あめいろの晴れ舞台

見せたいものがある

 だんだんと風が夏のものへと変わる頃。満開のラベンダーのむせ返るような香りに包まれているのはラベンダー通り。

 両脇に並ぶお店の一つ、しょいびいろの魔法屋の店先には店主である少女の鼻歌が漏れ聞こえていた。


 最初は口ずさむ程度だったが、だんだんと楽しくなってきたのかその音はどんどんと大きくなる。


 少々散らかっていたテーブルを片付けつつ、今街で流行りのメロディーを上機嫌に奏でていた少女。彼女はドアが開いたことを教えるリーン、という音にも気づかないのだった。


「リリ……リリ……リリ!」

「きゃあ! まぁ、アル、びっくりさせないでよ」

「びっくりさせるもなにも、人が入ってきても気づかないほうが店主としてどうかしてるんだろ」

「そうだけど……」


 会うなり言い合いを始めた同い年のこの二人、リリアンナとアルフォンスは幼なじみだ。共に街中に知られた名門貴族の子でありながら、いろいろあって街で暮らしている。


「それにしても楽しそうだったな。『手を離さないで』か。今流行りの曲だけど、まさかリリも知っているとは……』

「なによ! 私だって流行りの歌劇の情報くらい知っているわ。素敵なお話だそうよーー冒険、友情、そしてロマンス」


 リリアンナが口ずさんでいたのは最近、王立歌劇場にかけられ大ヒットしている歌劇「騎士グラシアル」。


 ブリーズベル王国が建国された頃に活躍した、と言われる伝説の騎士を主人公にした話だ。


 この騎士は王国では有名な英雄で、歌劇にも何度もなっているが、今回の作品はその妻に焦点を当て、ロマンスとしてもおもしろい事が、人気の理由となっている。


『手を離さないで』はヒロインが甘く切なく歌う、作中屈指の人気を誇るアリアだ。


「まあ、今や街中で話題だからな。そんなリリに良い知らせだ。キャロンさん、どうぞ」


 やや芝居がかった仕草でアルフォンスがドアを開けると、20代前半らしき女性が入ってきた。


 スラリとしていて顔立ちも整っているが、それ以上に立ち姿の姿勢の美しさが際立つ。


 そんな彼女は店の中にリリアンナの姿を見つけると軽く微微笑んだ。


「初めまして、シェリル・キャロンだわ。どうぞよろしく。とっても素敵な歌声だったわよ」

「そ、それは、その……。聞かれていたのですね、失礼致しました。それで! 私はしょうびいろの魔法屋の店主リリアンナと言います。さて、今日はなにいろの魔法がお望みかしら?」


