れんがいろの届けもの
お菓子屋さんの師匠
「リリ? まだ落ち込んでいるのか?」
北からの風が強く吹くラベンダー通り。しょうびいろの魔法屋の店内にいるのは、店主リリアンナに幼馴染のアルフォンスと友人のソフィア。
せっかく気の知れた友人たちが来てくれた、というのにどこか気もそぞろなリリアンナの瞳を、アルフォンスが心配そうな表情で覗き込む。
やはりどこか曇りのあるリリアンナの表情に、アルフォンスは席を立ってリリアンナの傍へ動くと、ポンッと彼女の頭の上に手を載せた。
「リリが気にすることはないだろう? 魔法屋の対価が金貨一枚なのは魔法使い達の間での決まり事だ」
「そうだけど……私、お金がないって理由で依頼を断ろうとしたわ」
最初の悲しそうな少年の顔と、それに続く「無理に決まってる」と老人の怒号がリリアンナの脳裏には何度も蘇った。
「もう、リリアンナさんたら! 気にするなっていうのも難しいでしょうけど、お金がないのはどうしようもないわ」
そんな風にわざと作ったような明るい声で言うのはソフィア。両側から励まされ、リリアンナは二人を心配させ続けるにもいかない、と笑顔を作る。
「そうね……それもそうね! 二人とも心配してくれてありがとう。そうだ! せっかく二人とも来てくれたのにまだお茶も出してないわ。ちょっと待ってて!」
「そんな気にしなくても良いんだぞ。リリ」
「ええ、どうぞお構いなく」
パタパタと店の奥へ向かうリリアンナの背中に明るい二人の声が追いかけてきた。
レンガ造りの店の奥は居住スペースになっている。書棚の横にある木製のドアを開けると奥に向かって広がるのはリビング、その脇にはキッチンもある。先にお茶菓子だけでも出してしまおう、と古い木製の棚を開けて、花柄の缶を開いたリリアンナは「あら……」とやや困惑した声を上げた。
「どうしたんだリリ? 大丈夫か?」
「リリアンナさん? 大丈夫」
「二人共! びっくりさせてごめんなさい。違うの、ビスケット切らしちゃってたんだ、と思って」
缶の中に入っているはずだったのは、数件隣のロイドさんの菓子店お手製のティービスケット。サクサクとした食感にバターの風味、ほんのりとした甘さが病みつきになる一品だ。
お茶のときにいつでも食べれるよう、このビスケットを常備しているリリアンナだが、昨日食べきってしまい、二人がくる前に買いに行こうと思ったことをすっかり忘れていたのだった。
「ごめんなさい、二人共。今日の私は駄目ね。まさかお茶なのにお菓子なし、という訳にもいかないし……すぐ買ってくるわ。二人共少し待っててくれる?」
「じぁあ、私も着いていきたいわ!」
リリアンナの言葉に、元気よくそういったのはソフィアだ。
「ソフィアも一緒に来てくれるの?」
「ええ、留守番なんてつまらないし。それにロイドさんのお菓子屋さんは入ったことがないから気になるわ」
「じゃあ……そうしましょうか。アルは?」
「もちろんお供させていただきますよ」
アルフォンスはおどけたように胸に手を当てる。結局3人でごく短い散歩、と洒落込むことになったのだった。
数件隣、とはいえ秋のアッシェルトンは冷たい風が吹く。外套の前を合わせて歩くと、北からの風で赤、黄、橙、と色とりどりの落ち葉が舞い上がっていた。
「ロイドさん、お久しぶりです!」
「おや、リリアンナさん! それにアルフォンス君にソフィア様も。ようこそいらっしゃいました」
「お久しぶりです。ロイドさん」
「御機嫌よう。ロイドさん」
ドアを開けつつ、ちょうど目に入った店の店主に声をかけると、元気な声が返ってくる。リリアンナに笑いかけたロイドはその後ろにアルフォンスと何度かあったことはあるものの、店に来るのは初めてな貴人を見つけ、目を丸くした。
「うっかりビスケットを切らしてしまって……ちょうどアルとソフィアさんも一緒だったから、それで……」
「そういうことですかリリアンナさん。どうぞ、ビスケットも他のお菓子もたくさんありますよ。どうぞごゆっくり」
そう言うと、一旦ロイドは白いコックスーツを翻して奥の厨房へ向かう。そんな彼を見送ってから、リリアンナは店内に視線を巡らせた。
お菓子屋さん、というのはいつ来ても心踊るものだ。店の中のいくつかのテーブルに慣れべられているのは、アイシングのかかったレモンケーキに、フルーツがたっぷり焼き込まれたケーキとアップルパイ。その向こうにはかごの上でマドレーヌにフィナンシェが山盛りになり、その奥では何種類ものビスケットが並べられている。
買うものは決まっているのだが、思わずリリアンナの目があちこちへと移動した。
「リリアンナさん! 見て! ビスケットがこんなにたくさん。どれにするか迷ってしまうわ」
お菓子の数々に目を輝かせたのはリリアンナだけではないらしい。リリアンナは目を細めつつ、ソフィアの方へ向かった。
「大丈夫よ、少しずつ売ってくれるから。どれが良い?」
「私はね……この格子模様のが食べたいわ」
「これとっても美味しいのよね。じゃあ、あとは……これとこれかしら。ロイドさーん」
買うものを決めたリリアンナはロイドを呼ぶ。その声で売り場や現れたロイドは手早く紙袋にビスケットを詰めて、リリアンナに渡す。銀貨と交換に紙袋を受け取ったリリアンナ。と、そこでふ、と先ほどから気になっていた疑問を口にした。
「ところで……奥にあるあのお菓子は何かしら? 見たことがないお菓子だけど……」
リリアンナの視線の先にあるのは先程ロイドが持ってきて一旦カウンターの奥に置いたお菓子。棒状に切られたそれは表面が飴色にツヤツヤと輝き、甘く香ばしい香りを漂わせていた。
「これかい? 済まないね、これはまだ売り物じゃないんだ。師匠直伝のフロランタン、というお菓子でね。久しぶりに作ろうかな……と」
「フロランタン……ですか? なんだかとっても可愛らしいお名前ね」
実は貴族の子息が3人集まった面々だが、皆このお菓子は知らないらしく顔を見合わせる。そのどこか幼い様子にロイドは少し笑って、解説を始めた。
「フロランタンはカーセル王国のお菓子でね。師匠のお得意だったんだ。クッキー生地の上にキャラメルと合わせたアーモンドをたっぷり載せて焼き上げる。この秋の時期にピッタリの色合いの一品なんだ」
今はこうして実家である菓子店を継ぎ、ブリーズベルに根ざした菓子を作っているロイドだが、一時期王都のカーセル王国から来た職人が開いた店で働いていた、という話はリリアンナも聞いたことがある。
今でも時折、マカロンやギモーブといったカーセル王国仕込のカラフルな菓子が店頭に並ぶことがあり、密かに通りの人々の楽しみとなっていた。
「そうなのね。と、言うことはそれは試作品?」
「そういうこと。納得がいくできになったら、またお店に並べるよ。是非楽しみにしていてくれ」
「分かったわ。ありがとうロイドさん」
そういうリリアンナにアルフォンスとソフィアも続けて礼を良い、3人はまた通りを歩くのだった。
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