幕間「ヴァルシウル王国」

[1]近隣諸国の情勢

 時刻は2月9日みょうちょう――17時間ほどさかのぼる。


 至誠が地下深くの特殊な氷層から発見されたのは、ここヴァルシウル王国だ。



 ヴァルシウル王国は、主に狼魔ろうま人と呼ばれる種族によって構成こうせいされる単一種国家である。狼魔人は狼の特徴の濃い獣人じゅうじんと、マナに特化した臓器ぞうきを持つ魔人まじん、双方の個性をあわせ持つ種族である。


 ヴァルシウル王国は北端に位置し、不浄の地に面している。世界の外側に存在する化け物――怨人に対応するため、中堅クラス軍事力を有する国家だ。


 その軍事力の高さは種族のアドバンテージもさることながら、なんと言っても密な連帯感れんたいかんにある。

 英傑えいけつ級と呼ばれる強者きょうしゃこそ少ないものの、専業せんぎょう軍人ぐんじんの質は高く、群れでの狩りを得意とする狼の如く、密な連携が戦力を底上げしている。


 軍事力をアーティファクトに依存いぞんしていない点も特徴的だ。

 アーティファクトはもろの剣である。うまく運用できれば国家の軍事力を大幅に引き上げる可能性をめているが、欲をかいて国が滅んだ前例はいくつもある。


 アーティファクトという切り札に依存しない国家戦略は、事実、これまで上手く機能してきた。それは王国の歴史の長さを見れば一目瞭然いちもくりょうぜんだろう。



 だがこの日、ヴァルシウル王国第一王子たるヴァルルーツ・ヴァルシウルは王国の歴史が途絶えるという嫌な連想を抱かずにはいられなかった。



 現在ヴァルシウル王国は戦時下にある。本日未明、隣国のレギリシス族長国連邦ぞくちょうこくれんぽうが未明に挙兵し、王国へ向けて進軍を始めたからだ。


 規模はおよそ二十個師団。

 対するヴァルシウル王国軍は三個師団。


 数では圧倒的に劣勢れっせい


 だが決して分の悪い戦争ではない。


 レギリシス連邦軍は民間人や奴隷どれいまでを動員したごうの衆であるが、ヴァルシウル王国軍は一人一人がしっかりと訓練を施された専業軍人せんぎょうぐんじんだということ。


 そして国境線こっきょうせん防衛ぼうえいする要塞ようさいがすでに完成し、籠城戦ろうじようせんができるのも大きい。


 最大の優位点は、王国軍が多くの魔法技術を保有しているのに対し、レギリシス連邦軍は魔法・鬼道技術が未熟みじゅくである点だ。


 事実、5年前にもレギリシス連邦軍による侵略戦争はあったが、その時は遠距離の魔法攻撃によって一方的な戦果をあげ、追い返している。

 国家規模の魔法技術の水準は、5年かそこらでどうにかなるものではない。


 当時のヴァルシウル王国はあらゆる外交ルートを通じて侵略戦争を非難し、賠償を求めてきたがレギリシス連邦はこれを拒絶。停戦交渉すら5年前からうやむやのままとなっている。友好国と連携し外交圧力を強めてきたが、領土と資源、人口の多いレギリシス連邦にとってはどこ吹く風といった様子だ。


 そんな中での再侵攻には、何かしらの意図があるはずだ。だがヴァルルーツ王子は一度敵国の意図について考えるのを止める。


 ――まさか、魔女が出てくるとは……。


 レギリシス連邦軍の上空には我が物顔で浮遊している者たちがいる。身の丈を超える厳かな杖を掲げ、全身はローブで身を包み、人や動物の仮面で顔を隠している。


 奴らはたったの一個小隊で、ヴァルシウル王国軍3個師団の大規模魔法攻撃を軽々しく防いでいる。


 奴らが魔女である証拠はないが、その圧倒的な技量は世界三大列強国でなくては持っていないであろう水準だ。そして髑髏の仮面はマギ教徒が好んで身につける宗教上の装飾品であり、三大列強国の中でマギ教を国教に指定しているのはマシリティ帝国のみだ。


