そこにはちょっと恋の予感
「かなりあいろの魔法を」
ワンピースの隠しから手帳を取り出したリリアンナが呪文を唱えると、明るい黄色の光が飛び出して、エドワードに吸い込まれていく。
その光が全て消えてから、リリアンナはエドワードと目を合わして、話し始めた。
「初めまして、リリアンナですわ。どうぞよろしく」
人に話すように、話しかけるリリアンナに対して、エドワードはワンワンワンと当たり前のように鳴いて返す。
人語と犬語が当たり前のように行き交う不思議な時間が少しの間流れた。
「はい、えっ、本当ですか?」
少し膝を曲げ、エドワードと目の高さを合わせるようにしていたリリアンナが急に驚いたような声を出す。
「どうしたの!」
「なんて言ってるんだ?」
耐えきれない、というように相次いでリリアンナに問いかけるソフィアとセオドアにリリアンナは少し深刻そうな表情をしてみせた。
「あの……驚かないでほしいんだけど」
「ああ、大丈夫だ」
「エドワード様が攫われた数日前、離宮でお二人が遊んでいる時にある使用人がセオドア様のお茶に変なものを入れたそうなの」
「変なものですか?」
リリアンナの言葉に大きく反応したのはランパード氏。王子の飲み物におかしな物を入れられた、というのだ。当然だろう。
「えぇ、嫌な匂いがした、と」
「それってもしかして」
「毒だった可能性は高いな。まあよくあることだ」
「よくある……のですか?」
自分の飲み物に毒を入れられたかもしれない、というのに平然とする王子にソフィアは愕然と呟く。
「僕の立場は微妙でね。でもわかったよ。確かに数日前、普段大人しいエドワードが急に暴れて使用人がポットを落としてしまったんだ。幸いエドワードにも使用人にも怪我はなかったけど……あれはエドワードが僕を守ってくれたんだね」
「ワンッ」
「その通りだ、と言ってます」
誇らしげに鳴くエドワードにリリアンナが通訳を入れ、そんな彼を「ありがとう!」と言いながらセオドアが何度も撫でる。
一通りセオドアがエドワードを褒め終えたところで、エドワードはまた鳴き始めた
「それでエドワード様は犯人の姿も見たそうです。いつも家にいる人の一人で背が高くて、髪が薄いんだとか……これで絞り込めますか?」
「残念ながら……そういった特徴の者は何名かいますね、ですが彼らを全員解雇すれば……」
「ちょっと待って、イーサン。それじゃあ解決にならないだろう。きちんと犯人を見つけて裏に誰がいるか確かめないと。まさか悪戯な訳ないだろうし」
とにかく王子にとって危険な人物は排除しよう、というランパード氏を王子が留めた。
「エドワード? 他に何か手がかりはないのかい?」
「セオドア様が他に何か手がかりがないか教えてほしいと言っておられます」
リリアンナの言葉にまたエドワードが何度か鳴く。その鳴き声にリリアンナは困ったように唸り声を上げた。
「家に帰って、その人の匂いを嗅げばすぐわかる、と。見た目ではあまりわかりにくいそうです」
「あぁ、犬ってそんなに視力良くないんだもんね? じゃあ、エドワードは帰りたくないんじゃなくて、危険を知らせようとしてくれてたんだね」
その言葉を肯定するようにエドワードが元気よく鳴いた。
「あっ、今のはもう分かるから通訳しなくて良いよ。けど確かに困ったな。できれば犯人を捕まえたいけど……エドワードと話せるのはリリアンナさんだけだよね」
「残念ながら……」
リリアンナの言葉に少しの間沈黙が流れた。
「じゃあ……すごく申し訳ないんだけど、リリアンナさんも離宮まで着てもらうことは出来るかい?」
「えぇ、もちろんですわ」
「では、私も同行してよろしいでしょうか」
