この靴で踊るのに意味がある

「メイ様。今すぐシューズを用意するよう手配します。そうしたら会場に戻りましょう」

「いえ、会場には戻らないわ。殿下には申し訳ないけど突然魔法で襲われたショックから立ち直れなかった、とお伝えしておいて。特におかしくはないでしょう?」

「し、しかしメイ様。あれほどまで楽しみにしておられた殿下との……」

「戻らないわ! 分かった? お願いね」


 ダンスシューズの惨状を見た、メイ嬢の一番傍にいた侍女が彼女に新しい靴を用意しよう、と提案するが、メイ嬢はそれを断る。強い口調で侍女を止めるメイ嬢に、リリアンナはおずおずと口を開いた。


「あの……靴でしたら魔法で直しましょうか?」

「あのねぇ……あなた理解してる? 私はガードナー嬢のライバルなのよ。それでなくてもガードナーとハートウェルはもともと関係がある。そんなあなたに借りを作る訳ないじゃない」

「しかし……」


 リリアンナとしては、依頼者は依頼者。ハートウェル家のことは関係ない、と言いたいところだが、メイ嬢にとってはそうでもないのだろう。


 どうしたものか、と侍女たちと顔を見合わせたところで、ノックもそこそこに新たな人物が部屋に駆け込んできた。


「フェルディ嬢! お加減いかがですか? 殿下から脚を怪我されたってーーまあ! 酷い、せっかくの素敵な靴が」


 ドレスの裾をややたくし上げるようにして、勢いよくメイ嬢の傍へ駆け寄ったのはソフィア。その姿に部屋中の視線が集まっていることに築き、ソフィアは慌てて腰を落とした。


「す、すいません、私ったら……殿下に様子を見てくるよう頼まれまして参りました。ガードナー伯爵が娘、ソフィアですわ、はじめましての方はどうぞよろしく。にしても本当に酷いですわ! フェルディ嬢は靴の替えはお持ちで? なんでしたらブロンデル公にお願いすれば新しいものを……あっそうだ、それか私のを履きますか? 体格はほぼ同じに見えますし……」


 謝罪しつつも、結局その勢いは止まらず、まくしたてるソフィア。その姿を最初呆然と見ていたメイは、だんだんと胡乱な表情になり、そしてついにフフッと吹き出した。


「あ、あら? どうされたのですかフェルディ嬢?」

「どうしたも何も、さっきは随分猫を被っていたのね。殿下は元気いっぱいな子が好きなのかしら? と思って」


 その言葉で自分の暴走っぷりに思い至ったのかソフィアは赤面し、慌てて頭を下げた。


「も、申し訳ございません! 出過ぎた真似を。そうですわよね。フェルディ嬢に靴をお貸ししようなんて……」

「別に気持ちは嬉しいけどね。どちらかと言うとよく殿下を取り合うライバルを助けよう、って簡単に思えるわって呆れてるの。美徳かもしれないけど、社交界じゃ足を救われるわよ」

「母に日頃よりたしなめられております」


 困った人をみると放っておけないのがソフィア。そのせいで危険な目に会ったこともあることを知っているリリアンナは苦笑した。


「で、靴だけど……みんなの気持ちはありがたいけど、やっぱりホールには戻れないわ」

「その靴で踊ることに意味があるんですものね」


 きっぱりと言い切ったメイ。それに同じくきっぱりとした口調のリリアンナの言葉が続き、メイは思わず目を見張った。


「どうしてそんなことが言えるの? 私はただあんな恐ろしい場所に戻りたくないだけだわ」

「フェルディ嬢は一度や二度の魔法で恐れをなすような御方には思えません。……それに先程からずっと靴をさすっていらっしゃるので」


 リリアンナは部屋に来たときからメイはずっと靴をさすっている。だからこそ脚を痛めた、と思っていたのだが、その靴を脱いでからも、彼女は折れた部分をいたわるように優しく撫でさすることをやめなかった。


 だから、リリアンナは彼女がホールに戻りたくない理由がこの靴だ、と確信したのだった。


 手の動きはほとんど無自覚だったのだろう。ぱっと手を止め、その手を見つめたメイ。そして今度は其の視線をリリアンナの方へ上げると、くしゃり、と笑った。


「さすが魔法屋さんね。よく見てらっしゃる。そうよ……私はこの靴で殿下と踊りたかったの。お父様とお母様が贈ってくれた靴だから」


 そう言うとメイはまた慈しむように、折れてしまった靴を撫で始めた。


「ずっと子どもの頃よ。お父様とお母様に連れられてカーセル王国を旅したことがあったの。王都の中心街にある大きなお店のショーケースに飾ってあったのがこの靴よ。当時やっとダンスの練習を始めたばっかりの私にはこの靴がとっても眩しく見えて……それでお父様にお願いしたの。この靴が欲しいって」


 メイは当時を懐かしむように天井を見上げた。


「お父様は私が王太子殿下と踊れるような完璧な淑女になったら考えても良いって仰ったわ。あの頃の私は随分我儘だったから、そう言って少しでも私が令嬢教育に身を入れれば良いって思ったのでしょうね」

