[5]降って湧いた権利

 まどろむ意識の中で、至誠は誰かの声が聞こえた気がした。


『███の█████だ? ……。████なら██』


 うまく聞き取れない。だがその声の主を知っている。


 ――志穂しほ……お姉ちゃん……?


 だが声は遠く、それ以上は全く聞き取れなかった。


 ――何か忘れている気がする。何か……何かとても大事なことを……。




  *




 まぶたをゆっくりと持ち上げ、至誠は半覚醒はんかくせい意識いしきで考える。


 ――夢?


 なにか夢を見ていた気がする。目を覚ます直前に姉の言葉がかすめた気がしたが、それ以外の内容はまるで思い出せなかった。


 そんな思慮しりょをかき消すように視界に飛び込んでくるのは、まるで見覚えのない景色だ。


 天井てんじょうはない。あおけの視界には綺麗きれいな青空を覆い隠すように白い壁がそびえ、均等に木製の出窓が並んでいる。


 吹き抜けるそよ風は遠くの喧騒けんそうを乗せている。顔や指先は少しばかり肌寒く感じるが、服は快適な温度を保ってくれているようだ。だが流れてくる臭いはどうすることもできないようで、顔をしかめるほどではないにしても少しばかり鼻につく。


 人気ひとけのない住宅街か裏路地うらろじのように思えたが、横たわったままではそれ以上のことは分からない。


「ここは――」


 混乱する脳裏のうりを整理しつつ、至誠は起き上がる――いや、起き上がろうとした。


「ッ――」


 痛い。


 その言葉すら出ないほど、引きつった痛みが走る。全身がきしむように痛く、特に両足がひどい。尋常じんじょうならざる傷みによって、嫌な汗が全身からき出し、寝ぼけ眼は吹き飛び眉間みけんに力が入る。


「ああ、ここに居たかね」


 うめき声すら出ないほどの痛みに耐えていると、不意に人の気配がすることに気がついた。


 先ほどまではいなかったはずだが、見知らぬ男が枕元に立っていた。


「本来であれば余計よけい干渉かんしょうはしないが……なに、あの少ない手札てふだからよくぞ不浄ふじょうを脱したと感心してね。故にこれは、良い物を見せてもらったことに対するほんのささやかな気持ち、チップだ」


 男の声だ。ぶとさもあるがさわやかさも感じさせる、壮年そうねんくらいの男性の声だ。


 その男が指をらすと、至誠の全身が一瞬だけ光に包まれる。


 そして気がつくと、それまで至誠を襲っていた痛みがうそのように霧散むさんしていった。


「……?」


 不意の出来事に頭が混乱する。だが目の前の男性が何かをしたことによって痛みが消えたことはそうぞうかたくない。


「――あ、ありがとうございます……?」


 ひとまずお礼だけでも言っておくべきだろう――と至誠は体を起こしながら感謝を口にする。すると男は破顔しながら「なに、気にすることはない」と数歩下がり距離をとった。


 男は190㎝以上はあろうかという長身だ。細身で純白の燕尾服えんびふくを身にまとい、縦に長い純白のシルクハットをかぶり、片手には柄が豪華絢爛ごうかけんらんなステッキが握られている。リッチェやテサロの持っていた魔法の杖とは違い、その長さは老人が体を支えるために用いる物と同程度のステッキだ。


