[3]魔神の啓示

 マシリティ帝国。最西端に位置するこの帝国は、およそ800年前に19名の魔女たちによって建国された。


 長い歴史を持つマシリティ帝国だが、レスティア皇国や神聖ラザネラ帝国はさらに数倍の歴史を持つ。それらの大国と比較すると、どうしても歴史が浅く感じられる。


 実際、マシリティ帝国が世界三大列強国と呼ばれるようになったのはここ50年ほどで、それまでは少し歴史が長いだけの中堅国家だった。


 しかしそれも過去の話。今ではマシリティ帝国の中枢たる帝都マリアルでは華々しく優美な街並みが彼方かなたまで続き、臣民は活気にあふれ、経済は旺盛であり、栄華を極めんと今まさに成長の過程だ。


 そのさらに中心に、ひときわ荘厳とそびえ立つ巨大な建造物がある。

 ノースリオナ大聖堂と呼ばれ、それはマシリティ帝国の政治の中枢であり、国力の象徴であり、信仰の中心にそびえ立つ。


 天高くそびえる威風堂堂たる大聖堂、その上層階に入ることを許された魔女はごくわずかだ。


 マシリティ帝国は魔女至上主義の階級社会だ。

 最高位の魔女は大賢者と呼ばれ、その席はわずか一八席しかない。


 その最上の地位を拝命していたその魔女は、魔法にて体を浮かせ大聖堂内をしょうし、慌ただしく駆け抜ける。誰しもが彼女を見かけると、マシリティ帝国式の敬礼で敬意を示す。しかしその日の大賢者は目もくれず大聖堂を駆け上る。


 最上階に到達すると、荘厳たる扉が出迎える。扉の前に守衛は誰もいない。だがそれは警備が甘いことを示しているのではない。


 大賢者であるその魔女が深々と頭を下げると、呼応するように扉が自然と開いた。


「大変長らく、お待たせいたしました」


 開口一番に謝罪をした魔女は少しして頭を上げると、末席の脇に進む。


 室内には長机が並び、上座には見慣れた御二方が鎮座している。長机の両脇にはすでに17名の大賢者同志が着席していた。今部屋に入ってきた魔女が最後のひとりだ。


 大賢者は一様に老輩した容姿をしているが、上座に座る男女の外観はまだ若く、人間の外観年齢で例えるならば20代ほどをしている。


「我らが主と、我らが聖母、大賢者同志の貴重なお時間をいたずらに浪費させてしまったこと、まずは深くおび申し上げます」


 室内に入り扉が閉まると、最後に入室した魔女――大賢者アヴァンガルフィは改めて頭を下げる。


「何という不敬ふけいでしょうか。たまわりし精鋭大隊を失ったあげく、時間を守ることすらできないのですか?」


 そう語気を荒らげているのは、アヴァンガルフィの正面に座る別の大賢者だ。


 アヴァンガルフィの再度の謝罪はかなわず、上座に座っていた「主」と呼ばれた男が会話に割って入る。


「良い。俺が命じたのだ。時間をかけてでもより正確な報告を、より詳細な報告をせよと。席に着け、アヴァンガルフィ」


「ハッ」


 鶴の一声で異論を唱える者はいなくなり、アヴァンガルフィは末席に座る。同時に、手にしていた封筒を机の上に置いて表面を指でなぞる。直後、魔法によって封筒が開き、書類の束が飛び出し全員に配られた。


「すでにご承知かと思われますが、改めて被害状況を説明させていただきます。特別編成901大隊、本隊280名中、42名が戦死。154名が行方不明。37名が重傷、軽傷以下が47名、合わせて帰還は94名で御座います」


