薬草の香りの魔法
ラベンダー通りから辻馬車で30分程。リリアンナは街の外れと言ったが、そこはむしろ街の外といった方が正しい場所だった。
王都との間をつなぐ街道沿いであるが故に、人通りはある程度あるが、アッシェルトンのシンボルであるお城は遠く霞み、周囲には広々とした畑が広がる。その中にたたずむ一軒屋をリリアンナは指さした。
「あれがうぐいすいろの魔法屋さんよ」
「なんだか、リリアンナさんの魔法屋さんとは随分趣がちがいますね……」
深緑の瓦に石造りのどっかりとした家は、どちらかというと農家、という印象で街の中にあるしょうびいろの魔法屋とは雰囲気が大きく異なる。しかし、3人がその家へと続く砂利道を行くと、確かにドアには「うぐいすいろの魔法屋」と言う看板が掛けてあった。
「魔法屋の形に決まりはないの。お店がある場所によってまちまちだわ。ごめんください、アリアはいるかしら……」
そんな解説を挟みつつ、リリアンナはドアを少し開き、中を覗き混む。すると中から彼女よりすこし歳上らしき女性が出てきた。
「あら! リリじゃないの久しぶり。どうしたの?」
「ちょっとお願いがあってね、連れてきた人がいるの」
彼女、うぐいすいろの魔法屋の主人の名前はアリア。灰銀の神秘的な腰まである髪に濃紺のストンとしたワンピース。真っ赤な唇も相まってリリアンナよりもずっと魔女、という言葉で形容されそうな女性だ。
「失礼します。こちらがうぐいすいろの魔法……ゴホッ、ンフッ」
「何やってんのあんた、いきなり失礼な……ガハッ」
リリアンナに続いて店に入るのはポールとセリナの夫妻。だが彼らは店に入るやいなや咳込み始めてしまった。
「あらあら……お二人共大丈夫ですか? 始めてですもんね」
「……というかまたやっているのね。相変わらず凄い匂いと色、怪しさ満点ね」
二人が咳き込んだ理由は店に漂う、独特の薬臭さだ。何度もここを訪れて慣れているリリアンナが店の奥を覗くと、大きな鍋で紫とも緑とも黒ともつかない独特の色の液体がグツグツと泡を立てて煮えている。そこから立ち上がる煙こそがこの匂いの正体だった。
「相変わらず失礼ね! 怪しい素材は入っていないわよ。これでも私の薬は大人気なんだから」
「これは失礼しました。街中で花屋を営んでおりますポールといいます」
「妻のセリナです。私も失礼しました」
やっとまともに話せるようになったらしき二人が自己紹介しつつ謝る。
そんな二人を見ながらアリアは苦笑した。
「大丈夫ですよ。始めてこのお店に来た人は逃げるか泣くか咳き込むの。初めまして、うぐいすいろの魔法屋のアリアですわ」
「アリアは昔から薬の調合を副業にしているのよ」
店と奥の作業場を隔てているカウンターにはいくつもの瓶が並んでいる。興味深げにそれを見回すポール達にリリアンナが言った。
「えぇ、そうなの。これでも王都でも販売していて人気なのよ。魔法屋だけじゃ食べていけないしね」
そう、ブリーズベル王国には数多くの魔法屋があるがそれだけで食べている魔法使い、というのはほぼいない。
なにせ魔法1回、金貨1枚だ。庶民にとってはあまりにも高過ぎる。中流以上の家庭なら難なく払える額ではあるが、そもそもこの国には、自分の力でどうにかなることは自分でどうにかするべきで、魔法に頼りすぎるのは良くない、と言う考え方が根付いている。
結果、大体の魔法屋はいつでも暇を持て余しており、副業ありきで生活している。アリアの場合のそれは、趣味が講じた薬草の栽培と調合だった、というわけだ。
ちなみにリリアンナは令嬢として生活している時に身に着けた刺繍を副業としている。幸い師匠から店と共に刺繍を注文してくれる仕立て屋との関係も引き継いだ彼女は、暮らすのに充分なお金は稼ぐことが出来ていた。
もはや魔法屋にとって副業は当然。カラリ、と笑ったアリアは一同を見回した。
