[22]手のひらの上

 ――最悪なのは、こちらが油断させてくちふうじされるパターンかな。


 レスティア皇国がミグの言うとおり国際的に強い発言力を持っているとすれば、問題が発覚する前に隠蔽いんぺいしてしまった方が楽だと感じているのかもしれない。


 特にここベギンハイトは不浄ふじように面した城塞都市だ。死亡原因を怨人えんじんになすりつけるのはやすいはずだ。


 もしミラティク司祭が隠蔽いんぺいに走る場合、物理的な障害はミグに任せるしかない。


 ――ならば僕にできることは、少しでも情報を集めることか。


 至誠は目的を交渉から情報収集に切り替えつつ、慎重しんちように口を開く。


「こちらの事情やラザネラ教会の制度に疎くて大変申し訳ないのですが、ラザネラ教において主教や教皇と呼ばれるくらいの方々は、ロゼス王国にいらっしゃるのでしょうか?」


「なるほど。決して責めるつもりはありませんが、どうやらシセイ様はラザネラ教に関する知識が少ないご様子で」


「知識にかたよりがあることは面目次第めんぼくしだいもありません」


 至誠は笑顔を浮かべながら、あえてへりくだってみる。


 これで態度が変われば少しは対応の仕方も見えてくるだろう。高圧的になるか、小声を言うような相手ならば分かりやすくて助かるんだけど――と考えている内にミラティク司祭の言葉が返ってくる。


「いえいえ。誰しもはじめは知らないところから始まるものです。もし叶うならば是非ぜひともラザネラ教の素晴らしさを布教ふきょうしたいところではありますが……それはまた別の機会にいたしましょう」


 その口調には特に変化は見られなかった。


 直後、ミラティク司祭は少し歩いて近くの椅子に座る。それは先ほどまでシルグ司祭補佐が座っていた椅子だ。


 至誠が視線を向けると、すでにシルグもガルフも椅子を立っている。


 部下であるシルグが席を譲るのは分かるが、ガルフも席を立つのは、領主一族といえど力関係の差が現れているように感じられた。


「どうぞ、シセイ様もおかけになって下さい」


 至誠はなかなか会話のペースが取り戻せない。


 故にここでミラティク司祭の台詞せりふに従うかどうか少し悩んだ。おとなしく座ればペースはさらに相手に傾くかもしれない。


 しかしこれから友好的な関係を築きたい相手の誘いを拒絶きよぜつすることもよくない影響を及ぼすだろう。


「お気づかい痛み入ります」


 至誠は席に着く。会話のペースは、また取り戻す機会をうかがえば良い。だが、今ここで関係性が崩れるのは避けねばならない。少なくとも、3人を取り戻す目処めどが立つまでは。


「ではまず結論から申しますと、ロゼス王国の王都に司教様がいらっしゃいます。しかし、教皇様と主教様はいらっしゃいません」


 会話を再開したミラティク司祭は、続けてラザネラ教の基本的な知識について必要な部分を教えてくれる。


「私のような司祭しさいは、各都市に建つ支部教会を任されます。階位かいいがひとつ上の司教しきょう様は、各国の首都にある本部教会に赴任ふにんされます。そんな司教様を監督かんとくしてらっしゃるのが主教しゅきょう様になり、それをさらにとりまとめておられるのが教皇きょうこう様になります。教皇様は現在五名おりまして、我らが神としてあがたてまつるラザネラ様が手ずから建国された神聖ラザネラ帝国にお一人、そして神聖ラザネラ帝国の東西南北にそれぞれお一人ずついらっしゃいます」


 ミラティク司祭の話をまとめると、立場が高い順に「教皇」「主教」「司教」「司祭」となるようだ。


「この地の区分は西方となっており、管轄は西方教皇様となります。そして、レスティア皇国ともなれば、我らが神聖ラザネラ帝国と肩を並べるほどの大国であるため、西方教皇様のように地位のある方に対応いただいた方がより円滑に話が進むでしょう。その方があなた方にとっても都合が良いのではないでしょうか?」


「ええ。――ですが最も重要なのは、同僚と協力者の安全の確保と、機密の漏洩ろうえいを防ぐことです。問題の早期解決は次点に過ぎません」


「かしこまりました。ですがこちらとしてはむしろ、早急に問題を解決してもらえると助かります」


 ――何か急ぐ理由が?


