[6]現状把握と選択権

 至誠には純白の燕尾服えんびふくまとった謎の男性が何者か分からない。しかし彼がいたことが現実なのだと訴えるように、手元には謎の冊子が残されている。


 ――もっと冷静に熟考すべきだっただろうか……。


 今になってそう反省するが、至誠はすぐに思考を切り替える。


 ――事情を知っていそうな人物が確認できただけでも良しとしよう。雲をつかむような、存在するか分からない存在を探すよりはきっと気が楽なはずだ。


 それよりも現状で必要なのは「状況の把握」と「今後の目標」だろう――と気持ちを切り替える。


 現状で考えられる最終目標は日本に帰ること。あるいは、帰れるかどうかの判断ができる情報や知識を得ることだ。


 そのために必要なのは身の安全や衣食住の確保だ。その前提条件がなくては目標に向けて進むこともままならなくなるのは自明であり、現状ではどちらも充分にあるとは言いがたい。


 至誠はより冷静さを得るために深呼吸を経て、さらに考える。


 この世界が異世界なのか並行世界なのか未来の地球なのかは定かでは無いが、事情を知っていそうな人物が接触してきたのは大きい。直通の電話番号も手に入れた。


 リネーシャの言が正しければ、スマホは今もなお動いている。正常な動作をするかどうかは分からないし、通じる可能性は低い気がするが、試してみる価値は十二分にある。


 ――なら、彼女の国へ向かうことが最終目標を達成する最短ルートだろう。


 リネーシャの国はレスティア皇国と言っていた。その国の場所は知らないものの、テサロやリッチェ、ミグはその国の関係者だ。ならば彼女らに案内してもらうのがもっとも合理的だ。


 つまり、今近くにはいないミグ、テサロ、リッチェ、ヴァルルーツの四人と合流することがきっきんの課題だ。


 そう考えをまとめつつ、まずは周囲を見渡して自分の置かれている状況を確認する。


 薄暗く少しジメジメとした路地裏に1人だ。テサロやリッチェ、ヴァルルーツの姿はない。むしろ人の気配がまるでない。緩やかな風に乗って雑踏が聞こえてくるが、距離が少しあるようだ。


 見上げると、そびえ立つ建物に遮られ直接太陽は見えなかったが、その日光の差し込み具合から、現在時刻は昼頃だと考えられた。


 ――ミグさんは僕の体内にいるんだっけ? 今もいるのかな?


 流血鬼りゅうけつきという種族が他人の体に潜むことができる特性を思い出しながら、至誠は呼び掛けてみる。


「ミグさん、聞こえますか?」


 流血鬼という種族が目の前に存在した以上は受け入れるしかないが、至誠には生物学的にどういう構造なのか未だによく分からない。


 ――ゲームで言うところのスライム的な種族なのかな……。うーん。さすがにここがゲームの中の世界というのは突拍子とっぴょうしがなく荒唐無稽こうとうむけいな考え方……だよね?


 なんて考えつつ反応を待ってみるが、ミグからの声は返ってこない。


「今、僕の方には何も聞こえてません。もしこちらの声が一方的に届いているなら、言葉以外でなにか反応を返してもらうことはできますか?」


 もし意思疎通いしそつうに支障が出ているなら――と考えて投げかけてみるが、ミグからの反応は返ってこない。


 ――仕方ない。今は1人で何とかするしかないか。


 そう理解するが、前途多難だ。


 ――うーん……大丈夫かな……。もし今、怨人えんじんとかいう化け物が襲ってきたら何もできずに殺される自信があるけど――などと無力な自分にため息のひとつでも吐きたくなるが、それで現状が変わるわけでもないと自分をいさめる。



  *



 至誠は頭を切り替え、周囲の光景に意識を向ける。


 裏路地うらろじかと思っていたが、今いるのはそれにも満たない袋小路ふくろこうじだった。すぐ横に壁があり、鉄格子てつごうしの付いた扉が固く閉ざされている。この袋小路はL字型になっており、この場から表の様子を見て取ることはできない。せいぜい2mほどの道幅は舗装されているとは言えず、敷き詰められたレンガは年期ねんきを物語るように風化ふうかしている。同時にジメジメとした空気と、少しばかり鼻につく臭いが充満している。隅の方にはゴミらしき物が散見しており、生ゴミこそ少ないものの、食器類や空き瓶らしきものが異臭の原因かもしれない。


 至誠は壁沿いに視線を上げる。


 壁には集合住宅のように窓が多く見られるが、いずれも固く閉じられている。異臭が窓から入ってくるようでは窓を開けたがる人はいないだろう。


 しかしそれ以前に、周囲に人の気配が全くない。


 ――意識を失っている間は誰にも見られていない……と考えても大丈夫かな?


