第31話 2月10日12時08分

 その言葉の意味するところを察したミグは、慌てて口を挟む。



『――け、けど! 死ぬかも知れないんだよ!?』



 ――死ぬかもしれない。


 ミグの経験則からいえば、よほど血の気の多い輩でない限り、その警鐘によって躊躇ちゅうちょの一つでも脳裏をかすめるものだ。


 それが死線とは離れた世界で生まれ育ったのなら、なおさらだ。



 至誠は一度嘔吐した。



 それは目の前に突然降ってわいた『死』という概念により発生した生理現象だ。

 これは一朝一夕で克服できるものではないことを、ミグはよく知っていた。



「もちろん死ぬのは怖いですし、死にたくありません」



 至誠はそうは言うが、ミグが『死』の可能性をチラつかせても、彼はすでに恐怖を自制していた。




 死の恐怖を克服するにはいくつかのパターンがある。


 日常的に晒される事で麻痺するように慣れるか、生死すら度外視するような強い意志を持つか。


 至誠のそれは、分類するならば後者だろう。


 だがそれは簡単にできるものではない。

 全てを奪われた者の復讐や、使命や信仰の果てに辿り着く境地というべきだ。


 もし、彼がはじめから完成された人格なら、まだミグも戸惑わなかっただろう。


 だが蘇生直後からの彼の精神は決して悟りを開く境地にはほど遠く、言わばちょっと大人びた子供、精神面の成長が早い程度の青年だった。



 ――これじゃあまるで別人じゃないか。



 その切り替わりは、先ほど起こった精神の急激な乱高下が関係しているのは明白だった。

 多くの人物に侵入してきたミグだが、その精神状態はこれまで例がない。



 だが今は至誠の精神分析を行うべき時ではない。

 説得してここを離れるように促すべきだ。



『だったら――』



 ミグは見切り発車で口を開くが、すぐに至誠がそれを遮る。



「だからこそです。ミグさんは先ほどまで寝ていた、あるいは気を失っていた。つまり睡眠や類似した状態に今後もなる可能性があるのだと思います」



 確かにミグは意識を失っていた。

 不浄の地では多くの術式を駆使し怨人から逃げ、この街の追っ手も撒いた。

 それより以前、至誠の蘇生の時からミグは勤勉に職務を全うしていた。


 なればこそ、この裏路地に逃げ込んだ時には体力を使い果たしており、意識を失うと言って過言でないほど、昨晩は睡魔に抗えなかった。



「僕もそうです。睡眠の間は無防備になる。かといって、昼夜交代制にしていては、僕が単身で動く場合のリスクが高い」


『確かに、そうだけど――』



 ミグに限らず、全ての種族には睡眠は必要だ。

 それすら克服するとなると、リネーシャ陛下やエルミリディナ殿下をはじめ一部の上位者と、死霊術によって使役された者達だ。


 故にその点について反論すべき事はない。


 そしてミグが話題をすり替えるよりも早く、至誠が一歩先んじて再び口を開く。



「ここで三人を助ける為に動くのはリスクです。しかし、このまま二人で先に進むのはさらに大きなリスクを孕んでいると思いませんか? なぜなら睡眠中はかならず無防備になり、気を張って寝ていては十分に睡眠が取れず、いずれ体が音を上げます」



 もし今いない三人がいれば、交代で警戒する事も可能だろう。

 それも睡眠を削る事となるが、一人の体で全てを行うのに比べれば雲泥の差だ。


 もちろん、ミグにもそれは分かっている。



「それともレスティア皇国まですぐに移動できる手段が、今ありますか?」



 ミグが分かっている事を考慮に入れた上で、至誠は問いかける。



『……いや――』



 もしも瞬間移動できる方法があるならば、今後の睡眠のリスクは完全に的外れだ。

 だがそれができるならば、ミグの言動は違ったものになるだろう事を至誠には容易に推測できた。



「でしたら将来の大きなリスクを回避するために、今はリスクを覚悟で動くべきだと思います」



 悪く言えば、レスティア皇国においてテサロやリッチェの代わりはいくらでもいる。しかし至誠の代わりはいない。その優先順位を見誤ってはならない――故にミグは、至誠に反論する言葉を考えていた。


