第32話 2月10日12時12分

 彼の名はゲーゴ・カリル。

 ロゼス王国ベギンハイト都市に赴任している一兵卒だ。


 しかし彼はロゼス王国の軍人ではない。

 生まれも育ちも隣国のマルセイ王国であり、軍籍もそこにある。



 ゲーゴは農家の三男として生まれた。

 決して裕福ではなかったが、貧乏というほどひもじい生活をしてきた訳ではなかった。



 そんな彼が今軍人なのは、マルセイ王国が徴兵制を採用しているからに他ならない。



 ロゼス王国もマルセイ王国もラザネラ教の庇護下にある。

 そしてマルセイ王国は内陸国家だ。

 これは不浄の地や敵性勢力に面していない事を意味する。



 昨今では世界の南方に位置する国の多くがラザネラ教の庇護下にあり、これは国家に多くのメリットをもたらしている。



 例えば、怨人の脅威に対してだ。



 不浄の地に面していない国家にとって怨人は直接的な脅威ではないように思えるが、歴史を知る者ならばそうでは無いと理解できる。


 理由は未解明だが、基本的に怨人は神託の地を避けている。

 だが一度でも神託の地へ襲来した個体は出ていかない。


 そのため襲来した個体は必ず駆除する必要がある。



 これは、神託の地に怨人の襲撃対象が無数にあり、仮に都市を滅ぼしたところで隣の都市へ侵攻する結果に繋がるからだ。



 実際にそうやって滅亡した国家は歴史の中で数多ある。


 故に内陸の国家にしてみても、怨人襲来は対岸の火事ではない。

 もしロゼス王国が滅びれば、次は自分たちであると内陸にいる国家も理解している。



 そのため内陸国家は、隣接国家に対して様々な支援を行っている。



 例えば装備や兵糧の支援、金銭面での援助だ。



 正確には教会への寄付との名目が相応しいだろう。

 周辺諸国から集めた兵糧や資金は一度ラザネラ教会が預かり、それを隣接国家へ分配する。



 そして、他にも兵力の派遣という形で支援も行われる事が多い。

 ゲーゴもまたそんな兵士の一人であった。



 現在ベギンハイトにはおよそ一万人のロゼス王国軍兵士が駐留している一方で、ゲーゴのように派遣されてきた外国籍の軍人は四万人にのぼる。



 怨人の襲来は、いつ発生するか分からない。

 毎日のようにやってくる事もあれば、百年単位で来ない場合もある。

 軍事力の常備は必要な一方で、平時における維持費はバカにならない。



 そのため現在主流なのが、内陸国家の派遣する兵士を新兵とする事だ。


 内陸国家にとっての最悪の事態――隣接国家が滅亡し怨人の脅威が目の前に迫った場合、すでに派遣した兵力が失われている公算が大きいだろう。



 だが失ったのが新兵だけであれば、有事においては軽微な損失だ。

 未だ国内の正規兵や精鋭で災厄に立ち向かうことができる。


 そのうえ新兵を派遣し、浮いた時間に調練をしてもらえれば兵士の育成の手間と資金が節約できるという思惑もある。



 もちろん隣接国家は慈善事業者ではないので、調練を代行する見返りとしてさらなる支援を引き出そうと狙い、同じラザネラ教庇護下にある国家といえど水面下での外交かけ引きは激しい。