 ――マシリティ帝国。


 19人のいにしえの魔女によって建国され、近年ではレスティア皇国、神聖ラザネラ帝国と並び三大列強国の一角にまで成長をげた最西端の超大国だ。


 仮にマシリティ帝国とヴァルシウル王国の全面戦争となれば、戦争と呼ぶには不釣ふつり合いなほど一方的なじゅうりんが待っていることは想像にかたくない。


 事実、目の前の魔女らしき者たちはたったの一個小隊で王国の精鋭三個師団の放つ高出力の魔法攻撃を軽くいなしている。


 状況的に、マシリティ帝国の魔女がレギリシス連邦軍の義勇軍として参戦していると見るべきだろう――とヴァルルーツ王子は考えている。


 なぜ超大国が連邦に手を貸すのかは不明だ。何かしらの政治的な意図や取り引きがあったのは間違いない。


 だが王子は、今はそれを考えるべき状況ではないと理解している。


 このままでは魔女に守られたレギリシス連邦軍が要塞へなだれ込んでくるだろう。そうなればいかに王国軍の一人一人が精鋭といえど、物量に押し切られる可能性が出てくる。加えて、目先の地上軍への対応に追われれば、上空を占有している魔女による一方的な遠距離攻撃を受けかねない。


 ――駄目だ……。このままでは陥落する……。


 現実的な問題として、王子は目先の戦況に注力せざるを得なかった。


 ――考えろ。どうする……自分に何ができる!?


 ヴァルルーツ王子は要塞の司令室、その上座に座り思慮しりょを巡らせる。


 彼はヴァルシウル王国の継承権けいしょうけん一位の王太子であり、次代の王だ。しかし王となるのはまだ先の話だ。彼はまだ29歳の若輩者じゃくはいものにすぎず、この場の最高指揮権を持っているものの、その実体がおかざりにすぎないと自覚していた。強いて言えば、王国軍の戦意高揚、士気向上のために存在している。


 実際に指揮をしているのは王国軍の司令官や軍師たちだ。


 ヴァルルーツは理解していた。

 無能な働き者は敵よりも厄介やっかいだ。それが上に立つ者ならば害悪がいあくでしかない。経験の浅い自分が余計な口をはさめば、きっと無駄に現場をかき乱すだけだと。


 もともと王子がここにいるのは、これほどまでに劣勢になることが予想されていなかったからに他ならない。


 次々に上がってくる芳しくない報告に耳を傾けながら、ヴァルルーツは考えていた。


 ――このような有事ゆうじだからこそ、王族たる責務せきむまっとうしなくてはならない。この場における最高指揮権を持つ者が真っ先に逃げるなど、あってはならない。


 国のために死ぬのであれば、ヴァルルーツは覚悟かくごをしている。それが王族の血筋に生まれた自分のさがだと理解しているからだ。


 ――だが死を迎えるその時までここにすることが、本当に王族としての責務か?


 ヴァルルーツは苦悩する。


 ――死ぬその時まで、国のため、民のために最良さいりょうの結果を求めてくことこそ、しんに求められる王族の資質ししつではないのか? だが無力な自分にいったい何ができる?


 そんな思考が先ほどから延々とループしている。




 ループしていた。




 どれほど繰り返したか分からないループの中で、王子はひとつのひらめきを得た。


 と同時に、王子は大声で呼び掛けられていることに気がついた。


「――王子! ヴァルルーツ王子!」


 ヴァルルーツが決意を固めた直後、荒々しく呼ぶ声が聞こえてきた。


「……すまない。考え込んでいた」


 声の主はヴァルシウル王国軍の軍師だ。

 ただの軍師ではない。ヴァルルーツ王子にとっては戦いのイロハをたたき込んでくれた師範であり、育ての親だと言ってもいい。少なくとも「じい」と呼ぶほどには世話になっている人物だ。