少し躊躇したようだが、結局リリアンナに離宮に来るようお願いする王子。それを快諾したリリアンナの声に続いてソフィアの元気な声が響き、リリアンナは「何を言ってるの?」とばかりに目をむいた。
「王子を暗殺しようとしたかも知れない人がいるのよ。そんな場所にソフィアさんを連れて行く訳には……」
「だからこそリリアンナさんだけをそんな場所に行かせる訳にはいかないわ。それに……恐れながら殿下の馬車だとリリアンナは乗れませんよね?」
その言葉にリリアンナは先程の馬車を思い出す。この通りだとなかなか大きく見えるが、確かに王子が載ってきた馬車は小回りを重視した小型の物。おそらく二人乗るのがやっとだろう。
「ガードナー嬢の言う通りだな。……ではガードナー嬢、あなたも離宮まで来てくれるか?」
「はい、お許し頂きありがとうございます」
「よし、では今度こそ家に戻るよ、エドワード。リリアンナさん、ガードナー嬢もよろしく」
「「畏まりました」」
王子の言葉に二人が答え、一同は馬車を待たせてある大通りヘ向けて歩き始めたのだった。
王子の馬車にはランパード氏が同乗するため、リリアンナはソフィアの馬車に乗せてもらう。向かい会って座った二人の話題は王子のことだった。
「それにしても……複雑な身の上だとは聞いていたけどあそこまでとは思わなかったわ」
「えぇ、リリアンナさん。まだ私と同い年ですのに、命を狙われるのに慣れるなんて……」
毒を盛られたかも知れない、聞かされてもカラリ、としていた王子を思い出し、二人は揃ってため息を吐いた。
そもそも何故、セオドア王子が慣れてしまう程頻繁に命を狙われるのか、その理由は彼が生まれた時にまで遡る。
十数年前、めでたく待望の第一子を身ごもった王妃は、しかし重い病に襲われ、死の床を彷徨うことになった。
日に日に弱り、ついには国王が最悪の結末を覚悟した頃、救世主が現れる。
王家の覚えもめでたく、また、王妃の友人でもあり、そして治癒の魔法の使い手である魔法使いだ。
彼女が自身の命と引換えに使った魔法によって王妃はなんとか死の淵から戻り、無事セオドア王子を産み落とす。そう、その魔法使いこそ、リリアンナの母親だ。
一人の魔法使いの命が失われたことは残念だが、王妃の無事と王子の誕生には国中が歓喜する……のだが、そうではない物が幾人かいた。
不謹慎にも王妃亡き後に、自身の娘を王の後妻とし、権力を得ようとした人物、ウェルテリア公爵とその取り巻き達だ。
王妃の病が発覚した頃から水面下で動き回り、病の妻にかかりきりとなった国王の政務が少しおろそかになった隙に一気に影響力を拡大した公爵だが、王妃が回復したことでその目論見は泡と消える。
が、それで諦めるような人物では彼はなかった。
何とか病床から起き上がり、王子も無事出産した王妃だが、その体は大変弱っており、王子を無事出産出来たのも奇跡、第二子など問題外、と言うのが侍医の見立てだった。
となれば、王子を亡き者にしてしまい、子がいないことを理由に娘を第二妃として、王子を産ませれば良い、と公爵が考えるのはある意味自明。幸か不幸か、王家にはセオドアの他に王位を継承出来るちょうど良い年齢の子供がおらず、現王太子は国王とさほど歳の変わらない独身の弟だった。
そんな訳で公爵とその一派によって命を狙われるようになったセオドア王子は早くから両親と引き離され、居場所を隠して育てられるようになる。
だが、いずれは国王になる身。いつまでも隠れているわけにもいかない。
そこで中上流以上の者たちが多く通う学校への入学を期に、社交界へも出入りする舞台として選ばれたのが、古くは王家の住まいでもあった古い都、アッシェルトンだった、という訳だ。