 ラザネラ教会はその間に立ち仲介や調整を行っている。



 そして現在、その仕組みは上手く機能している。





 だがそれは、国家運営における視点だ。


 兵士の視点からしてみれば、徴兵されたうえに祖国から追い出され、見知らぬ土地で朝から晩まできつい訓練をさせられる。


 ここで結果を出し、祖国に帰った暁には一花咲かせようと息巻く者もいる。




 だがゲーゴはそうではない。

 理想も目標もなく、ただ辛い訓練を課せられる日々。




 初期訓練が終わる頃には肉体的な余裕が多少はでてきたものの、その余力で現実から目を背けるように酒を浴びる。


 そしてきつい訓練と二日酔いに耐えるだけの日々。



 しまいには兵士としての給金だけでは酒代が足りず、甘言かんげんに乗せられ賭博に手を出した。


 はじめは確かに勝てたが、その喜びはほとんど続かなかった。



 酒代を得るために賭博をし、賭博をするために借金をし、借金を返すために給金を賭博につぎ込む。


 すでに負の連鎖が雁字搦がんじがらめとなりまとわり付いていた。




「イデッ――」



 たたき付けられるように壁の方へ追いやられ、ゲーゴは思わずそんな声を上げた。



「ちょうど良かったぜ。こちとらお前のこと探してたんだ!」



 肩に腕をまわし半ば強制的に路地裏にゲーゴを引きずり込んだ男は、筋骨隆々の純人らしき大男で、スキンヘッドの側頭部に入れ墨を刻み、威嚇するように声を荒げる。



「えっと……今はマズいというか……捜索命令がですね――」



 ゲーゴは冷や汗を流しながら声を震わせて何とか穏便にやり過ごそうとする。






 大男がそれを威圧で封殺し、しばらく凄みを利かせ恐怖心を植え付ける。


 涙目になりながら顔面蒼白で膝が震え、今にもちびりそうになったところで、半歩後ろにいた別の男が口を開く。



「今日は二月一〇日。言っている意味、分かるよな?」



 その男は鶏の特徴を持つ細身の獣人で、少し上ずった声が特徴的だ。



「えっ、ええ……もちろん。もちろん分かってます。でっでも今はマズイですよ。捜索命令が――」



「何が分かってんだッ!! あぁんッ!?」



 大男が壁際に追い込まれたゲーゴとの間を詰め、さらに隅に追い込む。



「おっ、お金……ですよね。分かってますよ。もちろん。でも――」


「でもなんなんだ!?」


「まっ、まだ――」



 怯えるゲーゴに鶏男が諭すように語りかける。



「『返済期限は明日だからまだいいだろう』ってか? こちとら真っ当な商売だ。そりゃ客に対してこんなことは言わんよ。けどオメェ、窃盗者は客じゃねぇよな。でだ。金貸しに金返さねぇってのは、窃盗と変わらんだろう? オメェさんは今その瀬戸際に立ってるんだ。で、客が客じゃなくなったときにすぐに動くのが俺らの仕事なんだ。分かるだろう?」



「も、もちろんです。明日までには必ず――」


「当てでもあんのか? 昨日もずいぶんと負け込んだみてぇじゃねぇか」



 ゲーゴは昨晩遅くまで賭博場にいた。なんとかしてお金を増やす為だ。当然のように負け込んでいたが、それでも終盤に少し盛り返していた。



「き、昨日は流れが……確かに流れがきていたんです。怨人の襲来なんて起きなければ、今頃――」


「たらればの話なんか関係ねぇんだよ。金を返せるか、返せないかだ。オメェ、信徒で軍籍も持ってるから返せなくてもどうにかなると思ってるだろ」


「――っ! そ、そんな事は――」



 鶏男の言葉に、ゲーゴは図星だと言わんばかりの表情を浮かべる。



「念のために言っておくぞ。んなもん、いくらでもやりようがあるんだよ」



 ――軍籍にいる間は手出し出来やしないさ。


 寮舎にて先輩の兵士にそう聞かされていたゲーゴは顔からさらに血の気が引いていた。



「なっ、何とか明日までには――そ、そう! 今、捜索命令が出てましてね。なんでも昨日の怨人を招いた犯人がいるらしくって。そいつを見つけた者には報奨金が出るって話なんです! そ、それがあれば――」



 ――もちろん金を返すなら上客だ。


 鶏男がそう口にしかけた。




 その直前、咳払いらしき声が耳に届く。


 今居るのは人通りの少ない路地のさらに細い裏路地で、これ以上奥は袋小路になっており誰も見当たらない。



 ――誰か居るのか?