 アヴァンガルフィは報告を読み上げる。


 帝国の中枢を担う大賢者はすでにその結果を知ってはいた。だが改めてその報告を聞きため息を漏らす者、不快そうに眉をひそめる者など反応は様々だ。


「全員が魔導士以上の階級を持つ精鋭で、戦闘力だけで言えばほぼ全員が英傑クラスで構成されていたのだぞッ!! なぜこのような壊滅的大敗なのだッ!!!」


 一人がこらえきれずに机を強くたたき叱責する声を上げると、何名かは無言ながら仕草や表情で同調する。


「結論から申し上げて、標的を過小評価していたと……申し上げざるを得ません」


 アヴァンガルフィは苦々しい表情で返す。


「さらには、主よりたまものりしドラグノフアーティファクトまで失うとは!」


「その点につきましては、全て私めが未熟ゆえにございます」


 弁解の余地はないと頭を下げ、主よ――と立ち上がりアヴァンガルフィは続ける。


「この度の敗戦の責は全て私めに。如何様いかような厳罰であろうと、処断であろうと受け入れる所存。どうか――」


 だがその声は、主と呼ばれたその男によって遮られる。


「処遇については後ほど決定する。先に報告をせよ」

「――ハッ。失礼致しました」


 男の声は淡々としていた。

 語気は荒くもなければ、優しくもない。


 アヴァンガルフィは息を飲み、そして報告を続ける。


「この度、レギリシス族長国連邦のようへいとの体裁でヴァルシウル王国へ侵攻。南西の陽動部隊に合わせて南南西より山脈上空を越えて我が大隊は隠密おんみつに潜入いたしました」


 その途中で男は口を開き報告を遮る。


「陽動部隊はたったの6名で敵3個師団の攻撃を封殺できていたようだな。まずこれについて賞賛すべきだろう」


 主の言葉に、アヴァンガルフィは平伏する勢いで頭を下げ感謝を伝える。


「もったいなき御言葉おことばでございます」


 だが主はすでに関心を先の事項に移していた。


「それで、の消費は?」


「敵の攻撃により5体。マナ切れによる処分が3体にございます」


「消費は3分の1か。まぁ赤字だな」


御心みこころに添えず、申し訳ございません」


「構わん。どうせ旧式の肉だ。だが貴重な実戦データでもある。詳細に解析し、今後は投資分は回収できるよう、さらなる改良に励め」


「しかと承りました」


 そのやり取りは、全て報告書に書いてあることだ。しかし主はあえて大賢者に問いかけ答えさせ、そして総合的な評価としてプラスであることを言及した。


 これは主による牽制であり警告だ。


 アヴァンガルフィを擁護するのが目的ではない。「感情的で非生産的な非難を行う場ではない」「建設的な発言をしろ」という意味が込められていた。


 そして主は話を一区切りすると、アヴァンガルフィに報告を続けるよう促す。


「ヴァルシウル王国侵入後、索敵部隊を展開。標的アルファ、およびブラボーの捜索に当たりました。この点について、白昼にて発見を目指しましたが、標的はあらゆる索敵術式にかかりませんでした」


 報告書をめくり、アヴァンガルフィはさらに続ける。


「その後、斥候1ノ3部隊が単身で移動中のヴァルシウル王国第一王子を発見。これを追尾したところ、深夜になり標的を補足。作戦行動を開始致しました」


 報告の途中で別の大賢者が手を上げると、主が発言を許可する。


「なぜ日が昇るまで待機せず、夜間にて作戦を強行したのでしょうか。標的はあの、なのですよ」


 マシリティ帝国は、吸血鬼が昼夜に戦闘力の違いが生まれるのかの情報はもっていない。しかし標的の二つ名に『闇夜の覇者』というのがある。その二つ名はいにしえの時代から存在し、奴の代名詞とも言えるものだ。


 ならば夜間は避け白昼に攻撃を行う――それがここにいる大賢者たちの共通認識だった。


「王子が標的に対し接触を図ったのは、レスティア皇国による戦争介入を懇願こんがんするためだと想像がつきます。もしそれが実現した場合、大規模なレスティア軍との遭遇、加えて標的が移動する可能性を鑑みました。仮に我々の知り得ていない術式、あるいはアーティファクトがあった場合、作戦遂行の機会そのものを失いかねません。レスティア皇国は空間移動系の彁依物アーティファクトを複数所持していると目されております故」


