王立歌劇場へ

「リリ? 本当に良いのか?」


 リリは人を治療する魔法は苦手だろう? という言葉は依頼者の手前なんとか飲み込んだようだが、これまでずっと落ち着いた様子で二人を見守っていたアルフォンスの豹変に、シェリルは不安そうな顔をした。


「どうかされたのですか? もしかして治療の魔法に何か?」

「いえ、ただ私、ちょっとだけその類の魔法は苦手でして……」


 シェリルを安心させようと、努めて穏やかな笑みを作ったリリはアルフォンスにも大丈夫! と言うように目で訴えかけた。


「けど、今回使うのは治療の魔法ではないので問題ありません。あめいろの魔法、道具の力を一時的に強くする魔法ですわ」

「道具の? ですか」

「ええ、今回でしたらお母様の眼鏡ですね。なかなか便利な魔法で、やろうと思えばここからアッシェルトン城に咲く花の種類まで見分けがつくようになりますわ」

「えぇっ! そんなことして良いんですか?」

「ここまでしたら約束を破ってしまいますから駄目ですけど……歌劇場の最後列から、舞台に立つシェリルさんの表情がくっきり分かるくらいにすることは可能ですわ」

「そんな! 素敵です、きっと母は大喜びしますわ」


 リリアンナの提案する魔法にシェリルは思わず立ち上がり、手を合わせて喜んだ。


「ふふふ、素敵な魔法でしょう? ただそんなに長く効果が続くわけじゃないので、開演の直前にお母様に魔法屋に来ていただけるとありがたいのですがーー勿論ここから歌劇場へは私が責任を持ってお送りしますわ」

「ありがとうございます。でしたら母にそう伝えますわ。魔法屋なんてそれこそ父と結婚した時以来でしょうし、喜ぶはずです。あ、それともし母を送ってきてくださるのでしたら、リリアンナさんとアルフォンスさんも舞台を見にいらっしゃいませんか?」


 喜びの表情そのままに続けられたシェリルの提案にリリアンナとアルフォンスは顔を見合わせた。


「先輩がせっかくなら友人も誘うと良い、と余分に席を押さえてくれているのです。ただ私、劇団の外にはあまり友人がいなくって。なのでもし良ければ後ろの方の席ですがお二人をご招待しますわ」

「そうだったのですね。でしたら……是非お伺いします! 私も一度観て観たかった舞台ですし。ただチケット代はお支払いしますよ」

「えぇ、ありがたいお誘いですが、流石にチケットを頂くわけにはいきませんから」

「そ、そうですか……。お礼だと思って受け取ってくださっても良いんですが」


 そう言うシェリルだが、チケット代は払う、と頑なな二人に最後は折れ、二人はシェリルの母と共に、『騎士グラシアル』を観にいくことになったのだった。






「あめいろの魔法を!」


あまり広くはない魔法屋に、よく通る声と淡い橙色の光が広がる。やがてそれは、やや緊張した面持ちの老婦人に吸い込まれていく。


その光がかき消えたところで、リリアンナは老婦人へ声をかけた。


「いかがでしょうか? サンデル婦人。あまり強い魔法にはしていませんが違和感などはありませんか?」


パット見はわからないが、サンデル婦人ーーシェリルの母親だーーがしている随分古そうなメガネにはリリアンナの魔法がかけられている。これまでメガネをかけてもややぼんやりとしていた世界がくっきりと開け、老婦人は感激の声を上げた。