 鶏男は耳を傾けるが、今は静寂に包まれている。

 この時間にこんな所に居るのはたいてい浮浪者か泥酔者のなれの果てだ。



 普段であればそれほど気に止める事でもなかったが、行き止まり地点で樽が並んでいるのが鶏男には気になった。


 まるで、こちらから視線を遮るようだと思えたからだ。



 いや、樽が並んでいることそのものが違和感を覚える原因ではない。

 昨晩の怨人の襲来は、ここ数十年で最大の被害が発生した。


 並の兵士やチンピラであれば鶏男が後れを取ることはない。

 だが裏社会に身を置く鶏男は、上には上がいることを痛いほどよく知っていた。



 もしこの街に『怨人の襲来を招いた犯人』とやらがいるとして、この袋小路の先に居ないと誰が断言できるだろうか。


 そしてその犯人の実力は、推して知るべしだろう。



「おい、ちょっと見てこい」



 鶏男は内心ではビビりながらも、部下の大男に対して気丈に告げる。



「う、うっす」



 大男も内心穏やかではなかったが、そういう命令であれば従わざるを得ない。


 壁に追いやっていたゲーゴから離れ、警戒心をあらわにした忍び足で移動する。






 大男が樽までに距離をかなり詰める。



「っと」



 不意にそんな声が路地裏を駆け抜ける。

 樽の陰から現れたのは、一人の青年だった。



「ん~っ」



 青年は立ち上がり鮮明にその姿を現すと、組んだ指を天高く掲げ体を伸ばす。



「あれ――」



 数秒の伸びとあくびを終えると、青年はきょとんとした表情で周囲を見渡す。

 その際に大男の存在に気付いた様子で、愛想よく口を開く。



「ああ、すみません。ここはどこですか? 昨日はおとなしく部屋で飲んでいたはずなんですが」



 ――酔いが覚めた元酔っ払いか。

 大男は安堵を覚え、青年に近づこうとする。



「待て」



 そんな大男を止めたのは鶏男だ。

 青年の服装がこれまでに見たことのない様式である事が気になった。



 ――少なくともこの街の者ではないようだ。



 おおかた外国人だろうと鶏男は考える。

 何せその体格は鍛えられたものではないため兵士や傭兵ではない。

 かといって、労働者や奴隷にしては身なりが綺麗すぎる。



 ベギンハイトのような対怨人の最前線では物と金も必然的に集まる。

 結果、商人がひっきりなしに出入りし、外国の商人も珍しくない。


 ――商人か、金持ちのボンボンってとこか。だがどっちにしても余計ないざこざを起こす必要は無い。



「起こして悪かったな。ここはブリニーゼ歓楽街近くの居住地区だ。ここを出て左に進めば大通りにでる」



 鶏男はそう青年に告げる。その口調は事務的で、好意も敵意も含まれていない。



「これは、ご丁寧にありがとうございます」



 青年はにこやかに告げ、一度屈むと荷物を手に取る。

 冊子とよく分からない物を持っていたが、ポケットに早々にしまい込んだのでそれが何であったのかまでは分からなかった。


 そして青年は歩き出すがその足取りは重く、疲労が見られた。

 だがそんな事は鶏男にとっては関係の無いことだ。


 大男は半歩下がり青年へ道を譲る。

 しかし青年は大男の前で立ち止まると、何かに気付いた様子でポケットをまさぐる。


 そして元いた場所に振り返るが、すぐに怪訝な表情を浮かべ大男に問いかける。



「――財布が見当たらないんですが……盗ったり、してないですよね?」



「知らねぇよ、んなこたッ!」



 大男が声を荒らげると、青年はいぶかる。



「そんな大声上げなくても聞こえますよ。そんな必死になられたら逆に怪しく感じますね」



「テメェ! 下手に出てりゃ調子に乗りやがってッ!!!」



 大男は思わず青年の胸ぐらをつかむが、先ほど待てと言われている手前、それ以上手は出さなかった。



 そんな大男に対し顔色一つ変えていない。

 それどころか、胸ぐらをつかんでいる手に触れにこやかに続ける。



「別にポケットの中身だけ見せてもらいたかったんですが、まぁいいです。トラブって余計面倒なことになるよりはマシですからね」



 大男は青年を突き飛ばすように放す。


 それは青年の言葉を受けた為ではない。



 触れられていた手に、チクリとした感触を感じた為だ。



 ――なんだ? 虫でもついてたか?



 自身の手の甲を見つめるが外傷はなく、そんな疑問が脳裏に過ぎるに留まった。







 青年はよろけながらも体勢を立て直すと、ため息を一つ零すとあくび混じりの足を進める。


 鶏男は青年に道を譲りつつ、ゲーゴを逃がさないように位置取る。


 ゲーゴはこの間に逃げたかったが、すくんでしまった足はどうにも動かず、ただひたすら壁に寄りかかり突っ立っていた。




 しかし、青年が目の前を通り過ぎようとした時、ゲーゴの脳裏にひらめきがよぎった。





 ――これは千載一遇の好機だ。



 