 自分の上手とも言えない鼻歌をお客様に聞かれていた、という事実に思い至り、しどろもどろになるリリアンナはなんとか自己紹介をし、お決まりのセリフを言い切る。


「取り繕えてないぞ……」


 というアルフォンスの余計な一言には足を思い切り踏んづけて対応しておいた。


「ふふふ、とっても仲の良さそうなお二人ですわね」

「まさか! なにをおっしゃいますか」

「ええ! 道中お話しした通り世話の焼ける妹のようなものですよ」


 何気ない一言を全力で否定する二人をシェリルは微笑ましげに見守る。その視線に気付いたリリアンナは少し気まずげな顔をしつつ、同時に「おや?」と首を傾げた。


「ところでアル? さっき私に良い知らせって言ったわよね。それはどういう……?」

「ああ! すいませんシェリルさん」


 リリアンナの言葉に被さるようにシェリルに謝るアルフォンス。しかし彼女は気を悪くする風でも無く「仕方ないわよ」と笑ってみせた。


「私は王立歌劇場の劇団員なの。今は『騎士グラシアル』に出演させていただいています」


 その言葉にリリアンナの顔は一度真っ青になり、そしてすぐに真っ赤に変わった。


「本っ当に申し訳ございません。そうですよね、あの話の流れなら、きっとシェリルさんは劇団員さんですよね。それに街で話題の歌劇にご出演なんて!」

「いえいえ、仕方ありませんよ。まだまだ無名ですし、名のある役はこれが始めてなんです」


 見るからにうろたえるリリアンナにシェリルは優しげに微笑む


「重ね重ね失礼致しました。それでは立ち話もなんですし、どうぞこちらへ……」


 その表情になんとか落ち着きを取り戻したリリアンナは、シェリルを店の真ん中にあるテーブルへと導いた。


「それで、ご依頼というのは……?」

「はい、依頼したいのは母に関することなのですが……少しだけ私の生い立ちをお話ししても良いですか?」

「ええ、是非お聞かせ下さい」


 にっこりと笑うリリアンナにシェリルは自分の生まれについて話始めた。


 今はここアッシェルトンで暮らしているシェリルだが、元の生まれはここから馬車で半日ほどの距離にあるルール、という港町だという。


 しかし漁師だった父は彼女が幼い頃に海の事故で亡くなってしまう。3人兄弟を育てるため、シェリルの母は職を求めてアッシェルトンにやってきた、という。


 幸い、この街で通いのメイドとしての仕事を見つけたシェリルの母は雇い主にも恵まれ、一人で3人の子を育て上げたのだという。


「女手一つで私達を育ててくれた母には感謝しかありません。その上、本来なら私も早く働きに出て家計を助けるべきだったのですが、舞台に興味を持ち、女優になりたい、などと言い出した我が儘娘の背中を『人生は一度きりだから、やりたいことをやりなさい』と快く押してくれたのです』

「とっても素敵なお母様ですわね」


 リリアンナがそう相槌を打ち、アルフォンスも無言で頷く。


「はい、本当に素晴らしい母です。どうせやるなら高い場所を目指そう、と私は無謀にもアッシェルトンの王立歌劇場の門を叩きました。入団試験に合格したのは本当に奇跡だと思います」


 アッシェルトンにある王立歌劇場はその昔、この街が王都だったころからあり、大陸中でも最も権威ある歌劇場の一つとして数えられる。


 当然その劇団員に求められるレベルは高い。シェリルはこう謙遜しているが、彼女には持って生まれた才があり、そして涙ぐましい努力をしたであろうことは想像に難くない。


「もちろん入団したからといってすぐに役がもらえる訳ではありません。下働きから始まって、役をもらえたとしてもコーラスの一人だったり、名もないその他大勢だったり……ですが、今回の『騎士グラシアル』でついに名前のある役をいただけたのです!」

「まあ! 素敵ですわ。おめでとうございます。どんな役柄ですの?」


 シェリルの言葉にリリアンナはやや身を乗り出すように聞く。


「ありがとうございます。グラシアルの妻の友人、オリヴィアです。そんなにたくさん出番がある訳ではありませんが……でもアリアもあるんです!」

「まあ! 大役じゃありませんか」


 少し興奮した様子で語るシェリルにリリアンナもさらに前のめりになった。


 様々な音楽と戯曲、舞台芸術が一つとなって作り上げられる歌劇だが、中でもアリアは大きな見せ場の一つだ。


 そんな役を任される、ということはまさに大役を掴んだと言え、またシェリルにとっては大きな飛躍のチャンスだった。


「えぇ、私もいまだに信じられない気持ちです。それはそれとしてせっかくなので私が舞台に立つ姿を母にも見せたい、と思っているのです」

「それは良い考えですし、お母様も喜ばれますわ。大切な娘さんの晴れ舞台ですもの!」


 シェリルの言葉にリリアンナは大きく頷いた。


「先輩に相談したところ、快く席を融通して下さって、無事チケットを押さえることもできました。ここまでは良かったのです」

「ここまでは? ですか」


 急に雲行きが怪しくなるような内容にリリアンナは首を傾げる。


「はい、席が取れた、とはいえ私に払える値段の席、というとかなり後ろになります。そもそも前の方の席は上流の方で埋まっていて、母には居心地が悪いでしょうし……」

「ま、まあ否定はしませんわ」


 広くどの階級も受け入れており、多少生活に余裕がある者デあれば、労動者階級でも入場できる王立劇場。


 ただし、座る席には線こそ引かれていないとは言え、明確な線引きがある。


 ステージを囲むように作られた貴賓席やボックス席は勿論、前の方の座席は貴族たちの社交場でもある。そこから後ろにいくにつれて、席料が下がると同時に、席に座る人も中流、労動者と変わっていくのだった。


「ただ問題は母は随分前から目があまり良くないことなのです」

「つまり……遠くが良く見えない?」

「はい、もともとそう目の良い方ではなかったそうですが、苦労のせいか最近は特に悪化がひどくて。一応眼鏡もあるのですが、我々庶民に手を出せる眼鏡などたかが知れてます」

「確かにそうですよね……。歌劇場の後ろの方の席から見る、となると相当な高級品になってしまいそうです」

「はい、その上母の眼鏡は思い出の品だそうで、例えもっと性能が良くなるとしてもあまり手放したくはないと。私としてもその気持ちは尊重したく……。なのでリリアンナさん、お願いです。歌劇を見ている間、数時間で構いません。母の目を治していただけませんか?」

「ええ、構いませんよ」


 なんの躊躇もなく頷くリリアンナ。そのあっさりとした返事に前に座るシェリルだけでなく、二人をこれまで見守っていたアルフォンスまでが、驚いた表情になった。


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