[2]瞬息の強襲

 至誠以外の者たちには、それが強大な魔法攻撃だと理解できていた。常人であればちり一つ残らないであろう強大な魔法だが、テサロの展開した魔法防壁がそれを防いでいる。まるで岩にたたき付けられた滝の様に、魔法攻撃は四方へ散っていく。


 最中。前方に展開された魔法防壁を避けるように、左右および後方から人影が現れる。四方へ散る魔法攻撃の隙間を縫うように侵入すると、エルミリディナが三方へ防壁を張るよりも速く、常人には不可能な加速を見せ急速に接近してくる。


 深くフードを被り、動きやすさを優先したであろうローブは身につけた装備を隠すために深く着込んでいる。その手に持つなぎなたは魔法による強化が施され、術式が埋め込まれ、惜しげもなく希少な鉱石を使用した薙刀だ。市場に出回れば最高級の評価を受けるであろうその武器は、明確な殺意をもってリネーシャへ向けられる。


 侵入者の尋常ならざる速度は、常人ならば残像すら見えない。それを可能としているのは、襲撃者の身体に施された膨大な強化魔法と、並外れた鍛錬のたまものだろう。


 身体は速度に振り切り、攻撃は武器に依存する。


 狙いは一撃必殺。


 三方向からの同時攻撃は全て命中するのが理想だが、実際にはそうく事は運ばない。故に、最低でも一人が遂行できるよう、正三角形を描くように三方向からの攻撃を敢行する。


 誰か一人が暗殺に成功するのならば残りの二人は喜んで捨て駒となるだろう。これだから狂信者は――とリネーシャは、襲撃者とその思惑を理解できてしまい、ため息をもらす。


 確かに襲撃者の身体能力はに高い。だがそれは個々の場合で、すでに連携に粗が出ている。標的リネーシャへの到達に刹那ほどの時間差が生まれているのがその証拠だ――と、刹那の時間でリネーシャが察していると、最も到達の速かった襲撃者のなぎなたの切先がリネーシャの頭部を貫かんと繰り出される。


 ――った!


 襲撃者がそう確信した直後、リネーシャが右へ体を傾け一切の無駄のない必要最低限の回避をしたことで、刃はむなしく空を切る。


 と同時。


 リネーシャの左腕がなぎなたの柄をつかむと、内側にひねりながら、石突きを足下に引き寄せ襲撃者の体勢が一瞬だけ前のめりとなる。


 しまった――そう脳裏を過ぎるより速く、リネーシャの空いた右手が襲撃者の首をわしづかみにする。


 その幼さを残す小さな手の平では襲撃者の首を掴みきることはかなわない。


 だがそれは首を絞める場合だ。


 爪を突き立て、尋常ならざる握力で皮膚と肉を突き破ると、襲撃者のけいついを直接掴み取った。


「がッ……」


 一人目の襲撃者のえつに構わずその体を二人目との間に割り込ませる。その攻撃は、切っ先がリネーシャを捕らえる直前だった。そのため二人目の襲撃者は、一人目が肉の盾として使われる事に対応できなかった。


 衝撃が走り、貫かれた同胞の脇腹が盛大にさくれつする。そして、わずかな動揺と判断の遅れが致命傷となる。


 二人目の襲撃者が次に目にしたのは靴だ。


 リネーシャの靴が、足が、襲撃者の側頭部をれいに捕らえ、蹴り抜かれる。全身もろとも吹き飛ばされる二人目の襲撃者だったが、とっさの防御で軽傷すら負わなかった。


 ――想定よりも攻撃力が低い。


 襲撃者はそう体勢を立て直しながら分析する。していた。


 しかし直後、二人目の襲撃者を三人目のなぎなたが貫く。


 味方の攻撃線上に放られたのだと理解するのと同時に、刃は頭部を貫き肉片へ変える。


 ――くそがッ!