 爺はいつだって優しく、そして厳しく、どんな事態でも悠々ゆうゆうと構えるのが印象深い。


 しかし今の爺には、まるで余裕が感じられない。それが戦況の劣勢れっせいを物語っていた。


「ここは我々が抑えます。王子は早急に王都へ退避たいひを!」


 それが死を覚悟した言葉だと、王子にはすぐに理解できた。


「いや――」

「いいえ、退いてください!!!」


 冷静な口調で否定しようとするヴァルルーツ王子に対し爺は一喝いっかつする。慌ただしかった周囲の兵士たちは思わずその手を止め、視線が王子に集中するほどに。


貴方あなたは次代の王たり得る人物です。ここで命を落とすようなことは、決してあってはなりません!」

王都おうとには父上も第二王子もいる。私の命がここできようとも、王族の血筋ちすじぜっえない」

「そのような考え方を持ってはなりません!」

「だが爺よ、ここで我が身かわいさに逃げ出すことこそ、王族たり得ない行動だ」

「相手がレギリシス軍だけならそうでしょう! しかしマシリティ帝国まで出てきたとなれば、これはもう国家こっか存亡そんぼうです!」


 ――やはり、爺もアレはマシリティ帝国と思っていたか。


 自分と同じ考えであることに、王子は背中を押された気がした。


じいや。気持ちは分かる。きっと立場が逆だったなら、同じことを進言しんげんしただろう」

「おぉ、ではすぐにでも――」


 理解してくれて何よりだ――そんな表情を浮かべる軍師に、ヴァルルーツは立ち上がると部屋に詰めている兵士たちを見渡し、声を上げる。


「そして、爺が私の立場だったならば同じくそれを受け入れないだろう!」

「――!?」


 爺は思わず目をまたたき、王子の言葉を止めることができなかった。


「我が名はヴァルルーツ・ヴァルシウル! 誇り高きヴァルシウル王国の第一王子だ! 国は王族によって成り立っているにあらず! 民あってこその国。国あってこその王だ!」

「なりません! 次代の王がこのようなところでたおれるなど、あってはなりませぬ!」


 ようやく口を開いた爺の方へ振り返りながら、ヴァルルーツ王子は王族としての覇気を含んだ口調で語りかける。


じいや、兵の本分は戦うことだ。民の矛となり、そして盾とならねばならない」

「そうです! そして王子は兵士ではなく王族なのです!」

「だからこそだろう。王たる者の本分は何だ? 民を守り、国を豊かにし、次の世代へ受け渡すことだ。だがここが落ちれば、レギリシス連邦に負ける。それでは民が辛酸しんさんめ屈辱を強いられることとなる。爺もそれは理解しているだろう?」


 レギリシス族長国連邦は野蛮やばんな国家だ。やつらに負けることは、凄惨せいさんな死か、屈辱くつじょくにまみれた服従ふくじゅうかを選ばなくてはならない。


 利用価値のない老人は間引かれ、国の管理下で女性は子供を産むことを強制され、生まれた子供は取り上げられ洗脳教育がほどこされる。

 男性だけは奴隷か兵士か選択肢が与えられ、兵士としてその次の戦争で戦果を挙げれば、二人分の市民権しみんけんを得られる。妻や子供、大切な人がいる者ほど、矢面やおもてに立ち死んでいく。

 運良く生き延びることができれば、市民権を得るために非道に手を染め、共犯者きょうはんしゃとなっていく。

 そうやって、ここ数十年で隣国を吸収し大きくなってきたのが独裁国家どくさいこっか、レギリシス族長国連邦だ。


 そんな国に負けることは、断じてあってはならない。

 そのような屈辱くつじょくを、我が国民が味わうことなどあってはならない――そう、ヴァルルーツ・ヴァルシウル第一王子は決意を抱いている。


「たとえここで生き延びたとしても、私は王族たる矜恃きょうじを失うことになる。矜恃の大事さを教えてくれたのは、ほかならぬ爺だ」

「し、しかし……!」


 王子の言いたいことは分かる。だが今はそのようなことを言える状況ではない――爺の弱々しい否定は、その心境を物語っていた。


「そのような顔をするな、爺。結果として私の『選択』は爺の求めるものに近い。だが目的が明確に違う。私は王族だ。だからこそ、やらねばならないことがある」


 今必要なの生き残ることだと言わんとする爺を遮り、ヴァルルーツは宣言する。


「私はこれより、ザミエラフへ向かう!」


 どよめきが部屋に響き渡る。ザミエラフはヴァルシウル王国の北東の辺境へんきょうにある都市の一つで、鉱山開発によって発展した、中規模の都市だ。


 この戦時下に、なぜそのような鉱山都市に向かうのか、多くの兵士は理解できなかった。


 ――結局田舎に身を隠すつもりだろうか?


