対決
紳士たちに連れられて入ったのは小さな家だ。比較的下町、と言えるだろう小さな家と店が集まる通り。しかし紳士が扉を開けると、その内装はまるで貴族の邸宅のようだった。
狭い廊下には目の詰まった絨毯が引かれ、少ないながら壁には絵画も飾られている。
それはリリアンナが連れて行かれた小さな部屋も同様で、ソファ、小さなテーブルセットと調度品こそ少ないが、それらはいずれも艶があり、一目で高価な品だとわかるものだった。
「お招きいただき光栄です。と言うべきかしら? ウェルテリア卿?」
「おや、覚えていただいていたとは……おっしゃる通り、ヘンリー・ウェルテリアだ。どうぞ以後お見知りおきを」
「御身は有名でいらっしゃいますから。改めまして、リリアンナ・ハートウェルと申しますわ。どうぞよろしく」
そう言うと、リリアンナは大きくワンピースの裾を広げ、腰を落としてカーテシーをする。軸のぶれない美しい礼にウェルテリア卿が「ほぉ」と感心したような声を漏らした。
「あなたは街暮らしが随分と長い、と聞いていましたが。それにしては美しい礼だ。いや……メープレ卿がダンスも随分とこなれていた、と話していましたな。にしてもその名乗りと礼をする辺り、ここに呼ばれた理由は分かっておいでのようですね」
「ええ、おおよそは察しておりますわ」
含みのある笑みで答えるリリアンナにウェルテリア卿は満足げに頷き、少しだけリリアンナとの距離を詰めた。
「では話が早い。ハートウェル嬢は我々の側につくつもりはありませんか?」
「そうですわね……。興味深いお話ですが……詳しいことを聞かないと。具体的に卿は何を私にお求めで?」
リリアンナがほの暗い表情で聞くと、ウェルテリア卿は軽く口角を上げて、さらに一歩リリアンナに近寄った。
「難しいことはありません。あなたはセオドア殿下に随分と信頼されていらっしゃる。それを利用して、殿下に近づき、そして彼を亡き者にして欲しいのです」
「……」
「心配せずとも、あなたに害は与えません。魔法を使えば話は早いのですが……罰が下るでしょうからね、もう少し原始的な方法を取りましょう。もちろん足がつかない方法を考えます。例えば……毒などいかがでしょうか?」
そう言うと、ウェルテリア卿は懐から透明の液体の入った小瓶をこれ見よがしに取りだし、軽くふってみせる。
「……そんなに上手くいくものでしょうか?」
「ええ、それはもうーーご信頼下さい。まあ、多少のリスクは追っていただきますが、その分のお礼は差し上げます、きっと気に入っていただける筈ですよ」
「あいにく、生活には困っておりませんの。欲しいものも特にはありませんわ」
興味を示しつつも、煮えきらないリリアンナ。しかしウェルテリア卿もこうなることは承知のようで、苛立つ素振りすら見せず、平坦な調子で言葉を続ける。
「なるほど、金やモノにはつられないと。ではこういった趣向はどうでしょう? お母君を生き返らせて見せます」
「……!」
その言葉にはこれまで余裕を見せていたリリアンナもさすがにヒュっと息を飲む。しかしすぐに冷静さを取り戻し、不審げにウェルテリア卿を見上げた。
「死んだ人を生き返らせる魔法は、禁忌の中でも特別。私が死んでしまったら母は悲しみますわ」
「ええ、ですからあなたの依頼ではなく、配下の魔法使いの独断、という形で魔法を使うのです。金貨1枚のやり取りがなければ魔法を依頼した、とはみなされない……」
「……ですが、その代わり、罰は全て魔法使いに向かう。死者を生き返らせる魔法など……下手をすれば魔法使いの家族まで巻き込みますが……」
「心配ご無用。それも承知で私に仕えてくれる魔法使いがおります。家の名誉のためなら命すらなげうつ。素晴らしい志です」
「狂ってますね……」
ウェルテリア卿の言葉に、リリアンナは軽蔑の視線を向ける。今日始めての明確な反抗に、卿は
「ハッ」
と笑い声を上げた。
「あなたがそれを言いますか? 禁忌を使い、名誉を得る。それを良しとする魔法使いをよくご存知でしょう?」
「……」
「別に私はそれが悪いとも思いませんよ。同じく、良心と他人の命とを引き換えに、自分の一番の望みを叶えることも。そのための魔法です」
リリアンナの心の弱さをえぐるように、ウェルテリア卿は彼女を追い詰める。それでもリリアンナはまだ、決心がつけられない。視線は部屋をさまよい、カーテンで遮られた窓の外へ向けられた。
「人を不幸にして生き返ったとして……母は喜ばないと思います。父も同じく」
