あんずいろの激励

油断に用心

「……という訳だったの。だからソフィアさんも殿下のことを怒らないであげてね」

「もちろんわかってるわ。きっと何か理由があるに決まってると思ってたもの」

「その割には随分とお冠だったようだけどな」

「もう! お兄様は一言多いわ」


 リリアンナがリリーに化けた2日後。彼女はソフィアとアルフォンス、といういつもの面々とラベンダー通りを歩いていた。


「ソフィアさん。あんまり落ち葉の多いところを歩くとドレスが汚れるわよ」

「あ、ごめんなさい。つい面白くっって」


 落ち葉の絨毯を踏みしめるとギュッギュッと音がして、心地よい。そんなことに気付いたらしいソフィアがわざとドレスを軽くからげて、落ち葉溜まりに突っ込むのを諌めつつ、リリアンナはそっと周囲を伺う。


 ハートウェル家からラベンダー通りに向かう馬車では、一瞬別の馬車につけられているような感覚を覚えた彼女。だが今、周囲にいるのは見知った人ばかりのようで、リリアンナは一安心した。


「それにしても、よりにもよって王家からの依頼とは。あんまり無茶しては駄目だぞ。相手は禁忌も何のそのなんだろ」

「わかってるわ。でも魔法で人を操るなんて許せないもの。絶対に捕まえなくっちゃ」

「まあ、リリのそういうところは美徳だけど……」

「でも私も心配だわ。本当に気を付けてね」

「ソフィアさんまで……わかってるわ、安心して」






 あの夜会のあと、リリアンナは当面警備のしっかりしているゴーディンの借りたタウンハウスか、もしくはハートウェル邸で過ごすことを薦められたが、それを蹴って魔法屋へ戻ってきた。


 ずっとリリーの姿をして過ごすのは息がつまるし、魔法屋をずっと師匠に任せきりにするのも気が引ける。心配そうな父を尻目に


「大丈夫よ! ラベンダー通りはみんな顔見知りだもの、今は旅行客も少ないし」


 と言って、半ば強引に魔法屋に戻ってきたリリアンナ。そんな彼女に師匠クレアが見せたのはソフィアから届いた、という手紙だった。


「『とにかく聞いて欲しいことがあるの!』……きっと夜会でのことね。そうよね、心配になるわよね」


 ソフィアにしては珍しく乱れた字、挨拶もそこそこに書かれたいたのは、どうしても聞いて欲しいことがある、ということだった。おそらく夜会でのことだろう。そう考えたソフィアはすぐに了承の返事を返す。


 本当に気持ちを持て余していたらしく、リリアンナが「いつでもどうぞ」という返事を出したその日の昼過ぎには、アルフォンスと共にソフィアが魔法屋へやってきたのだった。


 リリアンナを見るやいなや、


「リリアンナさん! 聞いて頂戴、殿下ったら信じられないの!」


 と言って、リリアンナの胸に飛び込んできたソフィア。そんな彼女を受け止めたリリアンナは


「まあまあ、落ち着いてソフィアさん。とりあえずお散歩にでも出かけましょう?」


 と、通りへといざなったのだった。






 そうして、程よく人気のないラベンダー通りを何往復かしつつ、ソフィアの話を聞き、数日前の夜の裏事情を説明したリリアンナ。


 途中、そもそも立場上男女構わず誰にでも人当たりよくしないといけないセオドアへの愚痴も多分に挟みつつ、リリアンナの説明を受けたソフィアは徐々に落ち着きを取り戻していった。


「あら、ソフィアさん? あれガードナー家の馬車じゃない? そんなことしてると本当に怒られるわよ」

「ま、本当だわ! 約束より早かったのね。それにお父様とお母様が揃ってなんて……」


 何度目かのラベンダー通りの入口を見て、そろそろ戻ろうか、とリリアンナが離した矢先、そこに1台の馬車がゆっくりと近づいてくる。それはガードナー家の紋章をつけた馬車だった。


 普段はもっと小さな馬車での送り迎えなのだが、今日は両親直々のお迎えらしい。2頭立ての馬車にいつか見た屈強そうな護衛まで乗せた物々しい仕様でやってきた馬車からはこのあたりには少々似つかわしくない上流らしい姿の夫婦が降りてきた。


