[3]緯度の計測

 至誠とテサロはしばらく廊下を歩く。

 少し疲れてきた感じはあるものの、階段と違い、普通に歩くだけであれば体力的に問題はないようだった。


 もともと特定のスポーツをやっていた訳ではなく、運動神経も平凡だったが、それにしても信じられないくらい体力が落ちている。


 ――これは、リハビリが必要かな……。


 と現実的なことを考えて、先ほど体験した魔法という超常現象から目を背け、半ば現実逃避を行っていると目的の迎賓室へと到着した。


「おや、誰もいませんね……」


 と開口一番にテサロは首を傾げる。

 確かに室内には誰もいない。


「シセイ様。ご不便をおかけしますが、わたくしは他の方々かたがたんでまいります。もしかするとスワヴェルディという執事が入れ違いでやってくるかもしれませんが、ご不明な点やご入り用の際は遠慮なくその者にお申し付けください」


「あ、はい。分かりました……」


 そう挨拶をしてテサロを見送り、扉が閉まる。すぐに足音が遠のいていくと、辺りは静寂せいじゃくに包まれた。


「……」


 突然の孤立無援に思考がフリーズするが、すぐに我に返る。このまま立ち尽くしても何も状況が変わらないと自分に言い聞かせながら。


 至誠は改めて周囲を見渡す。


 部屋の中心には十数人分の椅子と、純白じゅんぱくの石材でできた円卓えんたくが置かれている。


 ――大理石かな?


 机に近づくと、白とグレーの分布から大理石のような印象を受けた。少なくとも、りそうな雰囲気があり、加えて細かい装飾そうしょくほどこされている。


 部屋の奥側の壁には大きな肖像画しょうぞうがかざられている。構図や立ち振る舞いは確かに肖像画といって差し支えないが、描かれているのは人間ではなかった。


 2本の足で立ち、身につけた甲冑かっちゅう威厳いげんを感じさせるが、その顔は人ではなく犬――いや、おおかみだ。人狼じんろう、もしくは狼人間と言うべき絵画だ。


 そんな絵画が天井にせまるほどの巨大ながくぶちに入っている。


 ――人狼……人狼ゲーム……いや、不吉な連想はよそう。


 首を振って嫌な思考をふるい落とす。


 改めて壁に目をやると、やや小さめの絵画や、複雑な紋様の描かれたタペストリーが飾られ、一角には書架しょかも並んでいる。


 反対側の壁には高級そうなカーテンが並び、こちらが窓側であることが分かる。


 至誠には建築様式や調度品の特徴について詳しいことは分からなかったが、全体を通してとにかく高級感が際立きわだっているのをひしひしと感じた。


「……」


 扉の前で突っ立っていてもしかたがない――と、至誠は書架のある一角に近づいて見る。


 並製本なみせいぼん革装本かわそうぼんもあるが最も多いのは上製本じょうせいぼんだ。

 背表紙に書かれた文字は日本語どころかアルファベットすら見当たらない。


 ――日本語はまだしも英語もないなんて……本当にここはどこなんだろう?


 手に取って中を確認したい気持ちはあるが、もし貴重な本だった場合、勝手に触って弁済べんさいを求められても困る。今は触れない方が無難だろう――と結論づけ、隣のカーテンの方へ移動する。


 カーテンくらいは触れても大丈夫かな――と、真っ赤で高級そうなカーテンを優しくそっと開き、外を見てみる。


 窓は大きな出窓でまどで、普通の窓よりも少し身を乗り出すことで広範囲を見ることができた。


 だが外の光景がまったく見えない。煌々こうこうとした室内の光が反射しているからだ。つまり窓の外は暗闇くらやみ。今が夜であることが分かる。


 至誠は窓とカーテンの隙間すきまに入り込み光をさえぎる。そうしてようやく見えた外の光景は、一面の銀世界だった。街明かりどころか人工的な光は一つも見当たらない。


 ここから分かることは、現在時刻が夜間。天候は晴れ。ここが北半球なら季節は冬。そして豪雪地帯であること。


 ――今は確実に分かることだけを理解しよう。


 至誠は自分に言い聞かせる。間違ってもここがミステリー小説の世界で、孤立したペンションで起こる殺人事件に巻き込まれるパターン――などという余計な連想は投げ捨てるべきだろう。


