第2幕「暗夜の礫」

[1]瞬息の強襲

「――ッ!?」


 ヴァルルーツ王子は思わず一驚いっきょうきっする。魔法を使った高速移動中に、いきなり足下がすくわれたかと思えば、何者かによって担がれていたからだ。


 体が脊髄反射せきずいはんしゃ的に逃れようとするが、言葉によって遮られる。


「レスティア皇国の者です。皇帝陛下の命により参りました。火急の事態のため、どうぞご容赦ください」


 反射的に攻撃せんとしていた手を辛うじて止める。その言葉の意味と、声がレスティア皇国の皇帝と皇女と共に迎え入れた筆頭執事であることを理解できたためだ。


「こ、これは失礼を――」


 謝罪を口にしていた矢先、彼はヴァルルーツを抱えたまま身を翻す。


わたくしはヴァルシウル王国第一王子のヴァルルーツ・ヴァルシウルと申します! 無礼を承知の上で、なにとぞ、レスティア皇国の皇帝陛下に拝謁はいえつを――」


 ここで門前払いとなるわけにはいかない――そうヴァルルーツは必至に言葉を上げたが、次の言葉に言葉を詰まらせた。


「何者かにつけられています」


「――なっ!?」


 ヴァルルーツはここまで17時間以上走り抜けてきた。体力と気力が限界をすでに超えていたが、それでも確固たる意志がヴァルルーツの体を動かし続けていた。


 だが、その後をつけてきている者がいるという。


 ――いつから尾行されていた? この速度についてこれているというのか? こちらには一切気配を感じさせずに? 敵の魔の手がすでに領内の奥深くまで潜り込んでいるのか?


 そんな懸念けねんが一瞬で脳内にあふれだしたのと同時、スワヴェルディが口を開く。


「これより尾行をきます。少々手荒な動きになりますが、ご容赦ください」


 男は事務的にそう告げるとぜるように体を加速させ、スワヴェルディの視界はめまぐるしく移ろい、反転する。


 視界の変化に脳が追いついていなかったが、後方から魔法術式の気配を感じ取り、本当に尾行していた者がいたことが理解できた。それもひとりではない。6、7人――おそらく1個小隊だ。


 直後、小隊規模で発する魔法とは思えない規模の遠距離魔法攻撃が、山なりの弧を描きながらヴァルルーツ王子とスワヴェルディに降り注いだ。



  *



 エルミリディナはその様子を感じ取りながら、状況をリネーシャに伝える。


くだんの狼魔人、第一王子みたいよ。護衛も付けずに1人なんて、よっぽどの事態か……あるいは偽物かしらねぇ?」


 室内から状況を把握し、それよりも――と面倒くさそうな雰囲気でリネーシャはつぶやく。


「やはり伏兵が潜んでいたな」


「こっちでも7人確認できたわ。少なくとも半数は英傑級以上で、種族は魔女ね。状況証拠的に」


 エルミリディナの言葉に、わずかにテサロの眉が動いたことに至誠は気が付いた。


 ――テサロとリッチェも種族としては魔女と言っていたっけ。


 この世界の種属分布がどうなっているのか至誠は知らないため、それが普通なのか異常なのか判断が付かなかった。


 その間にもリネーシャたちの会話は進行する。


「隠密による追跡が失敗した以上、向こうはそろそろ索敵術式を展開するな。ここが見つかるのは時間の問題だ」


「どうする? 今のうちに離脱するならネルシュ呼ぶけれど」


「アーティファクトによる攻撃は?」


「確認できていないわ。今のところはね。純粋な魔法攻撃のみなのは私への対策かもしれないわね」


 リネーシャは至誠を一瞥し、方針を決める。


「ではこちらに誘い込む。この状況はむしろ都合がいい。手の内を見ておきたい」


「じゃあスワヴェルディに進路を伝えるわねぇ」


 リネーシャの決断に、愉しくなってきた――とエルミリディナの顔には書いていた。


「テサロ、おそらく初手で大魔法か極大魔法が来る。今のうちに防御術式の準備に入れ」


「既に完了しております」


「よろしい。他の攻撃があった場合は私が対処する。敵の魔法攻撃によって防壁が破られないことを最優先とせよ」


かしこまりました」


 テサロが命令を受諾すると同時に、エルミリディナが「戻ってきたみたいね」と、扉の方に顔を向ける。


 扉越しに聞こえる軽量の金属音をきしませた足音は、非常に早足だった。そこに焦りがうかがえる。



  *



「あら、ヴァルルーツ王子。そんな慌ててどうしたのかしらぁ?」


 王族にしては珍しく手ずから扉を開け入ってきたヴァルルーツ第一王子に、エルミリディナはあえておどけたように問いかける。


 至誠は彼の容姿に少しばかり目を瞬いた。


 彼女らは「ローマ人」と言っていたが、どうやら「ロー」が「おおかみ」だと理解すると同時に、二足歩行でよろいかぶとを身につけた狼人間は、まさに室内にある絵画と同じような生き物だ。