 死の危険を伝え、むしろ煽るように口にしたのもその一環だ。



「僕にとっては、皆さんは恩人です。治療してくれましたし、食事もごちそうになりました。不浄の地の時はその命すら賭けて、見事に脱してくれました」



 その後は現実的な観点から利点と問題点を挙げ、至誠の感情に逃走を訴えかける。



「もしここで恩人を見捨てるような事をすれば、必ず死に際で後悔します。だったらたとえ死んだとしても、恩人を助けるために命を賭けて行動したんだ――と思える選択肢を選びます。そうしなければ、僕は死ぬまで後悔することになります」



 ミグはその論法で説得できると思っていた。



 至誠の言葉が「取って付けた同情」や「陳腐な正義感」ならば、いくらでも言いくるめられると考えていたからだ。


 しかし至誠は、誰かの為ではなく「自分自身の生き様」の為に三人を助けたいのだと主張する。



「もちろん無駄死にする気はありません。テサロさんと、リッチェさんと、ヴァルルーツさん。三人を助けて、皆で脱出しましょう」


『で、でも――』



 そう精一杯の言葉を返そうとするが、ミグには反論の足がかりが見当たらず言葉を窮した。




 ――何を言えばいい? 何を言えば至誠を説得できる!? 嘘でもレスティア皇国へ戻る手段があると言うべきだったか? いや、だったらなおさら救出して即離脱するべきだと主張してくるに違いない。




「もちろん僕一人の力は足りません。必ずミグさんの力が必要になってきます。手を貸してはいただけないでしょうか?」



 至誠を説得するつもりが、いつの間にやら立場が逆転していた事にミグは戦慄する。



『で、でも……。まだ生きているかどうかも分からないのに――』


「そうかもしれません。ですが、その時はきちんと弔ってあげましょう。だったらやるべき事は変わりません」



 間髪を入れず答える至誠に、ミグは焦りを覚える。











 戦災孤児だったミグにとって、テサロは友人であり、姉のようでもあり、そして母親のような存在でもあった。


 年も種族も全く違うものの、お互い共通点があったことも後押しして、親しくなるのにそれほど時間はかからなかった。


 そしてテサロの深い慈愛があったからこそ、ミグは今のミグたり得ている。




 リッチェの事は妹のように感じていた。

 不器用なところも多いが、そんなところすら愛おしく感じていた。


 主席での卒業と内定先が確定しているとはいえ、リッチェはまだ学生だ。


 本来であればアーティファクト調査のような危険任務には従事できない。

 下手な人員を連れていると被害が無為に広がりかねないうえ、アーティファクトそのものが機密事項になることが多く情報管理の面からも良くない。


 それでもリッチェが調査団の末席に認められたのは、本人の強い志願もさることながら、内定先がレスティア皇国軍の士官候補生であること、テサロ・リドレナという英傑の娘である事、そして、リネーシャ陛下直属組織「眷属」に籍するミグが推薦したからだ。