「何を綺麗事を。ほら、ちゃんとこっちを向きなさい。あなたの決心一つで、幸せが取り戻せるのですよ」
ウェルテリア卿の追い込みは続き、リリアンナは逃げるように、また外へ視線を向ける。もう一押しだろう、とばかりにウェルテリア卿は声のトーンを上げた。
「では、良いことを教えてあげましょう。ご両親はただ名誉を高めたかったのではありません。取り戻したかったのです。当時ハートウェル家は事業に失敗し、金策に困ったあげく、国へ収める税をごまかした。しかし悪事はあっけなくばれ、ハートウェル家は取り潰しの危機に……そんな時、王妃殿下の病気が発覚したのです」
「それは……」
「ええ、そうです。王家は悪事を見逃す変わりに、母君の命を差し出させたのですよ。ええ! どうです? 民に愛され、国に尽くす王家など所詮虚像なのです!」
「嘘よ!」
ガッシャーン
そう叫ぶと共に、リリアンナはやけを起こしたかのように、眼の前のテーブルを全力で倒す。テーブルに飾ってあった花瓶が割れ、派手な音を立てる。突然のことに目を丸くするウェルテリア卿。その前には、今までとは全く違う溌剌とした笑みのリリアンナがいた。
「あのねぇ……私、15歳まではハートウェル家で長女として教育されたのよ。家の帳簿だって嫌というほどみてきたわ。……まあ真っ白とは言わないけど、ハートウェル家の財政がどんなもので、どんな悪事をしていたかは把握してる。それにね、お父様もお母様も王家への忠誠心が強すぎる困った人だけど、同時に誇りを持った魔法使いだわ! ねえ、お父様?」
「ああ、その通りだ」
リリアンナが問いかけると同時に、またしてもドッシャーンという派手な音がして、ドアが蹴り壊される。なだれ込むように部屋に入ってきたのは制服姿の警官たちと、リリアンナの父にゴーディン。さらにアルフォンスもいた。
「ようやく尻尾を表したな、ウェルテリア卿。ひとまず誘拐と監禁の容疑で拘束させてもらう」
ゴーディンが言うや否や警官たちが一斉にウェルテリア卿を取り囲んだ。
「馬鹿な……つまり最初から仕込みだったと。それにハートウェル嬢もどうした? にびいろの魔法は効いていないのか?」
実は隣室に魔法使いを忍ばせ、リリアンナを操ろうとしていたウェルテリア卿。しかし今のリリアンナの笑顔は明らかに心を乗っ取られた人のそれではなかった。
「ええ、もちろん。魔法を使ってくるであろう相手の下に乗り込むのに、何の対策もなしで来たりはしないわ。まあ派手な魔法は仕えないから苦労したけどーーあんずいろの魔法はご存知?」
あんずいろの魔法。それは言わばテレパシーのように人と意志を繋げる魔法だ。遠くの人や関わりのない人とであれば、強力な魔法を使う必要があるが、壁越しのようなごく近距離、それも精神的な距離感が近い人とであれば、ごくごく弱い魔法で使うことが出来る。
誘拐されたリリアンナを王宮警察とともに尾行してきたアルフォンスは、そのままこの家の傍に身を隠し、突入の体制が整うまで彼女を励まし続けてくれた。
心に作用する魔法は、魔法がかけられていることを認識し、意志を強く保てば、荒業ではあるが跳ね返すことも出来る。
ウェルテリア一派の魔法への対策として、この方法を採用するとなった時、まずリリアンナが思い浮かべたのはアルフォンスだった。
リリアンナの父は一瞬寂しそうな顔をしたものの、娘の意志を尊重し、すぐにアルフォンスへ連絡して、作戦へ加える。
彼の言葉のおかげでリリアンナはウェルテリア公爵とその部下の魔法使いを前にしても正気を保つことが出来たのだった。
「アル! ありがとう! それにごめんなさい、またお仕事に巻き込んでしまって」
「何を言ってるんだリリ。リリを守るのは僕の役目だった昔から決めてたんだ。頼ってくれて嬉しいよ」
いつかリリがアルフォンスに泣き言を零した時と同じように、彼はそう言って笑いかける。その笑顔にリリアンナはふ、と急に体中の力が抜けるのを感じて、フラリと座り込んだ。
「ど、どうしたんだリリ? もしかして何か薬でも飲まされたか?」
「い、いえ、大丈夫よアル。何にも口にしてないわ。ただ……根性で魔法に対抗……するのって結構疲れるの……」
「……。だから無茶だって言ったんだ。全く、さすがはオリヴィア様の娘だな……」
ほっとしたリリアンナは、そんな言葉を聞きつつ、意識を手放してしまったのだった。
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