誰にでも、という訳にもいかない
それからもゆっくりとバザーを見て回るリリアンナ。小一時間程経って、リリアンナが少し疲れを感じ始めた頃、突然「返してよ!」というまだ声の高い少年の声が聞こえてきた。
最初は子どもたちが喧嘩でも始めたのか、と思い声の方に視線をやると、少年が声を荒げている相手はまだら模様の猫だった。
「ねえ、駄目だって……ほら、こっちへ来て早く返せよ!」
そう言って少年は声を張り上げるが、肝心の猫は教会の門のところに植わっている大きな木の中程で悠々としている。その口元にはキラリと光る鎖付きのなにかが光っていた。
「どうしたの? あの猫になにか盗られたの?」
辺りにはちょうど大人達がいないらしく、少年が気になったリリアンナは彼にそっと近づき声をかける。突然やってきた少女に一瞬驚いた少年だが、バザーの客だと認識したのかすぐに警戒を解いた。
「そうなんだ! 父ちゃんの大事な形見の懐中時計なのに、あの猫が……」
「まあ! 形見の……それは取り返さないといけないわね。けどあんな高い場所じゃ……誰かにお願いしてはしごでも借り……」
「あ! こら! 待て泥棒猫」
「あぁ! そっちは外ーーって待ちなさい!」
幸い猫がいる場所は少し大きなはしごがあれば届きそうな場所だ。教会の人にお願いしてはしごを借りよう、とリリアンナが思案し始めたところで、猫はぴょんっと身軽に教会の塀に飛び移る。とそのまま塀づたいに向こうへ、と走り始めた。
それを見て、慌てて追いかけるのは少年。とっさに少年を捕まえて止めようとしたリリアンナだが、すばっこい彼はリリアンナの腕が伸びる前に、教会の門から外へと飛び出していく。とそこへ、騒ぎを聞きつけたのか若い修道服姿の女性がリリアンナのもとへ賭けてきた。
「なにかありましたか?」
「あなた、ちょうど良かったわ。このくらいの背丈で赤毛の男の子ってわかる?」
「それでしたら、ピートしかいませんね。彼がなにか?」
「猫に懐中時計を盗られたとかで、猫を追いかけて外へいってしまったのです。私は彼を追いかけるので、あなたは他の方にこのことを伝えて下さいますか?」
「懐中時計ーーってあの。だからあれほど部屋にしまっておくようにと……。といいますかお待ち下さい! 捜索なら私どもが……」
バザーの訪問客に子どもたちの捜索を頼むわけにはいかない。そのことに思い至り、慌ててリリアンナを止めようとした修道女だったが、既にリリアンナは教会の前の大通りへと駆け出した後だった。
「あの……すいません。さっきここを赤毛の少年が走って息ませんでしたか?」
「赤毛……あぁ、見たよ。何かを追いかけているみたいだった。ちょうどあの路地を右に入っていったよ」
「ありがとうございます!」
「いやぁ、どういたしまして。って待て待て! あっちは君のような子が1人でいく場所じゃあ……」
ピートが外にでてすぐに追いかけたのが幸いしたのか、通りにはピートのことを見かけた、という人が何人かいた。その声を頼りに彼を追いかけるリリアンナ。
ピートが入っていった、という路地へ飛び込んだ彼女。やや薄暗く、狭い道の両側に木箱が無造作に積まれた道に少し恐怖を覚えつつそこを通り抜けると、そこは大通りの裏側の小さな通りだった。
「あの! えぇと……赤毛の少年ってみかけませんでしたか?」
「あぁ? そう言えばさっき向こうへ走ってったな。にしても嬢ちゃん。こんなところで何してるんだ? ここは……」
「ありがとうございます!」
庶民の格好とはいえ、下町の裏通りではリリアンナの格好は随分と小綺麗に見える。訝しげにする男に礼を言うとリリアンナはまた駆け出した。
「お恵みを……銅貨一枚でも構いません……」
「えーと……分かったわ。ところで赤毛の男の子見なかった」
「それでしたらあっちへ……」
「あの……赤毛の男の子……」
「あぁ! 知らねえなぁ! だいたいここはあんたみたいな金持ちがくる場所じゃあ……」
「ご、ごめんなさい!」
道端の老人に小銭を渡し、酔っぱらいに絡まれつつリリアンナは通りを奥へと進んでいく。裏通りに入ってまた5分程進んだところで、ようやくリリアンナの視界に見覚えのある赤毛が入ってきた。