 支持しよう――と主が口を開くと、アヴァンガルフィは頭を下げ感謝を示す。


「この度の作戦はあくまで不老不死を得るためのものだ。アヴァンガルフィは本作戦の本質をよく理解していたと評そう」


「重ね重ね、もったいなき御言葉おことばでございます」


「では。時間帯以外はおおむね想定通りだな」


 主は報告書をめくっていたが、途中でその手を止め問いかける。


斥候せっこうに配置した肉のは一名だけか?」


「はい。他二体につきましては怨人化の前に肉体が消失したため失敗に終わっております」


「なるほど。狙って潰したのか、偶然かは判断が難しいな」


おっしゃる通りかと。しかしながら、一体は成功し、想定通りその肉体は我々の制御下にありました」


 主は「だが――」と、報告書を読みながら言葉を続ける。


「まだまだ不安定だったようだな。怨人を操る技術が確立できれば、我々の軍事的優位性は飛躍的に向上する。不浄の地全てが我が帝国の戦力となるわけだからな」


おっしゃるとおりでございます。こちらもさらに鋭意技術開発に努めるよう、研究班に伝えております」


 主は「ああ」と満足したようにうなずくと、報告の続きを求める。


「斥候部隊と怨人により、標的アルファの隔離に成功いたしました。そのため、大隊本隊は当初の計画のうち、1ノ5を選択。標的ブラボーの排除を開始しました」


「早計かも知れませんがよろしいでしょうか?」


 別の大賢者が発言を求めると、主が許可する。


「なぜ一度ドラグノフの狙撃を中止したのでしょう?」


 アヴァンガルフィは報告書を数枚めくると、25枚目の報告書をご覧下さい――と続ける。


「標的ブラボーは『血の川』あるいは『血の池』とでも表現すべき形態に移行。これら全てが体の一部であるのか、もしくはかくみのであるのかの判別ができない状況に陥りました。仮に標的が血の中を自由に移動できるのだとすれば、ドラグノフの効果範囲を考慮し有効打には至らないと判断しました」


「そうだな。仮に俺が指揮を執っていても同じ判断を下しただろう」


 主の賛同を得て、それ以上その件を追求する者は現れなかった。


 では――と先ほど問いかけた大賢者が別の質問を投げかける。


「なぜその後、ドラグノフの狙いをブラボーではなく、他の者――標的チャーリーへ向けたのでしょうか? 初弾が最も有効打である事は、我々の共通認識であったかと考えておりますが」


