については既に陛下との会話で類似点は多く上げられている。他に有力なアイデアがないならそれに乗るのもやぶさかではない』


 この会話の間にも何体もの怨人が周囲から襲ってきてはテサロがソレを回避している。

 1度でも回避をしくじれば全滅ぜんめつという危機的状況が続いている。


『だからこそ先に確認させて欲しい。精度せいどはどのくらい? 『自信じしん』と言い換えてもいい』

「精度が高いとは言えません。いくつもの仮説の上に導いているので、どれか一つでも違えば破綻はたんします。ですが、僕は、命をかけけるには充分な可能性をめていると信じています」


『……分かった』


 そう言ってミグはテサロに転進てんしんうながす。

 怨人の襲来を避けることに専念していたテサロは、すきを見て北へ転進する。


『至誠、少しでも精度を上げる方法はある?』

「精度を上げる方法……。考えてみます」


 至誠は記憶の引き出しを全て開けつつ、頭をフル回転させる。


「現状では向かうべきは北で間違いないですが……東西の振れ幅が『神託の地』の横幅と同等か、あるいはそれ以上と思います。なのでただ北に進み続けると横を通り過ぎるかもしれません」


 至誠は思考を巡らす。

 転移前のポラリスの位置は10度だった。しかしそれは腕を使って計測のため精度は低く、新たに判明した天の北極の位置をうろ覚えの記憶から導いてはさらに精度は低下するだろう。


 ――もっと、なにか……精度を上げる方法は……。


 ふと、エルミリディナがスマホを見せてくれたときの光景が脳裏によみがえる。「私の記憶を部分的に投影しているだけよ」確かにそう言っていた。


「エルミリディナさんがスマホの記憶を見せてくれた時のように、僕の記憶を読み取って映し出すことはできますか!?」

『いつ頃の記憶?』

「僕が目覚めて、皆さんと合流して食事を取る前。僕がひとり部屋で待っていた時の記憶です」


 ミグは小さく『海馬かいばへの定着ていちやくがまだ弱い記憶は難しいけど……』と自分に向けてつぶやきつつも、肯定してくれる。


『至誠が覚えている範囲ならいけるはずだよ』

「僕が窓から外を見た際の星々ほしぼしをもう一度見ることができれば、もっと正確に位置をしぼり込めます」

『分かった。他により有効な提案をできる者がいれば先に聞くけど、誰かいる?』


 至誠は周囲を見渡す。

 ヴァルルーツもリッチェも、口は固く閉ざされている。テサロは回避に専念していてこちらを見ることもままならない様子だ。


『リッチェ。術式の準備はこっちでする。行使の準備を』


 ミグに仕事を振られたリッチェは慌てて首を振る。


「む、無理ですっ! 私には、それほど高度な術式は、まだ……」

『できるかできないかじゃない、やるんだ!』

「……っ」


 ミグの言葉に、それでもリッチェは表情を引きつらせたまま首を横に振る。

 恐怖に染まりきった表情は、実年齢よりも幼く見えた。


『……ならいい』


 今にも叱責したそうな間を置くが、状況がそれを許さず、ミグはあきらめたように自分で行うとつぶやく。


『至誠、映像は硝子体しょうしたい内で構築こうちくする。問題は?』

「心構えとしては問題ありませんが、肉体的に副作用ふくさようや気をつけるべき点はありますか?」


『短時間で眼精疲労がんせいひろうまりやすく、ったような感覚を覚える可能性もある。そして至誠とウチ以外には見えない。でも、術式展開に失敗しなければその程度だよ』

「分かりました。お願いします」


 失敗しなければ――ということは、失敗すればその程度はすまないだろう。


 その時は失明くらい覚悟しておかなくては――と理解しつつ、りようしようする。

 なにせ、このままではそもそも死ぬかもしれない。失明のリスクをかかえて生存率が上がるなら、それに賭ける以外の選択肢せんたくしがあるだろうか。


 直後、左目に当時の光景こうけいが浮かび上がる。

 右目を閉じていると、目の前の光景に記憶から投影とうえいされた光景が半透明はんとうめいかさなっている。


『どの辺りの記憶?』

「これは部屋に入ってすぐなので……。このあと周囲を見て回って、窓の外を見ます。その時の夜空の光景をお願いします」

『その時の光景をできるだけ強く思い出そうとしてみて』


 半透明な記憶の光景は、動画の早送りのように光景がうつろう。

 五感の中で視覚だけが現実とリンクしていない。


 ――確かにこれは、酔いそうだ……。


 思わず両目をつぶると、記憶の光景だけ鮮明せんめいに見ることができた。


 ――しばらくこの状態が良さそう。


 そう思っていると、記憶の投影は窓から夜空を見上げたシーンへたどり付く。


「一時停止はできますか?」

『できるよ。どのシーンがいい?』

「この後、夏の大三角を発見したときの光景で固定して下さい」

『こっちではどれがどの星か分からないから、至誠が声をかけて』

「分かりま――あ、ここです。もう数秒戻して下さい」


 ミグに頼んで光景を止めてもらうと、そこには間違いなく天の北極に最も近いベガが映し出されていて、すぐ隣にエルタニンも確認できる。


 前回の緯度の計測は、そもそも北極星ではない星を使っていたのだから間違っていた。このベガとエルタニンの中間地点がしんに天の北極で、緯度を導くにはそこを基準にしなくてはならない。