 などと至誠が理解している間に、ヴァルルーツはリネーシャとエルミリディナの前まで近づきひざまずく。


礼節れいせつ慣例かんれいを欠いた謁見えっけんなにとぞお許しください」


 顔を下げ開口一番に謝罪を口にしながら、太い声を上げる。


「その上で僭越せんえつながら――」


「戦争か?」


 言葉を遮りリネーシャはヴァルルーツに問いかけると王子はきゅうする表情を漏らす。早々にそう聞かれるとは思っていなかった――そう言わんばかりの顔をして。


「ご、御存じでしたか」


「いや、状況から推察しているに過ぎない。動いたのはマシリティ帝国あたりだと予測しているが、余所よそはどうなっている?」


「未明にレギリシス族長国連邦が挙兵、ザロキシ山脈の要塞にて国境線を防衛しております。5年前の戦争同様、魔法による攻撃を敢行しておりますが……魔女とおぼしき小隊が張った魔法防壁を突破できておりません」


「そちらにも出たか」


「リネーシャ・シベリシス皇帝陛下に謁見を望むあまり、尾行に気づけなかった事は不徳の致すところでございます。その上で勝手を申し上げて大変恐縮ではあるのですが――」


 回りくどい言い回しに割り込み、リネーシャは「ヴァルルーツ王子」と呼び掛けるとすぐに彼は言葉を止め、リネーシャの言葉を待つ。


「マシリティ帝国は表だった荒事を嫌う。水面下で魔の手を伸ばすことを好むやつらが、なぜ今回に限って表舞台に出てきたのか、心当たりはあるか?」


「いえ、私にはなにも。レギリシスに義勇兵を送る意図が分からず、困惑しているのは我が国も同様にございます」


 リネーシャは「そうか」と端的に理解を示し、「それで?」と続けざまに問いかける。


「それで、貴殿の要望は何だ?」


「恥ずかしながら、マシリティ帝国が出てきた以上は我々の軍事力で防衛することが困難です。何卒なにとぞ、お力添えをいただきたく参上いたしました」


「どのような形であれ、我々が軍事介入するならば正規の外交ルートを通じて行うべき事案だ」


 リネーシャの指摘にヴァルルーツ王子は食い下がる。その表情には「今ここで退く訳にはいかない」という焦燥感が色濃く浮かんでおり、情勢が分かっていない至誠にすら感じ取れた。


「横紙破りの非礼、重ねてお詫びいたします。されど事態は焦眉しょうびの急にあり、一刻を争います。何卒、早急さっきゅうに会談の機をたまわりたく、してお願い申し上げます」


 全身全霊を持って直談判するヴァルルーツ王子に、エルミリディナが問いかける。


「ちなみに、ヴァルルーツ王子は国王の命令で来たのかしらぁ?」


 その問いかけに、ヴァルルーツ王子の視線が一瞬揺らぐ。


「……いえ。私の独断です」


 国家間の正式な交渉において国家元首である国王を無視した独断専行というのは問題だ。そこはヴァルルーツ王子にとって一番突かれたくないポイントだったように至誠には感じた。


「確かに、私がここにいるのは父上の命令ではございません。されど私はヴァルシウル王国の王太子として参りました。早急に会談の席を賜ることが叶うならば、必ずや父上も出席し、ヴァルシウル王国として正式な――」


「テサロ、防壁展開」


 ヴァルルーツ王子の嘆願を遮るようリネーシャは命令を発する。そして王子が言葉を詰まらせるよりも速く、即座にテサロが動いた。


 テサロは身の丈ほどのつえを掲げると、周囲に青白く光をこぼす魔法陣が幾重にも浮かび上がり、即座に杖先を扉の方へ向ける。


 直後、ヴァルルーツが入ってきた扉周囲の壁に亀裂が入ったかと思うと、一瞬にして融解、蒸発し、高密度の魔法攻撃が一帯を飲み込んだ。


 至誠は一連のテサロの動きを視界に収めていたが、その意味するところが理解はできなかった。ただ漠然と、目の前で魔法を使っているのだろうと言うことだけは類推できる。


 しかし、それ以上のことを考える猶予はなかった。


 直後、壁に亀裂が入ったかと思うと溶解を始め、次の瞬間には衝撃波が噴出する。衝撃波に乗って襲ってくるのは強大な光源だ。


 それは一帯全てを消し飛ばすほどのエネルギーを有していたが、至誠は理解できず反射的に両腕で顔を覆った。皮膚が突風に似た風を感じ取るが、それは耳に付くごうおんに比べればおとなしかった。



