幕間

ヴァルルーツ・ヴァルシウル


 レスティア皇国暦一五九八年二月九日、早朝。


 ヴァルシウル王国の兵士達は言葉を失った。




 ヴァルシウル王国は狼魔人種の単一種国家だ。


 歴代の王達は専守防衛を理念とし、侵略ではなく経済発展によって国を豊かにしてきた。


 しかし決して軍事をおろそかにしているわけではない。


 不浄の地に面している為に怨人の襲来に対応できるだけの戦力を保持しておかなくてはならず、さらにここ数十年の間に近隣諸国の情勢不安は増すばかりだ。


 それでも王国を堅持できてきたのは、人狼としての肉体の強さと、魔人としての魔法適性を獲得した種族であることが大きい。



 怨人やアーティファクトによる災害に際しては、聯盟れんめいやレスティア皇国の力を借りることはあった。



 だが隣国との戦争で負けたことは、建国以来一度もない。


 現に、五年ほど前に起こった隣国、レギリシス族長国連邦との戦争も、大勝と呼べる結果を残している。






 闇夜に紛れて進軍してきた軍勢は朝焼けとともにその進行を止めた。



 亜人と獣人の他種属国家であるレギリシス族長国連邦は、山脈を挟んでヴァルシウル王国の西側に存在する国家だ。


 ほんの数十年前までは小国がいくつも西方にあり、関係性は決して悪くなかった。少なくとも、戦争が起こるほどの関係性もきっかけもなかった。


 だがレギリシス族長国連邦はそれらの小国を取り込み、あるいは攻め滅ぼすことで富国の実現を成そうとする野蛮な侵略主義国家だ。




 五年前の戦争でレギリシス軍は、主力を四割失い撤退した。




 その後、ヴァルシウル王国は反攻作戦を実行しなかった。

 そのために戦線は開戦時のまま膠着し、事実上の休戦と呼べる状態が五年続いている。



 ――あのとき反攻作戦を実行するべきだったのだろうか。



 五年の間に国境線上に構築された要塞から、彼――ヴァルルール・ヴァルシリウス第一王子は考える。



 反攻作戦を行わなかったのにはいくつか理由がある。


 専守防衛を基本指針としていること。


 レギリシス軍の領地は広大で人口も多く、仮に降伏させたとしても統治が難しいこと。


 戦禍による大量の難民の対応を行えるだけの国力がないこと。


 ヴァルシウル王国軍は攻城戦を苦手とし、戦争の泥沼化が懸念されること。



 それらを鑑み、反攻作戦は行わなかった。




 それは第一王子も分かっていた。

 あの時の王の選択は、あの情勢において最善手だと今でも思える。


 だが、要塞に差し迫る圧倒的な人海がさし迫り、もっと最良の選択肢があったのではないかと後悔が脳裏から離れない。





 レギリシス軍の再侵攻の予兆は事前に察知していた。

 その為にヴァルシウル王国は、国境線上の要塞に精鋭の三個師団を配備していた。



 兵達は勝利を確信していた。


 玉石混交。烏合の衆。

 そんなレギリシス軍に後れを取るはずがないと。



 先の戦争では、遠距離からの大魔法の斉射によって敵の主力を一気に削り取った。


 たとえ対策を講じられていようとも、その上からひねり潰す事ができる。そう考えていた。


 だが、レギリシス軍の対策はヴァルシウル王国の想定外だった。





 ――まさか、魔女が最前線に出てくるとは……ッ。



 狼魔人が獣人の中で魔法に秀でた種族であるならば、魔女と呼ばれる種は、まさに魔法に特化した種族だ。


 レギリシス軍は自分たちで魔法防御することを捨て、魔女に委託している。





 ――いったいどうやってマシリティ帝国を動かした!? どれほどの対価を差し出したと言うのか!?