「いえ! 問題ありませんわ。こんなにしっかり目の前が見えるのなんて久しぶりで、驚きです」

「でしたら良かったですわ。もし何かありましたらすぐに仰ってくださいね。では、早速ですが向かいましょうか」

「えぇ、そうしましょう」


足腰も少し弱ってきているらしいシェリルの母にリリアンナが手を貸していると、ちょうど外へ辻馬車を拾いにいっていたアルフォンスも戻ってきた。


彼に軽く手を振り、それから老婦人と共にリリアンナは店をでるのだった。






 アッシェルトン駅の西、博物館や美術館も立ち並ぶ一角に王立歌劇場はある。


 大理石を惜しげもなく使った堂々たる構えが特徴の建物だが、しかしその前の広場は常に様々な階級の人々でごった返していて、少し騒々しい。


 服も言葉も雰囲気も違う人々が行き交うその様子は、アッシェルトンでも少し他とは異なる非日常を醸し出していた。


「さあ、サンデル婦人。お足元に気を付けて」

「ありがとう、御者さん! またどこかで」


 王立歌劇場前の広場から少しだけ離れた辻馬車用の馬車寄せで、アルフォンスはシェリルの母が馬車から降りるのに手を貸し、リリアンナは御者へ代金を支払う。


 二人だけなら乗合馬車でも良いのだが、高齢のシェリルの母がいる、ということでリリアンナは辻馬車を頼んであった。


 すぐに新しい客を乗せて、カラカラという調子の良い音を響かせながら辻馬車が去っていくのを目で追いつつ、シェリルの母メルサは感極まったような声を出した。


「いやぁ! 本当に素敵なものだね、魔法というのは。こんなにくっきりと街の景色が見えたのはずっと若い頃以来だよ。ありがとうねぇ、リリアンナさん」

「光栄ですわ。でもお礼は是非依頼してくださった娘さんに。それにこれからが本番ですわよ」

「えぇ、少し早いですが、入口は混雑しますから。早めに歌劇場に入りましょう」





 アルフォンスの言葉にメルサとリリアンナも頷き、3人は声が溢れる広場を歩いていく。


 さすがは今街中の話題になっている歌劇とだけあって劇場は満員御礼だ。


 シェリルの先輩が用意してくれた、という席は確かに後ろの方ではあったが、真ん中近くに位置していて舞台自体は見やすい。庶民でも手が届く席としてはかなり良い席を用意してもらったようだった。


「サンデル婦人? 舞台はきちんと見えますか?」

「えぇ、とってもよく見えるわ。ボックス席にいらっしゃる貴族の方まで見えるなんて驚きね」

「良かった……安心しましたわ」

「サンデル婦人、リリも。そろそろですよ」


 アルフォンスの言葉にリリアンナが前を向くと、指揮者が歩いてきて、客席に向けてお辞儀をし、そして貴賓席やボックス席にいる数人に向けて深く腰を折ると、くるりと楽団の方へ体を向ける。


 美しいヴァイオリンの響きが舞台の始まりの合図だった。


『騎士グラシアル』のあらすじはこうだ。


 ブリーズベル王国がまだその名前ではなかった頃。しかしその頃からここに国はあり、そしてある日その豊かな土地を欲して西の民族が責めてきた。


 太刀をふるい、騎士達を次から次へとなぎ倒す彼ら。そんな彼らに孤軍奮闘したのが伝説の騎士グラシアル卿だ。


 事実とも、そうではない、とも言われているブリーズベルでは良く知られた伝説をベースに物語は進む。


 リリアンナにとっても、子どもの頃によく読んだ物語がもとになっていることもあり、あっという間に彼女は舞台の世界へと引き込まれた。


 そして一幕の後半。侵入者を追い払うため出陣することを決めたグラシアル卿、しかし人伝に聞く彼らの強さに絶望するグラシアルの幼馴染ーー後の妻となる人だーーを彼女の友人がグラシアルは強いから、と慰めるシーン。そう、シェリルの出番がやってきた。


 シェリル演じる友人、アンナに詰め寄るグラシアルの幼馴染をそっと制すると、ヴァイオリンの美しく優しげなイントロが響く。そしてシェリルは大きく息を吸って歌い始めた。


 シェリルが歌うのは十数年来の友人を元気づける歌。だってグラシアルはこんなに強いんだもの! と時にコミカルに、時に優しく歌うシェリルは表情豊かでとても生き生きとしている。


 その姿はまさにお芝居が、歌うことが好きなんだ、ということがありありと伝わってくるようだった。


 そしてアリアが終わる。すると会場からは大きな拍手が湧き上がり、膝を折ってお辞儀をするシェリルに降り注ぐ。


 リリアンナも拍手を送りつつ、ふと隣の席の方へ視線を動かす。するとメリルは泣き笑いの表情で晴れ舞台に立つ娘へ万感の拍手を送っていた。






「素敵なお芝居でしたね。シェリルさんも素晴らしかったですわ」

「えぇ、本当に! 彼女はこれからも飛躍しそうですね」

「まあっ、アルフォンスさんたらお世辞がお上手ね」


 舞台がはけた後。リリアンナ達は余韻に浸るようにゆっくりと歌劇場から出てきた。カーテンコールが終わって程なくして魔法の効果は切れたようで、メリルは少しだけ寂しげな表情をしている。しかしシェリルを褒め称える二人の言葉には笑みを零した。


「リリアンナさん、それにアルフォンスさんも。今日は本当にありがとうございました。あなた方のおかげで、私は娘の晴れ舞台をくっきりと目に焼き付ける事ができましたわ」

「喜んでいただけて、嬉しいですわ」

「私もお役に立てて幸いです」


 改めて二人に礼を言うメリルにリリアンナとアルフォンスは少しだけ照れくさそうにする。


 辻馬車を捕まえようとゆっくりと広場を歩く3人。そこではちょうど歌劇の一部を演じる大道芸人がシェリルが歌ったアリアを歌っている。


 そこに集まる人だかりに3人は思わず笑みを零したのだった。

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