「これ、記憶の中の自分が動くことは、できませんよね?」

『それは無理だね。あくまで記憶を視覚に投影しているだけだから』


「では、今の視覚に連動させることは可能ですか? 例えば、リアルタイムで地平線を重ねるような使い方です」

『できるよ。処理は重くなるけど、それはこっちで何とかするよ。調整中は酔いがひどくなるかもしれないから注意して』

「分かりました。お願いします。あっ、できれば、山脈の高さや今の高度分を補正した状態だとより正確に導けると思います」


 すぐに記憶内の夜空が現在の視界に重なる。調整の間は視界がゆがみ続けて酔った感覚を覚えるが、今はアドレナリンの方が優勢ゆうせいのようだ。


 少しして現実の風景と記憶の風景の地平線が固定される。

 こうなると視線をずらしてもブレることはないので、酔いにくくもなった。


「ミグさんには僕の見ている光景が見えているんですよね?」

『見えてるよ』

「僕が指定した地点の、星の高度こうどを正確に読み取る方法はありますか? 僕のやり方ではそれなりに誤差ごさが出てしまいます」

『高度か……ちょっと待って』


 そう言われ数秒すると、『大丈夫、できそう』と声が返ってくる。


「では今僕がゆびしている星がどれか分かりますか?」


 至誠は記憶の投影されている方の目をつぶり、片目でベガを指差す。


『あの明るい星だよね。確か、至誠がベガと言っていた』

「はい。その右下のエルタニンという星はあの赤い星です。どうですか?」

『大丈夫。確かその中間地点が真北を指しているんだよね』

「そうです。そしてその『天の北極』の高度が、現在の緯度を示していますので高度を計測して欲しいです。地平線を0度、直上を90度として」

『分かった。ちょっと待ってて』


 念のため拳で測ってみるが、拳ふたつ分で20度前後といった高度だ。だがプラスマイナス5度程度の誤差があるだろう。

 ミグがもっと正確な数字を導き出せることを祈っていると、返答が返ってくる。


『――18度』


 ミグがどのように導き出したかは分からないが、今はその数値を信用するしかない。


「小数点以下の計測は難しいですか?」

『正確な数値はそれなりに時間がかかるけど、どうする?』


「分かりました、今は整数で構いません。では次に記憶にある天の北極の高度を教えて下さい」


 至誠が閉じている目を変え、記憶がとうされている方の視界を開く。


『56度』


 差し引いて、緯度の差は38度。

 元いた場所と現在地は直線距離にして4180㎞となる。


 だがそれは、元の地点に戻る場合だ。


 リネーシャとの会話が正しければ、神託の地、一辺の距離は3185㎞。

 あの地図内に戻るだけであれば、差し引き995㎞の距離だ。


「現在地は元の地点から南へ4180㎞移動しています。地図の一辺の長さを差し引けば、約995㎞です」


 至誠の計算結果に、「おお!」とヴァルルーツが感嘆の声を上げる。


「ですがこれは東西のズレを加味していません。下手をすると、地図の横をすり抜けていく可能性もあるので、できれば経度の誤差も図っておきたいんですが――」


 ――経度の測定方法は何があるだろうか?