 それよりも――と、今は目の前の光景に集中する。


 ――雪明かりが強い。


 そのおかげで夜間にもかかわらず遠方の山脈までよく見えている。


 ――地平線は全て山ばかりで水平線は……全くないみたいだ。とすれば内陸、それも盆地か? いや、反対側の光景が見られていない以上、盆地かどうかはまだ分からないか。


 他にこの景色から分かることはあるだろうかと至誠は考え、視線は頭上に向かう。


 ――これだけの雪明かりなら満月に近いはず。


 そう思い見上げるが月は見当たらない。

 出窓の奥へ体を寄せ、ガラス戸ギリギリに顔を近づけるとかろうじて上空に月が見えた。


 ――あれは……満月で間違いなさそう。


 至誠は天文学が好きだ。宇宙や天体には強いロマンを感じる。そのため一目見てそれが満月であることは分かった。そしてその月が、日本で見上げた月とまったく同じであることも。


 それは至誠に一縷の安堵感を与えてくれる。

 ここまで未知で信じがたい情報の連続だった。そんな中ではじめて、至誠のよく知るものを目にした。この安堵感は計り知れない。


 しかし、違和感がある。


「……」


 少し考えて、違和感の正体が月の模様であることに気がつく。

 模様そのものは同じだ。しかし、至誠が日本で見上げていた月よりも模様が回転している。


 ――20度か25度くらい……?


 よく見なければ気がつかない程度の違いだ。

 至誠が首を傾げていると、満月のすぐ隣にひときわ輝いている星に気がつく。


 ――この月明かりの中でも見えるって相当明るい星だよね……。あの感じからすると……木星……とかかな?


 それが本当に木星かどうか自信はなかったが、思考がクリアになってきているのを実感する。どうも「夜にまたたく星々」という自分の好きな要素に触れられたことで脳が活性化しているようだ。


 そしてクリアになってきた思考は、ひとつのアイデアを導き出す。


 ――そうだ! 北極星を見つけたら緯度が分かるはず!


 と、気がついた至誠は、さっそく北極星を探す。


「……」


 デネブ、アルタイル、ベガのようにいろどる明るい星はすぐに見つかったが、他はなかなかに難しい。


 特に、満月のように月光の強い時期は肉眼で星を探すのが難しい。昼間は太陽の光で星々の輝きがまったく見えないように、月光が星をおおかくしてしまう。


 大量に打ち上げた通信衛星が光を反射して星の観測ができなくなると天文学者が反発していたニュースがあったなぁ――なんて無意識に無関係の記憶を掘り返しつつ、至誠は視力が2.0以上あることを生かして北極星を探すことに注力する。


 北極星はこぐま座のポラリスという星だ。そして探すには「北斗七星ほくとしちせい」か「カシオペア座」を探すと楽だということを至誠は知っている。


「……」


 少しして、至誠はカシオペア座を見つけた。


 北極星を見つけるには、カシオペア座のα星とβ星を結ぶ直線、δ星とε星を結ぶ直線、それらが交差する地点を見つけ出す必要がある。その地点とγ星を直線で結び、その距離の5倍ほど先の位置に北極星がある。


「……あった」


 北極星はその名の通り、常に真北を指し示す。これで方角も分かった。


 ――次に緯度だ。


 緯度は北極星のこうと等しい。そして高度は、おおざっぱで良ければ道具なしにはかることができる。


 こぶしを作り、片腕を目線と同じ高さで伸ばす。この時の拳ひとつのところに見える星の高度がおよそ10度だ。拳を上に重ねれば、そこに見える星の高度は20度ということになる。そうやって拳を北極星の高さまで上に重ねていくことで、おおよその高度が割り出せる。