 問いにアヴァンガルフィはさらに資料をめくり答える。


「まず、その他の標的チャーリーに含まれる人物から説明させていただきます。63枚目の斥候1ノ3からの詳細報告をご覧下さい」


 一斉に各員が報告書をめくり、項目を確認する。


「1人はヴァルシウル王国の王子で、2名の詳細は不明となります」


 これは先ほどの報告と符合するため、誰も追求の声や疑念を示す者はいない。


 しかしながら問題はもう一人です――とアヴァンガルフィが指し示す人物に気付いた大賢者たちから驚きやいらちの声が漏れる。


「あれは間違いなく、魔女で御座います。それもその技量は賢者、あるいは大賢者にも匹敵すると推測されます」


 張り詰めた空気が部屋を支配する。


「その魔女の名はテスター」


 空気が一転して殺気じみてきたが、主に心当たりはなかった。


「何者だ?」


 直後、一人の魔女が席を立つ。大賢者の次席に座る魔女は主の足下で膝を折り平伏する。その魔女の名は、ビクター・ラキュトゥルイ。


「テスター・ラキュトゥルイ。主がお目覚めになる前。三百年以上前に真なる帝国を裏切りレスティアへ逃げた、我が娘に御座います」


 その声はまるで許しを請う罪人のようだった。


「そういうことか。把握した」


「我が娘が主の御心みこころを汚したこと、深く――」


 深謝するタリスにたいし、素っ気ない態度で返す。


「構わん。席に着け。アヴァンガルフィは報告を続けよ」


 主がそう口にした以上、タリスはそれ以上謝罪する事すらかなわず、主の命に従う。その瞳には、明確に娘に対する憎悪が浮かんでいた。


「それでは続けさせていただきます。テスターは一切の攻撃を行わず、防衛にみに徹しておりました」


「理解した。わざわざ大賢者クラスの手駒を使ってまもらせている者は、護らざるを得ない駒、あるいは護るだけの価値のある駒ということか」


「はい。手始めに、後方より魔法攻撃を密集して撃ち込みました。しかしながら、収束時間の短い疑似極大魔法ではその防壁を突破できず、また、極大魔法を行使するには隙が大きく、そのリスクは許容範囲を超えると判断いたしました」


「故にドラグノフを、ブラボーでは無くそちらに変更したというわけだな」


「左様で御座います。もし標的ブラボーにとってそれほど重要な意味を持つ手駒なら、失う事は痛手で御座いましょう。また、国賊であるテスターもまとめて排除できる事。標的ブラボーの動きを止める、あるいはおびき出す可能性も視野に入れ、目標をチャーリーへ変更致しました」


「支持しよう」


「ありがたき御言葉おことば。……しかしながら、ドラグノフの発動直後、伏兵デルタの襲来を受け、狙撃手とドラグノフを喪失するにいたったのは我が不徳の致すところで御座います」


「こちらも索敵に引っかからなかったのか?」


「はい。未知の術式、あるいは、アーティファクトの効果と推測しておりますが、詳細は分かっておりません」


「当初の索敵においてもそうだったな。すなわち索敵術式における不備、あるいは技術力の不足が浮き彫りになった訳だ。戦争において情報の価値は非常に高い。今後はこれまで以上に重きを置いて改良、もしくは代替魔法の確立をしなくてはならないだろう」


 おっしゃる通りかと存じます――とアヴァンガルフィは同意し、報告を続ける。


「ドラグノフによる攻撃は成功。テスターを含む標的チャーリー全てを除外し、また、ブラボーをおびき出す事にも成功致しました。事実、この直後からしばらくの間、チャーリー消失地点にてブラボーは足を止め、たたずんでおりました」


「アヴァンガルフィの判断は間違っていなかったな。デルタの襲撃がなければ次弾でブラボー排除が完遂され、アルファ捕獲に最高の形で移行できただろう」


 表情に謝罪を含め肯定すると、問題は――と主が続ける。


「秘蔵の彁依物アーティファクトを失ったのは手痛い。だがそれでも、この時点での大隊の損失は極めて軽微だ。そして敵戦力はアルファ、ブラボー、そして伏兵であるデルタのみだ。――デルタは1名と記載されているな。ともすれば、我々の最精鋭たる大隊はたったの3名によって壊滅に追い込まれたということになるな」


「恐れながら、主の認識には齟齬そごがございます。このときデルタはアーティファクトを奪取し逃亡をはかっておりました。またアルファは斥候部隊との戦闘を放棄し、高度を取り離脱を始めておりました」


