いざ、伯爵邸へ
「分かったわ、じゃあウィルの居場所を見つけた後のことも考えないと行けないけど……とりあえずどこにいるか探しましょうか。もしかしたら東端地区意外にもよくいる場所があるかもしれないしね」
そういいながらリリアンナはテーブルの上の地図から一枚を取り出し、机に広げる。それは街の東側を描いたものだった。
「じゃあ、始めるわよ……こはくいろの魔法を!」
そう言うと、本からはどこか神秘的な深いオレンジ色の光が溢れ店内を満たしていく。眩しさに目を閉じていたソフィアが目を開くと地図には明かりが灯るようにいくつものオレンジの点が光っている。
店内がやや薄暗いこともあって、ぼんやりと暖かい光が地図の上に光る様はまるでガス灯に照らされた夕暮れの街のようだった。
「まあ……綺麗! これはどういう意味を示しているの?」
そういって地図を覗き込むソフィアにリリアンナは難しそうな顔をした。
「ええっとね……この魔法は対象がとくに長くいる場所を光で示すのだけど……本当はもっと一箇所が強く光るのよね……」
「ってことはあれか? そのウィルってことは決まった居場所がなくてあちこち移動して回っていると……」
「そういうことになるわね……光の強さである程度今いる場所は判断できるけど……あらまた移動しちゃった」
光っては消えてを繰り返す地図にリリアンナとアルフォンスは顔を見合わせた。
「いっそ……もっと近くで魔法を使って、その場で会いに行けば会えるでしょうけど……」
「東端地区で人探しなど私は反対です」
リリアンナの言葉にこれまで全く動かなかった侍女が初めて口を開いた。
「……よね」
「まあ……そうだな」
ソフィアはがっかりとした顔をするが、侍女の言い分は最もだ。行き先が明確でも危険な場所なのに、そこで人探しなど危険過ぎる。
どうしたものか、と店内には思い沈黙が落ちた。
店の中に漂う重い空気。それを振り払うように声を上げたのはリリアンナだった。
「やっぱりソフィアさん。この話はご両親ときちんとお話しすべきだとおもいますわ」
「え、でも、お父様もお母様もウィルには会っちゃ駄目って」
リリアンナの言葉にソフィアはそう返す。
「まあ……先程のお話しを聞けば、ご両親の言葉も分からなくはないですわ。ですが……ソフィアさんはそのウィル君にきちんとお礼をして、困っていたら助けたいのでしょう? 私は彼を見つけるお手伝いは出来ますが、それ以上はやはりどうしたってお家の力が必要ですわ」
「そうだな……俺もリリに賛成だ。どちらにしてもあの地区で人探しするなら護衛を借りなければどうにもならないだろう」
アルフォンスにもそう言われリリアンナは瞳を泳がした。
「……でも」
「よろしければ、私もご一緒しますわ。味方は多いほうが良いでしょう? アルも……来てくれますよね? 暇なんでしょう?」
「一応仕事があるんだけどな。 まあ、リリの願いとあらばご一緒するよ」
「ね、3人で話せば分かってもらえるかも知れないわ。ソフィアさん」
「わ、分かりましたわ。じゃあ……お願い出来ますでしょうか?」
「ええ、もちろん! これも依頼の一部ですわ」
「ありがとうございます! じゃあ、馬車を回してもらいますね」
そう言ってソフィアは小走りに侍女の方へ向かう。それを横目にアルフォンスはリリアンナに耳打ちした。
「良いのか? リリ? あんなこと言って。ソフィアのご両親はリリの苦手なタイプだろ?」
「さっきも言ったでしょ? これも依頼のうちだって。それに彼女の話を聴く限り、けっこう常識のある方な気がするわ」
リリアンナは決して貴族だから全員を嫌っているわけではない。それでは自分の両親と変わらない。ソフィアを見失った護衛達への対応を聞くに、実は話せば分かる人なのでは? という密かな希望を彼女は抱いていた。
そんな話をしていると狭い店の前に、ゆっくりと馬車が止まる音がする。
「お嬢様。馬車の準備ができました」
そうソフィアに侍女が声を掛け、3人は店の外へと向かったのだった。
ラベンダー通りをゆっくりと抜け、大通りへ、そこから城の方へ向かって十数分程馬車は走る。だんだん外の喧騒が小さくなってきた、とリリアンナが感じたところで馬車が軽く揺れて止まった。
「着きましたわ。さあ、行きましょう」
ガードナー家のタウンハウスはこの街には多いレンガ造りの3階建て。貴族の館、と聞いて想像するほどの大きさではないが、ここはあくまでも街での生活拠点であり、郊外にはもっと大きな屋敷を構えている。
なんの約束もなく訪問してしまったことに今更ながら気付いたリリアンナだが、彼女にしてもアルフォンスにしてもアッシェルトンでは誰もが知る名家の子供だからだろう。玄関でソフィアを迎え入れた初老の執事も二人のことは知っていたらしく、表情を変えることない。ソフィアが一言二言何か告げると、当然のように屋敷の奥へと彼らを導いた。