 その推薦をリッチェに頼まれた。

 それも一度や二度ではない。


 潜在的な危険性は未知数なアーティファクト調査のため、はじめは断った。


 しかし最終的にミグが折れる形で、リッチェを推薦した。




 だが、今となってはその判断を後悔している。




 もし自分が推薦しなければ、この不測の事態にリッチェを巻き込むことはなかっただろう。



 学校を首席で卒業し、士官学校へ進学し、エリート街道を進もうとする優秀な人材の未来を潰すことはなかっただろう。




 いや。




 まだ潰れたとは断じれない。


 だからこそ、ミグは彼女らを助けたいという気持ちは、当然強い。

 誰が好き好んで家族にも等しい人物を見捨てるような真似ができるだろうか。




 それでも、事態は逼迫ひっぱくしている。




 この都市の対怨人防衛力は高い。

 超高速で追いかけてきた例の怨人を、襲来から数分内に討伐する実力がある。

 組織的に強いと言うよりは、非常に強い個人がいる様子だった。



 ミグは、神格と謳われるほどの強さを持つリネーシャ陛下の眷属で、自身も英傑の域に達している。



 だが戦闘に特化している訳ではない。



 軍籍もあり陛下の眷属でいる以上、一定水準は戦え、かつ並の英傑程度ならば十分に相手できる。


 しかしミグの得意とする分野は補佐や支援だ。


 実務にいたっては研究の方が多い。



 もしも英傑並の強さをもつ相手と遭遇した場合……単身なら何とかなるだろうが、至誠を守りながらとなると話は変わる。



 だからこそ、ここは逃げるのが最も得策だ。



 怨人の襲来は複数の個体が同時に襲来する事も少なくない。

 時間差を置いて波状襲来することもある。


 そのため実力者は今ごろ、他に接近中の怨人がいないか警戒に当たっているはずだ。


 つまり今は、不浄の地に面していない箇所の警備が薄くなっている公算は高い。




「もちろん、無策で破れかぶれの行動はしません。だから救出が不可能だと判明したときはミグさんの脱出案に従います。必要であれば、無理矢理連れて行ってもらっても構いません」



 今は何としてでも至誠を説得し、いち早くこの場を後にする事が最優先だ。

 眷属として、それが最適解であることは理解していた。





 だが。





 至誠の言葉は容易く琴線に触れる。

 ミグの決意を、覚悟を、容易に抜け踏み込んでくる。

 彼の言葉からは力強さを感じさせる。


 そのうえ語るのは、理想論や夢物語だけではない。


 最後の提案などその最たるものだ。

 理想を語り、信念を告げ、落としどころを用意しておく。


 どの段階からその言葉を考えていたのかはミグには分からない。


 だが一つだけはっきりしているのは、この加々良至誠という人物がミグの想定よりも遙かに頭の回転がはやいことだ。


 事実、その頭脳があったからこそ不浄の地を脱する事ができた。







 しばらくの沈黙を経て、ミグは大きく息を吐く。

 実際に呼吸しているのは至誠だが。



『――分かった。でも、命を落としかねない危機的状況になった場合、もしくはなりそうな場合は、至誠を連れて逃げる事を最優先にするし、状況によっては強制的に連れていく。そして、その判断は任せてもらう。ここは譲れない』


「はい、ありがとうございます」



 ミグは感謝されるようなことは何一つ言っていない。


 むしろ自分がもっとしっかりしていれば不浄の地に転移させられる事にならず、至誠にここまで言わせる事態にもならなかっただろう――そう、自責の念から歯ぎしりの一つでもしたかったが、ミグは自身をいさめる。




