第3幕「不浄の地」

[1]怨人

 やみりにさせる満月の明かりはただよもやによって減衰げんすいし、地表に届くころにはこころもとない光量こうりょうとなっていた。


 近くに誰かがいるとかろうじて分かる――その程度の視界の中で、周囲しゅういはひたすらに静寂せいじゃくが包み込んでいる。


 がさごそと服のすれる音、立ち上がる際に地面を踏みしめるわずかな音だけが、至誠の耳についた。


 至誠には何がどうなったのか分からなかった。目を覚ますと見知らぬ世界にいて、命の危険にさらされたかと思えば、また知らない場所に立っていている。


 あまりにも立て続けに状況がうつろったことで頭が追いつかなかったが、アドレナリンの影響もあって冷静さを取り戻しつつあった。


「こ……ここは? いったい何が……?」


 その声にいざなわれ振り返ると、暗闇くらやみらすかすかな月光ともやだけでははっきりと見ることはできなかったが、かすかに浮き出たシルエットがあった。

 その身の丈ほどのつえと聞こえてきた声、そして特徴的な胸部の曲線美から、それがリッチェであることが分かる。


 至誠が立ち上がったことでリッチェもそのシルエットに気が付いたらしく駆け寄ってくる。


 途中、杖先が光を放つようになった。

 まるで杖からランタンを掲げたような魔法を使い、周囲を照らす。


 表情が見て取れるほど近づいてくると、その表情は困惑一色こんわくいっしょくだった。

 リッチェにも事態じたいが飲み込めていないことを至誠は察する。


 すぐ近くで金属のれる音がした。

 振り返るとヴァルルーツの甲冑かっちゅうの音で、立ち上がろうとしているところだった。


『まずい。これは……』


 ミグの焦燥しょうそうのこもった小声が聞こえたのとほぼ同時、背後からかすかにテサロの動揺どうようのこもった小声が聞こえてくる。


「なんという……なんということを――なんという失態を――」

『テサロ! 落ち着いて!』


 テサロのざんにもつぶやきをミグが静止せいしすると、テサロはハッと我に返ったような仕草しぐさを見せる。


「し、師匠ししよう、無事ですか!?」


 その様子を見たリッチェがすぐにテサロのもとに向かおうとする。

 だが再びミグが制した。


『リッチェは至誠の近くから離れないで! ――テサロ、一刻いつこく猶予ゆうよもない。こう術式じゆつしきの準備を!』


 ミグが声を荒らげると、テサロは足元に落ちていたつえを拾い、にぎなおすと、周囲に魔法陣まほうじんを展開し始める。


「いったい、何が起こったのでしょうか……?」


 ヴァルルーツも困惑した声を上げつつ、周囲に目を向けながら至誠の近くに寄ってくるが、テサロの発動する魔法の気配に視線を奪われる。


「すごい……これほど高度な術式を並列で構築こうちくできるとは――」


 誰に対してでもなく小声で感嘆かんたんの息をこぼすが、今は賞賛しようさんすべき状況ではないようでミグが言葉をさえぎり問いかける。


『王子、これでウチの声が聞こえる?』


 ミグは何かしたようで、至誠の脳裏のうりにも声が届きつつ、その問いかけがヴァルルーツに向けられる。


「っ!? は、はい。確かに聞こえます」


 ミグの声が全員に届くようにしたと教えてくれるが、どのような手段を使ったのかについては説明する時間がないようだ。


『時間がないから最低限の説明をするよ。ウチらは現在、不浄ふじようのどこかにいる』

「なっ!?」

「……えっ」


 ヴァルルーツとリッチェから驚愕きょうがくの声が上がる。


「な、なぜ世界の外側に我々が――」


 理解できない。誰でもいいから説明してくれ――とヴァルルーツの声には言いふくんでいた。


 至誠は改めて周囲を見渡す。

 遠景えんけいはほとんどもやで見えない。


 視界はせいぜい数メートルだ。

 足下には土塊つちくれと雪が散乱さんらんしていた。 

 しかしそれもこの周囲だけで、数歩も歩けば石灰せつかいのように白い砂利じやり岩石がんせきばかりになる。


 視界が悪いが、少なくとも見える範囲に人工物はおろか植物も見当たらない。


 今なお、暗夜あんや一帯いつたいを包み込み、リッチェの周囲を照らす魔法とテサロのつえの周囲に浮かぶ魔法陣、そしてもや減衰げんすいする月光だけが周囲を照らしていた。


『こうなった原因は、おそらくアーティファクトか何かで転移てんいさせられたってことだと思う。でも今大事なのはそこじゃない』


 ミグの説明の途中でテサロが「術式の展開を開始します」と報告を挟む。

 と同時に、至誠のからだがふんわりと地面を離れる。


『まずはとにかくここから離れ――』


 ミグの言葉の途中で、ズン! と地響きにも似た音が耳に届く。


 静寂の中に響き渡った音の方に、至誠とリッチェ、ヴァルルーツの3人は視線を向ける。

 だがミグとテサロは音源の発生原因が分かっている様子で、ミグは声を荒らげる。


『上から来るよ!!』


 不意ふいに暗夜が闇を増した。


 ミグの言葉も相まって3人の視線が一斉いつせいに上に向く。


 暗闇が増した理由は簡単だ。上空にまたたく月光が何かに隠れたためだ。


 月が雲に隠れたのかもしれない――などと思う余裕もなく、全員の身体はぜるように加速し、高度を取り始める。急加速に伴う重力は不思議と感じず、周囲のもやを吹き飛ばすほどの衝撃を残していた。