 肌は白人を思わせる色白さで、顔はややりが深く、れた目としわの入った容姿ようしは壮年期後半の紳士に見える。


「目下、ある人物から干渉かんしょうを受けていてね。手短てみじか要件ようけんませよう」


 ――干渉? 要件? 男の言葉の意味が分からない至誠はいぶかしみながらも、先に気になる点を問いかける。


「えっと、あなたは……どちら様ですか? 初対面、ですよね? それとも以前どこかで……?」


「今のはいは『趣味で本を執筆しているだけのしがない物書き』にすぎない。ただひとつ言えるのは、君の味方ではないが敵でもない――ということだ」


 至誠は、男が嘘をついているようには見えなかった。同時に、本当のことも言っていないように思えた。


 すなわち、この上なくさんくさい。


 だが至誠は、それを考えなしに口にするほど冷静さは欠いていなかった。仮にも体の痛みを取ってくれた相手だ。


 ――いや、むしろ異様なまでに頭が冴えてきた気がする。


 痛みで強制的に覚醒かくせいしたのか、あるいは男になにかをされたのか。


 とはいえ、何をしたのか愚直に聞いたところで本当のことを答えてくれるとは思えなかった。


 至誠はひとまずひたいに残っている汗をぬぐいつつ、男の話に耳にかたむける。


閑話休題かんわきゅうだい。――現在、君には2つの権利けんりが有る」


「2つの……権利、ですか?」


 至誠には話の流れが理解できないが、今は言葉をさえぎるべきではないだろう――と相づちの代わりに復唱ふくしょうする。


「まず、我が輩に一つの質問をする権利。そして、我が輩からの贈呈品ぞうていひんを受け取る権利である」


 そう語り、男は内ポケットから小さな冊子さっしを取り出す。A5サイズ程度で、背幅せはばは5㎜ほどのうすい本のようだ。


「これは我が輩が執筆しっぴつしている『霊術大全れいじゅつたいぜん』、その草本そうほんの一部である。まだ推敲すいこうが終わっていない部分もあるが……なに、術式理論じゅつしきりろんに問題はないので安心して使いたまえ」


 説明をしてくれたようだが、至誠には理解がおよばない。


 ――たしか霊術れいじゅつというのは……魔法とかと同じような存在だったっけ?


 リネーシャとの会話を思い出しながら考える。


 だが霊術とやらの本をいきなり差し出されたとしてどうするべきかは悩ましい。受け取った結果、魔法に類するものが発動しました――なんてことにならないと誰が保証ほしょうできよう。


「……」


 だが至誠はそれを受け取ることにした。


 彼が敵だった場合、そんな回りくどいことをしなくとも魔法なり鬼道なりを使われれば至誠に防ぎようがない。だが味方だった場合や、彼の言うとおり中立だとしても、受け取らないことによって心象しんしょうを悪くするのは至誠の立場や状況をただ悪くするだけな気がしたためだ。


「よろしい。もし不要であれば捨ててもらって構わんよ」


 男は満足そうにはにかむが、すぐに「ああ、しまったな――」と表情をくもらせる。


「日本語で執筆しっぴつすることを失念しつねんしていた。これでは君は読めないな……」


「日本語を、知っているんですか?」


 リネーシャとの話では全く日本についての情報は得られなかった。


 だが彼はそれを知っているような素振りを見せる。


 ……いや、至誠の興味を引くためのような、わざとらしい言い回しですらある。


「我が輩の好きな言語の一つだとも。特に情緒じょうちょんだ繊細せんさいな言い回しが豊富ほうふなのは素晴らしい。欠点は漢字におんみとくんみを混在こんざいさせるうえ、他の漢字やおくとの組み合わせパターンを作りすぎている点であろうな。あれでは第二言語に日本語を選ぶ者が増えなかったのも致し方なかろう」


 この人は間違いなく日本語について知っている――至誠は確信かくしんいだくものの、同時にさんくささをより強く感じる。


 問題は、この胡散臭さの中に悪意があるかどうかが分からないことだ。


「我が輩の開発した疎通霊術そつうれいじゅつに文字媒体を含まなかったのも、日本語や中国語などの意表文字まで網羅もうらするのが面倒めんど……おっと違うな。それでは情緒じょうちょがないからだ」


「あなたはいったい――」


 ――何者なにものなんですか?


 至誠がそう問いかける寸前すんぜんに音楽が流れて言葉がさえぎられる。


「ああ。少しすまない」


 男は至誠にことわりを入れつつ、音の発生源はっせいげんであるポケットから一つの道具を取り出す。


 ――スマホだ。


 少なくとも至誠にはそのように見えた。長方形の端末たんまつに、タッチパネルを触るような仕草をみせ、それを耳に当てて通話を始める。


「何か緊急きんきゅう要件ようけんかね?」


 男は背を向け、スマホらしき物体を耳に当てる。それは至誠が知る「スマホで通話」そのものだった。


「今まさに、その彼と会っている最中さいちゅうである」


 男の口にした「彼」という単語が自分を指しているものだと想像に難くなかった。すなわち通話相手も自分のことを知っている可能性が高い――至誠は男の言動に注視ちゅうしする。


「無論、そういうたぐいいではないとも。安心したまえ。……。――そんなにかね? すまないが今しばらく時間をかせいでもらえるだろうか? ……。――ああ、頼むよ。それでは失礼する」