 至誠は先ほどまで寝ていたであろう場所へ視線を落とす。80㎝くらいの樽が並んでおり、その上に一畳ほどの板が乗せられている。一見するとゴミの塊だろうが、至誠には簡易的なベッドのように感じた。足元があったところにはボロボロの薄い布きれがあって、まるで誰かがめくったような状態だ。


 ――さっきの男性かな……?


 他の人に見られていたら面倒なことになりそう――と考える。


 少なくとも、ここが日本だったら不審者ふしんしゃとして110番通報されても仕方がない。問題はもしも本当に通報されていた場合、ここに警察や警官に相当する人物がやってくる可能性だ。もちろん、日本の警察官とは訳が違う。


 ――ひとまず移動した方がいいかな?


 そんな感じで状況を確認していると、急に体が動かなくなる。


 ――あれ? なにこれ……もしかして何か危ない状況?


 瞬間的に様々な憶測おくそく脳裏のうりによぎるが、直後に聞こえてきた声で安堵感あんどかんが上回る。


『――っ! 至誠!? 大丈夫!? 生きてる?』


 声の主はミグだった。その口調から察するに今まで意識を失っていたようで、それまでの至誠に起きたことは把握できていないようだ。


「はい、大丈夫です。ただ急に体が動かなくなったんですが、ミグさんが何かしてますか?」


 体は動かないが辛うじて言葉だけは出せる――そんな奇妙な状態を訴えると、すぐに察してくれたミグが対応してくれる。


『あっ、うん。ごめんね。今元に戻すよ』


 至誠の落ち着き払った声を聞き、ミグは溜飲りゅういんが下がった声を脳裏に響かせ、謝罪を口にする。


『ごめんね、驚かせてしまって』


「いえ。僕もさっき目覚めたんですが、一人ではどうすればいいか迷ってましたので――ミグさんがいてくれると助かります」


『えっと……まず確認なんだけど、平気? 体はなんともない? 痛みとか大丈夫?』


 普通に言葉を返す至誠に、ミグはいぶかしげに問いかける。


「今は大丈夫です。目が覚めたときにはすごい痛みがありましたけど、知らない男性が治療してくれました』


 ミグは息を飲んだ後『何かされたの!?』と声を上げる。体内にいるミグの表情は見て取ることはできないが、その口調から血相けっそうを変えているのが分かる。


「何をされたかは……よく分かりません。光に包まれたと思ったら、気がつくと痛みは引いていました」


『確かに――今確認しているけど……綺麗きれい治癒ちゆされてるし、ぱっと見、悪意があるような形跡けいせきは見当たらない……』


「その人、僕にこれを受け取る権利があるとかで――これを渡してきました」


 手元の冊子を目線の高さまで上げると、ミグは驚きのあまり言葉をつまらせたような声音をらし、『嘘……』と頭を抱えるような言葉をこぼす。


 数秒の間を開けて、ミグは再び口を開く。


『至誠は、この本のことは知ってる?』


「はじめて見ました。そもそもこちらの字は読めませんので」


『じゃあ渡してきた人物に心当たりはある?』


「いえ、初対面でした。――渡してきたその男性によると、完成前の草本? らしいのですが、ミグさんはこの本について知ってますか?」


『うん、知ってる。ただ……』


 途中で言いよどむが、言うのをためっているというよりは、ミグ自身、平静さを取り戻すことに時間がかかっているように感じた。


『この本は『霊術大全れいじゅつたいぜん』と言ってね、アーティファクトに指定されてる本だよ』


「えっ」


 アーティファクト。つまり、魔法のあるこの世界で、さらに異常な力を持つモノの総称そうしょう。それを思い出しながら、至誠は恐る恐る確認してみる。


「えっと、つまり、危険な本――ということですか?」


『これまで霊術大全は百巻以上見つかってるけど、前例にのっとれば、書籍そのものに害はない。だから大丈夫……だとは思う。けど草本はウチも見たのは初めてだから絶対とは言い切れない』