「ソフィア。あなたはまた何をしているの。使用人の仕事が増えるでしょう?」

「ご、ごめんなさい! お母様……つい」

「謝るのは侍女頭にね。さあ帰りましょう。アルフォンスさんも良ければご一緒にどうぞ」

「はい、お母様。リリアンナさん、今日は突然なのにありがとう」

「いいえ、私も会えて嬉しかったわ。アルもまた今度ね」

「ああ、リリ。くれぐれも気を付けてな」


 そう言うと、ソフィアとアルフォンスは共に馬車へ乗り込む。するりと大通りを滑り出していく。それを見送ったリリアンナは


「……そうだわ。この手紙を出してこなくっちゃ。せっかく出てきたんだし、このまま行っちゃいましょう」


 と呟くと、2つ隣の通りへ向けて歩き出す。行き交う馬車を嫌うように、少し人気の少ない路地へ入ったところで、突然彼女を数人の紳士達が取り囲んだ。


「ど、どうしたの、あなた達?」

「さるお方のご命令でお迎えに上がりました。馬車があちらに」


 そう言う紳士の視線の先には小型の馬車が確かにいる。


「断ったら?」

「少々乱暴な方法でお送りすることになるかと……」

「あら……そう……」

「おっと、その手はどこにいくのでしょうか? 鞄は取り上げろ!」


 とっさに何か魔法を使おうと、ドレスを探るリリアンナだが、それに気付いた紳士に両手をガッチリと掴まれる。さっと視線を巡らせたリリアンナは、諦めたように力を抜いた。


「わかったわ。行きましょう」

「おや、案外話が早い。最初からそうすればよいのです」


 紳士達はニヤリと笑い、馬車の方へ彼女を連れて行った。


 リリアンナを取り囲む男たちは、全員黒っぽいトップハットにステッキを持ち、フロックコートを着た上流の出で立ちで、使う言葉も上流のそれだった。


 やることは随分と横暴だが、乱暴ではなく、リリアンナを馬車に乗せる時もまるで淑女を相手にするかのように、丁寧にエスコートされる。その手を借りて馬車に乗り込むと、すぐに馬車が動き始めた。






 拘束も目隠しもされていないが、窓のカーテンが降ろされているため、どこにいるかはわからない。


 おそらく遠回りをしているのだろう。何度も道を曲がることを繰り返して、馬車がようやく止まったのは小一時間した後だった。


「さ、ハートウェル嬢。着きましたよ。主がお待ちです」

「ありがとう、というべきなのかしらね」


 そう言いつつ、また律儀に差し出された紳士の手を借りて、リリアンナが馬車を降りようとする。と、そこでリリアンナの足が突然もつれた。


「何をやっている。大丈夫か?」

「痛ったぁ……。えぇ、ご心配なく。ずっと座っていたから……」


 レンガ造りの道に転び、体を盛大に打ちつけるリリアンナ。突然のことに一瞬手を貸そうとしていた紳士が驚く隙をみて、リリアンナはドレスの裏地に縫い付けていた紙を剥がし握り込んだ。


「さ、大丈夫なら立つんだ。主を待たせている」

「そんな急かさないでよ。紳士でしょう? ドレスくらい直させて頂戴」


 リリアンナは傍による紳士を制すると、自分で立ち上がり、土埃のついたドレスをパンパンと払う。と、同時にごく小声で


「……あんずいろの魔法を」


 と呟いた。するとリリアンナの手元からごくごく淡い赤っぽい橙色の光が空へ登って夕陽と溶け合ってリリアンナへと降り注いだ。


「何か言ったか?」

「いえ、独り言よ。せっかくのお気に入りのドレスが汚れちゃったと思って」

「全く、この状況でドレスの心配か。街ぐらしと聞いていたが、やはり上流のお嬢様なんだな。さあ行くぞ」


 そう言って、紳士はやや乱暴にリリアンナの右手を取る。その前にリリアンナが握り込んでいた左手を開くと、紙片は強い北風に吹かれてどこかへと飛んでいった。

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