みずいろの変身

王家の依頼

 秋も暮れに近づいてくると、アッシェルトンの寒さもいよいよ厳しくなってくる。特に朝は家の中にいてもピンと張り詰めるように寒い。


 ベッドから出るのも億劫な季節だが、本日絶対に遅刻できない用事があったリリアンナは、教会の朝の鐘がなるずっと前に起き出し、師匠のクレアが朝食のテーブルにつく頃には、もう身支度まで整えていた。


「おや、リリ。今日は随分と早いんだね。あぁ、そう言えば侯爵に呼ばれているとか言ってたっけ」

「おはようございます! 師匠。そうなんです。また突然呼び出して、しかも、貴人が同席するから何が何でも遅刻厳禁なんて……気が滅入ります」

「ハハハ……。貴族令嬢というのも大変な仕事だね。おや、ところでブリーズベル・メールとは珍しいものを読んでたんだね」


 クレアは苦笑いしつつ、彼女が声をかけたことでリリアンナが一旦脇においていた新聞に目をやる。それは普段リリアンナが読むことのない上流紙だった。


「お父様が手紙と一緒に送ってきたのよ。それも何日分も。今日の話に必要なんですって。もう! それなら私、自分で買うのに」


 父から見れば質素な街ぐらしのリリアンナだが、市民階級としてはむしろ裕福な部類に入る。いずれにせよ新聞を買うお金に困ってなどいない、と少し憤慨気味なリリアンナにクレアは苦笑いを強めた。


「まあまあ、侯爵も娘が心配なんだよ。特に冬になれば当然いろいろと入り用も増えるしね。くれるものはありがたくもらうのが親孝行ってもんだ」

「そ、そうかしら……」

「そうさ。で、侯爵がわざわざ送ってまで読ませたかった記事はなんだろうね。……まあ大方これかな?『セオドア王太子、春からは王都の社交界で本格的に公務に参加か』」


 畳まれていた新聞をぱっと広げたクレアは、一番前の紙面に大きく書かれた見出しを読み上げた。


「ええ、多分そうね。そろそろ考えないといけない時期みたい。学院も王都の方へ転校するみたいね」

「だけど、ウェルテリア侯爵だっけ? セオドア王太子を狙う一派はまだまだ元気なんだろう?」

「ええ、ついに私まで巻き込まれることになったわ……『王家や現体制に不満を持つ魔法使いを配下に入れ、魔法で操った人を王太子に近づけて害そうとする手口の事件が多発』ですって。前に手紙に書いた、ノーテリア嬢の一件もまさにそうよね」

「全く……人の弱さに付け込んで、思うままに操ろうなんて魔法使いの風上にも置けないね。まあ早かれ遅かれ禁忌を破った報いは受けるだろうが……」


 そう言うクレアだが、リリアンナが出会った、ウェルテリア一派の魔法使い、レーティア卿は罰が下ることを何も恐れていないようだった。罰を恐れず、禁忌を平気で犯す魔法使い。なんとも恐ろしい存在だ、とリリアンナは少し身震いをする。


 とそこで、また教会の鐘が鳴る。と、そこでリリアンナはパッと置き時計に目をやった。


「まあ! 大変。もう迎えの時間だわ。えーと……残りの新聞は馬車で読むとして……忘れ物はなし。ドレスも問題なし。じゃあ、行ってくるわ師匠。お店は無理しないでくださいね。旅の疲れはあるはずなのですから」

「大丈夫だよ。心配しないで。さ、それより早くしないと遅れるよ」

「あ、ありがとう。じゃあ師匠、行ってきます!」


 今日のリリアンナは貴人の前に出るのにふさわしい上品な深い赤のドレス姿。そんなドレスの裾を軽く託し上げると、リリアンナはやや早足で通りの入口へと歩いていくのだった。






 父親が用意してくれた迎えの馬車に乗ってハートウェル侯爵家のタウンハウスに着いたのは、まだ普段なら店を開けてもいない時間。しかしそれから、お化粧や髪、ドレスなどの手直しを念入りに施され、父と共に応接室へ入ったのは午前のお茶の時刻を過ぎた頃だった。


 そして、いつものように、父との会話の弾まない時間を持て余していたリリアンナ達に、貴人の到着が告げられたのはそのさらに1時間後。ここまで余裕を持って準備する相手は誰だろう? と訝しむリリアンナの前にキラキラとした笑みを称えて現れたのは久しぶりに会う、セオドア王太子だった。


