幕間「ヴァルシウル王国」
[1]近隣諸国の情勢
時刻は2月9日
至誠が地下深くの特殊な氷層から発見されたのは、ここヴァルシウル王国だ。
ヴァルシウル王国は、主に
ヴァルシウル王国は北端に位置し、不浄の地に面している。世界の外側に存在する化け物――怨人に対応するため、中堅クラス軍事力を有する国家だ。
その軍事力の高さは種族のアドバンテージもさることながら、なんと言っても密な
軍事力をアーティファクトに
アーティファクトは
アーティファクトという切り札に依存しない国家戦略は、事実、これまで上手く機能してきた。それは王国の歴史の長さを見れば
だがこの日、ヴァルシウル王国第一王子たるヴァルルーツ・ヴァルシウルは王国の歴史が途絶えるという嫌な連想を抱かずにはいられなかった。
現在ヴァルシウル王国は戦時下にある。本日未明、隣国のレギリシス
規模はおよそ二十個師団。
対するヴァルシウル王国軍は三個師団。
数では圧倒的に
だが決して分の悪い戦争ではない。
レギリシス連邦軍は民間人や
そして
最大の優位点は、王国軍が多くの魔法技術を保有しているのに対し、レギリシス連邦軍は魔法・鬼道技術が
事実、5年前にもレギリシス連邦軍による侵略戦争はあったが、その時は遠距離の魔法攻撃によって一方的な戦果をあげ、追い返している。
国家規模の魔法技術の水準は、5年かそこらでどうにかなるものではない。
当時のヴァルシウル王国はあらゆる外交ルートを通じて侵略戦争を非難し、賠償を求めてきたがレギリシス連邦はこれを拒絶。停戦交渉すら5年前からうやむやのままとなっている。友好国と連携し外交圧力を強めてきたが、領土と資源、人口の多いレギリシス連邦にとってはどこ吹く風といった様子だ。
そんな中での再侵攻には、何かしらの意図があるはずだ。だがヴァルルーツ王子は一度敵国の意図について考えるのを止める。
――まさか、魔女が出てくるとは……。
レギリシス連邦軍の上空には我が物顔で浮遊している者たちがいる。身の丈を超える厳かな杖を掲げ、全身はローブで身を包み、人や動物の仮面で顔を隠している。
奴らはたったの一個小隊で、ヴァルシウル王国軍3個師団の大規模魔法攻撃を軽々しく防いでいる。
奴らが魔女である証拠はないが、その圧倒的な技量は世界三大列強国でなくては持っていないであろう水準だ。そして髑髏の仮面はマギ教徒が好んで身につける宗教上の装飾品であり、三大列強国の中でマギ教を国教に指定しているのはマシリティ帝国のみだ。
――マシリティ帝国。
19人の
仮にマシリティ帝国とヴァルシウル王国の全面戦争となれば、戦争と呼ぶには
事実、目の前の魔女らしき者たちはたったの一個小隊で王国の精鋭三個師団の放つ高出力の魔法攻撃を軽くいなしている。
状況的に、マシリティ帝国の魔女がレギリシス連邦軍の義勇軍として参戦していると見るべきだろう――とヴァルルーツ王子は考えている。
なぜ超大国が連邦に手を貸すのかは不明だ。何かしらの政治的な意図や取り引きがあったのは間違いない。
だが王子は、今はそれを考えるべき状況ではないと理解している。
このままでは魔女に守られたレギリシス連邦軍が要塞へなだれ込んでくるだろう。そうなればいかに王国軍の一人一人が精鋭といえど、物量に押し切られる可能性が出てくる。加えて、目先の地上軍への対応に追われれば、上空を占有している魔女による一方的な遠距離攻撃を受けかねない。
――駄目だ……。このままでは陥落する……。
現実的な問題として、王子は目先の戦況に注力せざるを得なかった。
――考えろ。どうする……自分に何ができる!?
