[2]ラザネラ教会 前編 - 緊急会議
2月10日、午前6時過ぎ。
東の空が闇を押しのけ
城塞都市ベギンハイトにあるラザネラ教ベギンハイト支部の教会堂、その
「ベージェス団長!」
「――スティアか」
スティアと呼ばれた彼女は、ベージェス団長と呼んだ男性の元に
「
スティアの、青い炎のように鮮やかな
「第4騎士隊にもスティア自身にも課題は多い。だが
スティアの
「……はいッ!」
スティアは多くの自責の感情を飲み込み、苦虫を噛み潰したように端的な返事を口にする。
*
スティアとベージェス団長は早足で廊下を進む。
ラザネラ教の
扉の前には警備任務に着いている2人の騎士がいて、彼らは騎士団内で用いられる敬礼を示した後、扉を開ける。
入室すると、すでに多くの騎士と聖職者が集まっており、騎士たちは椅子から立ち上がり敬礼を示す。
「楽に」
ベージェス団長が
この部屋は会議室と
スティアもまた自らの
この場における
上座に座るのはベギンハイト支部教会における
スティアが着席した直後、支部教会において序列2位にあたるシルグ司祭補佐が口を開く。
「
「
ベージェス団長が事務的に言葉を返すと、中年の主任聖職者たちは待っていたと言わんばかりに口を開く。
「団長殿、こたびの一件、さすがでございますな! 迅速な指揮と討伐――感服いたしましたぞ」
「ええ全くもってその通り。さらには下のお子様が1歳になられたとのことで、まことにおめでとうございます。来年の
そんな
2時間ほど前、怨人の襲来が発生した。
そこでスティアは致命的なほどの失態を犯してしまったからだ。
言い訳をするならば、昨晩のスティアは
例年2月9日はラザネラ教の祭事が行われる日だ。午前中に2歳を迎えた子供を祝う幼年の儀、9歳を祝う少年の儀、そして午後からは16歳を祝う青年の儀、24歳を祝う成人の儀が行われる。
この祭事は年間でも五指に入る多忙さで、特に見習いになったばかりの騎士は目を回していた。すでに騎士としては10年目のスティアはその忙しさを身に染みて知っていたつもりだった。しかしスティアは一兵卒の騎士ではない。今年度から第4騎士隊の騎士長という立場を拝命し、多くの騎士を束ねる立場になった。
第4騎士隊は祭事による激務を終日こなし、ようやく仕事が片付いたのは日を
そこから、立ったまま寝てしまいそうな見習い騎士や、
そして、そのわずか一時間後、怨人の襲来が発生した。
――タイミングが悪かった。
それは否定はできない。
しかしそれを口にしてしまえば騎士長として失格な気がした。
そもそもの話、第4騎士隊は教導隊だ。入ってきたばかりの見習い騎士が最初に配属され、新人を卒業できるまで籍を置く。
そして教導隊の騎士長となったスティアもまた、新人士官として教導を受けるために配属されたのだと理解している。部下であるはずの第4騎士隊の副長が元第1騎士隊のベテラン騎士であることを考えると、第4騎士隊の実質的なトップが副長なのは火を見るより明らかだ。
一介の騎士であれば命令に従っていれば良かった。
だが騎士長という立場はそれだけでは足りない。多くの騎士をまとめ上げ、下された命令と与えられた裁量に板挟みになりながら、立場相応の責任者として職務を全うしなくてはならない。
新人が多少の失敗をするのは仕方のないことだ。重要なのは反省し、そこから何を学び、今後にどう生かしていくかだろう。当然、スティアもそれを理解している。
――頭では理解、している。
だが騎士長を拝命して一年弱、これまでにもいくつかの失態を重ねてきたスティアは「自分は人の上に立つ素質がないのでは?」と精神的に負担に感じていた。
そこに今回の失態が積み重なり、席に着いたスティアの表情は暗く、視線が沈み込み、思わず唇を噛みしめていた。
スティアよりさらに責任ある立場にいるベージェス団長は、祭事による疲弊を一切見せることなく職務を全うし、
そんなベージェス団長への賛辞を語る聖職者たちの言葉は、追い打ちをかけるようにスティアの精神に重くのしかかってきていた。
*
それから少しして奥の扉が開き、ミラティク司祭が3人の主任聖職者を引き連れて入室する。
ミラティク司祭は
聖職者、騎士団員全てが起立し敬礼を向ける。
「待たせてしまいましたね」
ミラティク司祭は優しく柔らかい口調で語りかけ、敬礼に軽く手をあげ対応する。
上座に司祭が座るのを確認し、一緒に入ってきた主任聖職者も自分たちの下座についた。
「この非常時にわざわざ君たちを集めたのは他でもありません。先ほど発生した『怨人の襲来』に関連し、
ミラティク司祭から言葉を引き継いだシルグ司祭補佐は、報告書を片手に立ち上がり口を開く。
「本日午前4時21分、南西、7時の方角より怨人の襲来が発生。第3区西にある
スティアは自分の失態を
それでも騎士として最低限の
「最新の被害状況についてですが――」
と、シルグ司祭補佐は手元の資料を
