かなりあいろの証言者
拾いものは子犬
5月のブリーズベル王国といえば、なんといっても薔薇だ。古城の街、アッシェルトンもまた同じ。いくつもある薔薇を冠した通りには住民たちが天塩を掛けた花が美しく、気高く、そして愛らしく色づく。
寒さもようやく和らいだ街の陽気に当てられたのか、今日のリリアンナのワンピースは真っ赤な薔薇色。おろしたての洋服は着る人の気持ちを高揚させる。
なんだかんだと忙しく、なかなか会えていなかった小さな友人とのを約束を控えたリリアンナは表情もウキウキと、ワンピースに合わせて薔薇をかたどった髪留めで栗色の髪を止め、お店のドアを開けた。
「やぁ、リリちゃん、ごきげんよう」
「おはようございます。ブラッドさん……まあ! 可愛い。ブラッドさんのところで飼い始めたんですか?」
既に人の行き交うラベンダー通り。そこで彼女に声をかけたのは数件隣でパン屋を営むブラッド氏。
アッシェルトン名物のジンジャーパンが得意の彼は、通り中に響き渡る野太い売り声と、パン作りで鍛えた太い腕が自慢の中年だ。
そんな彼のがっしりと腕の中に今日は可愛らしい生き物が収まっている。コロンとした瞳をキョロキョロとさせつつも、大人しく抱かれているのはおそらくコーギーだろう子犬だった。
「いや……そうじゃなくて、訳ありなんだけどね……人懐っこくて良い子だよ」
「本当! まあ、お利口さんねぇ」
人懐っこいらしく、初めて見るリリアンナにも挨拶代わりとばかりに一鳴きして、愛想を振りまく子犬にリリアンナの頬もゆるゆると下がってくる。
一通りその愛らしさを堪能したところで、リリアンナはようやく「訳あり」の言葉を思い出した。
「ところで……訳あり、なんですよね? まさか捨てられていたとかですか?」
こんな可愛い子を捨てるなんて! と唇をワナワナと震わせるリリアンナにブラッドさんは苦笑いを返した。
「いや……そういう訳でもなくてね。どちらかというと迷子かな? 今朝一人で店の前を歩いてたんだ。汽車が動き出せば結構ここも人通りが多くなるだろう? うっかり踏まれたりしたら危ないと思ってとりあえず家で預かったんだ」
「確かにそうよね、危ないわ」
「だろ、ただここからが問題で……うちはパン屋だし、しかもせがれは犬が怖いらしくて、あんまり長く預かれないんだよな」
こんな可愛いのでも駄目らしい。とブラッドさんはおどける。
「まあ、どんな人にも怖いものがあるから仕方ないわ。……にしてもじゃあどうしましょうか? 早く飼い主さんが見つかると良いのだけど。それまではうちで預かるか……でも……」
家事全般苦手ーーというよりもお世話をされるのが当然、という生活をしていた期間の方が長いリリアンナは犬の世話をしたことなどない。
可愛い動物は好きだが、預かるとなるとまた話が変わる、と困惑させるリリアンナ。
やっぱりそうだよねぇ、とブラッドさんも困り顔になり、二人揃って顔を見合わせあところで、二つの声が新たにきこえてきた。
「ごきげんよう、リリアンナさん! 初めましてソフィアですわ」
「ああ、待てってば。おはようございます、ブラッドさん。それにリリも」
通りの向こうからやや小走りでやってきたのはこれまた真っ赤な可愛らしいドレスを纏った伯爵令嬢、ソフィア。その後ろには光栄にも子守役に任命されたらしき、アルフォンスが苦笑しながらいかけてきた。
「これはこれは初めまして。向こうでパン屋を営んでおります、ブラッドと申します。どうぞよろしくお願いします」
意図的に家名を抜いて名乗ったソフィアだが、流石に服装と身のこなし、言葉遣いで貴族だ、ということはわかったらしい。
もっともだからといって慌てることもなく、ブラッドさんは流れるように、腰を折り、目上の人物に対する礼をとった。
「まあ、久しぶりね、ソフィア! 元気そうで何よりだわ。アルもおはよう」
「ところで……ふたりともどうかされたんですか? 顔を見合わせて困ってるみたいだけど……」
片や子犬を抱えつつ、もう片やそんな子犬と視線を合わせつつも困り顔のブラッドとリリアンナにどうしたのか? と疑問の表情を浮かべるソフィア。そんな彼女にリリアンナは先程までの話しを説明した。
