第2幕 暗夜の礫

[1]状況開始

 ヴァルルーツ王子は思わず一驚いっきょうきっする。魔法を使った高速移動の最中、唐突に足下がすくわれたかと思えば、何者かによって担がれていたからだ。


 体が脊髄反射せきずいはんしゃ的に逃れようとするが、言葉によって遮られる。


「レスティア皇国の者です。皇帝陛下の命により参りました。火急の事態のため、どうぞご容赦ください」


 反射的に攻撃せんとしていた手を辛うじて止める。その言葉の意味と、声がレスティア皇国の皇帝と皇女の専属執事であることを理解できたためだ。


「こ、これは失礼を――」


 謝罪を口にしていた矢先、遮るように男は身を翻す。ヴァルルーツを抱えたまま。


わたくしはヴァルシウル王国第一王子のヴァルルーツ・ヴァルシウルと申します! 無礼を承知の上で、なにとぞ、レスティア皇国の皇帝陛下に拝謁はいえつを――」


 ここで門前払いとなるわけにはいかない――そうヴァルルーツは必至に言葉を上げたが、次の言葉に言葉を詰まらせた。


「何者かにつけられております」


「――っ!?」


 ヴァルルーツはここまで半日以上走り抜けてきた。体力と気力が限界をすでに超えていたが、それでも確固たる意志がヴァルルーツの体を動かし続けていた。


 だが、そのあとをつけてきている者が居るという。


 ――いつから尾行されているのか? これほどの高速で移動についてこられているというのか? こちらには一切気配を感じさせずに? すなわち敵の魔の手がすでに領土奥深くまで潜り込んでいる――そんな懸念けねんが脳裏によぎり、あふれた情報が混乱を巻き起こす。


「これより尾行をきます。少々手荒な動きになりますが、ご容赦ください」


 男は事務的にそう告げるとぜるように体を加速させ、スワヴェルディの視界はめまぐるしく移ろい反転する。


 視界の変化に脳が追いついていなかったが、後方から魔法術式の気配を感じ取る。直後、個人や少人数で発する魔法攻撃とは思えないほど高密度かつ高火力の遠距離魔法攻撃が、山なりの弧を描きながら2人に降り注ぐ。


 エルミリディナはその様子を感じ取りながら、状況をリネーシャに伝える。


「今スワヴェルディがくだんの狼魔人を回収したわ。ヴァルルーツ第一王子みたいね。護衛も付けずに1人なんて、よっぽどの事態か、あるいは偽物かしら」


「やはり伏兵が潜んでいたな」


 リネーシャも室内から状況を把握し、面倒くさそうにため息交じりにつぶやく。


「こっちの索敵にも3人追加で計6人確認できたわ。でも現場ではもう1人いるみたいよ。おそらく小隊の指揮官ね。そしてスワヴェルディの所感では、少なくとも半数は英傑級の戦力持ちで、状況証拠と消去法から種族は魔女とのこと」


 エルミリディナの言葉に、わずかにテサロの眉が動いたことに至誠は気が付いた。


 ――テサロとリッチェも種族としては魔女と言っていたっけ。別に複数の国に魔女がいてもおかしくはないと思うけれど、この世界の情勢はどうなっているんだろう?


 なんて疑問を至誠が感じている間にも、会話は進行する。


「尾行が失敗した以上、向こうはそろそろ索敵術式を展開するな。ここが見つかるのは時間の問題だろう」


「どうする? 今のうちに離脱する?」


「アーティファクトによる攻撃は?」


「今のところ確認できていないわ。純粋な魔法攻撃のみよ。私への対策かしらね?」


 リネーシャは少し考える仕草を見せるが、舌打ちをひとつ零してから方針を決める。


「ではこちらに誘い込む。離脱すればあの国は初の戦術的勝利だとあおり散らし、さらに増長するだろう。向こうが仕掛けてくるなら遠慮なくたたつぶせばいい。ついでに向こうの手の内を見ておきたい」