 三人を助けると決めるのであれば、今はそれに集中すべきだ――そんな内心とともに、別の「ある懸念」を抱く。



 至誠は頭脳だけでなく人柄も非常に清廉とし、彼の言葉は容易く琴線に触れてくる。





 だが。





 いや、だからこそ。





 そのような「精神汚染を周囲に与える人型アーティファクト」の可能性がある。






 知性の確認されているアーティファクトは格段に危険性が高い。


 人型などその最たる例だ。


 急激な精神変化もアーティファクト特有の異質であるなら、腑に落ちる。




 ――加々良至誠はアーティファクトだ。




 リネーシャ陛下が直接おもむき調査するほどの存在だ。


 リッチェは例外としても、陛下が側近の少数精鋭だけで調査したのは彼がどのような力と影響を持っているか未知数だったためだ。



 精神汚染やミーム汚染、認識災害への対策は極めて難度が高く、本人が無自覚である場合が多いことも脅威だ。



 リネーシャ陛下はそれらに対して極めて高い耐性を持っているが、さらに万全を期すため、それらに完全耐性を持つエルミリディナ殿下が調査に同行したのだ。



 なぜなら人型アーティファクトの中でも最高位の脅威度と未知数を持つ「超越者」の可能性があったからだ。



 ミグもあらかじめ精神汚染をはじめとする対策術式を用いてはいるが、不浄の地への転移、そこからの不測の事態によって術式の発動がおろそかになっていたのは確かだ。



 かといって、至誠が精神汚染を発生させるアーティファクトであるかの検証を今行うのは不可能だろう。



 だからこそ、ミグはその懸念を決して口にしない。

 ただ己の内心に深く言い付けつつ、対策術式を強化させておく。





『じゃあ三人を救出してからレスティア皇国へ向かう。これでいい?』



「はい」




 にこやかに肯定する至誠の心境は、実に穏やかだった。















 現実はゲームではない。


 そんなものは至誠にとって常識だ。



 だが見知らぬ土地に放り出され、救出という目標が定まっている。



 現実はゲームではないが、ゲームでの行動指針はこういう場合に様々な選択肢を至誠に与えてくれていた。




 もしTRPGならば、まずは情報収集を行うべき状況だろう。


 置かれている状況を加味し、トラブルは避け、できるだけ隠密な行動をするべきだ。少なくとも、この街が自分達をどのように見ているか分かるまでは。



 怨人という化け物に襲われた「被害者」として丁重に保護してくれるならいい。



 だが実際は、怨人を引き連れてきた「加害者」として扱われている可能性の方が大きい。



 オンラインゲームにおいて、モンスターを他のプレーヤーに押しつける行為はマナーが悪い。



 ゲームでも憤慨する人がいるのだから、現実ならばその比では無いことは容易に想像がつく。






 故に、事態は急を要するが、闇雲に移動するのも考え物だ。



 逃走したときの記憶が至誠にはない。

 仮に追っ手がいるとして、自分の顔が相手に見られているか分からない。



 まずはその辺りの情報を整理すべきだと結論づけ、ミグに問いかける。





「今ミグさんが今把握している状況ってどのくらいありますか?」


『そうだね……。まずはこの街が対怨人用に構築された城塞都市ってことかな』


「こういった都市は、この世界では普通なんですか?」


『対怨人戦略における定石のひとつだね。怨人は視界に入った生物や、鬼道や魔法の術式を感知して襲ってくる。だから不浄の地境界近くに都市を一つ構えると、怨人をある程度誘導できるんだ。そこに軍事力も集中運用することで被害と防衛費を抑えるっていうのが基本理念だね』



 なるほど――と頷き、至誠は念のために問いかける。



「それはつまり、戦う事に秀でた人が多い、ということですよね」


『そう。少なくとも、あの超高速の怨人もすぐに討伐されるほどの実力者がいるのは間違いない。ウチが気づいた限りだと、危険そうなのが二人はいたかな。最低二人ね』


「ミグさんでは対抗できない……ってことですか?」



 こと魔法や鬼道においては自分がまったくの無力である事は、至誠は理解できている。


 ならば、最大限戦闘を回避する立ち回りに徹するべきだろう。口弁であれば役に立てる場面もあるかもしれない。



『相手の実力と戦い方の相性にもよるけど、相手が一人ならなんとかできると思う。最悪、逃げ切ることは、ね。でも二人以上が同時に相手となると、厳しいかもしれない』



 つまり、その実力者が今この瞬間に二人現れたらほぼ詰むということだ。

 仮に道中だとしても、その結果は厳しいものになるのは間違いない。



 ゲームがゲームたり得ているのは、ゲームバランスが取られているからだ。

 RPGにおいてレベル一の勇者が最初の街を出た瞬間にラスボス戦という狂ったゲームはそうそうお目にかかれない。


 だが現実では、その可能性はゼロだと断言できない。


 たとえ宝くじよりも確率が低かろうが、次の瞬間に隕石が落下してきて死なないと誰も保証できないように。



『――それでも、三人を助けたいってまだ思う?』



 思考が脇道に逸れていたところで、ミグが改めて問いかける。



「はい」



 今は余計なことを考えるべき時じゃないと戒め、躊躇なく至誠は即答した。



『――あとは、今いるのが神託の地の南西のどこかって事くらいの情報しかない』


「ここまで逃走する過程で、顔を見られたりしてるでしょうか?」


『……どうだろう。逃げるのに必死だったから、見られているかもすれない。少なくとも、見られていないって断言はできないね』



 なるほど――と手で顎に触れつつ、至誠は視線を近くの足下へ落とす。

 そこは樽が並び、先ほどまで至誠が意識を失っていた場所だ。



「ちなみにこれはミグさんが?」



 意識を失っている間に見つかっている可能性を考慮して聞いてみる。



『そう。寄せ集めただけだけどね。この近くに歓楽街があってね。泥酔者兼浮浪者を装ってみたけど、今見ると酷いで出来栄えだね。意識を失ってる間に見つからなくて――』



 その時と状況が変わっていないなら、寝ている間に誰かに見られた可能性も低いだろう――至誠がそう考えていると、ミグの言葉尻がフェードアウトし、体の自由がなくなった。


 その視線は一瞬だけ裏路地の曲がり角の方へ向くが、すぐに樽の影に身を隠す。

 そして、端的に状況をミグが教えてくれる。



『誰か来た』


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