 もう少し観察していたかったが、男はすぐに通話を切り上げ、スマホらしき物体ぶったいをポケットに戻す。


「失礼した。話を元に戻そう。『我が輩が何者か』との問いだったかね?」


 聞きたいことは山ほどあるが、ひとまずはそれを肯定した。


「質問権はそれに使うかね?」


「……質問権、ですか?」


 そういえば「質問する権利」がどうのと言ってたっけ――と記憶を呼び戻していると、男は言葉を続ける。


「そう。質問権とは、我が輩に質問する権利のことを指す。そして質問権にはいくつかの制約が存在する。


 ひとつ、一度の質問権で行使できる質問はひとつのみである。


 ひとつ、我が輩の知り得ないことには答えられない。


 ひとつ、禁則事項きんそくじこう抵触ていしょくする問いには答えられない。


 ひとつ、禁則事項の内容や基準については答えられない。


 ひとつ、答えられない場合でも質問権の行使は行ったものとする。


 ――以上が質問権に関する制約ルールである」


 男が何者か――それの問いを、一度限りの質問権に使用するかと男は確認する。


 確かに、この事情を知っているであろうさんくさい壮年男性が何者なのか気になるところだ。


 だがそれ以上に、なぜ自分がここに居るのかについて教えて欲しいとも思えるし、日本に帰れる手段があるのかについても聞いてみたい。


「説明以前に君が発した『日本語を知っているのか』『我が輩が何者か』に関してはカウントしないでおこう。その質問がしたければもう一度同じことを口にするがよい」


 その気になれば、それで質問権は終わりだと言うこともできただろうが、男は再度チャンスを与えてくれる。


 至誠は一度だけ大きく深呼吸する。


 ――落ち着け。


 そう自分に言い聞かせ思慮しりょを巡らせる。出会い頭にも電話口に男は急いでいる様子を見せた。だが時間制限は設けていない。ならば時間いっぱいまで考えるべきだろう。彼が何者か分からないが、また同様の機会が巡ってくるとは限らないからだ。


 まず「ここが現実か」との問いは除外する。


 昨晩からの体験で、ここが日本ではなく、かつ日本の常識が通じない世界であることは間違いない。もし夢を見ているだけならば、そのうち否応いやおうでも目を覚ますだろうが、現実ならば「現実だ」と言われて終わりになりかねない。


 次に「男が何者か」について。


 これもさほど重要ではない。例えば、リネーシャであれば「吸血鬼」と回答することもできる内容だ。男が「一般男性」だとか、先ほどのように「物書きだ」と一言で終わらせることが容易だ。


 ――では自分がなぜここにるのかについて聞くべきだろうか? あるいは、異世界にしても未来の地球にしても、元の世界に戻る方法について聞くべきだろうか?


 どちらの質問をするべきか考える。


 しかし双方そうほうの質問に――いや、そもそもこの質問権は大きな問題点がある。


 男は禁則事項とやらに抵触ていしょくする内容は答えられないと言っている。そして基準きじゅんについては答えないとも。とどのつまり、男が全ての質問に「禁則事項により答えられない」と言ってしまうことが可能で、答えるかどうかは男の気分次第とも受け取れる。


 至誠は考える。


 直感的に、核心かくしんに迫るような質問は答えてくれない気がした。だが浅く中途半端ちゅうとはんぱな質問をするくらいなら、ダメ元でけてみるのもいいだろうとも思える。


 最も理想的なのは「あなたが知っていて僕の知らない情報の中で、禁則事項に引っかからない情報を全て教えて欲しい」なんて質問が通ることだ。だがそんな質問は絶対に通らないのは目に見えている。「何かひとつ願いごとをかなえてくれる」と言われて「叶えられるお願いごとの数を増やす願い」をするような、稚拙ちせつ幼稚ようちな発想だ。


 ……。


 ――いや、待てよ。


 そもそも質問権を得られる基準は何だろう?


 急に現れて質問権と本を受け取る権利があると男は言った。


 単に男の気まぐれだろうか?


 いや、男が最初に口にしていた言葉は明らかにこちらを探していた。


 ――何かしらの条件を満たしたから、わざわざやってきたのだろうか?