「王太子殿下におかれましてはごきげん麗しゅうございます。本日は貴重なお時間を割いていただき、心より感謝を申し上げます」

「ハートウェル嬢……いつもみたいに気楽な挨拶で良いのにーーっていうわけにもいかないか。そなたも元気そうで何より。姿勢を戻して構わない」


 父の紹介に合わせて、腰を深く落とす王族に対する礼をした後、貼り付けた笑みで口上を述べるリリアンナ。そんな彼女にセオドアが微笑みながら声をかける。その言葉にリリアンナはゆっくりと姿勢を戻すが、表情は普段とは違う社交向けの笑みのままだった。


 セオドアにとっては数少ない等身大で接してくれるリリアンナのかしこまった表情に、一瞬不満げな表情を見せるセオドアだが、隣に立つ人物に軽く睨まれすぐに表情を戻した。


「さて、ハートウェル侯爵にご令嬢。改めて今日は時間をとっていただき感謝する。今日ここへ来たのはだな……折り行ってあなた達、特にハートウェル嬢に頼み事があったからだ」

「えぇ、そのような要件だとは。それで、その頼み事とはいったいどのようなものでしょうか? わざわざ殿下が直参された、ということはなにかご事情がお有りとは存じますが……」


 さっき聞いたところによると、リリアンナの父もセオドア、ひいては王家から頼み事がある、としか聞いておらず、その内容は知らないらしい。


 内容を言えない王家の頼み事というと嫌でも母が使った最後の魔法が思い浮かぶ。それは彼女の父も同じらしく、常に王家に忠実な彼にしては訝しげな声を王太子へと向けた。


「無論、訳ありだ。だが頼み事をする以上は全て説明するつもりで来てもいる。侯爵、人払いは?」

「万事つつがなく。今残るものは我が家でも特に信頼できる数人のみです」

「……分かった。ではゴーディン、説明を」


 父親の言葉に頷くと、セオドアはこれまでずっと隣に控えていた男に説明を託す。その言葉を受けて、男はすっと一歩前へ進み出た。


 ゴーディンはハートウェル家の親戚筋に当たる、ロットリール侯爵家の現当主だ。リリアンナの父、ジェイクの師匠であり、その副業は王宮警察の幹部ーーつまり王家の側近中の側近だ。


 特に記憶に関する魔法を得意とする彼は、主に王家に害をなそう、とする勢力への対応を業務としている。彼が説明を任された、ということは今回の『頼み事』はウェルテリア一派に関わるものだろう、とリリアンナは予想した。


「ではまず前提として、セオドア殿下が春から王都へ移られるご予定であること、これを前にウェルテリア公爵の動きが派手になってきていることは……お二人共ご存知ですね」

「ああ、議会においては随分声高に殿下への非礼な発言を繰り返し……裏では魔法で操った人物を次々に殿下へ向けているとか」

「私も承知しております」


 その答えに、ゴーディンは「うむ」と1つ頷く。


「我々王宮警察は以前より、ウェルテリア公爵を明確な敵として排除すべく動いてきましたが、なにしろ彼は国を代表する有力貴族。下手な動きは出来ず、また彼は直接自分の手を汚さずに動くことに極めて長けています。一見すると彼は王太子の廃嫡を声高に議会で叫ぶ無礼者に過ぎません」

「その通りですな。なんとも腹立たしい」

「しかし最近、気になる情報を手に入れました。彼らがここ数ヶ月、活発に行なっている魔法による洗脳。この時、相手が相応に高位である場合には公爵が直接出てくるらしいのです」