 すなわち、アルファとデルタは戦闘に加わっていないと言う事だ。

 それは大隊が『一人の標的のみ』を正面から相手にし、そして大敗を喫したことを意味する。その事を理解した大賢者たちは苦虫をつぶしたように視線を落とす。


「108枚目をご覧下さい」


 アヴァンガルフィは意味ありげに最後のページを指定する。


「これは……」


 それを見た大賢者は息をのむ。


「……なんだこれは」


 それはアヴァンガルフィの記憶から抽出した複写だ。


 そこに記録されているのはまがまがしいだ。血の池や血の川などという表現ではまるで表せない。


 ――まるで……そう、これではまるで怨人だ。血でできた超巨大な怨人だ。


「こ、これはいったい何なんでしょうか」


 別の大賢者がアヴァンガルフィに問いかける。


「これがブラボーの次なる姿なのは間違いありませんが、私も詳細は把握しておりません。この点について、主に心当たりがあるとうかがっております」


 その前に――と、主は横に居た女性に声をかける。


「フェリナ、心当たりは?」


 フェリナ・ク・ガヴェリシア。


 今では『玉楼ぎょくろうの聖母』ともうたわれ、かつて18名の魔女を率いてマシリティ帝国を建国した初代女帝だ。だがその容姿はこの場に集う魔女の中で唯一若いままであり、その頭部には鬼人の如き角が対を成している。その頭部を隠すように、山羊やぎの頭蓋のような装飾を、その褐色肌と漆黒の髪を強調させている。


「いいえ。お恥ずかしながら、かつてあの売女ばいたに殺された際、姿の変化はありませんでした」


 申し訳ありません――と平伏するフェリナに対し、主は言葉で遮る。


「謝罪しなくてはならないのは俺の方だ。この姿を見るまで、完全に忘れていたのだからな」


「いえ、主がそのような――」


「だが作戦立案時にこの情報があれば、もっと早くに大隊を撤退させる事ができただろう」


「主はお目覚めになってまだ数十年。前世の記憶が完全でないのは致し方のないことで御座います」


 気に病むことでは無いと告げるより早く、別の大賢者が口をひらく。


「それは――もしや、あの聖なる大戦のお話で御座いましょうか」


「ああそうだ。そして以前の俺との戦闘中に見せた、いくつかの形態――そのひとつに近い」


 主の言葉によって、どよめきが部屋中に走る。


「おそらくこれが、やつの切り札の一つなのだろう」


 知性のある怨人とはよく言ったものだ――そう主は不敵な笑みをこぼす。


 そんな折、上座のわきに座っていた大賢者レブライテュカが立ち上がると頭を下げた。


「大賢者アヴァンガルフィ同志は、大隊長として正しい現場判断をしております。また、この度の根幹たる落ち度は、主のご記憶が完全でない事を承知しながら、ここまで想定が及ばず、敵の戦力を見誤ったわたくしめに御座います」


 レブライテュカはこの度の作戦立案の中心人物だ。


「そうだな。アヴァンガルフィは優れた将だ。では、その優れている基準とは何か。俺は撤退を決断できるか否かだと考えている。もしもアヴァンガルフィが無能であれば、あるいは感情的に動いて入れば、いたずらに戦力を突撃させ玉砕ぎょくさいもあり得ただろう」


 そう評価する主と同志に、アヴァンガルフィは狼狽ろうばいする。


「その言葉はあまりにももったいなく存じますが、僭越せんえつながら、敗軍の将たる事実に変わりありません」


「だが計画段階からすでに穴があったのだ。現場に全ての責任を押しつける訳にはいかない」


 主はそうきっぱりを言い切ると、視線をレブライテュカへ向け続ける。


 彼女は責任を取る立場が自分であると覚悟を決めていた。覚悟し、ただただ主の言葉を待った。


「だが、他にも計画の策定に強く関わっていた者もいたな」


 同時に二人の大賢者が立ち上がると、同じく頭を下げる。いずれもこの度の作戦立案に尽力した者たちだ。


 計画はこの三人によって立案されたと言っていい。


「この度の惨敗の責は、この三人に起因するところが大きいだろう。異論のある者はいるか?」


 主の問いかけに異を唱える者はおらず、さらに言葉を続ける。


「だが一度にこれほどの大賢者が引責し一線から退けば、その穴は非常に大きく、今後の国家戦略に大きな影響をきたすだろう。故に、責任は代表者が負うものとする。よいな?」