「じゃあスワヴェルディに進路を伝えるわねぇ」


 リネーシャの決断に、愉しくなってきた――とエルミリディナの顔には書いていた。


「テサロ、おそらく初手で大魔法か極大魔法が来る。今のうちに防御術式の構築を進めよ」


「既に完了しております」


「よろしい。他の攻撃があった場合は私が対処する。敵の魔法攻撃によって防壁が破られないことを最優先とせよ」


かしこまりました」


 テサロが命令を受諾すると同時に、エルミリディナが「戻ってきたみたいね」と、扉の方に顔を向ける。


 扉越しに聞こえる軽量の金属音をきしませた足音は、非常に早足だった。そこに焦りがうかがえる。






「あら、ヴァルルーツ王子。そんな慌ててどうしたのかしらぁ?」


 王族にしては珍しく手ずから扉を開け入ってきたヴァルルーツ第一王子に、エルミリディナはあえて問いかける。


 至誠はその容姿に、少しばかり目を瞬いた。


 彼女らは「ローマ人」と言っていたが、どうやら「ロー」は「おおかみ」だったようだと理解すると同時に、二足歩行でよろいかぶとを身につけた狼人間は、まさに部屋中にある絵画と同じような生き物だった。


 ミグよりインパクトは薄いけれど、やはりここは異世界ファンタジーくらいに思っていた方が精神衛生上いいかもしれない――などと至誠が思っている間に、ヴァルルーツはリネーシャとエルミリディナの前まで近づきひざまずく。


「礼を欠いた謁見えっけんなにとぞお許しください」


 顔を下げ開口一番に謝罪を口にしながら、太い声を上げる。


「その上で僭越せんえつながら――」


「戦争か?」


 言葉を遮りリネーシャはヴァルルーツに問いかけると王子はきゅうする表情を漏らす。早々にそう聞かれるとは思っていなかった――そう言わんばかりの顔をして。


「ご、御存じでしたか」


「いや、状況から推察しているに過ぎない。動いたのはマシリティ帝国あたりだと予測しているが、余所よそはどうなっている?」


「未明にレギリシス族長国連邦が挙兵、ザロキシ山脈の要塞にて国境線を防衛しております。5年前の戦争同様、魔法による攻撃を敢行しておりますが、魔女とおぼしき小隊が張った魔法防壁を突破できておりません」


「そちらにも出たか」


「リネーシャ・シベリシス皇帝陛下に謁見を望むあまり、尾行に気づけなかった事は不徳の致すところでございます。その上で勝手を申し上げて大変恐縮ではあるのですが――」


 回りくどい言い回しに割り込み、リネーシャは「ヴァルルーツ王子」とい語りかけると、彼は言葉を止めて「はっ」と言葉を待つ。


「マシリティ帝国は表だった荒事を嫌う。水面下で魔の手を伸ばすことを好むやつらが、なぜ今回に限って表に出てきたのか、心当たりはあるか?」


「いえ、私にはなにも。レギリシス族長国連邦に義勇兵を送る意図が分からず、困惑しているのは我が国も同様です」


「そうか。――それで、貴殿の要望は何だ?」


「恥ずかしながら、マシリティ帝国が出てきた以上は我々の軍事力で防衛することが困難です。なにとぞ、お力添えをいただきたく参上致しました」


「どのような形であれ、我々が軍事介入するならば正規の外交ルートを通じて行うべき案件だ」


「無論、重々承知の上でございます。しかしこのままでは数日中に国境防衛線が突破されかねず、予断を許さない状況にあります。正規の窓口を通すだけの時間がございません」


 リネーシャの指摘に、ヴァルルーツは食い下がる。その表情には「今ここで退く訳にはいかない」という焦燥感が、至誠にすら感じ取れた。


「ちなみに、ヴァルルーツ王子は王の命令で来たのかしら?」


 一呼吸の間を置き、エルミリディナが問いかける。


「……いえ。私の独断です。ですが、父上を通じて行動する猶予もないとご理解いただきたく存じま――」


「テサロ、防壁展開」


 ヴァルルーツ王子の言葉を遮るように発したリネーシャの命令に、テサロが即座に動く。


 テサロは身の丈ほどのつえを掲げると、周囲に青白く光をこぼす魔法陣が幾重にも浮かび上がり、即座に杖先を扉の方へ向ける。


 直後、ヴァルルーツが入ってきた扉周囲の壁に亀裂が入ったかと思うと、一瞬にして融解、蒸発し、高密度の魔法攻撃が一帯を飲み込んだ。


 至誠は一連のテサロの動きを視界に収めていたが、その意味するところが理解はできない。ただ漠然と、魔法が目の前で行使されているのだろうと言うことだけは類推できた。


 しかしそれ以上のことを考える猶予はなかった。


 直後、壁に亀裂が入ったかと思うと、溶解を始め、次の瞬間には衝撃波が噴出する。衝撃波に乗って襲ってくるのは強大な光源だ。至誠にはそれ以上のことは理解できずに両腕で顔を覆った。皮膚が突風に似た風を感じ取るが、それは耳に付くごうおんに比べればおとなしかった。

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