「……と、いう訳なのよ」
「だったら、我が家で預かっても良いかしら! 我が家なら犬たちのお世話をする専属の使用人がいるし、それにきっとこの子かなり良い家の子だわ。知り合いに迷子になった子がいないか聞いてみれば飼い主がわかるかも知れないでしょ?」
リリアンナの話をきいたソフィアは目を輝かせてそう話す。
ブラッドの腕の中の子犬は良くしつけられているようで、飼い犬であることは間違いない。
それに加えて彼女の言う通り、艶のある毛並み、そして何よりも首に結ばれた上等なリボンは、この子犬がそこそこの階級の家で買われていたことを匂わせていた。
「飼い犬の専用の使用人って流石ガードナー家ね……でも確かに悪い話じゃないかも。どうでしょうブラッドさん?」
「ガ、ガードナー! つまり伯爵様の? ど、どうしてそんな方がこちらに?」
さっきまでは相手の身分を察しても、悠然としていたブラッドだが、流石に伯爵、それも街有数の大貴族となれば話が別らしい。随分と慌てた様子にソフィアは苦笑した。
「だから家名を名乗らなかったのに……リリアンナさんったら。以前魔法屋さんに助けていただいたことがあって、以降親しくさせてもらってるんですわ。ブラッドさんもどうぞお気兼ねなく」
無理です。ブラッドはそんな気持ちが現れたような表情で、困ったように立ち尽くしていた。
「ごめんなさいね、ソフィアさん。それでブラッドさん? 子犬ちゃんのことはどうしましょう?」
その言葉でようやく現実に戻ってきたブラッドは
「確かに見れば見るほど、上流のお家の飼い犬って雰囲気ですね。ガードナー伯爵令嬢、お願いさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「ええ! もちろんよ」
満面の笑みで答えるソフィアに、ブラッドは相変わらず緊張しているらしく、少し足を震わせながらも近づき、子犬を手渡す。
ソフィアは美しいドレスを気にすることもなく、胸のあたりでしっかりと子犬を抱きしめた。
「本当にお利口さんな子ね。早く飼い主さんを見つけてあげたいけど……それまで少しの間だけ、我が家に来ない?」
慈しむような表情で子犬と目を合わせるソフィアに彼はよろしく、と言わんばかりに一つ鳴き、ソフィアに身体を擦り寄せた。
「じゃあ、決まりね。私も知り合いに心当たりがないかあたってみるわ」
「僕も聞いてみよう」
「俺もこの辺で迷子になった子犬がいないか引き続きさがしてみるよ」
3人もそれぞれ飼い主探しに協力することを宣言したところで、「じゃあ」とソフィアがリリアンナの方を向く。
「会って早々なんだけど、この子をお家に連れて帰らないといけないから、今日はお暇させていただくわ。また近いうちに伺っても良いかしら?」
もっとおしゃべりしたかったんだけど、と眉を下げるソフィアにリリアンナは笑みを送る。
「その方が良いわね……だから気にしないで。また時間ができたらいつでも遊びに来て頂戴。その子のお話しも聞きたいし」
「ありがとう、リリアンナさん。さ、ワンちゃん。我が家に行く前におじさんにご挨拶しないとね」
そう言ってリリアンナは子犬を抱いたまま、ブラッドの方へ近づく。ブラッドはそんな彼女が抱く子犬の頭を名残惜し下に数回撫でた。
「元気でな。早く飼い主さんが見つかることを願ってるぜ。
……ガードナー伯爵令嬢、どうぞこの子をよろしくお願いします」
お別れだ、ということを察したのか「クゥーン」と少し寂しげに鳴く子犬に少し後ろ髪を引かれたような表情をしつつも、笑顔でブラッドはそう言う。
そんな彼にソフィアは
「おまかせくださいませ。飼い主が見つかったらこちらにもお知らせに参りますわ」
と微笑んだ。
「さぁ、じゃあいきましょうか、ワンちゃん? お兄様、かえりますわよ」
「ああ、そうだな。ブラッドさん、お騒がせしました。リリ、また今度な」
そう言うと、二人は入口に待たせて会ったらしい、馬車の方へ歩き、こちらを振り返って、もう一度手を振るのだった。
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