 すなわち、条件次第では二度目があり得るのではないか。ルールの中にも「一度の質問権で」とあった。つまり二度目以降を示唆しさしている気がした。


「これは質問権を使う前の確認……あるいはひとごとなのですが――」


 至誠は男の顔色をうかがいつつ、口を開く。


「もし、後で対価たいかを支払えと言われても困ってしまいます……」


「今提示ていじしていない内容をのちに要求することはない。例えば後出しで金銭きんせん等、何らかの対価たいかを求めるようなことはないと明言しよう」


 ――よし。質問権を使わずに質問することができた。


 そう喜ぶが、この手を使いすぎて相手の心象を悪くして切り上げられたら元も子もない。至誠はその手を最小限にとどめられるよう思慮しりょを巡らせる。


「そもそもなぜ僕にその権利が与えられるのかがよく分かってなくて、今、混乱しています」


 念のため、独り言だと言い訳できるような言い回しでチラ見する。


「質問権と贈呈権ぞうていけんは『我が輩と会った』全ての者が対価たいかなく享受きょうじゅできる権利である。強いて言えば我が輩を見つけ出すことが対価であり、褒美ほうびである。もっとも今回に関して言えば我が輩が君に会いに来たので例外的れいがいてき事例じれいではあるがね。だがここで発生する権利は副産物ふくさんぶつぎず、本来ほんらいの目的は別にあると言える」


 ――その別の目的とは?


 そう問いかけたい気持ちもあるが、それはわなに思えた。それを口にした瞬間、男の言う質問権が消失しそうな気がしたからだ。


「つまり、こうしてまたがあれば、その時にも質問権が与えられる――と解釈かいしゃくできるわけですが……」


「まさに」


「ですが『会う』という定義ていぎ曖昧あいまいだと思っています。とおきに見つけただけでは会ったとは言えないと思いますし……」


しかり」


「つまり、最低でも、が必要と言うことですね」


「その解釈で問題ないとも」


「なるほど……。……。では、質問権を使います」


 至誠はゆっくりと立ち上がり、男の視線をえて問いかける。


「『あなたに通じる電話番号』を教えて下さい」


 わずかに、ほんのわずかに、男の眉が動いた。だがその表情からはどう思っているか推測することは難しい。至誠の問いかけた質問は、会話できる距離感が再会に該当するのであれば、電話越しの通話であってもその判定になるだろう――などという、一蹴いっしゅうされかねない屁理屈へりくつだ。


「ふむ……」


 と、あごを触りつつ、男は思考の時間を設ける。


 至誠は余計なことはせず、男の返答をただ待った。


 男の名前も素性すじょうも分からない状況で再会するのは難しい。そこで至誠は次に質問権を得られる可能性を増やせないかと考えた。


 当然、ダメで元々だ。


 だが何を質問しても一蹴される可能性があるならば、そこに賭けることにした。


 もちろん、電話番号が分かったところで問題は山積している。至誠の持つスマホがこの世界にもあることはリネーシャが言っていた。異常性を持っていたが、逆に考えればいまだに電波が入るアイコンが表示され、もしかしたら使えるかもしれない状況にある。


 そして男は目の前でスマホを使って見せた。ならば、理論上、通話できる可能性はゼロではない……気がする。


 ――そう誘導ゆうどうさせられた気がしないでもないけど。


 などという懸念けねんを内心でいだくが、だからと言って他にいい考えも浮かばない。そしてすでに口にした以上、後はただ回答を待つだけだ。




 10秒ほどして男は「よかろう」と質問を受諾じゅだくすると、内ポケットからペンを取り出す。高級感のある装飾そうしょくり込まれた万年筆まんねんひつだ。


 男は身をかがめ、至誠が受け取っていた冊子のはしに文字をなぐる。


 068-9817-2015


 その文字は至誠の知るアラビア数字と同じであり、まさに電話番号を示すような数列だ。


「今度は君にも分かるよう、アラビア数字で書いておいた」


 当然その文字のことも知っている――と言わんばかりのおもちで、男は万年筆を内ポケットに戻す。


 ここからさらに情報が引き出せないだろうか――と至誠は考えていたが、すでに男は背を向けるとシルクハットを手にし、別れの挨拶を告げていた。


「それでは幸運こううんを祈る。よ」


 至誠が再度口を開く間もなく男の体がまるで空気と同化していくように薄くなると、その姿は霧散し、目の前から消えた。


「――ああ、ひとつ大事なことを忘れていた」


「っ!?」


 と、次の瞬間、目の前で姿を消した男が背後から現れる。


「君の今日の運勢は、どうやら『左が吉』のようだ」


 至誠はとっさに声のした方向へ振り返ったが、男の姿はどこにもなかった。

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