[20]招かれざる客

 バラギア・ベギンハイト。領主の息子にして若くして英傑えいけつうたわれる強者。すなわちスティアの兄にしてガルフの弟だ。


 ガルフは臆している様子は見せないが、先ほどまでの貴族らしい言い回しを捨てて投げかけるのは余裕の無さがうかがわせる。


「テメェに用はねぇよ。それよか司祭補佐さんよぉ、てめぇ何様のつもりだ?」


 バラギアは手にしていた書類をシルグへチラつかせ近づいてくる。


「そちらで捕らえている人物の引き渡しについてですが、何か不備ふびがございましたか?」


 バラギアのすごみにおくすることなくシルグ司祭補佐は答える。しかしその表情や言葉に余裕はない。薄らと冷や汗をかいているのが至誠の席からも見えた。


「なら返答はこうだ」


 バラギアは持っていた書類を発火させ、灰へと変える。


 おそらく魔法の類いだろう――と至誠は感じる。火元にはマッチやライターのような道具はなく、またバラギアの指先が火に触れていても火傷ひとつ負っていない様子だったからだ。


 その間にバラギアはシルグに顔を近づけ暴言を口にする。


「いかに女がケツを振るしかのうがない生き物で、例えお前が司祭に気に入られていようともだ。あまり調子に乗るなよ。さらってなぶってすりつぶすぞ」


 威圧いあつするバラギアに、シルグは冷淡れいたん不快ふかいな表情をあらわにする。


 だが次に口を開いたのはガルフの方だった。


「バラギア、口を閉じろ。これ以上ベギンハイト家の名を汚すことは許されない」


 その言葉で矛先はシルグからガルフへと変わる。


「ああそうかい。それは悪かったな。まったく才能に恵まれなかったごくつぶしの愚兄よ。テメェこそタマ無しのくせによく生きてられるな。俺だったら恥ずかしくて耐えられないね。親父おやじともどもさっさと死んで俺に家督かとくゆずることが一族のためになるぞ」


 空気は一触即発いつしよくそくはつ。これまで存在していた交渉における張り詰めた空気とは全く違う緊張感が場を支配する。


『――至誠、どもえにできる?』


 しばらく考え込んでいたミグが問いかけてくるので、理由は聞かずに「やってみます」と内心で肯定する。


「どうやら、交渉の継続は難しいようですね」


 至誠の不意打ちに、シルグの表情に露骨な動揺どうようが走った。


「……待っていただきたい」


 どうやらバラギアと対峙たいじしていることで余裕がなくなっている様子で、口調の中に弱々しさがわずかに混じっている。


「教会との交渉を選んだのは、あなた方がそれだけの影響力を持っていると考えていたためですが、どうやら見込み違いだったようで」


 至誠は視線を人の皮を被ったけものへ――バラギアへと向ける。


 それに気が付いたバラギアが「あ?」と不快に言葉をらす。だがすぐに察したバラギアは、ケラケラと笑いながら近づいてくる。


「ああ、お前あれか。あのメスガキの男か」


 あざけるように見下しながら、バラギアは勝ち誇ったように語る。


「残念だったな。アレはもうお前の物じゃない」


「それが何か?」


 至誠はそれに笑顔で対応する。挑発に乗ってげきこうすれば、いや、少しでも不快感をあらわにするだけでもバラギアのおもつぼのような気がしたからだ。


献身的けんしんてきなことだな。だがアレはお前のことを売ったぞ。自分だけ助かろうとな」


「そうですか」


「お前はもう捨てられたんだよ。けど安心しろ。俺が存分に可愛がってやる。テメェのことなんかすぐに忘れてすぐに自分から腰を振るようになるさ」


「まぁ、口では何とでも言えますよね」


「そうだよな、そう思ってないとつらくて現実を直視できませんってか。かわいそうになァ。壊れたら下賜かししてやるよ。それまではせいぜい部屋の隅で小さくなってることだな。――今ここで死にたくなければなァッ!!」


「あまり強い言葉を使ってると、弱く見えますよ」


 漫画で読んだことのある悪役の台詞を参考にし煽ると、バラギアは近くにあった長机を蹴り飛ばす。先ほどまで至誠とシルグ達が対峙していた机だ。それが異質な速度で吹き飛び、壁に激突、バラバラに砕け散り、一部は壁に食い込んでいる。例えるならば、ゲーム内の物理演算が暴走してオブジェクトが吹き飛んだ時のようだ。少なくとも至誠の知る限り、人間に出せる威力ではない。それどころか蹴り飛ばす瞬間、バラギアの足は残像すら見えなかった。 


