仕立て屋さんでの作戦
「どうしようかしら? 流石に迷惑? でも……やっぱり」
陽も暮れた後の魔法屋。小さな電球が一つだけ灯る薄暗い店内で、リリアンナは一冊の本とにらめっこをしている。
彼女がこの本を店から持ち出した時には、まだ曇り空とは言え、外は明るかった。それから日没を挟んで小一時間彼女はある魔法を使うか悩み続けていた。
「自分で請け負うって決めたのだから、自分でどうにかすべき。それは分かっているわ! 分かっているの」
彼女しかいない店内には、彼女の独り言がこだましていた。
彼女が見つめるのは、任意の相手に伝言を届けることが出来る、という魔法の頁。
魔法の私的利用自体よくないこと、とされているのでその面でも罪悪感がないわけではないが、それ以上に彼女が迷っているのは、彼女が伝言を送ろうとしている相手とその内容だった。
彼女が父と仲違いし、街にやってきて以来、いつも傍で見守ってくれている幼馴染アルフォンス。もちろん彼女が魔法を使う場所に同席することも多いが、実は彼女が自分から同席を求めたことは一度もない。
しかし、今回、彼女は初めてアルフォンスに側にいて欲しい、と願いたい気持ちとなっていた。
人の心を治療する魔法、というものは存在するにはするが、それは数ある魔法の中でもかなり難しい部類に入る。
その上、治療の魔法自体、リリアンナが相当な苦手意識を持っている魔法だ。本来彼女の母が得意としていたはずの魔法を苦手とする理由に、彼女の母の悲しい最期が関係していることは言うまでもない。
魔法使いというのは最終的には孤独なものだ。
それは分かっていても、どこかで彼女を支え、守ってくれる存在に甘えたくなるほど、傷は彼女にとって深いものだった。
「魔法屋として、随分成長したと思ったのに……」
彼女がそう呟きつつ、それでも忍び寄る不安には勝てず、目を閉じた。
と、その時トントントン、とドアが叩かれた。
「リリ? どうしたんだ、こんなくらい部屋でーーってまたどうでも良いことに魔法を使おうとしているな」
「アル! ねえ、お願いがあるの」
リリアンナが開いたドアの先で呆れたような表情を浮かべていたのはまさに今、助けを求めていた幼馴染。
その声にパッと目を開き、彼と視線を合わせたリリアンナは、いてもたってもいられない気持ちで彼の胸に飛び込んだ。
「しょうびいろの魔法屋の店主、リリアンナです。突然押しかけてしまい申し訳ございません」
「普段はウェルスリー商会で外交員をしています、アルフォンスです」
「いえいえ、こちらこそお忙しい中ありがとうございます。さあ、早速ですがこちらへどうぞ」
翌日の夕暮れ時、リリアンナはアルフォンスと共に、貴族街の一角に店を構えるコールマン仕立て店を訪れていた。
昨日の夕方、のっぴきならない様子でアルフォンスの抱きついたリリアンナの背中を、彼女が落ち着くまでゆっくりと撫でてくれていたアルフォンス。
彼は、その後リリアンナが少し言いにくそうに伝えた『お願い』を
「そのぐらいお安い御用さ」
と迷うことなく引き受けてくれた。貿易会社での仕事を終えてその足でリリアンナのもとへ来てくれたアルフォンスに
はやや申し訳なさもあるが、今日のリリアンナにとって、これほど心強いこともない。
ちなみにパーシーには今朝のうちに同行者について連絡してある。部外者と言えばそれまでなアルフォンスだが、相手が怪しい魔法を使うかもしれない、ということもあるだろう。
「護衛のようなもですね。もちろん構いませんよ」
と快諾してくれていた。
アン、と名乗ったリリアンナと同じくらいの歳の女性が、この仕立て屋の店主らしい。彼女の通された奥の部屋で、リリアンナ達4人は向かい合った。
「ノーテリアお嬢様はもうすぐいらっしゃる予定です。私は一度向こうの応接室で方とお話した後、お嬢様と採寸室へ向かいます。その間殿方は応接室でお待ちいただきますので、怪しい動きをしないかご覧いただければ、と思います」