「現段階で死者数は60名を超え、負傷者は300名近くに上ります。さらに、倒壊した建物の下には多数の行方不明者がいると想定されます」
「何とも
そう所感を述べる聖職者の次に口を開いたのは、騎士団の副団長ロロベニカだ。
「襲撃を受けたのは
「現在も王国軍側による救助活動および確認作業が行われておりますが、現時点で完了の見込みは立っておりません。
「確かに
ロロベニカ副団長は
「そこで、第2騎士隊および聖職者を現場に
第2騎士隊は副団長直轄の部隊であり、役割は秩序の監督。異端審問などを担当するラザネラ教における
「問題ありません。むしろ
「王国軍側では今なお指揮系統の混乱が解消していない様子です。
ロロベニカ副長が同意すると、シルグ司祭補佐は閑話休題と言葉を続ける。
「ご存じの通り、怨人の襲来は連鎖する場合があります。しかし今のところ、それらしき兆候は確認されておりません」
シルグは一呼吸置くと、手元の資料を一瞥しながら「ただ――」と言葉を続ける。
「問題は、この度の怨人襲来の原因に関しまして――無論、もとより怨人の行動原理を理解することなど不可能でしょうが――今回に限って言えば、『
その情報をまだ知らなかったであろう聖職者や騎士の間でざわりとした空気が生まれ、室内全体に
不浄の地に面している都市である以上、怨人の襲来のリスクはいついかなる時も発生しうる。むしろ内陸の都市部へ怨人が向かわないために、意図して境界ギリギリに大きな城塞都市を造り誘導、駆除しているのだから、襲来はむしろあって
だがもし怨人の襲来が自然発生ではなく、何者かが
「現在『獲物』の内、1名は王国軍側で、2名は我々の方で捕らえています」
「『小型の怨人』ではないのですか?」
人と変わらないサイズの小型の怨人も存在する。その可能性を懸念した主任聖職者の問いかけに、シルグは「いいえ」と首を振りながら説明を続ける。
「1人は狼系統の獣人でかつ魔法を使用していました。怨人は魔法を行使できる個体や獣人の特徴を持つ個体は確認されていませんので、その可能性は極めて低いでしょう」
ざわざわとした空気が、次の言葉でどよめきに変わる。
「――そして、もう1人の種族ですが……おそらく、魔女と見込まれています」
「まさか……マシリティ帝国か!?」
他の主任聖職者が
しかし「可能性は捨てきれない」といった意見や「
ラザネラ教とマギ教は対立関係にあり、その歴史は非常に長い。そしてマギ教の発祥の地にして総本山こそマシリティ帝国であり、魔女によって建国されたことで有名な列強国の一角でもある。
そんな議論を止めたのはミラティク司祭だ。
細い手で、扉をノックするように机の上を軽く叩く。それが手を止めて自分に注目するように示した合図であることはこの場にいる全員が知っていた。
「
王国軍側で1人、支部教会で2人。すなわち、まだ1人捕まっていないことを理解した聖職者たちにどよめきが走る。
「現代において魔女と言えば真っ先にマシリティ帝国、ひいてはマギ教が
ミラティク司祭は全員の注目を再度引き締めるような絶妙な間を置き、言葉を続ける。
「我らが神聖ラザネラ帝国、そしてレスティア皇国です。本事案が覇権国家絡みともなれば、早計な判断を下すのは非常に危ういことを理解しておくように。なにせことと次第によっては、我らが
その場で異論を
「それでは支部教会を預かる司祭として命じます。――
副団長のロロベニカと第3騎士隊の騎士長を務めるルグキスは「了解」と命令を受諾する。
第3騎士隊は信徒を脅威から守る矛であり盾としての実戦特化の部隊である。支部教会における主戦力となる騎士隊だ。
「第3騎士隊を重点配置すると言うことは、それだけ『
ロロベニカ副団長の問いかけに、ミラティク司祭は「状況証拠のみですが――」と理由を説明する。
「『逃亡者』は
その話を聞いて、ロロベニカ副団長は「つまるところ――」と驚愕の表情を浮かべて意図をまとめる。
「件の逃亡者が、4人の飛行を管理し、治療を
「私はそう考えています。これほどのことを並行して行えるなれば英傑の中でもさらに上位の評価は下らないでしょう。少なくとも襲来当時、侵入者たちは上空で散りましたが、怨人が最後まで追ったのはその『逃亡者』です」
怨人には攻撃対象に明確な優先順位がある。植物より虫を、虫より動物を、動物より人類を優先して襲う。そして魔法や鬼道の
すなわち『4人の襲来者』の中で『現在逃亡中の人物』が最も術式の出力が高く、
「さらに逃亡者は、ベージェス、バラギア両名の
「しかし、もしそれだけの実力者であれば既にベギンハイトから出ているのではありませんか?」
ロロベニカの問いかけにミラティク司祭は「これは私の直感ですが――」と
「ベージェスが捕らえた獣人は最後まで
なるほど――とロロベニカ副団長は納得していたが、第3騎士長のルグキスは別の質問を投げかける。
「それほどの実力者が相手ならば団長が出た方が良いのではないですか?」
