るりいろの冒険
久しぶりの人
秋が深まってくると、途端にアッシェルトンは肌寒くなってくる。アッシェルトン城の裏手にある小高い丘、そしてその奥に見える山々から冷たい風が吹き込むのだ。
ビュー、という想像するだけで寒そうな風の音を窓越しに聞きつつ、リリアンナははちみつの入った壺と、紅茶の入ったカップを親友の前に置いた。
「はい、どうぞ。これで温まって頂戴」
「ありがとう、リリアンナさん」
そう言って、カップを傾けるのはリリアンナの親友、ガードナー伯爵家の長女ソフィアだ。紅茶の香しい香りと、はちみつのこっくりとした甘みにほうっ、と息をついた。
「あぁ、美味しい。私、ここで飲むお茶が一番好きだわ」
「あら、それは光栄ね。でも茶葉はごく普通のだし、淹れ方だって付け焼き刃よ」
「でも、とっても美味しく感じるの。それに家にいる時みたいに作法を細かく気にする必要がないのも良いわよね」
そう笑うソフィアだが、カップを持ち上げる仕草は上品で、誰がどう見ても貴族のお嬢様だ。
一度身につけたものはちょっと気を抜いたぐらいじゃ抜けない。そう思いつつリリアンナもまた、自分で淹れた紅茶に舌鼓を打つ。その姿も間違いなく貴族令嬢のそれだ、ということには、街暮らしも随分と長くなったリリアンナは気付いていなかった。
「そう言えば今日はまた、とびきり素敵なリボンを付けているのね。もしかして殿下からのプレゼント?」
今日のソフィアは落ち着いた薄い黄色のドレスを着ている。そして令嬢らしく結い上げた髪を結ぶのは繊細な刺繍が美しい深緑のリボン。なんとも高貴な雰囲気の品に、リリアンナはからかうようにその贈り主を推測するが、ソフィアは大きく首を振った。
「もう! からかわないでよっ。あと、これは殿下の贈りものじゃないわ。もっと小さい王子様からの贈りものなの」
「小さな王子様?」
「ええ、そうよ。アーネスト教会の孤児院の子達が1針1針丁寧に刺してくれた世界に1つしかないリボンよ」
「まあ! 子どもたちが!? そういえばバザーの売上を上げるためにいろいろしてるってこの前言ってたわね」
アーネスト教会といえば、ガードナー家が支援している教会だ。ソフィアがリリアンナと出会うきっかけになった事件もここから始まった。
「そうなの。今はね、ガードナー家と関わりのある仕立て屋さんにお願いして、若い職人さんに子どもたちの手芸の先生をしてもらっているの。教えることは職人さん達にとっても良い勉強になるそうだし、上流階級御用達の仕立て屋から教わった技術で作った製品なら泊がつく。バザーでの売上が良くなれば、それだけ子どもたちの生活も良くなるわ」
「いろいろやってるのね」
「ま、まあ……お母様に手伝ってもらってだけど」
手放しに褒めるリリアンナに、ソフィアは少し気恥ずかしそうに顔を伏せる。しかし、すぐにもとの姿勢に戻ると、気持ちを切り替えるようにテーブルの上に視線を走らせ始めた。
「リリアンナさんは……新聞とか買っていらっしゃる?」
「新聞? えぇ、アッシェルトン・タイムスで良ければ……」
「見せてもらっても良いかしら?」
そんあソフィアの問いに「もちろんよ」と答えたリリアンナはスッと席を立ち、店の奥へと消えた。
「これで良いかしら?」
「えぇ、ありがとう。えぇーっと、多分……あ! あったわ。ほら、リリアンナさんこれを見て」
リリアンナから新聞を受け取ったソフィアは頁をいくつかめくり中程の紙面を開くとその下の方にある、小さな広告を示した。
「何々……まあ、アーネスト教会のバザーのお知らせね。日取りは……明日と明後日ね」
「ええ、そうなの! 明後日はどうしても外せない用事があって行けないんだけど、明日は私も向こうに行くつもりなの。だからリリアンナさんも、もし良ければお越しくださいな」
「そうなのね! もちろんお伺いさせていただくわ。そのリボンもとっても素敵だから、他の品も期待できるしね」
「ありがとう!」