 三人目のそんな瞬息しゅんそくの間に、肉塊と化した二人目の襲撃者の死角からリネーシャが現れる。


 だがその姿を認識した時にはすでに、頭部が四つに輪切り状に切り刻まれ、それが重力に従い落下を始める――そこで三人目の襲撃者の意識は途切れた。


 リネーシャは元いた位置まで下がると、手に付いた血と脳髄を乱雑に払う。戦果を誇示するでも、勝利にたかぶるでも無く、表情ひとつ動かずに。




 強烈な光に目を強く閉じ、呼吸すら困難に陥りそうな状況が弱まり、至誠は恐る恐る目を開ける。


 まぶしさはせ、パラパラと小石がすれるような音だけが聞こえていた。周囲に視線を向けると、先ほどまでの部屋は見るも無惨むざんな――まるで廃城のごとき光景へと変わっていた。壁は崩落し、天井は消失し、衝撃で舞い上がった雪がユラユラと舞い戻りつつある。


 見上げると透き通るような夜空が広がり、月と木星が並んでいる。燦々さんさんと輝く月光によって星々はやや陰っているが、それでも一等星をはじめとする星々は燦然さんぜんきらめいている。


 遠景には厳然げんぜんとそびえる山脈が雪化粧と共に彼方かなたまで続いている。窓から外を見たときと同様、見渡す限り一面は雪景色だ。だが窓のなかった方角には街の明かりらしき光源が点在していることに気が付く。


 同時に、周囲がこれだけ寒寒しい光景にもかかわらず、至誠はまるで寒さを感じなかった。


 迎賓室をはじめとした建物全体は見るも無惨に崩落しているが、変化のない場所もあった。至誠が座っていると円卓の周囲だ。机の上に飲み物が零れた程度の影響しか受けていない。


 至誠は魔法という概念はまだ理解できておらず、漠然と「そういうモノがあるのか。今はそういう認識で考えておこう」程度に考えていた。


 だが前後のやり取りから、テサロの魔法によって防がれたことは想像にかたくない。魔法や鬼道は軍事利用もされると言っていたが、これほどまでの破壊力があるとは想像していなかった。


 そんな折に、視覚の端に謎の黒い固まりを捉える。それは黒い布、いや、服で、そこから足のような靴のような部位が見え、腕のような手のような部分が見え、そして床はゆっくりと赤黒い液体が床を侵食していた。


 倒れているのは三人。二人は顔が無く、そこらから血が噴水の様に止めどなくあふれ、死体となったばかりなのだと主張する。残りの一人は頭部があるが、背中に大穴が空いている様子で、こちらも尋常じゃない量の出血が起こっている。


 しかし、まだ命はある。その腕が、指先がなんとかいずろうとしているかの如く動いていた。


 至誠の脳は、異様に不快感を覚える音だけが理解できた。


 潰される音だ。


 何かが潰れた音だ。


 そしてそれは至誠も目にしていたはずだった。


 リネーシャはいちべつすらなく、その唯一の生存者の頭部を足で踏み抜いていた。


 その頭部は豆腐のように潰れ、脳髄と血液が混ざり合いながら辺りに散らばる。


 ――なんだ、これ……?


 至誠の脳は、とっさにその状況を認識できなかった。


 聴覚は確かに異質な圧縮音を聞いた。嗅覚は、理解できない臭いを訴えていた。視界は床に広がる赤く濁った液体が血液である事を認識し始めた。散らばった肉片と脳髄のうずいが理解し始めた。


 そして。潰れた頭部が人の形をしている事を認識した。至誠の意識が、理性が、頭脳がそれを、狂気を、現実を理解し認識してしまう。


 映画やサスペンスドラマはでの殺人シーンを見たことがある。映画の内容によっては、流血シーンも描かれている場合もある。


 だが、現実はその比では無い。


 頭部からは想像できるよりもはるかに多量の血液が噴出し、店で売っている精肉とはまるで違う肉片がかいえ、そして血肉に混ざって四散する生の脳髄があった。


 至誠は体から力が抜けていくのが分かった。どうが溢れ、呼吸は乱れ、瞳孔も落ち着き無く、嫌な汗があふれ出る。尻もちをついてしまうと、腰や手にもべっとりとのりが付着し触覚がさらに現実味を増長させる。


 体が、脊髄が、反射神経が訴えた。


 だが、それをかき消したのは止めどなくあふれてくるむかつき。


 いや吐き気だ。


「魔女――いや、まがものだな」


 そんな至誠の心境を知らず、リネーシャはだるそうにそうつぶやく。


「体内に何を仕込んでるのかと思ったら、劇慟げきどう硝石しょうせき卑愴ひそう珪石けいせき嘆累琥珀たんるいこはく、こっちは甚剰蛋白石じんじょうたんぱくせきかしらねぇ。融和性鉱石類のオンパレードね」


 この状況を楽しんでいる口振りのエルミリディナはリネーシャとは対照的だ。


 だが至誠には、彼女の口にした単語の意味も、彼女の感性に触れる余裕はなかった。


 先ほどまで食べていた食事は喉元を通り、口から吐き出される。

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