ヴァルルーツ王子は要塞の司令室、その上座に座り
彼はヴァルシウル王国の
実際に指揮をしているのは王国軍の司令官や軍師たちだ。
ヴァルルーツは理解していた。
無能な働き者は敵よりも
もともと王子がここにいるのは、これほどまでに劣勢になることが予想されていなかったからに他ならない。
次々に上がってくる芳しくない報告に耳を傾けながら、ヴァルルーツは考えていた。
――このような
国のために死ぬのであれば、ヴァルルーツは
――だが死を迎えるその時までここに
ヴァルルーツは苦悩する。
――死ぬその時まで、国のため、民のために
そんな思考が先ほどから延々とループしている。
ループしていた。
どれほど繰り返したか分からないループの中で、王子はひとつのひらめきを得た。
と同時に、王子は大声で呼び掛けられていることに気がついた。
「――王子! ヴァルルーツ王子!」
ヴァルルーツが決意を固めた直後、荒々しく呼ぶ声が聞こえてきた。
「……すまない。考え込んでいた」
声の主はヴァルシウル王国軍の軍師だ。
ただの軍師ではない。ヴァルルーツ王子にとっては戦いのイロハをたたき込んでくれた師範であり、育ての親だと言ってもいい。少なくとも「
爺はいつだって優しく、そして厳しく、どんな事態でも
しかし今の爺には、まるで余裕が感じられない。それが戦況の
「ここは我々が抑えます。王子は早急に王都へ
それが死を覚悟した言葉だと、王子にはすぐに理解できた。
「いや――」
「いいえ、退いてください!!!」
冷静な口調で否定しようとするヴァルルーツ王子に対し爺は
「
「
「そのような考え方を持ってはなりません!」
「だが爺よ、ここで我が身かわいさに逃げ出すことこそ、王族たり得ない行動だ」
「相手がレギリシス軍だけならそうでしょう! しかしマシリティ帝国まで出てきたとなれば、これはもう
――やはり、爺もアレはマシリティ帝国と思っていたか。
自分と同じ考えであることに、王子は背中を押された気がした。
「
「おぉ、ではすぐにでも――」
理解してくれて何よりだ――そんな表情を浮かべる軍師に、ヴァルルーツは立ち上がると部屋に詰めている兵士たちを見渡し、声を上げる。
「そして、爺が私の立場だったならば同じくそれを受け入れないだろう!」
「――!?」
爺は思わず目をまたたき、王子の言葉を止めることができなかった。
「我が名はヴァルルーツ・ヴァルシウル! 誇り高きヴァルシウル王国の第一王子だ! 国は王族によって成り立っているに
「なりません! 次代の王がこのようなところで
ようやく口を開いた爺の方へ振り返りながら、ヴァルルーツ王子は王族としての覇気を含んだ口調で語りかける。
「
「そうです! そして王子は兵士ではなく王族なのです!」
「だからこそだろう。王たる者の本分は何だ? 民を守り、国を豊かにし、次の世代へ受け渡すことだ。だがここが落ちれば、レギリシス連邦に負ける。それでは民が
レギリシス族長国連邦は
利用価値のない老人は間引かれ、国の管理下で女性は子供を産むことを強制され、生まれた子供は取り上げられ洗脳教育がほどこされる。
男性だけは奴隷か兵士か選択肢が与えられ、兵士としてその次の戦争で戦果を挙げれば、二人分の
運良く生き延びることができれば、市民権を得るために非道に手を染め、
そうやって、ここ数十年で隣国を吸収し大きくなってきたのが
そんな国に負けることは、断じてあってはならない。
そのような
「たとえここで生き延びたとしても、私は王族たる
「し、しかし……!」
王子の言いたいことは分かる。だが今はそのようなことを言える状況ではない――爺の弱々しい否定は、その心境を物語っていた。
「そのような顔をするな、爺。結果として私の『選択』は爺の求めるものに近い。だが目的が明確に違う。私は王族だ。だからこそ、やらねばならないことがある」
今必要なの生き残ることだと言わんとする爺を遮り、ヴァルルーツは宣言する。
「私はこれより、ザミエラフへ向かう!」
どよめきが部屋に響き渡る。ザミエラフはヴァルシウル王国の北東の
この戦時下に、なぜそのような鉱山都市に向かうのか、多くの兵士は理解できなかった。
――結局田舎に身を隠すつもりだろうか?
そう考えた兵士もいただろう。
だが多くの兵士は、きっと何かの策があるのだろうと期待する。ヴァルルーツ・ヴァルシウル王子はここで尻尾を巻いて逃げるような男ではない――そう、期待のまなざしを向けている。
「
レスティア皇国も三大列強国の一角に座る超大国だ。
それも、近年になって列強国と
そしてレスティア皇国は、マシリティ帝国に対抗しうる充分な軍事力を有する覇権国家だ。
もし皇国の助力を受けることができたならば、仮にマシリティ帝国と全面戦争となったとしても戦うことができるだろう。
「全員聞いてくれ! 私は必ず! 必ずやレスティア皇国の助力を引き出してくる! それまで、どうにかしてこの戦線を死守してくれ!」
王子の言葉は、言い換えれば「ここで死んでくれ」と言っているにも等しい。
だが一人の若い兵が歓声を上げると、その勢いはすぐに
唯一、
「爺や。そういうことだ。私が戻る場所を、何としても守ってくれ」
「……」
「頼んだぞ」
「……分かりました」
爺の顔には納得はしていないが受け入れる、と言わんばかりの表情が浮かんでいた。
「それから、私は一人で向かう。護衛は不要だ」
「い、いけません。さすがにそれは――」
「護衛をつける余裕もないと、少しでもレスティア皇国の
「だとしても、危険すぎます!」
「仮に私が
軍師の
「爺。必ず戻る」
「まったく……あなたといい国王陛下といい、どうしてこう……。いえ。分かりました。ここは何としてでも耐えてみせましょう」
「いつもすまないな」
爺の説得を終えるとヴァルルーツ王子はすぐに要塞を後にした。
魔法を使用した高速移動で
道中、ヴァルルーツは何度も考える。
レギリシス軍が何を
ではレスティア皇国を動かすには、どれほどの対価が必要だろうか。
かの国は
地下深くの氷層で発見された『人型アーティファクト』の情報を提供した実績や、今後も変わらぬ関係を続けていくことの利益を
だが、爺には「同情を引きたい」などと言ったが、同情心に訴えかけるのはあまり
レスティア皇国は――かのリネーシャ皇帝陛下は『義理堅く』はある。だが決して『情に厚い』訳ではない。
いや、物事の優先順位をはっきりと決めることのできる人物というべきか。
そうでなければ、長年アーティファクトの研究などできるはずがない。
ならば、かの皇帝に対しては、実利について語る方がよっぽど効果的だろう。
その「利」が、ヴァルルーツの提示できる金銭や権力でどうにかなる代物ではないのが最大の問題だが。
どうしたものか――ヴァルルーツは頭を悩ませるが、それでもなんとかするのが王族たる自分の役目だとも理解し、一路、鉱山都市ザミエラフへ向かった。
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