「ピート君! 駄目じゃない、勝手に教会の外に出たら」
「わあ! あなたはさっきの……」
「リリアンナよ」
「リリアンナさん……ごめんなさい。だって、あの時計とっても大事なものだから」
「その気持ちはわかるけど……それであの猫は見つかった?」
「そう! そうなんだ。猫は見つかってくわえていた時計も離したんだけど……」
そう言ってピートは遥か上の方を見上げる。それに倣いリリアンナも視線を上げると、ちょうど目の前に立つ古いアパートメントの屋根でなにかがキラリと光っていた。
「ま、まさか……」
「そうだよ! 泥棒猫ったら、スイスイってあそこまで登って、さっきまで日向ぼっこしてたんだ。仲間の猫が来たみたいで、時計は離したんだけど……」
「そのまま屋根の上においていったのね」
「リリアンナはあの上に登ることなんて出来ないよね?」
「ええ、さすがに高すぎるわ。それに……」
「駄目だぞ! この家はかなり古いんだ。屋根に人なんて乗ったら抜けちまう!」
突如後ろから二人の離しに入ってきたのは初老の老人。薄汚れたベストを着た彼はこのアパートメントの住人らしかった。
「そうですよね。あの、例えば屋根裏の窓から長い棒を伸ばしたりは……」
「残念ながら屋根裏は危ないから封鎖しちまってる。床が抜けて下の階に落っこちてもいいんなら止めないが……」
「それはちょっと……」
少年の形見だ、という時計をなんとか取り戻してあげたいリリアンナだが、なかなか妙案がでてこない。そんなリリアンアンを見上げ、ピートはそうだ! と言わんばかりに彼女のワンピースの袖を引っ張った。
「ねえ、リリアンナさん? あの時計、魔法で浮かせたり出来ないの?」
「魔法で!?」
「そう! その手帳魔法屋さんが使うやつでしょう? 前に教会に魔法屋さんが来た時に同じ文字をみたもの」
「あんた、魔法屋かい。だったら話は早いじゃあないか。もったいぶらずにちょいちょい、とねぇ」
普段ならまず来ない裏通りの雰囲気に、リリアンナは思わず愛用の手帳を握りしめていたらしい。はっ、としたのも後の祭り。少年と老人は共に期待のこもった目でこちらを見ていた。
「た、確かに私は魔法屋ですし……小さなものならば浮かせられますが……ピート君? お金は持ってる?」
「お金?」
「そうよ。魔法屋の使う魔法はね……その……誰であれ一回金貨1枚なの……」
「馬鹿いうんじゃねぇ! そんな大金あるわけないだろう! なあ坊主」
リリアンナの言葉に少年より先に怒鳴り声を上げたのは老人の方だった。
「うっーーでも……お金がないと」
先程までは口調こそ荒くても、穏やかな声音だった老人の怒声にすくみ上がるリリアンナ。ただ彼がそこまで怒鳴るのも彼女には理解できた。
労働者階級、と一言で言ってもその中でも経済状況には大きな差がある。商店主や銀行員、商社務めといった人が多いラベンダー通り一帯の住人は労働者階級の中では比較的裕福な方に入る。
彼らにとっても金貨一枚は贅沢だが、たまにであれば用意することも難しくはない。
しかしここはそこからより街の端に近い地区。それも裏通りだ。その日食べるものを買うので精一杯の彼らの中には、一生金貨など目にしない人だっているはず。
ただし決まりは決まりだ。それも魔法使い達の間で長く守られて決まり。なんとかそのことを説明しようとするリリアンナだが、いつの間にか周りには人が集まりだし。リリアンナの声はさらにか細くなった。
「……なので……お金がないと……魔法は」
「何を言ってるんだい! 坊主が困ってるんだろ。助けてやれよ」
「そうさ! だいたい魔法使いってやつはいっつも金持ちばっかり助けて、俺等のことは構ってもくれねぇ」
集まった人の声は次第に大きくなり、やがてその中身は魔法使いへの不満へと変わり始める。
いや、そんなことは、と言いたいところだが、事実ピートの頼みを叶えられない状況では何もいえない。リリアンナがどうしたものか、と途方に暮れた時、新たにこちらへ走ってくる人影があった。