「さて……と、わざわざリリアンナがここに来る、ということは植物関係の魔法の依頼よね。さあ今日はなにいろの魔法をご所望でしょう?」
自己紹介も終わったし、早速依頼を聞きましょう、と定番のフレーズを口にしたアリアにリリアンナは「実は……」と事情を話し始めた。
「アザレアを早めに咲かせたい……ね。それぐらいならリリでも出来るでしょうに。たった1,2週間咲く時期を早めるくらい約束に触れることはないでしょう?」
冬咲く花を夏に咲かせるとかならともかく、と苦笑するアリアにリリアンナは「だって……」と口を尖らせる。
「慣れない魔法はやっぱり怖いもの。魔法書も読んだけどやっぱりなかなか理解できないし……」
「はいはい……相変わらず世話の焼ける子ね。良いわ、で、それが問題のアザレアね」
「はい、持ってこれたのは一鉢だけで、他は花屋にあるのですが……」
ポールが大切そうに抱えている鉢植えを慎重に受け取ったアリアはふむふむ、と頷きながら見て回った。
「とっても大切に育てられているのがわかるわ。でも確かに花が咲くにはもう少しだけ必要ね。数日くらいだと思うのだけど……」
「はい、ただ明日咲いていることが重要でして……」
「えぇ、わかるわ。記念日の贈り物だものね。わかったわ」
その言葉にポールとセリナはパッと表情を明るくした。
「この感じなら、わかくさいろの魔法の方が良いと思うわ。リリは知ってるわよね」
突然まるで教師のようにリリアンナを指差しアリアが問いかける。リリアンナはそれに驚きつつもよどみなく答えた。
「植物に力を与える魔法よね」
「そうよ、せっかくだし教えて上げるから覚えて帰りなさい」
「え! アリアがかけてくれるんじゃないの?」
「花屋さんにまだ鉢植えが一杯あるんでしょ? 私は調合があるからあんまり遠くへは行けないもの」
「ま、まぁそうだけど」
「つべこべ言わない! じゃあまずはお手本ね……」
そう言いながら、薬の入った瓶の隣に立てかけてあったいくつかの本から一冊を取り出す。
迷うこと無く目的のページを開いたアリアは、小さくいくつかの言葉を唱えてから、家の中に響く声で呪文を唱えた。
「わかくさいろの魔法を!」
本から飛び出すのは鮮やかな黄緑色。もっともその光が吸収されたアザレアの鉢に何らの変化もなく、ポール達は怪訝そうな顔をした。
「そんな顔をしないで。まあ疑いなくなるのもわかるけど……夕方には間違いなく花が咲いているはずよ。さあ、次はリリの番。そうね……この花で試してみましょう」
そういって本を開いたまま、彼女はリリアンナに近づいていった。
「わかくさいろの魔法を!」
ラベンダー通りのすぐ近くにあるポールの花屋。愛らしい花が所狭しと並べられる店内を光が包み込む。またしてもその光を吸収した鉢植えはなんの変化もないが、それとは別に一つだけ真っ赤な花を見事に花を咲かせているアザレアがあった。
「本当に咲きましたね。それになんだかいつもより花が元気な気がします」
「なにしろ植物の生命力を強める魔法ですから……でも今更ですが良かったのでしょうか? 金貨1枚を払ったらいくら大口の注文でも赤字ですよね」
本当に今更ながらリリアンナは申し訳なさげに話す。しかしポールはカラッとした明るい表情をしてそれに答えた。
「良いんですよ! これでボールスさんとその奥様が喜んでくださるのでしたら花屋冥利につきます。それに何と言ってもあの方はお得意様ですし」
「何を調子の良いこと言ってんだい。でもリリアンナさん。私達はね、なにより花を見てお客様が笑顔になってくれるのを見るのが何よりも嬉しいの。だから今日はありがとうね」
「ありがとうございます! リリアンナさん」
「いえ、今日の功労者はアリアだわ」
揃って礼を言う夫妻にリリアンナはそう言って謙遜するのだった。
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