さすがは貴族街に構える店だけあって、服装はシンプルな白ブラウスに濃紺のベスト、という仕立て屋にはよくあるものだが、生地はよいものだし、言葉も仕草も上流の人々と接し慣れていることがわかるものだった。
そんな彼女がスッと示す方を見ると、応接室との間の壁には小さな窓が空いている。どうやらそれは磨りガラスになっているようで、こっそりと魔法使いらしき男を見張るには最適だった。
「もし怪しい魔法を使っているようなら、その場で止めに入っても?」
「えぇ、もちろんです。私の仕立て屋で、お客様を操るなんて、許せませんし……ただ、くれぐれも皆さん、お気を付けて」
実際のところ、アルフォンスについて言えばそうでもないのだが、見た目には荒事の経験がなさそうな面々に対し、心配そうに言うアンの言葉に、リリアンナとアルフォンスは神妙に頷くのだった。
そんなことを話していると、店の前で馬車が止まった音がする。やや急いでアンが出ていって少しすると、磨りガラスの向こうに社交界デビューしたてくらいの若い女性と、父親程の年齢の紳士が侍女や従僕と共に、入ってくる。
一気に応接室の中は人で埋まったようで、リリアンナはその様子をよく見よう、と目を凝らした。
「……確かにあのお嬢様、どこかフワフワとしたご様子ね。体調が悪い、という風には見えないのだけど」
「どちらかと言えば、心ここにあらず、というような」
「でしょう? ここ最近ずっとあの調子だと、彼女の侍女に聞きました」
応接室にこちらの声はそうそう聞こえない、とは言われていたものの、思わず3人の声は小声にになる。
そうこうする内に、早速エラとアンは採寸室の方へ入っていく。ここからが本番だ、とリリアンナは更にガラスの向こうに注目した。
人数が少なくなったことでよく見えるようになった男の姿は、ブリーズベルではよくいる上流の紳士だ。
フロックコートの仕立ても良いし、お茶を飲む様子も慣れている。従僕に世話をされて当然、という振る舞いも上流らしきものだった。
と、そこで紳士が何やら取り出す。従僕達は気にもとめていないようだが、リリアンナ達は思わず息を詰めた。
「……リリ? あれは魔法書か?」
「わからないわアル。流石に遠すぎて見えないわね」
一見すると、ただの手帳のようにも見える。開いた手帳をじっくりと見ていた紳士だが、次の瞬間、一言二言何かを呟き、そして手帳が いろに怪しく光りだした。
「にびいろの魔法だわ! 酷いっ」
「行くぞ、リリ」
「ええ、アル」
リリアンナは応接室とを隔てるドアを開ける。いつだって味方でいてくれる存在を側に感じれば、リリアンナにとって怖いものなどなかった。
「待ちなさい! あなた、なんて魔法を使っているの?」
「おや。これはこれは……謀られましたかな。こちらの仕立て屋は信頼していたのですが……まあ良いでしょう。それであなたは何者です?」
「私はしょうびいろの魔法屋の店主リリアンナだわ」
「しょうびいろ……ハートウェル侯爵令嬢ですか。これはこれはまた……で、あなたはどうしてこちらへ? 私がどのような魔法を使おうと関係ないでしょう?」
いかにも不愉快そうに顔をしかめ、手帳をパタリと閉じた。
「関係なくないわ。私はある方の依頼でここへ来ているの。だいたい人の心を操る魔法なんて……あなたどうなっても知らないわよ!」
いろの魔法は3つの約束の2つ目「人の心を変えぬこと」にバッチリ当てはまるものだ。リリアンナからすればそんな危険な魔法を躊躇なく使うなんて信じられない。
しかし紳士はその言葉を聞くと、意地悪く口角を上げ、それからリリアンナの方へ一歩近づく。アルフォンスがさっと前に出て、紳士を遮るが、彼は気にする風もなく笑い声を上げた。
「ハッハッハ。ハートウェル嬢がそれを言うかね。名誉のためなら自分の命すら賭ける。そういう魔法使いがこの世にいることはあなたもよくご存知なはずだ」
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