 という疑問を口にする前にミラティク司祭は教えてくれる。


「なにせきたる2月22日は我らが神、ラザネラ様の聖誕祭せいたんさいり行われ、一年で最も多忙たぼうな時期なのです。故に、憂いは聖誕祭前に解消したい――というのが真情しんじょうなのです」


 至誠が2月22日と聞いて思いつくのは『ネコの日』程度のものだが、ラザネラ教においては重要な日付のようで、ラザネラ教におけるクリスマスのようなものなのだろう――と至誠は理解しておく。


 その間にミラティク司祭はさらに踏み込んだ事情を教えてくれる。


「もっと正直なところを言ってしまえば――聖誕祭までにレスティア皇国からどういう形であれ金銭を受け取れれば、先の怨人襲来で傷付き、残された信徒のなぐさめになりましょう。それによって気持ちの整理と一区切りを付けることができれば、ここ、ベギンハイト支部教会の評判も上がることに繋がり、あなた方も早期に帰国できる。これが、お互いにとってこれ以上の無駄な血の流れない、最も理想的な選択であると信じております」


 それが最もきれいな落としどころなのだとミラティク司祭は語り、正直、至誠としてもに落ちた。


 問題を早期に解決することで教会の評判も上げ、運営費も確保する。

 この教会を任されている司祭として理想的な決着だろう。


「こちらとしても、前提条件が崩れない範囲であれば早いに越したことはありません」


「それは僥倖。これからの詳しい日程についてですが――」


 口を封じて隠蔽いんぺいするよりも、状況をうまく利用した方がミラティク司祭にとって利があるだろう。


 とはいえ、今すぐミラティク司祭を全面的に信用するのは難しい。


 だがいざ戦いが起きればミグに丸投げするしかないのは確実だ。ミグの負担は少しでも減らしておきたいと至誠は考える。


 ならば今できることは――たとえこちらの油断を誘うためだったとしても――少しでも良い条件と情報を引き出すことだろう。


 まだ交渉が終わっていないのだと至誠が内心で気を引き締めていると、ミラティク司祭は「ですがその前に――」と切り込んでくる。


「スティアの処遇についてですが――」


 至誠は可能な限りポーカーフェイスを試みていたが、思わず視線を細めてしまう。


 ――今そこを突いてくるのか。


 ペースを握られないようにこちらから先に提案するべきだったが、ミラティク司祭は間髪を空けてはくれなかった。


「当問題が解消するまでの期間、現状維持で構いません。名目上はあなた方の監視を兼ねた護衛任務ということにしておきます。加えて、後から別途スティアに対する謝罪や補償を要求するつもりもありません。これがスティアに聞こえているかは分かりませんが――スティア、貴女あなたはシセイ様と行動を共にするように。これは司祭としての命令です」


 ミラティク司祭は至誠に譲歩を求めることもできたはずだ。だがそのような素振りは一切見せず、むしろこちらへ配慮する声音で語った。


 失言となる可能性を理解していたが、至誠はその意図を問いかけずにはいられなかった。


「……理由を、伺ってもよろしいですか?」


「大局的に見ればそれが最も安寧あんねい寄与きよするからです。世の安寧や人々の安息あんそくよりも我が身がかわいいと思うのであれば騎士をした方が良い。加えてシセイ様の人となりであれば、スティアの女性としての尊厳そんげんを踏みにじることはないだろうと信じております」


