結婚間際の憂鬱
長い旅から帰ってきたところだというのに、早速お土産の詰まった鞄を手に出掛けていくパワーあふれる師匠を見送ったリリアンナは自分も早く出かける準備をしなければ、と店の奥にある居住スペースへ向かおうとする。
が、彼女がドアを開いたところでリーンと店のドアが空いた音がした。
「いらっしゃいませ。でもあいにく今日はーーってきゃあ!」
振り返りつつ今日は臨時休業だ、と言おうとしたリリアンナだがその言葉を口に出す前に悲鳴を上げることになった。
「もう! 危ないでしょっ、ブルーベルったら」
少しドアを開け、リリアンナがいると分かるや否や、風の如き勢いでリリアンナのもとに突進し、勢いそのままに抱きついた少女。
彼女はリリアンナがラベンダー通りに来た頃からの友人。ブルーベルだ。
名前を彷彿とさせる可憐な見た目が印象的な少女だが、それとは裏腹になかなか猪突猛進な性格でも知られている。
そんな彼女はラベンダー通りの近くに店を構える仕立て屋の娘で、彼女自身もまた腕のある仕立て職人だ。
「ごめん! リリ。でも……でも聞いてよぉ」
「ど、どうしたの? とりあえず座って、ね」
今にも泣き出しそうな様子のブルーベルにリリアンナはとりあえず落ち着くように促しつつ店の真ん中に置かれたテーブルへ連れて行く。
ブルーベルは彼女の実家である仕立て屋が贔屓にしている裁縫品店の息子と長年の恋を実らせ婚約中。
そろそろ結婚式の日取りも決まると聞いており、まさに幸せ真っ只中の筈の彼女に何があったのだろう?
リリアンナは訝しみつつも自分もまた彼女と向かい合うように座った。
「それで……本当にどうしたの? 急に駆け込んできて、ダニエルと喧嘩した?」
「喧嘩というか……どうしようリリ! このままじゃ私ダニエルと結婚出来ないかも! お願い、私達にしょうびいろの魔法をかけてくれない?」
「しょうびいろの? また急ね?」
泣きそうな顔のまま、テーブル越しにリリアンナに詰め寄るブルーベルの勢いに押されつつ、リリアンナは何とか平静を保とうとした。
「しょうびいろの魔法を使えば、魔法をかけた相手と一生幸せに暮らせるんでしょう?」
「ま、まあ大体あってるけど」
リリアンナの一番得意な魔法しょうびいろの魔法は人と人とのつながりを結び、切れないようにし、その人と共にいることで幸福が訪れるようにするもの。
種類としては守護の魔法に近い。
その性質上はっきりとした効果を持つものではないが、確かに効果はあるらしく、ブリーズベル王国では特に結婚した夫婦がお守りのような意味を込めてかけてもらう事が多い。
ブルーベルもダニエルとの結婚式の後はリリアンナにこの魔法をかけて貰う予定だったのだが……
「ねえ、お願い! その魔法を今すぐ私達にかけて。そうしたらきっと別れなくてすむでしょう」
ブルーベルは悲壮な面持ちで頼み込む。一番得意な魔法だ。かけることは簡単だが、この状態の相手の言うままに魔法をかけるのは魔法屋として流石に懸念が残る。
リリアンナは
「まあ、まずは何があったか教えて頂戴? それからでも遅くないでしょう?」
と微笑むのだった。
「ほら? ダニエルとの婚約がまとまって、そろそろ結婚式の日取りを決め始めてるって話したでしょう?」
リリアンナが促すままにブルーベルはポツポツと話し始める。
「えぇ、それはそれは幸せそう報告してくれたわね」
「でも、さっきその話をしてたらダニエルが結婚を考え直したいっていってきたの!」
そう言うと突伏するように顔を伏せ、ついに涙をこぼし始めるブルーベル。突然の核心にせまる内容に驚きつつ、リリアンナは椅子を立ち上げってブルーベルの傍に行き、優しくその背中を擦った。
「それは流石にショックね。でもこれまでも喧嘩なんてしょっちゅうだったでしょう? 今回も思わず言っちゃったとかじゃないの?」
また大喧嘩したんでしょ? というリリアンナの言葉にブルーベルは静かに首をふった。
「ううん。今日はそうじゃなかったの。真面目に話し合ってたのよ。結婚式といえば決めることも多いしね。でもそしたら急にダニエルが真面目な顔をして……何を言うかとおもったら……」
そこまで言ってブルーベルは悲壮に顔を歪める。
「確かに私、怒りっぽいし、こうと決めたら止まらないし、毒舌だ、とも言われてるわ。でもダニエルだって大概なのよ。忘れっぽいし、がさつだし……でも今まで結婚をなしにしようなんて言われたことなかったの。それも急に深刻そうに言ってくるなんて」
「それは悲しくなるわね」
ブルーベルにリリアンナはそんな言葉をかけて慰める。