 至誠は何か方法はないかと考える。なにせ現状では道具も何もない。


「ミグさん、この投影している過去の夜空を見上げた時の時刻は分かりますか?」

『時間で言うと22時半を少し回ったところだったと思う』

「では、過去の映像にある天の北極と、現在の天の北極を重ね合わせることはできますか?」

『やってみる』


 星々は北極星を中心に夜空を回っているように見える。

 月は地球の衛星ために若干違うが、他の星々は一時間におよそ15度の速度で回っている。一時間半前なら、22.5度だ。


 その間にミグが映像を合わせてくれるので、すぐに指示を出す。


「天の北極を起点として、時計まわりに――こっち側に22.5度回転させたいんですができますか?」

『やってみる』


 そうやって出来上がった光景は、天の北極を中心に星がズレている。


「どの星でも良いんですが、例えば天の北極を起点として、ベガは何度ズレているか計測は可能ですか? 僕の知る概念では、円の一周は360度です」

『360度の概念は大丈夫……だけど、計測は少し待って』


 ぱっと見たところ、15度くらいのズレを感じる。

 だができることならもっと正確な数字が欲しい至誠は、ミグを邪魔しないように待つ。


 その間にも断続的に怨人は襲い掛かってきていて、むしろ時間の経過と共にその数が増してきている気がする。

 今のところテサロが全て避けてくれているが、一度崩れ始めれば一気に崩壊しかねないだろう。


『16.7度。これ以上 正確な数字を出すのは難しい』

「いえ! 十分です。――であれば、元の地点から西に1837㎞ズレている計算で、地図の西端より244㎞西に位置しています」


 神託の地の一辺の距離は3185㎞。元の地点は東西で言えばちょうど中間ほど。

 3185÷2=1592.5㎞。このまま真北へ飛び続ければ地図の西端をかすめていたところだ。


 ――危なかった。


 だがあんするにはまだ早い。

 安堵するのは、無事に生きて帰れてからだ。


 至誠は慌てず最短距離を計算する。


「地図の西南端までの直線距離は、北に995㎞。東に244㎞。直線距離でおよそ1030㎞です。テサロさん、行けますか!?」


 至誠はあくまで向かうべき方角と距離を導いたに過ぎない。そこから先、ソレを実行できるかはテサロの腕にかかっている。


『現在の時速が……毎時255㎞か。なら4時間で戻れる計算だね。それなら何とかなりそう。いや、もう少し速度を落として5時間で行くべきかも。今は一番怖いのは怨人との正面衝突しょうめんしょうとつだからね』


 肉の塊である怨人は、地面から跳躍ちょうやくして襲ってくる個体が多い。

 一番怖いのは真正面から跳躍された時で、一瞬でも反応が遅れるとこちらの速度もあいまって正面衝突しかねない。ミグはそれを懸念けねんしているようだ。


 だが周囲を見渡せば、地表にはこの速度に辛うじて付いてきている個体も散見さんけんされ、中には重力じゆうりよくを無視して空を飛んでいる個体もいる。


 一概に速度を落としたからと言って安全とは言えず、ミグの悩みどころはそこなのだろうと至誠も理解する。


「リッチェ」


 そんな折、テサロがこちらを一瞥いちべつして口を開く。

 呼び掛けたのはミグでも至誠でもなく、娘のリッチェだ。


「これから飛行に関わる術式を譲渡じょうとします。引き継ぎの準備を」


 一瞬見えたテサロの顔を見て、思わず息をのむ。


 その顔が異様に白く変色していた。ひとみも色素がなくなったような灰色をしており、肌は青ざめているなんてレベルではなく、白くくすんでいる。唇も色を失い、その深緑色をした髪も、前髪から色素しきそを失いつつあった。


 テサロが限界を迎えつつあるのは、この世界や魔法のことを何も知らない至誠ですら察するには余り有る光景だった。


「リッチェ、早く準備をしなさい。あなたではまだ、一から術式を構築するには力不足です」

「……し、師匠?」


 リッチェの震えた声音を聞けば、テサロの言わんとしている事は理解しているが、受け入れがたい。そんな心境が嫌というほど伝わってきた。


「怨人は巨大で、かつ強大です。しかしその多くが直線的で単調な攻撃しかありません。リッチェ、あなたはまだまだ未熟です。ですがあなたなら踏破とうはできると……私は信じています」


 師としてではなく、親として投げかけるような口調に、リッチェは返す言葉が見つからず、それは嫌だと表情だけが物語っていた。


「いいですかリッチェ。あなたは今回の調査にみずか志願しがんしました。何度断られても志願し続けました。ならば、肉親にくしんへのじょうよりも優先するべきことがあります。アーティファクトの調査とは常に危険がともない、犠牲ぎせいはつきものです。あなたはそれを分かった上で、志願したはずです」


 そこまでの覚悟はできていなかった――それは、リッチェの悲壮ひそうな顔つきを見れば至誠にも察することができた。


「まっ、待っ――」

「良いですかリッチェ。必ず……必ず至誠様をリネーシャ陛下の元へ連れ帰るのです」


 動揺どうようするリッチェに、それでも言い切るテサロの声音こわねには、すでに確固かっこたる決意けついが感じられた。


 それに待ったをかけたのは、リッチェではなくミグだ。


飛行要員ひこうよういんの交代には賛成だよ! けど、それ以外は許容できない!!』


 しかしテサロはかいさず、をリッチェへ語りかける。


「リッチェ――それでもやはり、今のあなたの実力ではこれだけの並列処理が厳しいのも事実です。せめて、一人は降りる必要があるでしょう」

「そ、そんな――」


 再び振り向いてこちらをいちべつしたテサロは、先ほどよりもさらに症状が悪化しているように感じられた。


 そして同時に、色を失った瞳の上でさえ、娘を案じる親の表情だと至誠には分かった。


 その覚悟の決まった表情はどこか見たことがある気がして、言葉一つで考え方が変わるような薄っぺらい覚悟ではないと至誠は感じた。

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