 魔女によって建国された最西端の帝国。マシリティ帝国。


 近年では三大列強国の一つに挙げられる超大国だ。


 だがあそこは、決して表立って動くことはしないしたたかな国だ。

 いつも水面下で動き、自分たちが関与したことを最大限隠匿する。



 そんな超大国が動くとなれば、尋常ならざる取引があったとヴァルルーツ王子は考える。


 だがその内容についてはどれだけ考えても想像の域を出ない。




 しかし、ひとつだけ確実なことがある。


 たったの三〇名あまりの魔女の展開した魔法防壁が、三個師団による魔法斉射を完封してしまったという現実だ。






 近年の戦争では様々な戦術があるが、部隊運用に関しては概ね二分できる。


 散開させるか、密集させるか。



 魔法や鬼道の術式は分担して処理でき、また発動に必要なマナやエスは融通しあえる。


 すなわち密集した部隊の方が、より高い攻撃力や防御力を発揮できる。



 これは弱者が強者たる個に勝つための定石だ。



 だがこれは、それでもなお相手の方が強かった場合には一網打尽にされる危険をはらんでいる。




 現に先の戦争でレギリシス軍が瓦解した原因がそれだ。

 ヴァルシウル王国の戦力を軽んじたために主力を一網打尽にされ撤退した。



 そして現在、密集による大魔法の斉射は、少数の魔女によって完全に防がれてしまった。

 それだけの実力差がある場合、今度はこちらが一網打尽にされる危険が目の前に差し迫っていた。





 ヴァルシウル王国軍の強さは決して魔法に依存しているものではない。

 その神髄は連帯意識、帰属意識の強さからくる連携力だ。


 現在、三個師団を指揮する軍師によって、急速に陣地転換が行われている。

 一網打尽されないための運用であり、兵の大半がその必要性を理解していた。


 突発的な状況の変化や命令においても混乱を最小限に抑えられているのは、ひとえに彼らの連携力によるところが大きい。




 ヴァルルーツ王子は要塞の司令部室で上座に座っている。


 軍師はその脇にて全軍に指示を出している。


 王子は要塞における指揮官という立場だが、実質的に指揮しているのは軍師だ。

 階級としては王子の方が上だが、成人を迎えて間もない王子よりも軍師の方が軍略においても人望において遙かに高みにいる事は自明の理だ。


 王子としての役目は、軍師から多くを学び吸収することだと理解していた。だが、それを成せないほど事態は緊迫している。



 ――では、いま自分が成すべき事は何だ?



 自分が下手に口を出し、場をかき乱すなど論外であることは理解していた。


 兵を激励するような状況下では、すでにない。


 決定打となる戦術を提案も、思いつかない。





 魔女三〇人で、王国軍三個師団並の戦力。


 強さの指標でいうなら、おそらく魔女は全員が英傑だ。



 さらに魔女は全員が飛翔している。

 飛翔魔法は高度な術式を幾つも組み合わせるために術式処理に割くリソースや消費が大きく、実戦においては実用に耐えないというのが世界の常識だ。


 対レギリシス軍を想定して建築されたこの要塞は、上空への対策は十分ではない。



 さらに眼下にはレギリシス軍が地上に控えている。

 その数は最低でも一〇個師団は下らないだろう。



 地の利も失い、数でも劣勢。




 ――ダメだ。あれには勝てない……。



 かといって逃げ出す訳にはいかない。

 形式上とはいえこの場の指揮官たる自分が真っ先に逃げ出す事は、軍の士気を著しく下げる事になる。


 ならばこのまま座っている事が、王国軍にとって最良であると考えられた。


 しかしそれを受け入れられるほど、ヴァルルーツ王子は達観してはいない。




 ――なにかあるはずだ。自分が今成すべき、最良の選択が。




「――王子!」



 もがくように必至に考えを巡らせていた最中に、自分を呼ぶ声に気付いた。



「ヴァルルーツ王子!」


「すまない。考え込んでいた」



 肩を掴み呼びかける軍師の表情には、余裕がまるで残されていなかった。



「ここは我々が抑えます。王子は撤退を!」


「なっ……。ダメだ――」


「なりません!」



 老いた軍師はその老体に似合わず一喝する。

 慌ただしかった周囲の兵士達がその手を止め、視線が王子に集中する。



「自分だけ退くなど王子たる者が取る行動ではない! 退くのであれば遅滞戦闘で、それを指揮することが――」


「なりません! 貴方は次代の王たり得る人物です。ここで命を落とすような事があっては決してなりません!」


「王の候補は他にもいる! 我が身可愛さに逃げ出す事こそ、王たり得ない行動だ!」


「レギリシス軍だけならそうでしょう! しかし、マシリティ帝国まで出てきたとなれば、これはもう存亡の機です! 王家の血筋を途絶えさせるわけにはいきません! たとえご兄弟がいたとしても、ここは退いていただかなくてはなりません!」