とはいえ、その街に引っ越した途端に起きた暗殺未遂。前途は多難だ、と2台の馬車に乗る全員が思う中、それぞれの馬車はアッシェルトン城の傍にある離宮の馬車寄せへと滑り込んだ。
「始めてお伺いしますが、素敵な場所ですね、殿下?」
「だろう? なんならエドワードの散歩もこの建物中で出来てしまうくらいだ」
なんとなく暗い雰囲気を吹き飛ばそうとする王子の冗談だが、実際離宮は広い。古くは王家の住まいとして利用されていた広い敷地には多くの使用人が働いていた。
「この部屋が普段エドワードがいる部屋だ。多分エドワードが見た使用人はこの辺で働いているはずなんだが……何かわかるか?」
そう、エドワードに問いかける王子。離宮の中だ、ということでエドワードは悠々と廊下をあるきつつ、クンクンと何やら匂いを嗅いでいる。
そんなエドワードの傍にしゃがんだリリアンナはふむふむ、と彼の鳴き声を聞いてから立ち上がった。
「お茶におかしな物を入れた人物の匂いがするそうです。きっとこの近くにいると」
「そうか。よし、ランパード! この辺の部屋をしらみつぶしにーーってこら! エドワード、待て」
リリアンナの言葉を聞いた王子はランパード氏を呼び寄せて何やら耳打ちする。と、エドワードが突然、少し開いていた向かいの部屋へスルリと滑り込み、王子は慌てて呼び止めた。
「ん? 何だお前! 生きてたのかよ」
エドワードを追って部屋へなだれ込んだ一行が見たのはキャンキャンと普段ならまずありえない勢いで吠えたかられる背の高い男。
足元で吠え続けるエドワードに意識を囚われていた男はいつの間にか主人の鋭い目線が自分に向いているのに気付いて固まった。
「で、殿下! あぁ、気づかれてしまったのですね。なら仕方ない!」
王子の茶に毒を仕込んだ瞬間を見られた為に、急遽仲間を使って誘拐したはずの子犬。その子犬に吠えられている自分にそれを見て何かを悟った様子の王子。
その様子を見た男もまた、自分の容疑がバレた、ということに本能的に気付いたらしい。そこからの動きは早かった。
「エドワード! おい、ランパード離せよ」
「いけません、坊ちゃま! あ、ガードナー嬢も駄目です」
人質にでもしようと思ったのかとっさにエドワードの首根っこを掴む男。
王子はそれを見て慌てて、男の方へ飛びかかろうとするが、勿論ランパードに止められる。
が、その横をすり抜けるように、ソフィアが小さな体全体でぶつかるようにして男へと飛びかかっていった。
「おい! お前なんだよ。 いや……どうせならお前の方が良いか」
その勢いに驚きとっさにエドワードを掴んでいた手を放した男だが、今度はすぐにソフィアの白い手をがっしりと掴む。
「お嬢さん……ガードナーのとこの娘さんか。こりゃあ良い。最高の人質だ」
そう言って、彼女を掴む手にさらに力を入れる。
……っとその顔が突然歪んだ。
「痛てっ、おい! 何しやがる」
突然手に走った猛烈な痛みに手の力が抜けた瞬間にソフィアはパッと男から身体を話し、そのままドアの方へ駆け戻る。
と、同時にドアの外からは離宮に配置されていた護衛達がなだれ込み、男を取り囲むのだった。
「ソフィアさん! なんて危ないことをするの」
「そうですよ。エドワード様を救って頂いたことは感謝しかございませんが……もう少し自分の立場を考えて下さいませ」
「う……ごめんなさい」
あっという間に取り押さえられた男が連れていかれた部屋でリリアンナとランパード氏の両方から叱られたソフィアは少ししょげた表情をする。
そんなソフィアに王子が近寄った。
「けどガードナー嬢のおかげで、エドワードが助かった。本当にありがとう。だから二人共それぐらいに……」
「殿下もです! そもそも護衛を待たずに部屋に入るからこのようなことに……」
