それはつまり痴話喧嘩
しょうびいろ、の件については本当にふと気になっただけらしい。ブルーベルはリリアンナの答えに疑問をも持つ様子もなく、すんなりと飲み込んだ。
そしてあれこれと話しつつ、リリアンナの淹れたお茶を飲み干すと
「ありがとう、リリ。そろそろ帰らないとね」
と言って席を立った。そんな彼女にリリアンナも
「今度は喧嘩しちゃ駄目よ」
と笑いつつ、席を立ち、ブルーベルを送っていこうとする。が、そこでまたしても来客を知らせるベルが鳴り、と同時にバタン! ドアが大きく開かれた。
「リリアンナさん! ブルーベルがこちらへ来てはーーブルーベル!」
「ダニエル! どうしてここへ?」
ノックもせずに慌ててドアを開けたのはブルーベルの婚約者ダニエル。いつも柔らかな笑みを浮かべている印象の彼も流石に焦りか表情がこわばっていた。
「ブルーベルこそどうして急に出ていったりしたんだい? それにあちこち探しても見つからないし。もしかして、と思ってここへ来てみたんだ」
「え……とそれは……」
さっきのいろの魔法を願った時の勢いはどこへやら。本人を目の前にして一歩後ろずさるブルーベルにリリアンナはすかさず駆け寄り
「頑張るんでしょ?」
と耳打ちし、微笑む。その表情に勇気づけられたかのようにブルーベルはキッと顔を上げ、ダニエルを睨みつけた。
「私、やっぱりダニエルと別れたくないわ。嫌なところがあるならはっきり言って、でも結婚を考え直すなんて言わないでほしいわ!」
そうはっきりと言うブルーベル。一方突然のブルーベルの言葉にダニエルは呆然としたように、口を開き、かと思うと急に我に返ったようにブルーベルへ詰め寄った。
「何を言ってるんだい? ブルーベル。当たり前じゃないか。僕たちは将来を誓いあった仲だろう。結婚の取りやめなんて頼まれたってしないよ」
その言葉に今度はブルーベルが頬を染めつつも唖然とし、固まった。
「ちょっとちょっと二人共? やっぱり何か誤解があるんじゃない。ねぇ、ダニエルさん? ブルーベルはあなたに結婚を考え直そう、と言われたって駆け込んできたのだけど心当たりはある?」
互いに相手の言葉に混乱している状況を何とかしようと口をはさむリリアンナ。
彼女の言葉にダニエルは大げさに首を振った。
「まさか! そんなこと言う訳ないだろう?」
「でも言ったじゃない、さっき。結婚は少し考え直した方が良いって」
リリアンナの言葉を否定するダニエルに、彼の言葉をかき消すようなブルーベルの涙まじりの声。
と、そこで「待って」とダニエルが目を見開いく。そして「分かった、誤解だ、本当に誤解なんだ」と慌てたように言った。
「僕が言ったのは結婚式を考え直すだ。結婚そのものじゃないーーいや、紛らわしいとは思うけど」
「どういうことよ!? 結局言ってることは一緒でしょ」
「違う! 考え直したほうが良いのは結婚式の日取りだ!」
ダニエルが総叫び、そこでブルーベルの動きがピタリと止まる。そこでさらにダニエルがまくし立てた。
「ほら、今年は王子殿下がアッシェルトンで社交デビューするだろう? おかげで上流の家は普段以上に準備に気合が入ってて僕たちの世界でもドレスの注文が山程入っているよね」
「え、えぇ、そうね……お陰様で」
「それでこの前店に来たお針子さんが言ってたんだ。忙し過ぎて自分の服の繕いとかは後回しになってしまうって。それで思ったんだ。もしかしてブルーベルもウエディングドレスを縫う時間がないんじゃないかってね」
「はい!? それで……急に結婚式の日取りを考え直そうって言い出したの?」
「そ、そうなんだ。ほら結婚式は女性の憧れだろう? 特にブルーベルは仕立て屋さんだしドレスにはこだわりたいんじゃないかと」
その言葉を聞いて、ブルーベルは一旦脱力する。それから我に返ったようにプルプルと震えだした。
「つまり……私の勘違いね。でも、でもじゃあなんでドレスを縫う時間があるかって聞いてくれないのよ? そしたらこんな騒ぎにならなかったのに」