 ヴァルルーツ王子は軍師の言わんとしている事が理解できていた。



 レギリシス軍のやり口は聞き及んでいる。


 侵犯した国の村や小規模都市から襲っていく。

 そこで捕虜にした市民を盾にして、次の都市を襲う。


 ある程度捕虜が確保できたら首都へ侵攻し、数の優位性を使いこれを包囲する。


 ここで無条件降伏を勧告する。

 多くの場合それは拒否されるが、その場合でもレギリシス軍はすぐに攻めない。


 首都を包囲したまま兵糧攻めを行い、宴と称した催しを見せつける。

 ここで捕虜にされた市民の内、老人や男は虐殺してみせ、女子供は犯しなぶり殺す。


 自国民を救うべく打って出ればレギリシス軍の罠に自ら飛び込む事になり、かといって籠城したままではいずれ戦えなくなる。



 そこまで追い込まれれば、選択肢は三つしかない。


 全滅覚悟で反攻作戦を敢行するか、籠城の末に攻め落とされるか、降伏を受け入れるかだ。


 レギリシス軍は事の時、降伏を受け入れれば捕虜の返還や非戦闘員のレギリシス族長国連邦における市民権を提示される。


 これにより、降伏を受け入れた国々もかなりあったとヴァルルーツ王子は聞いている。



 だが聞き及んだ情報の中での、降伏した国民の末路は悲惨だ。


 市民権と言っても、下級市民は奴隷となんら変わらない。

 男は強制労働や徴兵に際して拒否権はなく、女は国によって管理され番わされる。老人は使えない者から間引かれ、子供はレギリシス族長国連邦の思想教育を受ける。


 肥沃な土地と豊富な資源、膨大な労働人口。

 そこに侵略主義が加わった、歪で不安定で成長著しい国家。


 それがレギリシス族長国連邦だ。




 もし、この要塞が落とされた場合に起こりえるヴァルシウル王国の未来の一つだ。


 なればこそ、王子は自分がここで逃げ出す事は悪手であると感じていた。


 王子が真っ先に逃亡すれば士気が落ち、それだけ早く要塞も陥落する。




 だが軍師の言わんとしている事も分かった。


 レギリシス軍にマシリティ帝国が手を貸した以上、降伏か滅亡の憂いが大きい。


 ならば今は時間を稼ぎ、次代の王と民が逃げる時間を稼ぐ。

 そして後の世代に、王国を再興させる。



 軍師はその為に自分が必要なのだと言わんとしている――そう理解できた。




「……わかった」



 意を汲んでくれた王子に対し、軍師は安堵と感謝を表情に浮かべる。



「だが」



 否定的な口調で立ち上がったことで、すぐに軍師の表情は霧散する。



「これは決して逃亡ではない!」



 ヴァルルーツ王子は声を張り上げる。

 それは軍師だけではなく、周囲の者達全てに向けられていた。



「ザミエラフへ向かう!」



 ザミエラフとはザマーゾエロギ山脈の麓にある小都市だ。鉱山開発によって発展した都市で、北方の不浄の地に近い都市だ。



「――まさか」



 多くの兵が王子の言葉を疑った。

 その選択に何の意味があるのか分からなかった為だ。



「王国軍兵士たる者の本分は戦う事だ。民の矛となり、盾となることだ! では王族たる者の本分とは何か!!」



 王子は周囲の兵達に投げかけるように声を張り上げる。



「それは、折衝せっしょうだ!」



 折衝。

 あるいは交渉。


 そして存亡の機に王族が行うべき交渉とは、外交だ。



「ザミエラフには現在、レスティア皇国の使節団が来ている!」



 正確にはレスティア皇国の皇帝と皇女だが、このこと事態が本来は機密事項であるべき事柄だ。そのため正確に口にすることははばかられた。



「私は必ずやレスティア皇国の助力を引き出してくる!」



 レスティア皇国は世界三大列強国の一角であり、軍事力でいうならばおそらく世界一だと言って過言ではなく、マシリティ帝国を凌駕できる数少ない国家だ。



 だがヴァルシウル王国との間に軍事的同盟はない。


 しかし王国は、レスティア皇国の設立した「聯盟れんめい」に加盟している。これは怨人やアーティファクトの脅威に対応する為の国際組織だ。



 レギリシス軍の侵攻の予兆は、王国内でアーティファクトである「劇慟げきどう硝石しょうせき」の鉱脈が見つかってからのものだ。


 ならば奴らの狙いはアーティファクトの可能性がある。

 すなわちそれは、聯盟ひいてはレスティア皇国が動く理由になり得る可能性を秘めていた。


 いや、そこにしか活路は残されていない。



「故に、私はこの場を離れるが、これは撤退ではない! 民を、国を救うための断行だッ!! それが王家の血を引く者として、今成すべき行動だッ!!」



 そして――とヴァルルーツ王子は兵達を見渡す。



「私は必ず戻る。それまで、何としてでもここを死守してもらいたい!!!」



 覇気をまとった王子の言葉は、まさに王たる風格の片鱗があった。



「任せて下さいッ!」



 若い士官がそう声を上げたのを皮切りに、司令室が咆哮に包まれる。


 そして王子の意志は即座に要塞内を浸透する。




 ヴァルルーツ王子が次の王だと考える国民は多い。

 それは血筋によるものではなく、人徳とこれまで積み上げてきた信頼によるものだ。

 若くして天才だと呼ばれる程の剣術に秀で、勉学においても優秀。なによりその事に驕らない。


 そんな王子が必ず戻ると断言した。


 王子の言葉は多くの兵の士気を回復し余りある結果をもたらした。




 その状況を見届け、ヴァルルーツ王子は護衛を付けると進言する軍師を押し切り、一人で要塞を後にした。



 レギリシス軍が何を対価にマシリティ帝国を動かしたのかは分からない。

 だが超大国を動かすとなれば、相応の対価が必要だと想像に難くない。


 ではレスティア皇国を動かすには、どれほどの対価が必要か。

 道中でその事を考えるが、ヴァルルーツ王子には確信を得られなかった。



 それでもなんとかするのが自分の役目だ。

 必要であれば命すら交渉材料に挙げる覚悟を決め、魔法を使用した高速移動で雪上を駆け抜ける。


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