「おい! お前ら何やってんだよ。女の子1人みんなで囲んでわあわあ言ってよ。それでもアッシェルトンっ子か?」
「なんだよてめぇは。……見ねえやつだな。部外者は引っ込んっでろ」
「部外者じゃねえ。そこにいる女性は俺の恩人だ。お前こそ引っ込んでろ!」
「ウィ、ウィル?」
ここに集まった人々も荒くれ者、と言えるかもしれないが、ウィルが通ってきた修羅場はそんなものではない。ウィルは彼らの大声もなんのその、という風にリリアンナとピートを守るように立つ。そのまるで見下ろすような視線に、只者でない雰囲気を感じた人々の声が少しだけ小さくなった。
もっともリリアンナとピートまでその雰囲気に当てられていることに気付くと、ウィルは振り返り、軽く笑みを作った。
「それで……リリアンナ様。何が起きているのでしょうか?」
「ええと、それはね……」
ウィルの笑みにいつもの雰囲気の片鱗を感じたリリアンナはようやく落ち着きを取り戻す。そしてピートの懐中時計が屋根の上から下ろせなくなったことを説明した。
「なるほど。確かにあの場所だと魔法を使うくらいしか方法はなさそうですね。しかしピート君にはお金がないと……良いでしょう、そのお金、私が立替えます」
「た、建て替えるって、ウィルが?」
「だ、駄目だよそんな。金貨一枚ってものすごい大金だよ」
ウィルの提案に目を見開くリリアンナとピート。しかしウィルはピートの前にしゃがみ、目を合わせた。
「でも大切なものなのでしょう? なんど怒られても手元から離したくないくらいに」
「う、うん……そうだ。だって父ちゃんがくれたもんだから。これが似合う男になれって言って……」
「じゃあ、なんとしても取り戻さないと。私はガードナー伯爵家で奉公をしています。お金をつかう機会もあまりないので、金貨一枚でしたらあなたに貸すことが出来ます。何年先でも構いません。返しに来れますか?」
「うん! もちろんだ」
「よし、じゃあ約束ですね。ではリリアンナさん」
「わ、わかったわ。じゃ、じゃあいくわよ」
ピートとガッチリと手を交わしたウィルはおもむろに懐に手をいれると、布袋からキラリと光る硬貨を取り出しリリアンナに手渡す。それを受け取ったリリアンナは手にしていたバッグの中の布袋にしまい、それから手帳を取り出した。
「るりいろの魔法を!」
リリアンナが呪文を唱えると、神秘的な濃い青色の光が薄暗い通りから空へ伸び、そして反射して屋根の上の懐中時計に吸い込まれる。周囲の光が消えても、時計はほのかに青い光を放ったまま。そしてまるで宝石のようにも見える時計はふわりと浮いて動き出し、ゆっくりと風に舞うようピートの両手の中に収まった。
「ぼ、僕の懐中時計! ありがとう、リリアンナさん、ウィルさん!」
「私は仕事をしただけだわ。お礼ならウィルに」
「ウィルさん! 本当にありがとう」
「お安い御用ですよ。約束はきっちり守ってくださいね。その懐中時計の似合う男になるんでしょう!」
「うん! 絶対返しに行く! 待ってて」
「わかりました。じゃあ、教会に戻りましょう。皆さんものすごく心配してましたからね」
「あ……そうだ。僕、猫を追って勝手に……怒られるよね」
「それはもう、ものすごく怒られるでしょうね。危ないことをしたのだから当然です。きちんと謝れますか?」
「う……うん! ウィルさんついていてくれる?」
「もちろん構いませんよ。さあ、リリアンナさん戻りましょう」
「え、ええ。そうね」
すっかり兄のようにウィルになつくピートを追いかけて、リリアンナは慌てて足を動かす。
無事ピートも懐中時計も見つかったのに、彼女の心は曇り空なのだった。
翌日、ちょっとした冒険をすることになった休日が明け、またガードナー家でのウィルの日常が始まった。
ガードナー伯爵一家のはからいで、学もなく、ほとんど黒にちかい灰色、とでも言いたくなる過去を持つウィルはこの貴族街に立つ邸宅で日々働いている。
従者見習い、とは言われているものの、その実態は下男に近い。
荷運びがいる、と言われれば玄関へ急ぎ、庭の剪定を手伝え、と言われれば庭師の下で働く。そして今は執事と共に、食堂の奥にしまわれている客人用の銀食器磨きに精を出していた。