「でも、私の知るダニエルは急にそんなこと言う人じゃないわ。既に婚約だってみんなに知られてるんでしょう? 理由は聞いたの?」
「そ、それは……」
「まさかあなた! ダニエルの言葉を聞いて混乱して、そのままここまで来たの?」
「えぇ……」
そういえば彼女はこういう子だった。リリアンナはそう思い嘆息した。
「悪いことは言わないわ。絶対何か誤解があるからもう一度ダニエルと話し合いなさい。それにしょうびいろの魔法は危険もあるのよ。勢いで使うのはおすすめしないわ」
「危険?」
そんな話聞いたことない、とブルーベルは目を丸くした。
「えぇ、魔法を掛ける前には勿論説明してるわよ。魔法には副作用があるの。しょうびいろの魔法の場合、相手と自分を繋ぐ魔法でしょう? だから魔法にあらがって別れると危ないのよ」
「ど、どういうこと?」
「魔法をかけた相手と別れるとあなたに不幸が訪れるわ。程度は私にも分からない。そもそもどういう効果が起こるかはっきりはしない魔法だしね」
「そ、そうなの……」
リリアンナの言葉に神妙に頷くブルーベルにリリアンナはさらに険しい顔をしてみせた。
「魔法をかければ、あなた達がいつまでも一緒にいれば幸せになれる、でもなにかの事情で別れないといけなくなればあなたは不幸になる。それでも良いの?」
その言葉にブルーベルは視線を下げ、じっと地面を見つめる。どのくらいそうしていただろうか、顔を挙げた彼女はしっかりとリリアンナの目を見ていた。
「不幸が訪れるのは私、なのよね」
「ええ、そうよ。魔法の副作用は依頼者に向かうから」
「じゃあ、問題ないわ! 魔法をかけて。私、やっぱりどうしてもダニエルと結婚したいもの。私みたいな口うるさいじゃじゃ馬でも包みこんでくれる男は彼しかいないわ」
そうきっぱりといった彼女に大きくため息を着いたリリアンナは、急にそれまで険しかった表情を満面の笑みに変えると片目をつぶってみせた。
「もう! そこまで覚悟があるならそれをダニエルに言いなさいよ。さっきも言ったでしょ。絶対になにか誤解してるから」
その突然の変わりよう、勢いにブルーベルは目を瞬かせる。
「魔法に副作用があるってのは嘘よ。正確には嘘じゃないけど、依頼者の身に困ったことが起こるような魔法のかけ方はしないわ」
リリアンナの言う通り、正確には魔法の副作用、というより3つの約束をやぶった者に対する罰は時として依頼者へも降りかかる。
だからこそリリアンナを含め魔法使いたちは魔法の強さを慎重に決めてそれを使っているのだった。
「え! そうなの。私真剣に考えたのに……」
「こう言えば、ちょっとは冷静に考え直すかと思ったの。まさか即決でそれでも良いって言うとは思ってなかったわ」
「だって……」
「それだけダニエルのことを愛してるんでしょう? だったらそれを彼に伝える! あなたらしくないわよ」
「そ、そうよね。良く考えたらダニエルの話を聞いてショックですぐ飛び出して来るなんて私らしくないわ」
「飛び出してきたのは、いかにもブルーベルだって思ったけど……」
「もう……何よ!」
リリアンナの付け足した一言にブルーベルが叫び、それから店内は笑い声に包まれた。
「ありがとう、リリアンナ。やっぱりここに来て良かったわ」
「どういたしまして、あ、でもせっかくだから変える前にお茶でも飲んでいったらどう? あの勢いでここまで来たなら喉も乾いたでしょう?」
「そ、そうね。そうさせてもらうわ」
その言葉にリリアンナは店の奥に一度向かい、お茶の準備をする。二つのカップにお茶を注ぎわけたところで「そういえば」とブルーベルが何気なく口を開いた。
「しょうびいろって、あの色のことよね?」
そう言ってブルーベルが指すのはテーブルの上にいつも飾られている一輪の赤い薔薇だ。
「えぇ、そうよ。古い言葉だけどね。今じゃばらいろの魔法って言う魔法使いがほとんどだわ」
「じゃあ……どうしてリリはしょうびいろって言うの? いや、ちょっと気になっただけなんだけど、お客さんもわかりにくいでしょ」
「なぜかしら? そうね……強いて言うならしょうびいろって響き、可愛らしいでしょ?」
その答えにブルーベルは一瞬ポカンとし、それからクスリと笑った。
「あら、まさかそんな理由だなんて……でもあなたらしいわね」
「でしょ? 幸いしょうびいろの魔法屋、といえばこの魔法って結構知られているから問題ないのよ。さ、お茶が入ったわよ」
何気ない風を装いつつリリアンナはカップの一つをブルーベルの前に置いた。
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