「だってブルーベルってば説明する前に逃げ出しちゃったでしょう? 僕は騒ぎを聞きつけたお義母さんに娘に何をした!って詰め寄られてしばらく身動きが取れなかったし」
「え! つまりこの騒ぎって母さんにも知られてるの?」
「ごめん……ブルーベルが結構な勢いで飛び出してったから、お義父さん、お義兄さんにもばれてる」
その言葉に先程までとは違う意味でブルーベルは震えだす。とそこでまたリーンとドアが開く音がし、同時に外がガヤガヤと騒がしくなった。
「ブルーベル! 一体何があったんだい?」
「ブルーベル、どうしたんだ急に?」
「ダニエル? ブルーベルは捕まえれたかい?」
口々に言いつつ、狭い店のドアから窮屈そうに顔をのぞかせるのはブルーベルの両親に兄、さらにその後ろにはダニエルの家族、さらには親戚、友人、近所の人までもが揃っていた。
「み、みんな! どうしたの?」
「何か緊急事態だって……」
「いつもの喧嘩とは違うって……」
よく考えると結婚式の話し合い中に突然飛び出してきたのだ。周囲が慌てるのも無理はない。
そして、近所付き合いの密な街の通りでのことだ。だんだん話しが大きくなり捜索隊がこんな大所帯になったのだろう。
「ち、違うの……。その……みんなごめんなさい。私の誤解だったの」
申し訳なさげな表情でそう言ったブルーベルの隣でダニエルが
「いえ、僕がそもそもは悪かったんです」
と頭を下げ、事情を説明し始めた。
「相変わらず、そそっかしい二人だな」
「こりゃあ、先が思いやられるねぇ」
「まあ、良かったじゃない。仲直りできて。ところで結局結婚式はどうするの?」
ダニエルの説明を聞いた人達は大笑いする。そして口々に勝手なことを言い合う中、誰かが呟いた言葉にざわめきが一瞬止まった。
確かに元々はブルーベルの仕事が立て込んでウエディングドレスを縫う時間がないのでは? とダニエルが危惧したのがそもそもの始まり。だが、ブルーベルはそんなざわめきを一蹴するようにカラリ、笑った。
「もちろん、予定通りにするわよ。一生もののドレスよ。満足いく物が作れる時間は確保してあるに決まってるじゃない」
そのぐらいの調整は出来るわ、とブルーベルは胸を張った。
「本当かい? ブルーベル、無理してない?」
「大丈夫よ、ダニエル。私を誰だと思ってるの」
そう言って笑うブルーベルに心配そうな表情を崩さなかったダニエルもようやく笑みをこぼした。
「はぁー、本当にお騒がせな娘だね。みなさんも本当にご迷惑をおかけしました。さ、じゃあみんなで戻りましょうか」
仕事もまだあることだし、と声をかけるのはブルーベルの母。だがそこで「ちょっと待って」とブルーベルが声をかけた。
どうしたんだろう、とまたざわめき出す人々を尻目にブルーベルはリリアンナに駆け寄る。
「ねえ、リリ? さっき言ってたしょうびいろの魔法。やっぱり今かけてもらえない?」
「い、今? 結婚式の後で良くない?」
「でも、別に式の後じゃなきゃ駄目なわけじゃないんでしょ? どうせ魔法をかけてもらう時にいるだろう人はみんな集まってるし……それに、ダニエルと一緒に幸せになれる魔法なら早いに越したことはないと思うの。そうじゃない?」
最後の言葉はダニエルへと向けたものだったが、その言葉にリリアンナはハッとしたように動きを止めた。
「そうね……それもそうね、ブルーベル。二人が良いのなら」
そんな彼女の言葉にブルーベルとダニエルは大きく頷く。そんな二人の表情見て、ニコリ、と笑ったリリアンナは
「じゃあ、始めましょうか。皆さんも通りへいきましょう」
と言いながら、書棚へと向かった。
リリアンナの前に集まり、並んだ人々。その一番前にいる二人にリリアンナは微笑むと、さっき開いたばかりの本をまた開き、呪文を唱える。
「しょうびいろの魔法を!」
キラキラと美しい光が空へと伸び、その光景に通りを行く人々は思わず足を止めるのだった。
仲直りした二人に魔法をかけ、そして見送ったから店に戻っったリリアンナはそこで自分の今日の予定を思い出す。
少し古めかしい時計を見てみれば、もうとっくに店を出ていなければならない時間。リリアンナは慌てて、服を着替え、店を飛び出した。