 暗にバラギアと比較しているのが分かるような含ませ方をして、ミラティク司祭は断言する。


「最良の結果を得るために様々な可能性は考慮こうりよしますが、外道になるつもりはありません」


 どこかのだれかと違って――と付け加えようかと思ったが、バラギアについて詳しくない至誠が安易に口にするべきではないと考えて思いとどまる。


 だがミラティク司祭にはバラギアと比較していることは伝わったようで、相好を崩しながら「それは良かった」と柔和な声をこぼす。


 それから一度表情を引き締め直した後、さらにミラティク司祭は言葉を続ける。


「それから、ロゼス王国軍――正確にはバラギアが監視を寄越してきます。目的がシセイ様一行か、我々か、あるいは両方かはまでは分かりませんが、拒否きょひするとさらなる火種ひだねとなります。そして火種というものは得てしてきつけることが容易です。我々としてはこれ以上の問題を複雑にすることは望みません」


「両者の関係性に関して存じ上げませんが、こちらとしても問題が増えないに越したことはありません。多少の不便は許容しますが、実害がないという前提での話になります」


「その心情は当然のものでしょう。ですが表だって何かしてくる可能性は低いでしょう。彼らとて、今は問題を起こしたくない時期なのです。なにせバラギアはその功績と実績が認められ、優れた信徒として今年の生誕祭において教皇様より招待状をいただいております。彼にとって今それが流れるのは大きな損失でしょう」


 日本で例えるなら赤坂御苑あかさかぎょえんもよおされる園遊会えんゆうかいのようなものだろうか――と至誠はかみ砕いて理解する。


 その際に、あの言動のバラギアが――と脳裏に過ったことはミラティク司祭にバレたようだ。


「信じられないかもしれませんが、バラギア・ベギンハイトという人物はその功績だけを並べれば極めて優秀な信徒なのです。『結果』だけを見た場合ですが」


 話が脱線するのを避けるためか、ミラティク司祭は詳細に語らない。それでもその口調からは『過程』がろくでもないことは想像に難くなかった。


「バラギアがおとなしくシセイ様のお仲間を引き渡すと明言したのも、招待状の件があったためです。不謹慎ふきんしんではありますが、非常に時期が良かった。普段であれば、彼は手に入れたモノを決して手放さなかったはずです」


 とはいえ――とミラティク司祭は続ける。


「おそらく、嫌がらせ程度のことはあるでしょう。もしも矛先がそちらへ向けられた場合、スティアは牽制けんせいにお使い下さい。無論、こちらとしても事前に防げるものに関しましては最大限対処致します故」


 至誠が考えるよりここの教会とバラギアの溝は深いのだろうと理解する。


 ――バラギアへの当て馬にされてる気がするけど、どう答えるのが正解なんだ?


 と思案している間に、話題は次へと移ってしまう。


「さて、話を戻しましょう。今後の主だった日程ですが――失礼、まずは生誕祭についての説明から致しましょう。基本的な流れとしまして、2月22日の生誕祭が各教皇領にてり行われ、司祭以上の聖職者はこれに参列し、翌日にそれぞれの教会への帰路に就きます」


「終わったらすぐにこちらに戻られるのですか?」


「ええ、その通りです。その後、各支部教会でも聖誕祭が執り行われ、そのまま31日ごろまで祝賀しゅくがムードが続きます」


 ――ん? 2月31日?


 と一瞬疑問符が過ったが、日本で一般的だったこよみとは違うのだと理解する。


「つまり、それまでにレスティア皇国からの謝礼金を受け取りたい――と考えて差し支えはありませんか?」


「もしそれが可能であれば助かります。ですが受け取れる確証さえあれば手段はいくらでもありますので、ご心配には及びません」


「なるほど……分かりました。――確認なのですが、その聖誕祭が執り行われる教皇領という場所は、どのくらいの移動時間を見込んでいますか?」


「移動は馬車を用いて3日を見込み、到着予定日は15日となっております」


「15日……つまり、そこから22日までの間に身分の照会や金銭の授受に関する確約を得る必要がある――ということでしょうか?」


「そうなります。聖誕祭の7日前に現地入りするのは、聖誕祭前には例年『司祭しさい協議会きょうぎかい』や『司教しきょう評議会ひょうぎかい』などが行われるためです。すでに書簡しょかんにて手は回しておりますが、教皇様に対応いただくためにはいずれかの場所で正式に議題ぎだいに挙げる必要があるでしょう。そこで、シセイ様方にも同行いただきたいのです。限られた時間の中で話をまとめる際に本人がいなくては時間が無駄になる懸念けねんぬぐえません」