 間髪を入れず、バラギアは大股で距離を詰めながら至誠を威圧いあつする。


 それはおそらく言動だけではないだろう。魔法や鬼道を感じ取れる者であれば、おそらくその気配だけで尻込みしてしまう何かしらを向けられているようだ。


 少なくとも、周囲にいる騎士の何人かは血の気が引いた表情をしながらジリジリと後ずさりをしており、一部の若い騎士に至っては泡を吹き気絶した者もいる。


 いや、原因はミグにもあるかもしれない。ミグは既に臨戦態勢を整えているはずだ。まだ直接攻撃をしていないだけで、既に牽制するような気配を出していてもおかしくはないだろう。


 だが至誠はその気配をまるで感じ取ることができない。


 ――だから不思議と恐怖心を感じないのだろうか?


 それは、最悪ミグが何とかしてくれるだろうという他力本願たりきほんがんと、一見しただけの恐ろしさなら怨人の比ではない――という昨晩の経験も影響しているかもしれない。


 それに、これも交渉の延長に過ぎない。ならば今の至誠にできることは、バラギアの脅しに屈しないこと、萎縮しないこと、たじろがないこと、ビビらないことだ。


 すなわち、ただ悠然と構えていればいい。


 そんな光景を、端から見れば至誠が英傑級の戦力を有している証左しょうさのように見えた者は少なくなかった。


 そんな誤解が広まる中、バラギアが一歩、さらにもう一歩――と至誠に近づいてくることで、緊迫した空気が最高潮さいこうちょうに張り詰める。


 ミグは至誠の体を動かし、ゆっくりと椅子から立ち上がる。体勢は自然体のままだが、戦闘になった際は体はいつでも動かせる状態だ。


 無論、至誠の体で戦う必要はない。ミグはスティアの体を一歩動かし、至誠とバラギアとの間に割り込ませる。


 だが、それとほぼ同時に割り込んできた別の騎士が別にいた。


「どけ。テメェからぶち殺すぞ」


 バラギアが警告を向けたのは至誠ではなくスティアでもなく、騎士団長のベージェスだった。


捕虜ほりょを引き渡してもらおう。即時そくじだ」


 ベージェスは至誠とスティアに背を向け、バラギアと対峙する。どちらにくみするかを明確に態度で示した形だ。


 ミグの注文通りの三つ巴にはなからなかった。だが三つ巴にする理由は明快だ。英傑二人対ミグ一人の構図を避けたかった。ならば、ベージェスが一時的にでもミグ側にくみしたことは三つ巴よりも状況は好転したと言える。


 ――けれど、バラギアの強さがアーティファクトによる邪道の強さだとすれば楽観視はできないってことだよね。


 鬼畜きちく難易度なんいどなレトロゲームのように、初見しょけんごろしのような攻撃があるかもしれない。


 至誠がそう理解している間に、バラギアはベージェスをあおる。


「テメェもあの女を抱きてぇのか? テメェにゃ下賜かししてやらねぇよ。またその辺のらしでもひろってろよ」


 だがベージェスはそれ以上挑発ちようはつに乗ることも、ましては口を開くこともなかった。 緊迫きんぱくの沈黙が訪れる。


 目の前では時代劇や西部劇などでよくある、先に動いた方が負ける――そんな、力をきわめた者同士の戦いが繰り広げられている。


 こうなってしまっては、弱者はおいそれと割って入れない。


 権力でも話術でもない。

 単純な力が、武力が、強さがものをいう。


 そんな状況だ。


 にもかかわらず誰も逃げ出したりはしない。


 至誠はその状況を冷静に観察する。実際に気を張っているのはミグだからこそ、悠長ゆうちように思考を巡らせることができている。


 バラギアの部下は、自分たちが負けるなんて微塵みじんも考えていない顔をして「っちまえ!」とあおり散らかす者と、臨戦態勢りんせんたいせいを整えバラギアと一緒になって暴れる気満々の者で二分している。


 騎士たちはその職務しよくむにおいて、命をけることをいとわない。一部の気圧されている若い騎士を除いて、皆そのような表情をしている。


 当然、ミグも本気で動くだろう。


 事態は一触即発いつしよくそくはつ


 至誠にすら、周囲の時間の流れが遅くなっている気がした。


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