「ほう……」


 ゴーディンの言葉にリリアンナの父は興味深げに相槌を打った。


「相手を信頼させるためなのか、なんなのか……しかし彼らが狙う相手はそもそも王家に批判的な人々ばかりで、我々へ協力してくれない。そこで、今回の頼み事となる訳です」

「叔父上……まさか!」

「叔父様、もしかして」


 彼の説明に、同時に同じ結論に思い至った父と娘は困惑の声を上げる。その反応にゴーディンは困ったような苦笑いを浮かべた。


「二人とも呼び名が戻っているよ。そうだ……ハートウェル嬢には変装の上、殿下に憧れる令嬢を演じてもらいーー端的に言えば囮になっていただきたい」

「私は反対ですな! 娘を囮になど……危険すぎて到底許可出来ません」


 予想通りとはいえ、驚きの提案に声を上げかけたリリアンナだが、それをかき消すように大声を上げたのはリリアンナの父だった。


「わざわざ起こしいただいた殿下には、無礼甚だしいことと承知で申し上げます。どうぞ、即刻お帰り下さい」

「ジェイク! 本当に無礼だぞ。相手を誰と……」

「良いんだ、ロットリール卿。常識をわきまえていないのはこっちだ」


 いつになく声を荒らげる父に、慌てたように静止するゴーディンとそれをとりなすセオドア。

 その状況にリリアンナは、むしろ頭が冷え、想像よりもずっと冷静な声を出した。


「お待ち下さい、殿下、ロットリール卿。お父様もちょっと待って」


 その声に男達3人の動きがピタリと止まる。


「確かに私も驚きましたが……まずはもう少し詳しい話を聞きたく存じます。何よりもなぜ、私が囮に選ばれたのでしょうか」

「相手は魔法使い、それも禁忌を使うことを厭わない魔法使いです。囮には魔法について詳しく、対抗手段を持つものがふさわしい。それに……」


 言葉を続けかえたゴーディンを手で遮ったのは他ならぬセオドアだった。


「そこからは私が説明するよ。もし……仮に囮がバレたとしてもハートウェル嬢の場合、手荒な真似をされる危険性が少ない。どちらかというと、ウェルテリア側に引き込もうとするだろうから、手厚くもてなされる可能性が高い」

「私が……ウェルテリア公爵の手下にですか? どうして……」

「だって、ハートウェル嬢は王家を恨んでいるだろう?」


 核心をつくように告げるセオドア。その顔は覚悟を決めたようでいて、どこかつらそうでもあった。


「殿下? どうして、それを」

「ごめんね、ハートウェル嬢。実は夏ぐらいには知ってたんだ。ハートウェル嬢のお母様の話を……」

「そんな……だから魔法屋にも……」

「いや、まあ……それは危険だったからっていうのもあるけど、とにかく」


 そこで言葉を切ると、セオドアは突然リリアンナの前へ、進み出て、膝をつく。慌てたようにリリアンナが止めようとするが、構わずセオドアは言葉を続けた。


「ブリーズベルの王太子として謝罪したい。僕のせいで君の……」

「駄目です、殿下!」


 もともとセオドアの動きを押し留めようとしていたリリアンナだが、続く言葉にハッ、としたように大声を出す。空気をつんざくような声に、セオドアはパッと顔を上げた。


「どうぞお立ちになって。……いけません殿下。謝っては……」

「確かに王族は謝らないと言われているけど……でも……」

「いえ。確かに殿下は簡単に頭を下げてはいけない御身です。でもそれ以上に……たとえいかなる理由があっても、産まれてきたことを謝らないといけないことなんてあるはずがありませんわ」

「リリアンナ嬢……」


 王子が呟いたきり、部屋には思い沈黙が立ち込める。最初に口を開いたのはリリアンナだった。


「確かに母のことは悲しいですし、怒りもあります。王家の皆様には口に出せない思いを抱くことも……。ですがそれは母が魔法使いとして決めたことです。少なくとも殿下が気に病む必要はありません。ーーそれと」


 そこで言葉を切ると、今度はクルッと振り返りリリアンナは父に向かい合った。


「私、このお役目お受けしたく思います」

「おい、リリアンナ! 何を言ってるんだ」

「そもそも、私はすでに一度ウェルテリアの手の方と直接相まみえております。きっと狙われるのも時間の問題。それに私自身許せないのです。魔法を悪しきことに使う彼らのやり方が」


 そう言ってにらみつけるように父と向かい会う娘に、父は


「全く誰に似たんだか……」


 と言うと、少しだけ表情を緩ませた。


「分かった。お前がそう言うならお受けするが良い。お受けする以上は成果を出すこと。分かっているな」

「ええ、もちろんです。お父様」

「と、いうことですので、私としては反対なのですが、娘がこういう以上はその思いを尊重しようと思います。無論娘に危害が及ばぬような手立てはしていただけるんですよね」

「それはもちろんだ。万策を講じる」


 ゴーディンの言葉に、リリアンナの父はゆっくりと頷き。それから4人での作戦会議が始まる。昼前に始まった話し合いは陽が落ちるまで続いたのだった。

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