第三章 不浄の地

第一七話

 降り注ぐ月光は辺りに漂うもやによって、その光量を霞ませていた。


 近くに誰かがいると辛うじて分かる――その程度の視界の中で周囲はひたすらに静寂が包み込んでいる。



 がさごそと服のすれる音、立ち上がる際に地面を踏みしめるわずかな音だけが至誠の耳に付く。



 至誠には何がどうなったのか分からなかった。


 目を覚ますと見知らぬ世界に居て、命の危険にさらされたかと思えば、また知らない場所に立っていている。


 しかし少なくとも、吐き気の波は収まりつつあり、周囲を見渡す程度の余裕は生まれていた。



「こ……ここは?」



 背後からリッチェの声が聞こえた。

 振り返るとリッチェが立ち上がり、周囲を確認すべく魔法で辺りを照らし出していた。彼女もまたその表情に当惑の表情を浮かべ、声に困惑と動揺が垣間見える。



 その奥に倒れていたヴァルルーツも起き上がろうと甲冑を鳴らしているところだ。



『まずい……この事態は――』



 そのおりに、至誠の脳裏に言葉が響く。それがミグの声だと理解するが、間髪入れず口を開いたのはテサロだ。



「なんという……なんと言うことを――。何という失態――」



 それは誰かに向けた言葉ではない様子だ。



「し、師匠、無事ですか!?」


 リッチェは息苦しそうに膝をつくテサロに駆け寄る。

 いくつかの魔法陣をすでに展開しているテサロを介抱するように優しく腕で包み込み支えた。


 ヴァルルーツも周囲へ目を配りつつ、甲冑の金属音を静寂に響かせる。



「ここは、いったい……」



 呟きながら近づく様は、ヴァルルーツも状況が分かっていない面持ちだ。



「ここは――間違いありません。この瘴気しょうきの如き禍々しきオドの濃度……」



 状況を理解している様子のテサロは、その表情に憂いを浮かべながら全員を一瞥し、端的に結論を告げる。



「不浄の地です」



「えっ……」


「なっ、何ですって!? な、なぜ世界の外側に我々が――」



 リッチェは目を丸くし、ヴァルルーツは素っ頓狂な声を上げる。



 至誠は改めて周囲を見渡す。


 遠景はほとんど靄で見えない。

 視界はせいぜい数メートル、せいぜい一〇メートル程度だろう。


 足下には土塊と雪が散乱していた。

 しかしそれもこの周囲だけだ。自分たちと一緒に転移してきたと理解出来るほどに少ない。


 それ以外の周囲は見渡す限り砂利や岩石のようだ。人工物はおろか植物も見当たらない。


 今なお闇夜は一帯を包み込み、リッチェの周囲を照らす魔法とテサロの杖の周囲に浮かぶ魔法陣、そしてもやかすむ月光だけが周囲を照らし出していた。



「おそらく転移させられたのです。アーティファクトの効果でしょう。迂闊でした」



 テサロは肩で息をしながら息苦しそうに立ち上がる。


 至誠は三九八番と言っていたアーティファクトの話を思い出す。

 触ったところに転移させる。それと同等の効力を受けたということらしい。

 つまりゲームで言うところの転移魔法のようなものだと漠然と理解した。



「早く脱出しましょう!」



 元気づけるように、あるいは希望を持たせるようにリッチェがそう声を上げるが、テサロの表情は晴れる事なくひたすらに悲壮感を浮かべている。



「ここが何処でどちらに向かえば良いか、どれほど距離があるか分かりません。それに、怨人に見つからず進むなど不可能――」



「『来る!!!』」



 テサロの言葉を遮るように至誠は声を荒らげた。

 それが至誠の意思ではなく、自分自身が一番驚いた。

 しかし同時に脳裏へ響くミグの声によって、それが彼女の意思によるものだと理解出来た。



 直後、地響きにも似た轟音が響き渡る。



 至誠、リッチェ、ヴァルルーツの三人は反射的に音のした方向へ視線を向けるが、濃い靄と暗闇の影響で何が音源か分からなかった。


 唯一テサロだけが視線を上空へ移し、すでに魔法の発動をはじめる。



 直後、暗闇が増した。

 それは月光が何かによって遮られたためだ。


 光量の変化に違和感を抱いた至誠は見上げる。



 そしてに事に気付いた。




 テサロの魔法により、強制的に全員の体が浮遊を始める。同時にリッチェの魔法が、上空のそれを浮かび上がらせる。




 ――口だ。




 人間の口が大きく開き、人間と同じような――むしろ非常に整った歯並びの口だ。

 それが迫ってきている。降ってきている。天から落ちてきている。


 何より恐ろしいのはその大きさだ。


 人間の口にしてはあまりにも、あまりにも巨大だ。

 口径が十メートル以上あろうかと言う巨大な口は今にも四人を丸呑みにしようと降ってきていた。



