[4]継続した観測

 リネーシャたち一行は、時間にして一分にも満たない短期間で大きく距離を移動した。


「テサロ」

「はっ」


 エルミリディナの展開した霊術術式を感じ取り、リネーシャはそう声をかける。


「3秒間だけ防御網に穴が空く。任せるぞ」

「承知いたしました」


 たかが3秒。だが刹那の攻防においてはあまりにも長い。


 その隙を任せると言う事は、すなわちそれだけ信頼している証しだ。それに比べ、自分は何にも役に立てていない――そんな憂いがリッチェの脳裏に過ぎる。


「リッチェ」


 そんな表情を露呈ろていさせる彼女に、リネーシャは声をかける。


「至誠を頼むぞ」

「はっ、はい! 命に代えましても!」


 力強く確信と信頼をもって届く声に、リッチェは有事の最中にもかかわらず雑念が多い自身のことを恥じた。


 その表情が切り替わるのを確認し、リネーシャは至誠の体を軽く持ち上げリッチェへ渡す。まるで小物でも投げて渡すかのように。


 テサロのつえが淡く光を漏らす。瞬時に光源を広げると、周囲に幾つもの曲線状の術式が展開された。


 テサロによる防衛術式の発動を確認すると、リネーシャの頭上に浮遊する円環、そのいばらが音を立てて分裂する。円環が加速しながら何度か分裂と統合を繰り返し、4本だった棘が9本に増えたところで、円環の周期は落ち着きを取り戻す。


 それがおよそ3秒の出来事だったが、幸いにも何事も起こらず、一行はさらに移動を続ける。




 それから3分ほど移動を続ける。

 先程襲撃してきた魔女は全てエルミリディナに引きつけられているらしく、攻撃を受けることはなかった。


 少し山岳を登ったようで、標高は高くなり、周囲はうっそうと茂った針葉樹林が広がっている。視界は悪いが、標高が上がったことでエルミリディナが戦っている場所を見下ろせる位置になっている。


 そこでリネーシャが足を止めると、テサロとリッチェも移動を止めた。

 リネーシャが何かしらの術式を発動している間、二人は周囲を警戒にあたる。


 術式の展開が終わると、リネーシャが呟いた。


「そろそろ、肉体が限界を迎える頃合いだな」



  *



 術者の肉体が燃え尽きるまで止まらないという曰くつきの術式は、エルミリディナの肉体を燃やし尽くして終息していく。


 残された黒煙が風に流され霧散を始めると、爆心地が露見する。高く積もった雪は蒸発し、地面は融解し、巨大なクレーターだけが残されていた。


 その中で、燃え尽きたはずのエルミリディナだけが愉悦そうな笑みを浮かべて空中に漂っている。肉体はすでに9割9分せいされ、鬼道と魔法で生成される服も8割以上が再生成されていた。


「さぁ、遊んであげるわぁ。いらっしゃい」


 エルミリディナの行使した霊術は、言わば命と代償とした自爆攻撃だ。だがエルミリディナは不老不死である。たとえ肉体がかいじんそうと、蒸発しようと、死ぬ事はなく蘇生される。それを誰よりも理解し、エルミリディナは気に入ってすらいる。


 ――さて、最愛のリネーシャのために、仕事をしましょうか。


 エルミリディナは愉悦の中で敵の情報を少しでも搾り取れるよう、目を細める。


 そんな彼女の目の前に、人の数倍、数十倍はする巨大な体躯が出現した。



  *



 背筋が凍るほどの忌避きひ感がぞわりとヴァルルーツの体を巡る。まるで自分が小動物で、目の前に天敵の肉食獣が現れた――そんなすくみを感じ、思わず振り返った。


 ――腕だ。


 爆心地の方へ視線を向けると、真っ先にそう脳裏が理解した。

 巨大な腕が黒煙をかき分け現れる。


 ひとつ。そしてもうひとつの腕が現れる。


 下からてくるようなそれは、両腕を駆使し一気に体を引き上げる。肩で煙を切る。いや肩と呼ぶべきかは不明だ。頭部は無く、首の先には異様にれいな歯並びの人と同様の口が開閉している。


 だがその巨大さは明らかに人の身の丈を大きく上回る。腕は巨大な二本が目立つが、脇腹から腰にかけて細長い腕が無数に生え、膨大な数をもって巨体を支えている。


 それはもう腕なのか足なのかの判別は付かない。乳房のような部位はなく、代わりに巨大な眼球が露出している。


 大きさは、エルミリディナのゆうに十数倍は巨大なからだをしている。


 ――まさか、そんなはずはっ!


 そう絶句ヴァルルーツの脳裏では、そのバケモノの正体を理解していた。

 そのまがまがしい外観とまき散らす忌避感に背を向け、思わず一歩後ろに下がってしまう。


 ――馬鹿な。あれは……世界の外側の存在だ。この世の理から外れたバケモノだ。


 不浄ふじょう之地のちに面しているヴァルシウル王国の王子が知らないはずがない。だが神託しんたく之地のちに、このような内陸に突然現れるなんて事は前代未聞だとヴァルルーツは息を飲む。


 ――なぜ、なぜ怨人えんじんがこんな場所に!?