「お父様、ソフィアですわ。ただいま戻りました。すこしお話ししたいのですが、よろしいでしょうか?」
この時間、ソフィアの父は書斎にいるらしい。侍女がドアをノックするのに続けてソフィアは声をかける。するとドアのむこうから「入りなさい」という低い声が聞こえた。
名家の娘とはいえ、今は街ぐらしで貴族の屋敷を訪問する回数もめっきり減っているリリアンナ。少し緊張しつつ、隣に視線を移すと、アルフォンスは何でもないような顔をしている。
普段から目上の人と顔を合わすことも多い仕事をしているからこの程度では緊張の何もないのかも知れないが、リリアンナはそんな幼なじみをやや恨めしく思いつつ、前を向いた。
ソフィアに続き書斎に入ると、50歳ほどの男性と目が合う。流石に歳を感じさせつつあるが、その姿には貴族らしい威厳があり、また若い頃はさぞハンサムだったのでは、と思わせる顔立ちだった。
「突然おしかけまして申し訳ございません。しょうびいろの魔法屋の店主、リリアンナ・ハートウェルにございます」
「お久しぶりにございます。アルフォンス・ノーレフォードにございます」
「これはこれは、ハートウェルのお嬢様にノーレフォードのご子息。こちらこそ娘がご迷惑をおかけしたようで……。ガードナー伯爵、ドナルドだ。どうぞよろしく」
椅子から立って、そう自己紹介した伯爵はリリアンナの手を取って軽く口付け、アルフォンスとは握手を交わした。
二人には社交的な笑みを浮かべていたドナルドだが、挨拶が一通り終わったタイミングで近づいてきたソフィアには厳しい視線を向けた。
「それでソフィア……魔法屋まで巻き込んで……あぁ言わなくても分かるぞ、この前の少年のことだろう?」
「ウィルよ! ウィル。ねぇお願い、お父様。彼を探しに行かせて。近くまで行けばきっとどこにいるかは分かるはずなの」
「駄目だ! 大体その少年だって大方スリか何かで生計を立てているんだろう。お前が関わるべき相手ではない」
「そんな……、それは会ってみないとわからないわ!」
「東端地区だぞ! お前がどれだけ危険な目にあったかまだ理解していないのか!」
「それは……」
痛いところを突く言葉にソフィアは次の言葉を続けられない。そんな彼女を追い立てるように伯爵は一層声音を低くした。
「大体……会ってどうするつもりだ。礼をするのか? それで彼がどうなる? 誠意を尽くした礼など彼らにとっては腹の足しにもならんだろ」
「それはそうだけど……でも……もしかしたら私のせいで裏切り者扱いされて困っているかも知れないし……だったら何か助けてあげなくちゃ」
「それが甘いと言っているんだ!」
ソフィアの言葉に伯爵の鋭い言葉が覆いかぶさり、リリアンナは部屋に稲妻が走ったような感覚を覚えた。
「ドナルドの言う通りよ、ソフィア」
「お母様!」
一瞬沈黙が広がった部屋に次に響いたのは柔らかい声音。しかしその主の評定は伯爵と同じくらい厳しかった。
「ウィル、という少年が困っていたとしたらそれはあなたの浅慮が原因よ。でもだからといってどうやって助けるつもりなの? お金を渡す? それとも食べ物を渡す? どちらにしたってその場しのぎね」
「で、でもちょっとでも助けになれば……」
「でもその施しはすぐ他の子に奪われてしまうかも知れないわよ。大体困っている子はウィルだけじゃないわ。あの世界厳しさはあなたもその目で見たでしょう?」
「う……それは」
ソフィアがそこにいたのはほんの短い時間。だがその間にも幼い子供たちからスリの戦利品を巻き上げる子もいれば、何かヘマをしでかしたのか、仲間であろう子を力いっぱいに殴る子もいた。かと思えば、煙突掃除らしき少年たちは痩せ細った体で懸命に元締めらしき大人について歩いている。
彼女の目に焼き付いた、決して綺麗事ではない世界を思い出し、ソフィアはまた口を開けなくなる。
と、そこで声をあげたのはリリアンナだった。
「家庭の事情に口を挟み申し訳ございません。ですが少し発言をよろしいでしょうか」
「どうかしたかね? 魔法屋さん、分かっているなら口を挟んでほしくないのだが」
鋭い視線と冷たい声を浴び、思わず無意識に一歩下がりつつ、リリアンナはそれでも伯爵夫妻の方へ視線を向けた。
「私は魔法屋です。若いなりに様々な依頼を頂き、魔法、という制約のある方法で解決してきました」
魔法とは万能ではない。魔法屋は約束に縛られ、自分の知るいろの中でしか、期待に答えられない。
「世の中にはどうすることも出来ないことがある、ということにも触れてきました。……ですが、一人を助けることで変わることもある、と思うのです。少なくとも私はそう考えて、依頼を受けています」
その言葉に少し勇気をもらったのか、下を向いていたソフィアの目もまた、もう一度両親を見上げた。
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