「な、なぁ、あんた!」



 呼び止められ足を止める青年に、ゲーゴはまくし立てる。



「あんたのそれイカした服だな!」


「ん? そう?」


「そんな風変わりでイカした服は、裕福じゃ無きゃそんな服は手に入らない!」


「……いや、どうだろう」


「あんたは自覚はないかも知れないが、絶対に金持ちだ! だからさっ!! たっ、頼むッ! か、金を貸してくれないか!?」



 青年は権力者が金持ちのボンボン――そんな想像が脳裏に過ぎったゲーゴは恥も外聞も捨てて訴えかける。



「……今そこで財布をなくしたって話してたの、聞いてませんでした?」



 しかし青年は、いや、当然の反応として困惑した表情を浮かべて冷静に言葉を返す。



「わ、分かってる」



 それでもゲーゴは、青年が金持ちで、上っ面の同情を買ってくれる人物であることに賭けるしか思いつかなかった。



「おい」



 鶏男が口を挟むが、ゲーゴは構わず声を上げた。



「な、なぁ頼むよ! 金はもちろん、この恩は絶対に返すからさ!」


「まぁ普通じゃないってのは……そうなのかもしれない――」



 青年は呆れたような口調で呟くが、ゲーゴにとっては青年が金持ちであるという想像が現実になったように感じられた。



「でも、僕が肩代わりしてあげる利点が何かあるの?」


「何だってするよ! 一生あんたについくさ! だから――」



 ここでとにかく情に訴えかけ、後は勢いでまくし立てれば――そんな考えを邪魔するように鶏男が口を挟む。



「こんな奴の言葉に耳を傾けるな。さっさと行きな」



 鶏男は青年に忠告し、ゲーゴに鋭い視線を向け萎縮させる。



「仕事を邪魔して申し訳ないですね」



 青年は爽やかに謝罪を鶏男へ投げかける。



「ただ、こういう話は嫌いじゃないですよ。だからちょっとだけ時間をもらいますね。あなた達にとっても返済してもらえる方がいいでしょう。まっとうな商売ならね」



 建前上は真っ当な商売をしている鶏男は舌打ちする。

 それを言われたら下手に否定ができないからだ。


 大男はその間に鶏男の脇へと戻ってくる。


 青年は相変わらずにこやかな表情を浮かべつつ、ゲーゴに問いかける。



「じゃあ二つ質問するから、その返答のいかんで検討してもいいかな?」


「あ、ああ! 何でも聞いてくれ」



 ゲーゴの内心ではすでに借金をチャラにできた様な感覚を覚える。



「借金はどうしてできたの?」



 だがここで下手を打つのは最悪だ――青年の質問で一気に冷静になったゲーゴは、呼吸を整え、少しでも同情を引こうと考えた。



「――そっ、それは……。そう。農家の出で家は貧乏だし、兵士になるしかなかったんだ。給金は実家に送るから、生活費が足りなくて――」


「じゃあ二つ目」



 もっと話を盛るつもりだったが、青年は話の途中で切り上げて次を問いかける。



「さっき言ってた『怨人を招いた犯人』ってのはどんな奴なの?」


「く、詳しくは知らない。あんたは……あなたは寝てたから知らないかもしれないが、襲来は夜遅くで、闇夜に乗じて逃げられたらしい。外観は人と相違なくって、黒髪の若い男らしいけど夜だから正確じゃないかもしれないって……。あとは……身なりはこの辺の様式とは違うらしくって――」



 ゲーゴは印象を悪くしないよう親身に答えていたが、思わず息をのんだ。

 その特徴に当てはまる人物が、目の前に居たのだから。



「ウグッ」



 ゲーゴの脳裏が警鐘を感じるのと同時、うめき声が耳に届く。



 振り向くと大男が鶏男に対し裸締めを決めていた。

 唐突な仲間割れに何が起こったのか分からず、ゲーゴは呆然とそれに目を奪われる。


 その間髪に青年は一気に間合いを詰め、ゲーゴの腰に帯刀していた長剣の柄をつかみ引き抜いた。



「あっ」



 そんな言葉が漏れ出る頃には長剣をゲーゴに向け、青年は鋭利な刃先を鼻先まで近づける。



「まっ、ままままっ、待ってくれ。待って――」



 ゲーゴは今日一番の悲壮を口にする。


 その時、青年と大男の異変に気付いた。

 青年は左目がわずかに、大男は両目が異様に充血していた。



「では質問を続けますので答えていただけますか? もちろん、次は嘘をつかないようにお願いしますね」



 青年の口調は変わらず落ち着いたものだった。


 そこがいっそうゲーゴに恐怖心を与えた。

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好奇心は吸血鬼をも殺す はちゃち @hatyati

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