  *



「それで? どうするのかしらぁ?」


 エルミリディナはたのしそうに問いかける。


 それは目の前に現れた怨人えんじんに対してではない。その上空で我が物顔をしている魔女に対してだ。


 だが魔女は哄笑こうしょうを浮かべるだけで何も返さない。


 怨人は身をかがめると、力をめ、巨大な腕で前方へ飛び出す。首先に付いた巨大な口が開かれると、唾液をばらまきながらエルミリディナをまるみにすべく、襲いかかった。



  *



「陛下! 皇女殿下が!」


 ヴァルルーツはリネーシャに対して声を上げるが、テサロによって制止される。


「大丈夫でございますよ。怨人とはいえ、一体に後れを取るような方ではありません」


 そう優しい口調で説明されたが、ヴァルルーツは開いた口がふさがらなかった。


 忌避したくなるほどのまがまがしい怨人を『あの程度』と断言したのもさることながら、あの巨大なたいを『中型』と評したためだ。


「し、しかし、なぜこのような所に怨人が……不浄ふじょう之地のちからの襲来ではなく、いきなり現れたように見えましたが――」


「基本的にはその考え方で正しいのですが、何事にも例外が存在します。詳しくはここが落ち着いてからご説明しましょう。それよりも――」


 テサロが目配りをすると、リネーシャは言葉を引き継ぐ。


「特定の条件を満たせば怨人を口寄せすることが可能だ。だが戦術的価値は低い。なぜマシリティ帝国が怨人を投入したのか、その真意は不明だ。だが今、我々が気にするべきはそこではない。これでがどう動くか、だ」


 ――本隊? ヴァルルーツがその言葉の意味するところを理解できないでいると、リネーシャが南方の夜空を指さす。


 そこには満月が浮かんでいる。


「……は?」


 そんな言葉と共に、全身の力が抜けるほどの衝撃を受ける。


 月光を背に、黒点がわずかな光を引きながら移動していたからだ。


 その光は自然によってもたらされる代物ではない。明らかに、術式による光輝だ。


「ば、馬鹿な……100人――いや200人……。も、もっと奥にもッ――!!」


 ヴァルルーツは浮き足立つ自身を押さえつけるのがようやくだった。


 先ほど攻撃を仕掛けてきた7名の魔女。それだけでもあれほどの戦闘力をまざまざと見せつけられた。その魔女が、200人以上の徒党を組んでやってくるという。


 ――ならば先ほどの少人数の魔女たちは単なる斥候部隊なのか。国境線沿いに居た魔女は、陽動部隊ということなのか。……無理だ。どう足掻いたところで、あんな強大な戦力に太刀打ちできるわけがない。その戦力は、まるで神話の領域だ。


「王子」


 ヴァルルーツが腰が砕けたように力なく尻餅をつくと、テサロが配慮の言葉を投げかけてくれる。


 だがヴァルルーツには冷静に返答するだけの余裕はなかった。


「リッチェ、王子もお願いします」


「はい」


 ふと、ヴァルルーツは重力を感じない感覚を覚えたかと思うと、体が地面が離れて至誠と同様に宙を浮き始めたのを理解した。



  *



 そのころ至誠は、なんとか吐き気の波が収まってきていた。

 日本に生まれ平和な時代に育った至誠にとって、先ほどのグロテスクな光景はあまりにも刺激が強すぎた。


 かつて友人の一人が、グロテスクな要素を含むゲームの規制に憤慨していた。だがリアルな死体や血肉、脳や臓器なんて見ないに越したことはないと実感できてしまう。


 これまで凄惨な死体の現物を直視したことないはずなのに――いや、だからこそかもしれないが――言い表せない感情が溢れてきた。まるで、少し前に経験した日本刀による精神汚染の影響下にあったときのように、自分が自分でないようだった。


 しかし吐き気の収束は、残酷な光景を受け入れたからではない。身の危険から分泌されるアドレナリンによって、一時的に恐怖が黙殺されはじめた結果だ。


 目を背けるな――と、その間に至誠は強く自分に言い聞かせる。


 考えろ! たとえ今の自分に出来ることがなくとも、無力だろうと、思考を放棄するな。現実から逃避するな。今それができなくては、後から悔やむのは自分だ――と、どこからともなく自分に言い聞かせる自分がいた。



 *



 ――さて、どう動くか。


 リネーシャは精神状況が落ち着きを見せ始めた至誠を尻目に考える。


 ――この状況下でも特異性は観測できない、か。となると、加々良至誠が超越者である可能性は低くそうだな。


 マシリティ帝国の魔女など、リネーシャにとってはどうでも良い存在だった。はじめこそ、水を差されたことに不快感を覚えたが、逆に考えれば加々良至誠が見せていない特異性を確認できる良い機会だと考えられる。


 もし仮に至誠が徹頭徹尾てっとうてつび皮を被っているとすれば、状況が切羽詰まれば本性が露見するかもしれない――という思惑があった。


 ――至誠の感情の起伏も嗚咽おえつも、演技ではなさそうだな。ならばやはり、純粋に古代か、別世界の人間である可能性が有力か。それも、この程度で過剰反応を示したり、高い教養や倫理観を鑑みれば、安定した世界で育ったようだな。


 十中八九、白だとリネーシャは考える。


 だが思い込みが大惨事を引き起こすきっかけとなるなんてのは彁依物アーティファクト事案においてよくある話だ。なにせ彁依物アーティファクトは法則性も道理も通じない存在なのだから。


 ――加々良至誠このアーティファクトに知性がある以上、もう少し確認を続けるか。


 リネーシャはさらに思慮を巡らせる。


 ――ならば一度、至誠から距離を取ってみるか。それで本性を見せれば良し、もし杞憂だとしても魔女どもの火の粉から遠ざけ保護しやすくなる。損はない。


 そう結論付け、リネーシャはその足下と周辺に複雑な術式を構成する。


 それは鬼道の一種であったが、至誠はもとより、ヴァルルーツや、リッチェですらもまるで理解できないほど高度な極大術式だ。


 雪を巻き上げ、空気を飲み込み、圧縮し収束するそのエネルギー体は、リネーシャの頭上にて尋常では無い速度と規模で形成され、球体を成す。


 直後。


 墨色に凝縮した球体が、魔女の本隊へ向け放たれた。

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