「これは駄目ですね。曇りが残っています。やり直しを」
「申し訳ございません、トールマンさん。すぐに」
そう返事をして、ウィルは眼の前に戻された食器を磨き直す。この短い返事1つとっても下町育ちのウィルにとっては馴染みのない言葉だ。そこから覚えなければならないウィルにとって屋敷務めは苦労の連続。
しかし、突然降って湧いた幸運を手放す積もりは微塵もなかった。
ようやく山と積んであった食器も磨き終えようか、という頃、突然食堂の扉が開け放たれた。
「ウィル! 旦那様がお呼びだ。すぐに執務室へ」
「畏まりました。すぐ向かいます」
執事が1つ頷くのを確認してウィルは立ち上がる。急いで、とは言っても走ってはいけない。背筋をピンと伸ばしてウィルは長い廊下をやや早足で進んだ。
「旦那様。お呼びでございますでしょうか?」
「ああ、ウィル。済まないね、仕事中に」
「いえ、滅相もございません」
伯爵付きの従者によって執務室へ迎え入れらたか、と思うとその従者は音もなくどこかへ行ってしまう。広い執務室の中は直立不動のウィルと、大きな椅子で足を組む伯爵の二人きりとなった。
「さて……手短にいこうか。まずは昨日だが、アーネスト教会の子が随分と世話になったようだね。魔法屋の代金も立替えてくれたのだとか」
「出過ぎた行動でしたでしょうか?」
「いや、君の行動は賛美に値する。ただ、金貨一枚は大金だろう? 君に立替え続けさせる訳にもいかない。これを」
そう言うと、伯爵はおもむろに懐から一枚の金貨を取り出し。机においた。
「そんなーーこれは私の勝手にしたこと。いただく訳には」
「アーネスト教会はガードナー家の保護のもとにある。君はガードナー家の使用人として取るべき行動を正しく取った。だから私も当主として当然のことをするまでだ。受け取っておきなさい」
「畏まりました。心より感謝いたします」
「別に感謝されるようなことではない。さて、それより君をここに呼んだ要件は別だ」
そう言うと、伯爵は机の上で組んでいた手を組み直し、ウィルに射抜くような視線を向けた。
「ウィル。レオンの従者になる気はないか? 無論今すぐではないが……」
「お坊ちゃまのでございますか?」
レオンはソフィアの5つ歳下の弟だ。
「あぁ、レオンは少し人見知りなところがあってな。君は面倒見が良いし、歳下に好かれるだろう? 悪いが下町でのことを少し調べさせてもらったし……今回のことでなお確信が持てた。レオンにとって比較的歳の近い従者がいる、ということはこれから貴族社会に出るあたり心強いはずだ」
「ありがたいお言葉でございますが、私ではまだ役不足……」
「あぁ、それは認める。そこでだ、君をアッシェルトンの使用人学校に通わせようと思おうのだがどうだろうか?」
「私が!? にございますか」
アッシェルトンの使用人学校は、王太子が通う学院と同じくらい歴史がある由緒正しい教育機関だ。まだアッシェルトンが王都だった頃から、王族の使用人を始め多くの貴族の家の高級使用人を排出してきた。
「あぁ、そうだ。使用人学校を卒業すれば、それ自体が使用人としての後ろ盾となる。レオンの従者になるにあたって不足はないだろうし、万が一があっても君が路頭に迷うことはない」
「そんな……伯爵……」
「万が一だ。もちろん朝と夜はここで働いてもらうから、きつい生活になるだろうが……どうする?」
真剣な眼差しで選択を迫る伯爵だが、ウィルにとって答えは1つしかない。
「伯爵の期待に応え、必ずや優秀な成績で卒業いたします」
「そうかーーでは、決まりだな。手続きを進めておこう。入学は来年の春だ。それまでに基礎を固めるようトールマンに伝えておこう。期待しているぞ」
「はい、旦那様」
高級使用人への道は遠い。しかし本来道すらなかったウィルにこうして道を用意してくれたのはガードナー家だ。
決意を新たに、感謝を込めた礼をして、ウィルは執務室を後にするのだった。
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