怪しい誘い
「みずいろの魔法を!」
リリアンナがそう唱えると、彼女が持つ本から薄い青色の光が飛び出し、天井で跳ね返って、リリアンナ自身を包んだ。
「ま、眩しい。えーっ……と鏡は……あった! うん、ちゃんと出来てるわ」
みずいろの魔法は外見を変える魔法。自分にかけた魔法によって、栗色の髪はくるりと巻いた金髪に、背丈は頭一つ程高くなっている。顔立ちもどことなく変わっており、手鏡に映るリリアンナは確かに別人に見えた。
「まあ、悪くない出来だな」
リリアンナの周りをぐるりと回るようにして見て回った父もそう言って頷く。家を出るまでの10数年間、彼から魔法を習っていたリリアンナは、これが父の中ではかなり上位に入る褒め言葉だと知っていた。
「いや、素晴らしい魔法だよ。以前よりずっと上達しているね。ただこれからが本番だ。打ち合わせの中身は覚えているね」
「はい、叔父様。万事つつがなく」
「なら構わない。ではそろそろ時間だ」
「分かったわ、では行ってまいります」
そう言って父とゴーディンに向けて礼をすると、さっと寄ってきてくれた侍女と共にリリアンナは部屋を出た。
作戦の舞台となるのは、とある伯爵が催す夜会。シーズンも最終盤に行われるそれは、それほど盛大ではなく、しかし王太子が人脈作りにやってきてもおかしくはない程度の規模。
ゴーディンが名義を偽って借りた、というタウンハウスから会場まではリリアンナからすれば十分歩ける距離だが、当然今の彼女はさる高位貴族の令嬢。それが当たり前、という顔をして馬車に揺られ、会場を目指すのだった。
「おや……初めて見るお顔ですね。夜会はあまり得意でないのですか?」
「お、王太子殿下! あ、あぁ、その……バンレムール伯爵の娘、リリーと申します。殿下に置かれましてはごきげん麗しく……」
「ああ、御機嫌よう。リリー嬢ですか。素敵な名前だ。あなたの無垢な雰囲気によく似合ってます」
「そ、そんな……光栄なお言葉ですわ」
夜会服姿の男女が行き交う伯爵邸のホール。予定通り、幾人かの令嬢達とたどたどしくお話した後、壁の花となっていたリリアンナのもとへ、キラキラとした笑みを称えたセオドアがやって来て声をかける。それに対して、リリアンナは、これまた物慣れない様子で、対応した。
リリアンナが演じるのはカーセル王国からアッシェルトンへやってきたばかりの伯爵令嬢。社交界に馴染めない娘を心配した両親により、今日の夜会へ来たが、本人はあまり乗り気ではない。ブリーズベル貴族にとってのカーセル語がそうであるように、カーセル貴族にとっても必須教養であるために、ブリーズベル語は問題なく話せるが、慣れない言語故に言葉に詰まりがち。そのせいでますます孤立しているところを王太子に声をかけられる、という設定だ。
リリアンナは、恋に恋するお年頃、というものを意識しつつ、必死に初心な娘を演じた。
「リリー嬢はカーセルのお生まれだとか。にしても上手なブリーズベル語ですね」
「いえ……そんな……当然の教養です」
「けど、一朝一夕ではそうはいかないでしょう? 努力している子は美しいですね」
そう言って、セオドアはさらに笑みを深め、リリアンナの瞳をまっすぐ見つめる。これが演技と分かっているリリアンナの心が動くことはないが、それにしても大した王子様っぷりである。
これはたくさんの女の子が恋に落ちるはずだ、と思っていると、彼女の視界にやや憮然とした表情のソフィアが入ってきた。
今日の夜会にはソフィアも参加していたらしい。それも仕事とはわかりつつも、割り切れない部分はあるだろう。特に今日はリリアンナ演じるリリー嬢が恋に落ちる様子を鮮明にするため。普段以上に王子らしさを発揮してもらっていた。
「リリー嬢。ずっと1人でいても楽しくないでしょう? もしよろしければ一曲いかがですか?」
「よろしいのですか? 殿下」
すっと差し出された、セオドアの右手をリリアンナが伏し目がちにとる。その様子に周囲の空気がざわっと動いた。
夜会では比較的積極的にいろんな人と交流しているセオドアだが、踊る相手についてはある程度予定されている。そんな中で壁の花となっていた令嬢に王太子が手を差し出した。それはリリー嬢にセオドアが興味を持った、と判断されても仕方ない。
リリアンナがこっそり会場中を見回すと、ソフィアが今まで見たことがない程唖然としているのがわかった。申し訳なさが募るが、そもそもの作戦の提案者はセオドア側。後でソフィアには釈明してもらおう、と考えつつ、リリアンナはセオドアに導かれて、ステップを踏み始めた。
「素敵な時間をありがとうございました、殿下」
「こちらこそ、リリー嬢。じゃあ私はこれで、また会えることを楽しみにしていますよ」
一曲を踊り終えると、そう言ってセオドアはリリアンナに微笑みかけてから人波へ消えていく。そんな彼をリリアンナは名残惜しげな風に見送った。
それからは予定通りまた壁の花となる。時折、さっきのことが忘れられない、というようにセオドアの姿を目で追っていると、夜会も終盤、不意に中年の紳士に声をかけられた。
「殿下のことが気になって仕方ない、というご様子ですなバンレムール伯爵令嬢。よろしければお役にたちますよ」
「あ、あなたは?」
「魔法使いのチャールズ・メープレです。以後お見知りおきを」
以前リリアンナが出会ったレーティア卿とはまた別の人物だが、彼もまた、リリアンナの頭にある貴族名鑑には乗っていない家名を名乗った。
「メープレ卿とおっしゃるのですね。初めまして。それでその……役に立つとは?」
「ここでは少々言葉にしづらいですね。どうぞあちらへ」
そう言うと、チャールズは慣れた様子でリリーの手を取り、人気の少ない方へ促す。夜会の終盤、多くの人が酔いも回ってきていることもあって、少女が1人、紳士に連れ出されても気にする人はいなかった。
「あの……それで役に立てるとは、何のことでしょうか?」
「それはもちろん、あなたが殿下の妻となる手助けですよ。セオドア殿下に一目惚れしたのでしょう?」
「え! そ、それは……はい」
リリーは図星を言い当てられたことに頬を赤くしつつ、結局チャールズの指摘を認める。その言葉に彼は笑みを深くした。
「この国には、人の恋心を操る不思議な魔法がありましてね。私はそれが大得意なのです。私のちょっとしたお願いを聞いてくれるなら、殿下の心があなたの方を向くように魔法で操ってみせますよ」
「魔法で殿下の心を……あっ、でもそんなことしても良いのですか?」
「ほとんどの魔法使い、特に魔法屋と呼ばれる人たちはそう言いますね。ですがあんなもの迷信ですよ。気にすることもない。どうです? 王太子妃の地位、ご両親にとっても魅力的なのでは?」
その言葉にリリーがハッと目を見開く。
「そ、それは……きっと喜んでくれるでしょうけど」
「でしたら決まりです。5日後、こちらの場所へ。ご両親も連れてきた下さると話が早いですが家族以外にはご内密に。こういった魔法を毛嫌いする人もブリーズベルには多いですからね」
「……。わかりました、5日後ですね」
一瞬の逡巡の後、リリーは住所が記された紙片を受け取る。それを見て、チャールズはニコリと微笑んで頷くと、
「それでは、良い夜を」
と口にして、リリーの前から離れていった。
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