 大賢者が一人抜けるだけでも大きな影響は出るだろう。だが、それだけの失態、失策、失敗という結果を出してしまった。


 それは同席している大賢者全員の共通認識であった。

 そこに異議を唱える者はいなかった。


 ただ一人、主を除いて。


「では、今回の失態の責任は、俺が負うものとする」


 想定外の主の慈悲に、レブライテュカは慌てて声を上げる。


「なりません! 主はかねてより大賢者を含めた最大戦力で当たるように提案されておりました。それに異を唱えたのは我らに御座いますッ」


 他の大賢者も同様の想いを持っていた。

 少なくとも、主が責を負うくらいならば自分が身代わりになる覚悟のない者などいなかった。


 だが、主はそんな大賢者たちをあしらうように告げる。


「それを言うのであれば、お前たちを説得できなかった俺の不徳だ」


「いえ! それは違います! 主はかねてより危惧きぐされておりました。この度の責は、我々の慢心がもたらした結果に御座います」


「だが自由に述べよと言ったのは俺だ。そして最終的に判断したのも俺だ」


「なりません! 主が自ら汚名を被るなどあってはなりませんッ!!」


「ん? そうか?」


 主は軽い口調で問いかけると、レブライテュカは声を荒らげる。


「当然に御座います!」


 信仰する神が信徒の汚名を被る。そのような事は決して許されない。その御身は崇高でけがれなく比類なき唯一絶対でなければならない。


 全ての大賢者がそう考えていた。


 だが主の次なる言葉は、そんな大賢者たちの思慮を上回っていた。


「で、あればだ。この度の敗戦を汚名ではなく栄光ある勝利への糧とせよ」


 主の勅命に、一同は静寂に包まれる。


「アヴァンガルフィ」


「は――ハッ!!」


「この度の敗戦を受け、901大隊、大隊長の任を解く。ブラボーとの戦闘データを解析し、必ずや我が帝国のさらなる発展へ貢献せよ」


「承りました!!」


「レブライテュカ」


「ハッ」


「この度の敗戦の根幹には作戦そのものの欠陥が大きい。よって、お前にも取るべき責任が一定数ある事になる。良いな?」


「主の御心みこころのままに」


 主の宣言に、レブライテュカは死を覚悟していた。それだけの失態を犯したのだと自覚していた。


「では謹慎きんしん180日だ」


 だが主の口から告げられた処断は、驚くほど軽いものだった。


僭越せんえつながら主よ。この度の大敗の責は、内外に示す為にも誰かが負わねばなりません。私以上の失態は――」


「そうだ、責任は負わなければなるまい。そしてお前を処刑する事は簡単だ。だがレブライテュカほどの実力者を育成するのにいったい何年、いや何百年かかると思っている? この度の敗戦について本当に責任を感じているのであれば、失った人材を再度育成する事こそ貴様に求められている責任の取り方だ。謹慎中にとりまとめておけ」


 そんな主の言葉をレブライテュカはまるで想定していなかった。

 しかし神である主がそう告げた以上、それを否定する事は不敬だ。


「――深淵しんえんより深き御心、感謝申し上げます。必ずや、汚名を返上してご覧に入れましょう」


「当然だ。そして次に作戦立案の機には、より完璧に近づけるよう日々精進しておけ」


「ハッ!!!」


 そして主は別の大賢者へ視線を向ける。


「モイラーシリカ」


「ハッ」


「こたびの弔慰状ちょういじょうはどうなっている?」


「現在、準備を進めております」


「まだ送ってないんだな?」


 肯定が返ってくると、主は「よし」と吐き言葉を続ける。


「全て俺が手ずから書く。必要な情報を全てまとめて持ってこい」


「そ、そのような……主自らなさらずとも――」


「今回の責任は俺が取ると言っただろう。これだけの戦死者を出しておいて大賢者ひとりを謹慎させただけで済ませれば必ずしこりが残る。それはいずれ、致命的な亀裂になるだろう。不服なら、俺の沽券こけんに関わると言い換えようか?」