 なるほど――と理解した素振りを見せる裏で、至誠は会話のペースを取り戻す足がかりを見つける。


「現状、同行に関しては即断できません。これは、そちらで囚われている三人の状態を確認しないことには判断しかねるためです」


 ここでまずは三人を返してもらう算段を付けたかった。

 だがミラティク司祭は「ええ、それは当然でしょう」と答えつつ、間髪を入れずに言葉を続ける。


「一点確認なのですが、昨晩シセイ様方のいずれかが使われていた『飛行術式』を用いることは可能でしょうか? それがあればもう少し日程に余裕が出せるかと思います」


 至誠は少し考え込む仕草を見せつつ、ハンドサインでこっそりとミグに意見を求める。


『厳しいね。可能かどうかなら可能だけど、いざという時に至誠を護りきれない可能性が高くなる。ウチと至誠だけなら、もしくはテサロが健在なら可能性はある』


 それを聞いて、ひとまずテサロのを優先的に救出すべく、至誠は舵を切る。


「残念ですが現状では困難です」


「少人数ならば可能でしょうか?」


「基本的に単独までで、せいぜい両腕に抱えられる範囲が限界となります」


 至誠はここでテサロには触れないことにした。テサロが飛行術式の肝だったと知られれば、もし相手が抹殺を企んでいるのであれば真っ先に足を潰しかねないと懸念を抱いたためだ。


「お役に立てず申し訳ありません。生誕祭までに時間がない旨、理解できました。ただ時間がないのはこちらも同じです。早急に治療が必要な者がいます。まずはその者を返還へんかんしていただきたいと考えています」


 半ば強引に話題を逸らすと、ミラティク司祭は柔和な姿勢のまま答えてくれる。


「シセイ様が医療技術に造詣ぞうけいが深いとの報告は受けています。故に、くだんの女性の引き渡しに関しましては満更まんざらでもありません。――とはいえ、こちらでも特に優秀な医者にせていますが、誠に残念ながら、さじを投げざるを得ないほどの危篤きとくは続いております。故に、当都市の医療技術では手のほどこしようがなかったこと、あらかじめご了承りょうしょういただけるのであれば、すぐにでも対応できるでしょう」


 ミラティク司祭の言葉を要約すれば、テサロの治療に関して責任は教会にはないことに同意するよう暗に言っている。


 至誠の知る知識でも、世界中で医療訴訟が起こっていた。ミラティク司祭も、その手の懸念けねん払拭ふっしょくしておきたいのだろう。


 そしてそれは、今このタイミングがで同意を求めるのが最も効果的だ。


「治療いただけたことを感謝こそすれ、責任を求めたりは致しません。意図的に悪化させられたり、悪意にさらされたりしていなければ、ですが」


 念のため例外があることを含ませるが、ミラティク司祭は特に意に介した様子はない。


「もちろん、そのようなことはありませんとも」


 ミラティク司祭は返答を口にしてすぐに席を立ち上がる。


「では、ことは一刻を争います。すぐに案内しましょう」


 ミラティク司祭は騎士や聖職者、ガルフと近衛兵を引き連れ、部屋を出るべく動き始め、至誠たちもその後についていく。


 ミラティク司祭の足取りは軽いように思えた。


 根拠こんきょはなかったが、至誠にはまるで「その言葉を待っていた」と言わんばかりに思え、全てが手のひらの上で転がされているような底知れない不気味ぶきみさを感じた。

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