第三章 不浄の地

第17話 2月10日0時54分

 闇を浮き彫りにさせる満月の月明かりは、地表に漂うもやによって減衰し、地表に届く頃には心許ない光量となっていた。



 近くに誰かがいると辛うじて分かる――その程度の視界の中で周囲はひたすらに静寂が包み込んでいる。




 がさごそと服のすれる音、立ち上がる際に地面を踏みしめるわずかな音だけが、至誠の耳についた。


 至誠には何がどうなったのか分からなかった。

 目を覚ますと見知らぬ世界に居て、命の危険にさらされたかと思えば、また知らない場所に立っていている。


 しかし少し前から分泌されているアドレナリンによって吐き気の波は収まりつつあり、周囲を見渡す程度の余裕は生まれていた。



「こ……ここは?」



 背後からリッチェの声が聞こえた。


 振り返るとリッチェが立ち上がり、周囲を確認すべく魔法で辺りを照らし出しつつ至誠に近寄ってくる。


 彼女もまたその表情に当惑の表情を浮かべ、声に困惑と動揺が垣間見える。



 至誠のすぐ横に倒れていたヴァルルーツも起き上がろうと甲冑を鳴らしているところだ。



『まずい……これは――』



 そんな折に、脳裏に言葉が響いた。

 それがミグの声だと理解するが、間髪入れず口を開いたのはテサロだ。



「なんという……なんと言うことを――何という失態――」



 それは誰かに向けた言葉ではない様子だ。



「し、師匠、無事ですか!?」



 リッチェは、息苦しそうに膝をつくテサロへ駆け寄る。


 いくつかの魔法陣をすでに展開しているテサロを介抱するように優しく腕で包み込み支えた。


 ヴァルルーツも周囲へ目を配りつつ、甲冑の金属音を静寂に響かせる。



「ここは、いったい……」



 呟きながら近づく様は、ヴァルルーツも状況が分かっていない面持ちだ。



「ここは――間違いありません。この瘴気しょうきの如き禍々しきオドの濃度……」



 状況を理解している様子のテサロは、その表情に憂いを浮かべながら全員を一瞥し、端的に結論を告げる。



「不浄の地です」


「えっ……」


「なっ、何ですって!? な、なぜ世界の外側に我々が――」



 リッチェは目を丸くし、ヴァルルーツは素っ頓狂な声を上げる。



 至誠は改めて周囲を見渡す。


 遠景はほとんどもやで見えない。

 視界はせいぜい数メートルだ。


 足下には土塊と雪が散乱していた。

 しかしそれもこの周囲だけで、数歩歩けば石灰のような砂利や岩石ばかりになる。


 視界が悪いが、少なくとも視界内に人工物はおろか植物も見当たらない。



 今なお闇夜は一帯を包み込み、リッチェの周囲を照らす魔法とテサロの杖の周囲に浮かぶ魔法陣、そしてもやかすむ月光だけが周囲を照らし出していた。



「おそらく転移させられたのです。アーティファクトの効果でしょう。迂闊うかつでした」



 テサロは肩で息をしながら息苦しそうに立ち上がる。


 至誠は三九八番と言っていたアーティファクトの話を思い出す。

 触ったところに転移させる。それと同等の効力を受けたということらしい。

 つまりゲームで言うところの転移魔法やワープのようなものだと漠然と理解した。



「早く脱出しましょう!」



 元気づけるように、あるいは希望を持たせるようにリッチェがそう声を上げるが、テサロの表情は晴れる事なくひたすらに悲壮感を浮かべている。



「ここが何処でどちらに向かえば良いか、どれほど距離があるか分かりません。それに、怨人に見つからず進むなど不可能――」



「『来る!!!』」



 テサロの言葉を遮るように至誠は声を荒らげた。


 脳裏へ響くミグの声によって、それが彼女の意思によるものだと理解できたが、急に大声を上げたことで自分自身驚きを隠しきれなかった。



 だが状況は差し迫る。



 地響きにも似た轟音が響き渡り、至誠、リッチェ、ヴァルルーツの三人は反射的に音の方向へ視線を向けた。



 だが濃い靄と暗闇の影響で何が音源か分からず、沈黙と硬直の時間が流れる。

 その中で唯一、テサロだけが視線を上空へ移し、同時に魔法の発動をはじめる。




 暗闇が増した。




 それは月光が何かによって遮られたためだ。

 光量の変化に違和感を抱いた至誠は視線を上空へ向けた。



 そしてに事に気付いた。



 テサロの魔法により、強制的に全員の体が浮遊したかと思えば急速に加速し飛翔する。

 その衝撃波によって、周囲の靄が吹き飛び濃度が下がった。

 加えて、継続発動していたリッチェの魔法による明かりが、を浮かび上がらせる。




 ――口だ。



 人間の口が大きく開き、人間と同じような――むしろ非常に整った歯並びの口が真上に出現した。



 それが迫ってきている。

 降ってきている。

 天から落ちてきている。


 何より恐ろしいのはその大きさだ。