 大丈夫だと考える思考が既にアーティファクトの影響下である可能性は否定できない――と補足ほそくされると、至誠は恐ろしく感じる。


「えっと、捨てた方がいい……でしょうか?」


『現状維持がいいと思う。今のところ害はないみたいだし、アーティファクトの中には捨てることをきっかけに活性化するモノもあるからね』


 アーティファクトとは実にたちの悪い代物だと感じ、至誠は頭を抱える。


『まぁでも、十中八九は大丈夫だと思う。簡単に説明すると――んー、どこから説明すべきかな。――まず霊術ってのは魔法と鬼道を合わせた非常に高度な技術でね。国家レベルでも独自に開発できた事例は少なくて、ほとんどがこの霊術大全によってもたらされた技術なの』


 至誠の知る知識で端的に言い表すならばオーバーテクノロジーが適切だろう。


『霊術大全そのものは破壊が極めて難しく経年劣化しない程度の特異性しかない。けど、記載されている術式そのものに関してはその限りじゃない。逆にいえば、術式を行使しなければ――霊術を使わなければ問題ないと思う』


「なるほど……」


『むしろ問題なのはこの本を執筆している――とされている人物だね。筆名はニコラ・テスラ。アーティファクトを生み出す人型アーティファクト、あるいは超越者と目されている存在。レスティア皇国ではこの超越者の尻尾をつかもうとしてるけど、ここ数百年は尻尾どころか目撃情報すらない……はずだよ』


「えっ」


 至誠はいくつかの考えが同時に脳裏をよぎる。


 ミグの言が間違いなければ、また会えるチャンスがあると考えていたことが甘かったかもしれない。


 ――それに、その名前はどこかで聞いたことがある気がしたんだけど……誰だったっけ?


 喉元まで出かかっている気がするが、記憶の引き出しが固く開けることができないようなもどかしさを抱く。


 ――ダメだ思い出せない……。


『それで確認なんだけど、この本を差し出した人物だけど――』


「えっと、名前は聞いてません。ただ、確か『しがない物書き』だと言っていました。『一部の推敲すいこうは終わってないが術式理論に問題はない』とも」


 ミグからの返事はすぐに返ってこなかった。だが頭を抱えているような雰囲気を感じた。


「あと、この本は『贈呈品』で、それとは別に『質問権』もあると言ってました」


『至誠、それはいつ頃の話?』


「つい先ほどです。まだ5分も経っていません」


『悪いけど、少し記憶をのぞかせてもらってもいい?』


「はい、大丈夫です」


 承諾すると、ミグの言葉は返ってこなくなった。

 先ほどの記憶をのぞいているのだろう。


 ミグの言葉はそれから1分ほどして戻ってきた。


『ウチの所感だと――本物っぽいね、これは……』


 ため息交じりに。


『続けざまで悪いけど、少し体を借りるよ』


「はい、どうぞ」


 至誠が肯定すると、すぐに体が意志を受け付けなくなった。


 体は勝手に霊術大全の草本の表紙に手のひらをのせると、いくつかの術式が空中に浮かび上がる。それが魔法なり鬼道ということは至誠にも分かったが、子細については全く理解が及ばない。


 おそらく何かしらの脅威がないか調べてるんだろう――と至誠は解釈する。


 ミグの意志で動く至誠の体は、それから少しして霊術大全の表紙をめくる。


 そこには無数の横文字と複雑怪奇な紋様が描かれている。


『これは……死霊術しりょうじゅつ……かな?』


 ミグの言葉は至誠に向けられたものではなく、思考をまとめるために自然と口から漏れ出ているようだ。


『霊体の多段階層構造の構築と運用について――?』


 次のページを確認したミグは思わず『うわ』と言葉を漏らす。


『なにこの術式どうなってんの――ここが起点で、こっちと分岐して……ここは並行処理が必要で……その結果をこっちで集約してからさらに処理する感じ? あー、んー? いや、うん、頑張れば行使できないことはない……かな? 別途必要な代償は……記載はなし、か』