  *



 至誠以外の者たちには、それが強大な魔法攻撃だと理解できていた。常人であればちり一つ残らないであろう強大な魔法だが、テサロの展開した魔法防壁がそれを防いでいる。まるで岩にたたき付けられた滝のように、魔法攻撃が四方へ散っていく。


 最中、前方に展開された魔法防壁を避けるように、左右と後方より人影が現れる。四方へ散る魔法攻撃の隙間を縫うように侵入すると、エルミリディナが三方へ防壁を張るよりも速く、常人には不可能な加速を見せ急速に接近してくる。


 深くフードを被り、動きやすさを優先したであろうローブは身につけた装備を隠すために深く着込んでいる。その手に持つなぎなたは魔法による強化が施され、術式が埋め込まれ、惜しげもなく希少な鉱石を使用した薙刀だ。市場に出回れば最高級の評価を受けるであろうその武器は、明確な殺意をもってリネーシャへ向けられる。


 侵入者の尋常ならざる速度は、常人ならば残像すら見えない。それを可能としているのは、襲撃者の身体に施された膨大な強化魔法と、並外れた鍛錬のたまものだろう。


 身体は速度に振り切り、攻撃は武器に依存する。


 狙いは一撃必殺。


 三方向からの同時攻撃は全て命中するのが理想だが、実際にはそうく事は運ばない。故に、最低でも一人が遂行できるよう、正三角形を描くように三方向からの攻撃を敢行する。


 誰か一人が暗殺に成功するのならば残りの二人は喜んで捨て駒となるだろう。


 これだから狂信者どもは――とリネーシャはため息交じりに思う。


 確かに襲撃者の身体能力はに高い。だがそれは個々の場合で、すでに連携に粗が出ている。標的リネーシャへの到達に刹那ほどの時間差が生まれているのがその証拠だ。


 最も到達の速かった襲撃者のなぎなたの切先がリネーシャの頭部を貫かんと突き出す。


 ――った!


 襲撃者がそう確信した直後、リネーシャがわずかに体勢をずらしたことで、刃はむなしく空を切る。


 と同時。


 リネーシャの左手が薙刀なぎなたの柄をつかみ取ると、襲撃者の体勢が崩れてわずかに前のめりとなる。


 しまった――そう脳裏を過ぎるより速く、リネーシャの右手が襲撃者の首をわしづかみにする。


 成人の体格をした襲撃者に対し、リネーシャの手は小さく心許ない。しかしそれは『首を絞める』場合の話だ。


 爪を突き立て尋常ならざる握力で皮膚と肉を突き破ると、リネーシャは襲撃者のけいついを直接掴み取った。


「がッ……」


 一人目の襲撃者のえつに構わずその体を二人目との間に割り込ませる。


その攻撃は、切っ先がリネーシャを捕らえる直前だった。そのため二人目の襲撃者は、一人目が肉の盾として使われる事に対応できなかった。


 衝撃が走り、貫かれた同胞の脇腹が盛大にさくれつする。そして、わずかな動揺と判断の遅れが致命傷となる。


 二人目の襲撃者が次に目にしたのは靴だ。


 リネーシャの靴が、足が、襲撃者の側頭部をれいに捕らえ、蹴り抜かれる。全身もろとも吹き飛ばされる二人目の襲撃者だったが、とっさの防御で軽傷すら負わなかった。


 ――想定よりも攻撃力が低い。


 襲撃者はそう体勢を立て直しながら一瞬で分析する。だがその一瞬こそが致命的だった。


 直後、二人目の襲撃者を三人目のなぎなたが貫く。


 味方の攻撃線上に放られたのだと理解するのと同時に、刃は頭部を貫き肉片へ変える。


 ――くそがッ!


 三人目のそんな瞬息しゅんそくの間に、肉塊と化した二人目の襲撃者の死角からリネーシャが現れる。


 だがその姿を認識した時には頭部が4つに輪切りされ、それが重力に従い落下を始める――そこで三人目の襲撃者の意識は途切れた。


 そんな刹那の攻防は、時間で表すと1秒かそこらに過ぎなかった。


 リネーシャは元いた位置まで下がると、手に付いた血と脳髄を乱雑に払う。戦果を誇示するでも、勝利にたかぶるでもなく、表情ひとつ動かずに。

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