「ベージェスと第1騎士団は教会の守りを固めることを優先させざるを得ません。英傑とまではいかないものの、獣人とて高い戦闘技能を有していました。彼が意識を取り戻した際に、押さえ込みつつ情報を聞き出せるほどの実力者が現場に必要です」
ルグキスは納得しつつ、さらに別の質問を問いかける。
「ではなぜブリニーゼ歓楽街周辺から捜索するんです? あそこは怨人の襲来地点とはだいぶ離れてますが」
「怨人が
「確かに……大衆向けの店では客が信徒かどうかなんていちいち確認しませんからね」
「加えて、逃亡した方向や怨人が襲来した地点からつかず離れず――それでいて混乱があまり伝わっていない立地となれば、ブリニーゼ歓楽街が最も有力です」
「戦力の分散をしないのは賛同します。ですが入れ違いに教会堂が襲われてはマズいのではないですか?」
「それもベージェスを教会にとどめておく理由のひとつですよ」
ルグキスの疑問に答えつつも、ミラティク司祭はロロベニカ副団長に視線を移す。
「
ルグキスの疑問が解消されたところで、ミラティク司祭は現在捕らえている2人の
「さて魔女の処遇について――どのような立場かまだ不明ではありますが――すでにオドの汚染が
担当する主任聖職者をそれぞれ指名し、続いて王国軍側で捕らえている1名について、シルグ司祭補佐へ向き直し告げる。
「シルグ、
シルグは頭が良くいつも
「それは、バラギア氏が捕らえている女性の件――で、お間違えないでしょうか」
「ええ。早急にこちらへ引き渡すように、と」
シルグ助祭の表情に
「……彼はベギンハイト家当主の次男でありロゼス王国における三英傑の一人です。……今こじれると色々と
シルグはバラギアのことを生理的に受け付けないようだ。その気持ちはスティアにも分かる。あの
「すでにガルフには
ガルフ・ベギンハイトはバラギアの兄であり、ベギンハイト家の次期当主と目されている長男だ。
「女性を
シルグは納得した様子で「かしこまりました」と答えると、ミラティク司祭は話をいったん区切り全員の顔を見渡す。
「さて、以上が司祭としての方針ですが、他に質問や意見がある者はいますか?」
スティアは無意識に唇を噛みしめながら、会議の行方を見守っていた。現状、自分には発言すべきことがなかったからだ。
ミラティク司祭が会議の出席者を見渡す。そのわずかな時間の中でベージェス団長の視線がスティアの方へ向いていることに気がついた。
何かを訴えるような視線に感じたが、その意図が分からないでいると、ミラティク司祭の視線もスティアへ向けられる。
「スティア」
「はっ、はい!」
「スティアからは何かありますか?」
「わ、私ですか……えー、いえ。その――」
歯切れが悪いスティアに全員の視線が向いている。スティアはさらに
注目される視線に耐えられなくて口にした返事だったが、ミラティク司祭は少しガッカリしたような表情を浮かべている。
「『第4騎士隊は現在動かせる状況にある』と、判断して問題ありませんか?」
具体的にそう問われ、ハッと気が付く。
「あっ……。……いえ……申し訳ございません。現在の
スティアは胃がキリキリと痛むのを自覚する。
一介の騎士であれば良かった。たとえ
だが騎士長という立場になると部下をしっかりと管理しなくてはならなくなる。
スティアのさらに上司が、こちらの都合など考えず無理難題を押しつけてくるだけならまだやりやすかっただろう。だが――
騎士長という騎士をまとめる立場になった以上は、その地位に
第4騎士団の騎士長を
「それでは第4の中で見習いを卒業した新人騎士は一時的に
スティアの歯切れの悪い説明を受けて、ベージェス団長が代わりに提案する。
第1騎士隊は団長
そんな第1騎士隊の指揮下に入ると言うことは、支部教会の護衛に回るということだ。すなわち第4騎士隊の新人騎士たちは、実質的に教会堂で待機するに等しい。
ミラティク司祭が
「捜索班について、第2騎士団から2名ずつ当てることは可能か?」
「可能です。しかし、
「問題ない。では第4騎士隊の見習いたちについては解散させ、十分な休息を取らせよう」
スティアの失態を、ベージェス団長がすぐに穴埋めをする。第4騎士団の動ける騎士は第1騎士団が預かり、残りは解散。それはつまり、一時的とはいえスティアは隊長として指揮するべき部下が一人もいなくなったことを意味する。
「スティア、お前も今日はしっかりと休んでおけ」
加えてベージェス団長はさらに気づかいまでしてくれる。
「っ……。いえ、せめて捜索班に同行します。同行させて下さい」
騎士長としては未熟もいいところだ。だが騎士としても動けないようでは、それこそスティアの騎士としての自信や自負が完全に崩れてしまいそうな恐怖を感じ、何とか同行を願い出る。
「……では、ロロベニカの指揮下に入れ」
ベージェス団長はそう承諾してくれるが、ロロベニカ副団長の顔色がわずかに曇ったのに気がついた。
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