 テサロは魔法を発動させると間髪を入れず爆ぜるように加速し飛翔した。




 その口は――巨大な口の付いた何かは地面へと衝突する。




 その寸前で四人は回避した。





 至誠は元いた場所へ視線を向ける。



 巨大な『何か』は地面を押し潰し、もぞもぞと動いている。

 わずかにでもテサロの気付きが遅れていれば、魔法の発動に支障をきたしていれば、全員丸呑みにされていたか押し潰されていただろう。



 そんな冷や汗の最中で、リッチェとヴァルルーツは『何か』を直視する。そのおぞましい体躯たいくを目にし、言葉と顔色を失う。




 至誠もまたその全身を目にした。



 三十メートル以上の直径があろうかという巨大なそれは、形状は饅頭のようだが、明らかに異質だと脳が理解する。


 側面に無数の目が見開き、底部に口があり、反対側には明らかに長さの比率がおかしい腕や脚がびっしりと生えている。まるで、髪の毛のようにだ。




 化け物――その表現がもっとも的を射ている。




 何より恐ろしいのは口や目、手足の様子が人の部位そのものだったことだ。



 まだ特撮怪獣のような外観をしているなら、恐ろしい巨大生物との恐怖だけで済んだだろう。

 だが人の部位で構成される化け物はその恐怖に加え、身の毛がよだつ忌避感を与えてくる。




 しかしその動きは鈍重で、テサロの飛翔には追いつける気配を見せなかった。




 現に、靄によって見えなくなる程の距離がすでに開いている。



 地上一〇〇メートルほどの位置まで上昇すると、テサロは三人の体勢を水平に整えた。


 突如出現した謎の危機は脱した――そんな心境からリッチェとヴァルルーツの表情に安堵が浮かんだ。





 直後。





 地上の靄の中から突然何かが伸びる。イカの足のような触手だ。



 だがよくよく見ると細かく関節がり、それが上腕と前腕が無数に繋がった部位だと理解出来る。

 さらにその腕周りにはタコの吸盤のような人の口が並んでいる。

 加えてその周りに指がびっしりと生えている。まるで加えた獲物を押さえつける為のように。



 その触手が地上から十本以上出現し、明らかに一行を捕獲しようと迫ってくる。



 しかしテサロは触手の隙間を縫うように飛翔すると、その全てを回避する。


 触手の範囲外へ抜ける際、化け物の全容を目にした。

 巨大な人の生首が地面から生えているが、目や口は本来の位置にない。

 最も巨大な口が頭頂部にあり、その周囲から触手の様な腕が生え、さらに巨大な眼球が冠のように周囲を囲んでいる。




 ヴァルルーツはその触手の手が届かない距離まで脱した事を目に留めると、再び安堵した。




 だが休む暇は与えられず、前方からのっそりと巨大な化け物が起き上がる。まるで高層ビルの如き巨大なそれは、ムカデのような構造をしていた。


 節があり、そこから一対の脚が生え、それが無数に連なっている。


 だがムカデと明確に違うのは、その節一つ一つが人間の頭部だという事だ。

 その全てに老若男女の違いがあり、低くかすれたうなり声や、甲高く耳に付く叫び声をそれぞれの頭部が発し始める。

 全てのが仰向けに接続していたが、唯一、最前の部位だけが前方を向いており、若い女性の面持ちがテサロ達を視界に捉える。


 テサロが避けるように転進すると、その巨大ムカデのような化け物は再び身を屈め、凄まじい早さで地面を這いずり大量の土埃を上げながら追いかけてくる。




 「な、何なんだこいつら!!!」




 たまらずヴァルルーツが叫んだ。




「これが怨人えんじんです。特に不浄の地の奥地では、巨大で強大な個体が多く――」




 そう教えてくれるテサロの言葉は弱々しく、疲労をうかがわせる。




「くそッ! くそったれッ!! これが世界の外側なのか!!」




 気が狂いそうだ。いっそのこと狂ってしまえば楽になるのかも知れない――そんなヴァルルーツの声音は震え絶望し、今にも正気を失いかねないような悲痛な叫びを上げる。



 リッチェは声を上げる事すら出来ない様子で、その手にした杖を強く握りしめなんとか震える自分をなんとか抑えようとしている。

 それでも体は大きく総毛立つのを表すように震え、表情は慄然りつぜんとし、目には絶望が色濃く漏れていた。




 平和な日本で育った至誠にとって、命の危険が差し迫った経験などなかった。

 だからこそ先般の襲撃では取り乱し、嘔吐おうとする程の恐怖にさいなまれた。




 しかし何故か。何故だろうか。




 このときの至誠は、恐怖を感じない自分に驚いていた。

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