 無論、これは原始的な方法だ。

 だが道具も何もない至誠がとれる唯一の手段でもある。


「……っ」


 現状、この方法を用いるのはいろいろと問題がある。


 そもそも体を使った計測はただでさえ精度せいどが低いのに、窓から見える地平線ちへいせんはどこもさんみゃくが続いていて高度を測る基準きじゅんの高さが明確ではない。


 さらに、腕を伸ばすために一歩後ろに引いたことでカーテンのすきから光がれている。その結果、窓に室内の光が反射して外が非常に見づらい。


「10度……!」


 それでもなんとか計測を強行できた。

 こぶしひとつでこと足りたのが大きい。


 つまり北極星の高度はおよそ10度。

 北極星の高度は緯度に比例ひれいするので、現在地の緯度が10度であることが分かる。


 ――え……緯度が10度? それってフィリピンとか、タイくらいだっけ? メキシコよりもまだ南だよね……パナマくらい?


 少なくとも赤道にかなり近いという結論になる。


 ――日本の緯度は確か35度くらいだっけ。


 そう考えると、月の模様が回転しているのとも整合性がとれる。月の模様は緯度によって変わり、緯度が25度変われば模様の角度も25度回転する。


 35度-25度で緯度は10度。

 つまり観測結果と矛盾はない。


 だが腑に落ちないことがある。


 ――そんな場所で、こんなに雪が降るなんてことがあるだろうか?


 地平線の彼方かなたそびえる山脈まで続いている一面の銀世界を見ながら、至誠は言葉を失う。


 自分のやり方が間違っていただろうか――と、再び検証してみるものの、ついでにアンドロメダ座とペガスス座を見つけただけで、緯度の結果は変わらなかった。


 ――それに……なんで「冬」に「夏の大三角」が?


 矛盾した光景に至誠の思考がフリーズしかける。


「……」


 少しして我に返った至誠は、ふたつの仮説を思いつく。


 ひとつは、パニック映画さながらに地球に急激な気候変動きこうへんどうが起こり、氷河期ひょうがきが訪れたとする説だ。実際に、至誠は地下の氷層で見つかったとリネーシャという少女は語っていた。


 記憶をたどる限りそのような現象に心当たりはないものの、状況証拠としては可能性があるかもしれない――と至誠は考える。


 少なくとも脳裏をよぎったもうひとつの可能性「異世界ファンタジーな世界」などといった荒唐無稽こうとうむけいな考察よりは矛盾が少ない気がした。


 しかしこれ以上は一人で考えていてもらちがあきそうにない。


 ――とりあえず今は頭の片隅かたすみとどめるくらいにしておこう。


 と、自分に言い聞かせ、カーテンを抜ける。

 改めて扉の方へ視線を向けてみるが、テサロが戻ってくる気配も、スワヴェルディという人物が来る気配はない。


 他に、何か情報が得られそうなものは――と、目星めぼしを再開した直後、扉の近くに立てかけられている「ある物」に視線しせんくぎけになる。


「これは――」


 迎賓室に入ってきたときは角度的に分からなかったが、書架の横に立てかけられたソレは、至誠の知る物に間違いない。


 至誠の目の前には、時代劇じだいげき漫画まんがの中でよく見る代物しろものがそこに存在していた。


「日本刀……?」


 妙に懐かしい気がするが、実物をあつかったことはない。


 しかし、目覚めてはじめて見覚えのある物を見つけたことで、ひときわ大きなあんかんを至誠にもたらす。





「……?」






 ただ、なぜだろうか。






 至誠の心の奥底からき出てくる衝動しょうどうはそれだけではない。



 もしこれを手に入れたら、今いだいている不安も焦燥しょうそうも、全てが一気に解消かいしょうできるのではないだろうか――そんな唐突とうとつな思考が脳裏のうり蔓延はびこり、否応なく蔓延まんえんしていく。





 ――危ないのではないか?






 ――他人の所有物に勝手に触れるのは良くないのではないか?






 そう考える自分もいた。





 しかし。





 それでも衝動しょうどうが体をつき動かし、頭がぼんやりとし始めた至誠は腕を伸ばし、その日本刀を手に――。

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