高貴な飼い主

 ブラッドが子犬を拾ってから数日。ラベンダー通りには子犬をしっかりと抱いたソフィアの姿があった。

 ちなみにアルフォンスが仕事が抜けられなかったらしく今日は一緒ではない。


「ふふふ、良く懐いているわね。それにとっても綺麗にしてもらって、毛並みもツヤツヤだわ」

「えぇ、我が家の使用人達が手塩にかけてお世話してくれてるから。それに彼らにもとっても懐いてくれて、もう屋敷中のアイドルよ、ねぇエドワード?」


 そんな風に軽く小首を傾げつつ、子犬に話しかけるソフィアに、リリアンナに呼ばれて通りに出てきたブラッドが勇気を出して、という様子で声をかけた。


「エドワード、とその子をお呼びなのですか? ガードナー伯爵令嬢」

「えぇ、ブラッドさん。ほら、この子首に青い上等なリボンをしていたでしょう? あれに名前が刺繍されていたの。だからきっとエドワードって名前なんだろうなって思いましたの」


 その言葉に、「正解」とでも言うようにエドワードが「ワン」と機嫌良さげに鳴く。

 その様子をリリアンナは微笑ましげに見守りつつ、「それで……」とソフィアの方へ視線を上げた。


「その後飼い主さんの情報はどう? 私の方はさっぱりなんだけど」

「うちも全然だ。まあそもそもコーギーはわりと上流の方の飼い犬で、この辺で買っている家はほとんどないんだが……だからこそ、もし迷子になった子がいたらすぐ噂になるはずなんだ」


 口々に言う、二人にソフィアは困ったような顔をした。


「そちらもなの? 実は私も行き詰まってるの。アッシェルトンの社交界は広いようで狭いから、すぐ見つかると思ったんだけど……全然見当たらないのよね。お父様とお母様も知り合いにあたってくれているけど駄目だったわ」

「まさかと思うけど……旅行にいらっしゃった方とかじゃないわよね?」

「だとしたら、厄介だな。エドワードってことはこの国の子だろうが、それでもアッシェルトンに来る観光客は大勢いるぞ」


 リリアンナの一言にブラッドとソフィアは揃って顔を歪めた。


「でもこれだけ探しても情報の一つも出ないってことはあり得るわよね。……だとしたら本当に探すのは大変よ。いっそ魔法を使ってしまうというの手かしら? 何でも魔法に頼るのはよくない、って言うけどこれは良いわよね?」


 そう言ってソフィアがチラリ、と伺うのは彼女に付き従うリリアンナよりも申少し歳上の侍女。彼女は


「仕方がありませんね」


 と端的に答えた。






 そうと決まれば話は早い。パン屋の作業にそろそろ戻らないといけない、というブラッドを送り出してから


「じゃあ、お店に入りましょうか」


 と、すぐ後ろの自分の店のドアを開くリリアンナだが、そこへカラカラ、という馬車の音がして、リリアンナ達は一旦道の脇へと待避する。


 馬車一つ分の狭い道であるラベンダー通り。馬車が通るたびにこうして通行人が脇へ避けて道を作ってあげるのは日常の光景だった。


「ありがとよっ」


 と御者が声を掛け、ゆっくりと馬車を進めていくのもいつも通り。だが、リリアンナたちの目の前を過ぎたところで馬車が突然止まり、ドアが開くと、ちょうどソフィアと同じくらいの上等な洋服を纏った少年が文字通り馬車から飛び降りてきた。


「エドワード! エドワードだね」


 その少年は子犬の名を呼びつつ、エドワードをしっかりと抱きしめているソフィアの方へ一直線に走る。

 その勢いに覆わずソフィアが後ずさったところで、馬車からもう一人飛び降りてきていた初老の人物が少年の首根っこを掴んだ。


「セオドア様、エドワード様が見つかって嬉しいのは分かりますが、礼儀を忘れてはいけません。お嬢さんが怖がっていらっしゃるではありませんか」

「あ、ごめん、イーサン」

「謝る相手は私ではありませんよ。それにご挨拶もしなければ」


 少年の首根っこを掴んだのはおそらく彼の教育係か誰かなのだろう。興奮していた少年をそう諭した彼は、手を離し、ソフィア達の方へ再度向かわせた。


「先程は失礼した。初めまして、セオドアだ。どうぞよろしく」


 落ち着きを取り戻したらしき少年は、華麗な動作で美しい礼を披露する。

 明らかに上流らしき衣装に身を包んだ少年は、キラキラと輝くような金髪に印象的な榛色の瞳、スラリとした長い手足の美少年だ。


 思わずその姿に揃って見惚れたリリアンナとソフィアは同時にまるでピキン、と音を立てたように固まった。


 ほんの一瞬時間が止まる。が先に我に返ったのはソフィアの方だった。


「ご挨拶遅れました、セオドア……様。ガードナー伯爵が娘ソフィアにございます。お会いできて光栄に存じます」


 一瞬の逡巡の後、敬称を様にしつつも目上の貴族に対する深い礼を取ったソフィア。それに続くように、


「しょうびいろの魔法屋店主、リリアンナ・ハートランにございます」


 と、リリアンナも深く礼をした。


 ソフィアの言葉と行動にセオドアの正体を正確に認識している、と判断したのだろう。


 セオドアが


「顔を上げてくれ」


 と言うと、その後ろからイーサン、と呼ばれた老紳士が、


「ソフィア嬢、リリアンナ嬢、侍従のランパードと申します。皆様の御配慮に感謝致します。ただ、ここ最近は殿下の居場所を隠すこともしなくなりましたので敬称をお使いいただき結構です。……が、皆様はどうやらエドワード様を保護してくださった恩人のご様子、どうぞ楽になさって下さい」