「い、いえ……その――」


追悼式ついとうしきも必要だな。その日程については調整し再度知らせろ」


 有無を言わさず、主はさらに別の大賢者の名を呼ぶ。


「ルガーリュチオ」


「ハッ」


「よもや、この度の敗戦を『我が帝国の勝利』などと流布るふしてないだろうな?」


「いえ。しかし、この度の敗戦を口にせぬよう戒厳令かいげんれいを引いております」


 そうか――とこぼした主の次なる言葉は、躊躇ちゅうちょなく放たれる。


「全ての臣民に敗北を告げよ」


「なッ!? そ、そのような事をしては我が帝国の威厳に関わります。それに、こたびの作戦においてはあくまで『マシリティ帝国とは無関係の傭兵』の行ったこと。公的に負けを認めれば、我が国による宣戦布告と捉えられません! ですので――」


 ルガーリュチオのそんな驚愕きょうがくと懸念は、主の叱責にも思える語気よって遮られる。


「つまりお前は、俺にじゅんじ俺のために死んだ殉教者じゅんきょうしゃが、日銭稼ぎの無名の傭兵として死ぬべきだと? 弔慰状も弔慰金も出すべきではない、と? そう言うのか?」


「主の慈悲は何よりも深く、我らを等しく愛していただけるその御心につきましては万感の思いでございます。されどこれは、国家の存亡に関わる案件。数百の命と数百万の信徒では釣り合うものではございません」


「問題ない。要はレスティアとの戦争を回避すれば良い。今回、対外的には『俺の言葉を深読みしすぎた結果、一部の信徒が先走った』として『監督不行き届き』で頭の1つや2つ、いくらでも下げてくる。そうすれば戦死者の弔意も名誉の回復も、戦争の回避も叶う」


「だとしてもそれはなりませぬ! 主があのような俗物ぞくぶつ共に頭を下げるなど――」


「ルガーリュチオ、その言い方は良くないな。かの吸血鬼やレスティア皇国の者達が俗物だとレッテルを貼れば、それにすら勝てないでいる我々はどうなる?」


「その点につきましては……言葉が過ぎたと反省いたします……。しかし、臣民に敗北を知らせるなど……ここは遺族への弔慰金を上乗せし、戒厳令をひいたままにするのが定石でございます」


「つまり『こたびの敗戦などなかった』と?」


「全くもってその通りでございます。我らが主に汚点を付けるなどゆるされるべきではございません!」


 ルガーリュチオの熱弁に、主は冷めたように一言「それは違うな」とぼやき、そして声を張る。


「よく聞け! 全員だ。――おごり、慢心し、盲信し、事実や現実を直視できなくなった者はそこで成長が止まる。都合の悪い物事から目を背け続ければ、その負債はいずれ致命的なまでに肥大化して返ってくる。事実を、敗北という歴然たる事実を受け入れられない国家も同様に、必ずや衰退し退廃する! ジン・ジミュエール帝国などがよい例だ。いや、悪しき例だな」


「ですが、臣民の士気に――」


「逆だ。この敗戦を持って臣民を奮起させよ。我々はかつてのように尊厳を傷つけられた。いかに三大列強国の一角とうたわれようと、先を行く二大超大国との差はいまだ歴然だ。そのせいで主が、俺が、頭を下げさせられた。その屈辱をあおり、臣民のより強大な結束を呼び起こせ!」