「そ、それは……」
ソフィアに感謝の言葉を述べつつ、庇おうとするが、反対に彼もまたランパードに説教されることになり、年嵩の使用人に懇々と諭される少年、少女、という図が出来上がる。
ある程度二人を叱ったところで、ようやくランパード氏は二人を開放する。
王子の側でお説教が終わるのを待っていたエドワードがリリアンナに向けて甘えるような鳴き声を出した。
「あぁ、エドワード。そうだよなエドワードもガードナー嬢にお礼しないとな。僕からも改めて、本当にありがとう」
「いえ、当然の行いですわ」
その言葉にだから危ないことはやめてほしいのだけど、と苦笑するリリアンナ。一方王子はエドワードを下ろすと、先程男に掴まれた手をそっと握った。
「手も大丈夫? 見た感じは平気そうだけど……と、いうかあれはなんだったの」
「は、はい! 大丈夫ですわ。……あれ、というとあの男にしたことですよね? 私護身術を少し嗜んでおりますの」
突然王子との接触に、暴走気味だが基本的に箱入り娘のソフィアは顔を真赤に染め上げつつなんとか答えた。
「護身術?」
「えぇ、お父様が拐かしにでも遭ったら危ないからって、先生をつけてくださったの……東方の護身術だそうなのだけど」
「そ、そうなの……」
あまりにもあわあわ、とするソフィアに助け舟を出すべく、護身術について尋ねたリリアンナは彼女の答えに苦笑する。
ソフィアの両親はなかなか彼女のことを溺愛しているらしい。最初に二人の話を聞いた頃とは彼女の中でも随分と印象が変わってきていた。
犯人が無事見つかった、ということでソフィアとリリアンナは帰ることとする。屋敷の使用人が犯人だった、というのは不安だが、そこはランパード氏がどうにかするだろう。これ以上は彼女たちがいても邪魔なだけだ。
「二人共、本当にありがとう」
「お二方のご助力、心より感謝致します」
玄関まで二人を見送ってくれた王子とランパード氏が馬車に二人にそう言う。
それに対しソフィア達は揃って美しい礼を見せた。
「でも……エドワード様ともうお別れなんて少し寂しいですわ」
短い間とはいえ、ソフィアはガードナー邸でエドワードと共に暮らした。本当に残念そうに少し落ち込んだ表情をするソフィアに王子は「じゃあ」とソフィアに近寄り声をかけた。
「また、エドワードに会いに来ないかい? ここはもうすぐ出ないと行けないけど、引っ越し先は町中のタウンハウスだ。ガードナー嬢の家からも近いだろう?」
王子は街のやや外れに位置し、古いが故に使い勝手の悪い離宮から、町中の王家所有のタウンハウスに引っ越す予定になっていた。
「そ、それは嬉しいですけど……よろしいのですか?」
急に詰められた距離にまたしてもどぎまぎとしつつ、ソフィアは無意識の上目遣いで問うた。
「勿論。君はエドワードの命の恩人だ。それに私だって犬好きのお友達が出来るのは嬉しい。エドワードも歓迎だよね?」
その言葉に共に見送りに来ていたエドワードは「当然」というように「ワン」と一つ上機嫌に鳴いてみせた。
「で、では……是非……楽しみにしてますわ!」
「あぁ、必ずだよ。待ってるから」
ニッコリと心からの笑顔を見せる王子に鼓動を段々と早めつつ、ソフィアはリリアンナと共に別れを告げて離宮を跡にしたのだった。
「良かったじゃない? またエドワードに会えるわよ、殿下にも」
「え、えぇ、そうなのですが」
王子様にお友達だと言われてしまった、とまだ赤みの引かない頬に手を当てるソフィアにこのことを知ったらソフィアの両親はどんな顔をするのだろうか、と想像してしまうリリアンナだった。
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