 と、付け加えた。


 ソフィアは突然現れた貴人に若干鼓動を早くしつつも、堂々たる振る舞いを見せる。


「では改めまして、王子殿下にお会いできました栄誉、大変幸運に存じます。この子はあそこのパン屋の主人が保護して下さったのですが、王子殿下のご友人なのですね」


 そう言いながら、ソフィアは今まで腕に抱いていた子犬をセオドアの方へ差し出す。


 彼女の手からそっとエドワードを受け取り、胸に抱いたセオドアは感極まったように、その抱く力を強くした。


「エドワード! よかったよぉ……ごめんね、本当にごめんね」


 緊張の糸が切れたかのようにエドワードの毛並みに顔を埋め

 るようにして泣き出してしまったセオドアだが、そんな彼を4人は暖かい目で見守っていた。


「グスッ、あぁ、お礼がまだだったね。ソフィア嬢、リリアンナ嬢、あなた方はエドワードの命の恩人だ。本当にありがとう」


 ようやく泣き止んだセオドアはしっかりとエドワードを胸に抱いたまま、頭を下げる。


「いえ、私は何もしてないわ」

「私もです」


 そんな彼に3人が謙遜したところで、セオドアは改めて3人と目をあわせた。


「本当にありがとう。このお礼は必ず何処かで。そのパン屋の主人にも礼を言わないといけないしね。ただ今日のところはひとまずエドワードを家に連れて帰ろうと思う。急に攫われて怖い思いもしただろうし。さぁ、エドワード、お家に帰るよ」


 改めて3人に礼を言ったセオドアは腕の中のエドワードにそう声をかける、と次の瞬間、これまでずっとおとなしかったエドワードが急に暴れ始めた。


 突然、何度も激しく吠えながら暴れるエドワードにセオドアは困惑しつつ、彼が逃げ出さないように、少し抱く力を強める。


 幸い、セオドアに抱きしめられてエドワードは少し落ち着いたようだが、それでもまだ息は荒いままだった。


「どうしたのでしょう、エドワード様」

「まさか……おうちに帰りたくないの?」


 時折、唸るような声を上げるエドワードと目を合わしつつ、セオドアは自分で発した言葉に絶望したかのような表情をした。


「で、殿下? 僭越ながら殿下と再開したときのエドワード様はとても喜んでいらっしゃいました。ですので何か事情があるのでは?」

「そ、そうよ、きっと何かあるのですわ」


 あまりにもしょんぼりしたセオドアを慌ててリリアンナとソフィアが慰める。とリリアンナが何かを思い出したかのように「あっ」と声を上げた。


「そういえば、エドワード様は攫われた、とおっしゃいましたよね。随分物騒な話ですが……何があったのでしょうか?」


 もしやそれがエドワードが家に帰りたがらない理由なのでは? と尋ねるリリアンナに答えたのはランパード氏だった。


「先日、殿下は離宮の近くにある公園でエドワード様を散歩させていらしたのですが、そこで数人組の賊に襲われたのです。幸い、護衛達がすぐに応戦し、殿下はこの通り無事だったのですが……もとより彼らの狙いはエドワード様だったようで……」

「まあ、なんてこと」

「こんな可愛い子を、なんて酷いのかしら」


 ランパード氏の説明にソフィアとリリアンナは憤慨する。


「彼らがエドワードを攫った理由が分からなかったから本当に不安だったんだけど……見つかって良かった。本当に良かったよ」


 話ながら、そのときの不安が蘇ったのか、セオドアはもう一度エドワードを掻き抱く。そんなセオドアにエドワードは特に抵抗することもなくむしろ「クゥーン」と心配するような声を挙げて鼻をこすりつけた。


 そんな姿を見守りつつリリアンナは考える。


「やっぱりエドワード様が家に帰りたがらないのには何か理由がありそうですわ。こんなにセオドア様に懐いているのですもの」

「えぇ、そうよねぇ。犬の言葉が分かれば早いんだけど……流石に無理よねぇ」

「あら、出来るわよ」


 ソフィアのため息交じりの言葉に何気なく答えたのはリリアンナ。とその言葉にセオドアが飛び上がるように反応した。


「え! 本当か、リリアンナ嬢? つまり魔法でか?」

「は、はい。短期間ですが……」

「じゃあ、是非お願い! あぁ、でも魔法屋さん、って言うことはお金が要るよね……。ねぇイーサン、駄目かなぁ」


 先程までの今にも泣きそうな姿はどこへやら、興奮した様子でリリアンナにお願いしたセオドアは、魔法屋に依頼するならお金がいる、ということに思い至り、今度はランパード氏へ懇願の目を向けた。


「いや……しかし、先程も魔法を使いましたし、あまりたくさん魔法を使うのも……」

「分かっているよ。でも、エドワードの言葉が分かれば、彼を攫ったやつのこともわかるかもしれないでしょ。不穏分子は減らすに限るんだよね」


 急に大人びだしたセオドアにランパード氏は苦笑し、


「仕方ありませんな」


 と、リリアンナの方を向いた。


「それではリリアンナ嬢。我儘な王子で申し訳ありませんが、その魔法、お願い出来ますかな」

「ええ、もちろんですわ。じゃあ、早速始めますわよ。殿下、失礼致します」


 ランパード氏の申し出に頷いたリリアンナはエドワードを抱く王子へと近寄った。

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