 人間の口にしてはあまりにも、あまりにも巨大だ。

 口径が一〇メートル以上はあろうかと言う巨大な口は、今にも四人を丸呑みにすべく降下してきた。




 その口は――巨大な口の付いたその『何か』は、地響きを立て地面へと衝突する。


 それを四人の飛翔ははすんでのところで回避した。




 至誠は反射的に元いた場所へ視線を向けると、『何か』は地面を押し潰し、もぞもぞと動いている。


 もし、わずかにでもテサロの気付きが遅れていれば、魔法の発動に支障をきたしていれば、全員丸呑みにされていたか押し潰されていただろう。



 そんな冷や汗の最中で、リッチェとヴァルルーツもまた、その『何か』を直視し、

 そのおぞましい体躯たいく理解し言葉と顔色を失う。



 直径が三十メートル以上はあろうかと言う巨大なそれは、饅頭のような形状だ。

 そしてそれが、明らかに異質だと至誠の無意識が警鐘を鳴らす。



 側面に無数の目が見開き、底部に口があり、頭頂部には明らかに比率がおかしい腕や脚がびっしりと生えている。まるで、髪の毛のように。



 化け物――その表現がもっとも的を射ている。



 何より恐ろしいのは口や目、手足の様子が人の部位そのものだったことだ。



 まだ特撮怪獣のような外観をしているなら、恐ろしい巨大生物といった恐怖だけで済んだだろう。

 だが人の部位で構成される化け物はその恐怖に加え、身の毛がよだつ忌避きひ感を与えてくる。



 しかし化け物の動きは鈍重で、テサロの飛翔には追いつける気配を見せなかった。


 現に、靄によって見えなくなる程の距離がすでに開いている。



 テサロは飛翔を続け、地上一〇〇メートルほどの位置まで上昇する。

 同時に周囲を警戒しつつ三人の体勢を水平に整えた。



 突如出現した謎の危機は脱した――そんな心境からリッチェとヴァルルーツの表情に安堵が浮かんだ。



 と同時。



 地上の靄の中から突然何かが伸びる。


 イカの足のような触手だ。

 だがよくよく見ると細かく関節がり、それが上腕と前腕が無数に繋がった部位だと理解できてしまった。


 さらにその腕周りにはタコの吸盤のように人の口が並んでいる。

 口の周りには指がびっしりと生え、まるで咥えた獲物を押さえつける為に。



 その触手が地上から十本以上出現し、明らかに一行を捕獲しようと迫ってくる。

 しかしテサロは器用に触手の隙間を縫い飛翔すると、その全てを回避した。



 触手の範囲外へ抜ける際、三人は化け物の全容を目にした。


 巨大な人の生首が地面から生えているが、目や口は本来の位置にない。

 最も巨大な口が頭頂部にあり、その周囲から触手の様な腕が生え、さらに巨大な眼球が冠のように周囲を囲んでいる。



 ヴァルルーツはその触手の手が届かない距離まで脱した事を目に留めると、再び安堵した。





 だが休む暇は与えられず、前方からのっそりと巨大な化け物が起き上がる。




 地上一〇〇メートル以上を飛翔している一行よりも高く起き上がった化け物は、ムカデのような構造をしていた。


 節があり、そこから一対の脚が生え、それが無数に連なっている。

 だがムカデと明確に違うのは、その節一つ一つが人間の頭部だという事だ。


 その全てに老若男女の違いがあり、低くかすれたうなり声や、甲高く耳に付く叫び声をそれぞれの頭部が発し始める。



 全てのが仰向けに接続していたが、唯一、最前の部位だけが前方を向いており、やつれた若い女性の面持ちがテサロ達を視界に捉える。



 テサロが避けるように転進すると、その巨大ムカデのような化け物は再び身を屈め、凄まじい早さで地面を這いずり大量の土埃を上げながら追いかけてくる。



「な、何なんだこいつら!!!」



 たまらずヴァルルーツが叫んだ。



「これが怨人えんじんです。特に不浄の地の奥地では、巨大で強大な個体が多く――」



 そう教えてくれるテサロの言葉は弱々しく、疲労をうかがわせる。



「くそッ! くそったれッ!! これが世界の外側なのか!!」



 気が狂いそうだ。いっそのこと狂ってしまえば楽になるのかも知れない――そんなヴァルルーツの声音は震え絶望し、今にも正気を失いかねないような悲痛な叫びを上げる。


 リッチェは声を上げる事すら出来ない様子で、その手にした杖を強く握りしめなんとか震える自分をなんとか抑えようとしている。


 それでも体は総毛立つのを止められず大きく震え、表情は慄然りつぜんとし、目には絶望が色濃く漏れていた。




 平和な日本で育った至誠にとって、命の危険が差し迫った経験などなかった。

 だからこそ先般の襲撃では取り乱し、嘔吐おうとする程の恐怖にさいなまれた。



 しかし何故か。



 何故だろうか。





 至誠は、この場で恐怖を感じない自分に驚いていた。

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