 入れ替わるように、元いた場所に何かが降ってくる。

 それは一瞬のことだったが、リッチェのかかげるつえからはつせられる光によって目に焼き付いた。


 ――巨大な眼球がある。


 だが眼球はソレの一部分でしかなかった。


 饅頭まんじゅうのように丸い形状をしているは、巨大な目が不規則ふきそくかつ無数むすうにあり、全ての視線が至誠たちをとらえていた。


 ズズズ……と身体を地面にこすりつけながら向き直したその肉塊の正面には、巨大な口が1つ。一回り小さな口が2つ付いていた。


 直径が50メートルはありそうな肉塊は、身体を伸縮させるとこちらに向かって飛び上がってくる。


 リッチェのかんだか悲鳴ひめいが不浄の地に響き渡る。


「バカな……」


 ヴァルルーツは絶句ぜっくしていた。ヴァルシウル王国は不浄の地に面している。


 そこの王子である以上、そのヴァルルーツはその化け物どものことは知っていた。

 だがこれまで見たことのある個体はせいぜい10メートルの個体が最大で、これほど巨大な個体は見たことがない。


 ――これが……怨人えんじん


 至誠はここが不浄の地という情報と、不浄の地には怨人という化け物がいるという記憶を思い出し、その忌避感きひかんを抱くような身の毛がよだつ気持ち悪さを実感する。


 これがもし、ゲームに出てくるドラゴンのようなモンスターであれば、命がおびやかされる恐ろしい存在だと思えただろう。自分の身の安全さえ確保かくほできるならばむしろかっこいいとすら思える。


 しかし怨人はとにかく気持ちが悪い。脂肪しぼうかたまりのようなからだに、人の目や口が無作為むさくいにすげつけられているようで、よく見れば鼻らしき部位や手足のような部位も生えている。表面は皮膚で覆われているようだが、そこがまた忌避感を際立たせている。


 こちらに飛びかかってきた怨人が至誠たちめがけて再び跳躍ちょうやくする。


 だがテサロの飛行速度には追いつかず、すぐに重力に捕まりはるか後方で落下する。直後、再び跳躍するが追いつける気配はなく、すぐに距離が離れていく。


 怨人が追いつけないことを理解できたようで、リッチェの悲鳴が止まっていた。だがリッチェの表情はかんばしくない。顔は真っ青に血の気が引いて、呼吸は荒く、その目元には明確な恐怖が映り、カチカチと奥歯おくばをならしている。


 ヴァルルーツは対照的たいしようてきに、危機ききを脱したことによるあんをのぞかせる。


 テサロは全員の飛行をあやつり、そのまま地上100メートルほどまで上昇すると、周囲を警戒しつつ三人の体勢を水平に整えた。


 と同時、地上のもやの中から突然なにかが伸びる。

 イカの足のような触手しょくしゅだ。


 だがよくよく見ると細かく関節かんせつがり、それが上腕と前腕ぜんわん無数むすうつながった部位ぶいだと理解できてしまった。さらにその腕周りにはタコの吸盤のように人の口が並んでいる。口の周りには指がびっしりと生え、まるでくわえた獲物えものを押さえつけるために。その触手が地上から十本以上出現し、明らかに一行を捕獲ほかくしようと迫ってくる。


 しかしテサロは器用に触手の隙間すきまうように飛翔ひしょうし、その全てを回避した。


 触手の範囲外へ抜ける際、至誠とヴァルルーツは怨人の全容ぜんようを目にした。


 巨大な人の生首が地面から生えているように見えるが、目や口は本来の位置にない。巨大な口が頭頂部にあり、その周囲から触手のような腕が生え、さらに巨大な眼球が冠のように周囲を囲んでいる。


 しかし既にこの怨人の手の届かない範囲まで移動している。


 だがあんする暇は与えられず、前方からのっそりと巨大な化け物が起き上がる。


 テサロの飛行高度はおよそ地上100メートルほどだ。


 その一行よりもさらに高く起き上がった化け物は、まるでムカデのような構造こうぞうをしていた。節があり、そこから一対の腕が生え、それが無数に連なっている。だがムカデと明確めいかくに違うのは、その節一つ一つが人間の頭部だということだ。


 その全てに老若男女の違いがあり、低くかすれたうなり声や、甲高く耳に付く叫び声をそれぞれの頭部が発し始める。


 全てのあおけに接続せつぞくしていたが、唯一、最前の部位だけが前方を向いており、やつれた女性らしき顔面がテサロたちを視界に捉える。


 テサロがその個体を避けるように転進てんしんすると、その巨大ムカデのような怨人は再び身をかがめ、すさまじい速さで地面をいずり大量の土埃つちぼこりを上げながら追いかけてくる。


「な、何なんだこいつらは!!! こんな規格外の個体なんて聞いたことがない!!!」


 ヴァルルーツの悲鳴に、ミグが苦言をこぼす。


『あの数珠じゆずつなぎの怨人はかなり大きいね……このサイズがいるってことは、今ウチらの位置は、結構な奥地にいるってことか……』


 ミグは絶望ぜつぼうみしめながら教えてくれる。


『いったいどのあたりに飛ばされた? せめて飛ぶべき方角が分かればいちの望みも見えてくるけど――』


 その声は、考えを整理しつつ自分を落ち着かせるために発せられているようだ。


 不浄の地は世界の98%を占める。そして現在地が分からない。どこにどの程度飛べば良いか分からない。いちばちか、一直線に飛んでみて2%を引き当てるしかないのだとすれば、生還せいかんは絶望的だ。


「くそッ――ッ!」


 ヴァルルーツがたまらずかんじようを吐き捨てる。


 リッチェは恐怖からもう声すら上げることができない様子で、手にしたつえを必死に抱え込んでいる。それでも何とか恐怖心に立ち向かおうとしている様子だが、少しずつ絶望に塗り固められようとしていた。

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