 大賢者たちが息を飲む中、主は慈悲深い口振りに変わり、さらに言葉を続ける。


「俺は、俺に殉じた者たちの名誉を回復させることに尽力する。ならば俺の名誉を回復させるのは誰だ? ――お前たちだ。そして全ての臣民だ。そうあるべきだ。違うか?」


 主の勅命にルガーリュチオはハッと息を飲み、雷に打たれたような感銘を抱いた様子を見せる。


「――その深き御心みこころを悟れなかった事、深く陳謝いたします。必ずや御心に沿う結果をご覧に入れましょう」


 ルガーリュチオは平伏する勢いで頭を下げる。

 そんな主の御心に、感涙を流す大賢者も少なくなかった。



  *



 主はその場の空気を落ち着かせた後、さらに言葉を続ける。


「さて諸君。この話はここで一区切りだ。今確認しておくべき別の話をしよう。アヴァンガルフィ、例の記録はどこに載っている?」


「68枚目にございます」


 それに目を通すよう告げると、各員が一斉に報告書をめくる。


 そこには古く変色した紙に描かれた雑な図柄と、未知の模様――その複写が添付されていた。


「これは斥候が持ち帰った資料の一つだ。これについて知っている者は名乗り出よ」


 主はそう告げ、大賢者たちを見渡す。

 だが口を開く者は誰一人としていない。


「結構」


 主は席を立ち、背を向け窓辺に向かって歩む。

 壁一面の窓から見下ろす眼下には誉れ高き帝都マリアルが彼方かなたまで続いている。


「主よ。我らが至高なる魔神マギ様。どうか無知な我々をお許しください。これは我々の知り得ない未知なる術式、あるいは何かしらのアーティファクトで御座いましょうか」


 一人の大賢者が声を上げると、主――魔神マギは振り返る。その模様を知らなかった大賢者たちを責めている表情ではない。むしろ主の口角はつり上がり、明らかな愉悦が口元からこぼれている。


「主はこの未知の紋様についてご存じなのでしょうか?」


 大賢者のその問いに、ああ――と肯定し、たのしそうにその答えを告げた。


「その中に含まれるのは『とある言語』だ」


「言語……でございますか?」


「このような言語は見たことがございませんが……」


 主は歓喜にも似た口調で答える。


「日本語だ」


 静寂が部屋に浸透する。


「ニホン語とは、いったいどのような言語なのでしょうか?」


「ある国のある言語に過ぎない。だが。だがしかし、だ。重要なのはそこではない。日本語を書いた者がいる。書ける者がいる。それはおそらく、戦闘中に裏切り者のテスターが、後生大事に守っていた『身元不明の手駒』のうちのどちらか。あるいは両方だろう」


 まさか――アヴァンガルフィは言葉を漏らすと、大賢者の視線が彼女に集中する。


「この度の作戦においてに落ちない点がありました。なぜレスティアの皇帝と皇女が自ら辺境の地におもむいたのか――」


 レブライテュカも同調するようにつぶやく。


「つまり、この言語を書ける人物との接触が目的だった……と?」


 ルガーリュチオも焦りをにじませるようにぼやく。


「我々が不老不死に固執こしつしている間に、やつは『何』を手に入れたんだ?」


 他の大賢者もそれに追従する。


「もし接触した人物が『超越者』なら、自ら出張るのにも納得がいく」


「しかし……いや、だが……」


「ですが、その人物――チャーリーは全員、アーティファクトで除外したはず」


「いや、仮に超越者――あるいは人型彁依物ヒトガタアーティファクトの場合でも……いやそうであるならむしろ、平然と不浄ふじょう之地のちから戻ってくる可能性は高いかと」


「ええ。もとよりあの大悪鬼リネーシャを戦場から除外するのも、時間稼ぎが目的だったのですから」


「だが我々は間違いなくチャーリーを除外した。少なくとも、現時点で標的ブラボーの手にはない。これは僥倖ぎょうこうではないでしょうか?」


「確かに。大悪鬼リネーシャの激情を見れば、取りこぼしたのは確実かと」


「奴が取りこぼし、不浄の地から戻ってくるだけの力を持った人型アーティファクト、あるいは超越者なのだとすれば、我々が手にすることも不可能ではないのでは?」


 場が煮詰まるのを見て、マギは「さて、諸君」と、自分に注目を戻す。


「我々はこの人物について早急にかつ精細に把握しておくべきだ。異論は?」


 一同の「ございません」との返答を受け、マギは満を持して啓示けいじを与える。


「では該当人物の情報収集から始めろ。可能ならば優先的にだ」

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