 ミグは自然と至誠の頭をひねる。


『これは……他人の肉体から魂を引っ張り出すような感じ……? いや、他人に移し替える……? いや……』


 ミグの無意識下の動きによって至誠は頭を掻きつつ、ページをめくる。


『次は……子霊体へのアクセス方式と管理者権限について? ……うわぁ、こっから先は解読だけでかなり時間かかりそう――』


 ミグは大きく深呼吸をした後、霊術大全を閉じ、体を至誠に返す。


『とりあえず、確認した限りだとすぐに危険はないと思うからこのまま持っておこう。霊術大全の破壊は難しいし、捨てて行くには書かれている内容が物騒だし』


 ミグは死霊術が霊術の一分野だと捕捉してくれるが、至誠はその違いについてはよく分からなかった。ただその単語だけでも良くないモノだとひしひしと伝わってくる。


「これをどうするかについての判断はミグさんにお任せします。僕は基本的な魔法すらもよく分かってない状況なので」


『分かった。じゃあこの話はいったんここまでにしよう。ニコラ・テスラに関しても、詳しくは本国に――レスティア皇国に戻ってから陛下に改めてしてあげて欲しい。可能な範囲でいいから至誠の方でも覚えておいてくれると助かるよ』


「分かりました。――つまり、現状はレスティア皇国に向かう、という方向性で問題ないですか?」


 至誠の問いかけにミグは『そうだね』と肯定しつつも『ただ――』と懸念を口にする。


『――どういう順路じゅんろを選ぶかについて、少し話しておかなくちゃいけない』


「順路、ですか?」


『そう。具体的には、テサロとリッチェ、ヴァルルーツ王子をどうするか、だね』


 ミグの口調は厳しいものだ。悲壮感が漂っていると言っても差し支えない。

 そこから考えられるミグの思考が合っているか、至誠は問いかける。


「それは『彼らを見捨てる』という意味でしょうか?」


『それも、現実的な選択肢のひとつだよ』


 至誠としては、それは選びたくない選択肢だ。できることならば、全員生存かつ無事なのが最良の未来だろう。


 その空気がミグにも伝わったようだ。


『できればウチも見捨てるなんてことはしたくない』


 ミグもまた、三人をおもんぱかる。だがその口調には諦念ていねんが大勢を占めている様子だ。


『結論から言うとね、テサロはまだ生きてる。テサロは治療のためにウチの一部が体中に残ってるから。遠隔で動かすことはできないけど、生きているか死んでいるか、それと方向や大まかな距離は分かる。――けど、リッチェとヴァルルーツ王子は全く状況が分からない。生きているのか、生きているけど捕まってるのか、身を潜めているのか。あるいは……』


 そこから先は口にしなかった。


 ミグはテサロやリッチェと親交が深い様子だった。彼女としてもできることならば生きていて欲しいと願っている。


「ミグさんの力で助け出すことは、可能ですか?」


『厳しいだろうね』


 ミグが発する声音の端々からは、悔しさと断腸の思いが伝わってくる。


『この都市の防衛能力はそれなりに高い。レスティア皇国全体の軍事力からしたら大したことはないけど、ウチ個人と比較したらかなり厳しいと言わざるを得ないよ。だからウチらは選ばなくちゃいけない』


 そこでミグの言葉が途切れたので、至誠が口を開く。


「全員助ける方向で動くのか、あるいは見捨てて自分たちの安全を最優先とするか――ということですか?」


 どう言葉を選ぶべきか悩んでいたミグは、『理解が早くて助かるよ』とこぼしつつ言葉を続ける。


『もちろん、ウチの心情しんじょうとしては助け出したいよ。でも、テサロ以外は生きているかも分からない。おそらく、テサロも意識は戻ってないと思うし、あっても戦えるような状態じゃないはず。そんな状況で、超越者が自ら接触してくるような重要人物を、つまり至誠、君をこれ以上危険な目にわせるわけにはいかない――というのも実情じつじょうだよ。一刻いっこくでも早く至誠の安全を確保してレスティア皇国で保護するのが、ウチの職責上、求められているのは間違いない』


 職責だと言いつつも、その選択をしないで済む方法を模索している様子がうかがえた。


 至誠としても本当は助けたいというミグに同調したい。不浄の地で逃げる時のように全員を助けたいと言ってしまいたい。


 だが、現実では感情論だけ突き進むのは危険だとも理解している。それを口にするならば、具体的な道筋や希望、根拠、選択肢を併せて示さなくてはならない。


 しかし現状、判断や思案するための情報そのものが足りていない。


「いくつか確認させてください。――まず、3人を助け出すか見捨てるかの選択肢は『僕が選んでいいこと』なんですか?」


 至誠の問いかけに、ミグはすぐに言葉を返さない。

 言葉にきゅうし、静寂せいじゃくが差し込む。

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