リリアンナの返事にソフィアが弾むように礼を言う。それからも友人同士の楽しげな笑い声はしばらく店に響くのだった。
「えーっと……ここがオレンジ通りだから……あっ、あれだわ」
ソフィアとのお茶会の翌々日。リリアンナは1人アッシェルトンの東のやや外れにある、大通りを歩いていた。
今日の目的はアーネスト教会のバザー。本当はソフィアがいる、という昨日来るはずだったのだが、急に魔法屋としての仕事が入ってしまい、予定がずれ込んだのだ。
その上、アルフォンスもこの2日は大事な商談があるらしく一緒に来れない、という。
初めてくる場所なので、迷わないか心配だったリリアンナだが、そこはさすがガードナー家の支援する教会。建物こそ古びてはいるが、なかなかの大きさで、遠くからでもすぐにその場所は分かった。
教会の広い庭がバザーの会場らしい。門をくぐるとすぐに元気の良い声がリリアンナの耳に飛び込んで来た。
「ようこそ! アーネスト教会へ」
「ハーブをたくさん使ったからだに良いクッキーはいかがですか?」
「素敵なハンカチはどうですか? 僕たちが作ったんだよ」
一番小さくて8歳くらい、大きな子だと15歳くらいだろうか。リリアンナの姿を見てお客さんだ! と認識するや否や四方八方から呼び声が聞こえてくる。
その可愛らしい呼び声に頬を綻ばせたリリアンナは、早速ハーブ入りクッキーを差し出す少女の方へ歩み寄るのだった。
素朴ながら香しい香りのするクッキーを購入したリリアンナは次はどこへ行こうか? と辺りを見回す。とそこでリリアンナの視線が捉えたのはとても懐かしい人物だった。
「ウィル! ウィル君よね」
リリアンナの視線の先にいたのは、リリアンナとソフィアが出会うきっかけとなった、と言ってもいい少年ウィル。もともとはあまり治安が良い、とは言えない地区で泥棒の手下のようなことをしていた彼は、ソフィアの口添えによってガードナー伯爵家の従者見習いとして雇われた。
「これは! ハートウェル公爵令嬢、ご息災で何よりでございます」
呼び止める声に気付いて振り返った彼は、さっと胸に手を当てて、美しい礼をしてみせた。
「そんな堅苦しくなくなくても……という訳にもいかないのもわかるけど。でも会えて嬉しいわ。今日は休日なの? お仕事は大変でしょう?」
以前はかなりきつい下町訛りで話していた彼は、随分と洗練された言葉遣いをするようになっている。これも彼がガードナー家で努力を重ねた成果だろう。
今日の彼はお仕着せではなく茶色のスラックスに白いシャツ、煉瓦色のベスト、という装い。以前下町で会った時も同じような服であったが、しっかりと手入れなされているようだし、体格ともあっている。身体付き自体も以前よりずっと健康的なように見えた。
「はい。1日お休みをいただきましたのでこちらへ。確かに覚えることは多いですが、皆さん優しくしてくださいます」
「あら、そうなの。ガードナー家に溶け込めているようなら良かったわ」
根性には自信がある、と言っていたウィルだが、読み書きも出来ない状態で上流の屋敷に飛び込んだ彼のした苦労は並大抵ではないだろう。
とはいえ、ウィルの笑顔は屈託がなく、ガードナー家での生活は充実しているらしい、とリリアンナは一安心した。
「さて……あんまり引き止めても悪いわね。私は向こうの方を見てくるわ。楽しい休日を、ウィル」
「こちらこそ、どうぞ素敵な休日をお過ごしくださいませ。お嬢様」
せっかくだし、一緒にバザーを回っても、と考えたリリアンナ。しかし彼女のことを公爵令嬢だ、と認識しているウィルは、リリアンナが傍にいればどうしても仕事モードになってしまうだろう。
それは可愛そうだ、と思い直し、ウィルにお別れを言って、リリアンナは奥の方へ歩き出す。振り返るとウィルは美しい角度の礼を続けており、リリアンナは少し苦笑するのだった。
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