色々と盛りだくさんだった翌日、リリアンナはほんの少しの気怠げな気持ちを抱えつつ、店のテーブルに向かいながら刺繍針を動かしていた。
昨日、約束の時間を思いっきり過ぎてヴァイオレットの祝宴に向かったリリアンナ。
「もう! 大遅刻よ」
と口を尖らせたヴァイオレットも、直接の友人ではないが顔は知っているブルーベルの話を聞くと
「まあ……彼女らしいわね」
と笑って許してくれた。
食べて飲んで、そして踊って。夜遅くまで続く祝いの席はとても楽しいものだが、その翌日に襲ってくるほんの少しの寂しさだけは好きになれない。
じっと手元を見続けてきた目をいたわるように顔を上げたリリアンナはその目に入った、一輪の薔薇を見て、一つため息をついた。
「しょうびいろの魔法……ね」
昨日ブルーベルに聞かれた問い。どうしてしょうびいろの魔法などという古い言葉を使っているのか。
昨日は「そのほうが可愛いから」などと答えたリリアンナだが勿論そんな理由ではない。師匠であるクレアはばらいろの魔法と呼んでいたのだ。その店名をわざわざ変えるにはもっと深い理由がある。
リリアンナの脳裏に浮かぶのは遠い昔。幼い頃の記憶だ。
リリアンナの母が構えていた魔法屋はもくらんいろの魔法屋。店、とは言うものの屋敷の一部屋を使ったそこは、むしろサロンのよう。日々そこには上流の人々が集まり、そして時折母は上品に微笑んで
「じゃあ、なにいろの魔法にしましょうか」
と口にするのだ。
そんな母は馴染みの客に請われ出張で魔法を使うことも多かった。
その日母が魔法を使ったのはアッシェルトンでも最も由緒ある教会。それもまた6月のこと。色とりどりの花で飾られた教会である公爵令嬢が花嫁となろうとしていた。
本来ならまだ幼いリリアンナは社交界に出入りすることなど許されないのだが、花嫁が母の親友、ということもあり、特別にリリアンナは母の隣に座っていた。
式が無事終わり。花嫁といかにも威厳を称えた風格の花婿が退場しよう、とする時、牧師が目線で母に合図を送る。
と隣から歌うような呪文が聞こえた。
「しょうびいろの魔法を」
さらりと上品に、しかし凛とした響きのそれに呼応するように教会から突然赤い光が溢れ、やがてその光が教会を包み込む。
不思議な時間は少しの間続き、やがてその光が消えると、どこからともなく割れんばかりの拍手が始まった。
「ねえ、お母様。お母様?」
「こら、リリ。静かにしてる約束でしょう」
「でも、でも……今の魔法でしょ。これはどんな魔法なの?」
すぐ隣で使われた魔法に興味津々の幼い魔法使いに母は一つ息を吐いたものの、小さな声で答えを返す。
「しょうびいろの魔法よ」
「しょうびいろ? 聞いたことないわ。赤色のこと?」
「そうだけどね……あの花のことよ」
そう言って母は教会に飾られたいくつもの花の一つ。赤い薔薇を指さした。
「薔薇のことなのね。でもばら色じゃないんだ。で、どんな魔法なの?」
「古い言葉なだけで同じ意味よ。私が昔教わった名前を使っているだけ。この魔法をかけるとその人達はずっと一緒に過ごせるの」
「まあ! 素敵。じゃあ、私と、お母様とお父様にもしょうびいろの魔法をかけてよ。私ずっと一緒に暮らしたいわ」
無邪気に話すリリアンナに母は諭すような表情をする。
「魔法は人のために使うものよ。自分達のために使ってはいけないわ」
「え、でも……でもぉ」
なおも縋るリリアンナだが、主賓達が歩き始めたことで母は前を向いてしまい、それ以上は話してくれなかった。
「……もし、あの時、もっと強くお願いして魔法をかけてもらったら……今もみんなで暮らせてるのかしら」
そんな考えを浮かべ、リリアンナは首を振る。
魔法は絶対ではない。世の中を根本から変えてしまわないよう出力を調整した魔法などなおさら。
それでも……もしも、をリリアンナは思い浮かべてしまう。
ふと視線を動かした先の窓の向こうには6月らしい低い雲が立ち込めていた。
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