 そう考えた兵士もいただろう。

 だが多くの兵士は、きっと何かの策があるのだろうと期待する。ヴァルルーツ・ヴァルシウル王子はここで尻尾を巻いて逃げるような男ではない――そう、期待のまなざしを向けている。


おおやけに公表されてはいないが、現在ザミエラフ近辺にはレスティア皇国の使節団しせつだんがいる。ならば王族たる私の成すべきは、折衝せっしょうに他ならない!」


 レスティア皇国も三大列強国の一角に座る超大国だ。

 それも、近年になって列強国とささやかれるようになったマシリティ帝国の比にならない年月を、その一角に座している。


 そしてレスティア皇国は、マシリティ帝国に対抗しうる充分な軍事力を有する覇権国家だ。


 もし皇国の助力を受けることができたならば、仮にマシリティ帝国と全面戦争となったとしても戦うことができるだろう。


「全員聞いてくれ! 私は必ず! 必ずやレスティア皇国の助力を引き出してくる! それまで、どうにかしてこの戦線を死守してくれ!」


 王子の言葉は、言い換えれば「ここで死んでくれ」と言っているにも等しい。


 だが一人の若い兵が歓声を上げると、その勢いはすぐにでんし、ほうこうへと変わる。まるでヴァルルーツの人徳を表しているかのように、不平不満を口にするものはなく、ただただ士気が上がった。


 唯一、じいだけが心配そうな面持ちを向けている。


「爺や。そういうことだ。私が戻る場所を、何としても守ってくれ」

「……」

「頼んだぞ」

「……分かりました」


 爺の顔には納得はしていないが受け入れる、と言わんばかりの表情が浮かんでいた。


「それから、私は一人で向かう。護衛は不要だ」

「い、いけません。さすがにそれは――」

「護衛をつける余裕もないと、少しでもレスティア皇国の同情どうじょうを引きたい」

「だとしても、危険すぎます!」

「仮に私がたおれても、第二王子がいる。大丈夫だ。あいつなら良い国にしてくれる。王都へはそう報告しておいてくれ」


 軍師のうれいをさえぎるように、ヴァルルーツはまっすぐとえ、落ち着いた口調で語りかける。


「爺。必ず戻る」

「まったく……あなたといい国王陛下といい、どうしてこう……。いえ。分かりました。ここは何としてでも耐えてみせましょう」

「いつもすまないな」


 爺の説得を終えるとヴァルルーツ王子はすぐに要塞を後にした。




 魔法を使用した高速移動で雪上せつじょうを一人で駆け抜ける。




 道中、ヴァルルーツは何度も考える。


 レギリシス軍が何を対価たいかにマシリティ帝国を動かしたのかは分からない。だが大国を動かすとなれば、相応そうおうの対価が必要だろう。


 ではレスティア皇国を動かすには、どれほどの対価が必要だろうか。


 かの国はがたい。

 地下深くの氷層で発見された『人型アーティファクト』の情報を提供した実績や、今後も変わらぬ関係を続けていくことの利益を提示ていじし、多少の要求であれば必要経費として譲歩じょうほする必要もあるだろう。


 だが、爺には「同情を引きたい」などと言ったが、同情心に訴えかけるのはあまり得策とくさくではない。

 レスティア皇国は――かのリネーシャ皇帝陛下は『義理堅く』はある。だが決して『情に厚い』訳ではない。

 いや、物事の優先順位をはっきりと決めることのできる人物というべきか。

 そうでなければ、長年アーティファクトの研究などできるはずがない。


 ならば、かの皇帝に対しては、実利について語る方がよっぽど効果的だろう。

 その「利」が、ヴァルルーツの提示できる金銭や権力でどうにかなる代物ではないのが最大の問題だが。


 どうしたものか――ヴァルルーツは頭を悩ませるが、それでもなんとかするのが王族たる自分の役目だとも理解し、一路、鉱山都市ザミエラフへ向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る