「それで……フェルディ嬢は努力されたのですね。殿下のお傍に立てるよう」

「ええ、そうよ。自分で言うのは恥ずかしいけど、完璧な淑女、と言われるように勉強したし、社交界に出てからは殿下の傍にいる価値があるって認めてもらうために、人脈づくりにも精をだした。それでやっと陛下にダンスの相手として指名してもらったの。その翌月のことだったわ、突然この靴がカーセル王国から届いたのは……」


 メイはそっと白い靴を取り上げる。


「きっとお父様は私よりずっと前から私が殿下の相手をすることを知ってのね。後で調べてみたけど、この靴を作ったお店、常に予約で一杯らしいわ。もちろんこの靴の美しさもとっても好きだけど……それ以上に嬉しかったの。お父様とお母様に認めてもらえたみたいで」


 そう言って目を細めるメイにリリアンナはそっと寄り添い、靴に手を添えた。


「素敵なお話だと思いますわ。でしたらなおさら、ホールに戻られた方が良いのではありませんか? ダンスシューズは履いて、踊ってこそですわ。それにきっとご両親もフェルディ嬢の晴れ姿を楽しみにしているはず。確かに私はフェルディ嬢にとってはライバルの親友ですが、同時に魔法屋として誇りを持っております。職務上の秘密は守りますわ」

「私もです。淑女の誇りにかけて、卑怯な真似はいたしません」


 それぞれに言うリリアンナとソフィア。その言葉にメイはほうっ、と息を吐いた。


「……本当にお人好しね。でも殿下があなた達を信頼する理由も分かったわ」


 そう言うとメイはまっすぐにリリアンナの瞳を見る。


「お父様とお母様の期待に答えなくちゃ! リリアンナさん?」


 リリアンナは隠し持っていた手帳を取り出して、パラパラと頁をめくり開く。そして、呪文を唱えた。


「くるみいろの魔法を!」


 くるみいろの魔法はものを直す魔法だ。身体や心を直すのには苦手意識のあるリリアンナだが、ものを修理するのは苦手ではない。スラスラと呪文を唱えると、明るい茶色の光が天井に跳ね返ってふんわりとメイの手ごと靴を包み込む。


 その光が消えると、そこには新品同様に戻った真っ白な靴が輝いていた。


「ありがとう! リリアンナさん。じゃあ私はホールに戻るわ。みんな、支度を手伝ってくれる?」

「はい! ただ今」


 元の快活さを取り戻したメイは侍女たちにより慌ただしくドレスや髪を直されていく。


 そうして姿勢良く立ち上がったメイはもう一度リリアンナとソフィアに微笑みかけた。


「二人ともありがとう。リリアンナさん、あなたは本当に素敵な魔法屋さんだわ」

「お褒めいただき光栄です」

「それからガードナー嬢。癪だけどあなたが、殿下のお傍にいるのにふさわしい心の持ち主なことは認めるわ。でも優しいだけじゃ王太子妃は務まらないわ。少なくともこの田舎でぼんやりしていては駄目。遠からず殿下も王都にいらっしゃるでしょう。その時はあなたも一緒に王都にいらっしゃい。……歓迎してあげるわ」


 そう言うと、メイはスッと踵を返し、侍女たちを引き連れて部屋を出ていく。その姿にリリアンナとソフィアは顔を見合わせた。


「歓迎……してくれるの? いびられるの間違いじゃないかしら?」

「少なくともライバルとして認めてはくれたみたいよ」


 やはりソフィアの恋は前途多難だ。二人は思わず苦笑しあう。そしてソフィアはパチリと手を叩いた。


「ああ! そうだ。こうしている場合じゃないわ。フェルディ嬢が戻られたってことは舞踏会が再開するってことよ」

「そうね、ソフィアさん。戻りましょう」


 その声に部屋に残っていたブロンメル家の侍女たちがさっと近寄って彼女たちのドレスと髪を整えてくれ、二人は足早にホールへ戻ったのだった。






 王太子と公爵令嬢。二人のために今一度明けられたスペースで、輝くような笑顔の美少年が手を差し伸べる。その手を一度腰を低く落とした後に取るのは、ピンと背を伸ばした美しい女性。その視線が交差し、二人はワルツのメロディーに合わせてゆっくりと動き出した。


 二人は近すぎず、遠すぎずの距離を保ちつつ、ステップを踏む。それは基本に忠実だが、その動きは洗練されており、どこか格調高さを感じさせる。


 彼らを見守る貴族たちも、若い二人の美しいダンスに思わずため息を漏らした。


 それは人波に紛れるようにして、そっと二人を見守るリリアンナもそうだ。あまりにも完璧な姿に、セオドアを慕うソフィアがショックを受けていないか。思わずそんな心配すら浮かび上がり、隣の友人をそっと見やる。


 しかし当の友人は


「素敵……」


 と一言漏らし、絵本の世界にでてくるかのような美男美女のステップに惚れ込んでいるようだった。


「……もう。そんなんじゃ殿下をとられちゃうわよ」


 ソフィアに聞こえないよう、こっそり呟いたリリアンナはまた、メイとセオドアの目で追う。


 今このホールで踊っているのは二人だけだ。広い会場を大きく使ってゆっくりと動く二人。


 段々と音楽が盛り上がり、佳境になったところで、ふとメイの瞳が何かを捉える。するとこれまであくまでも社交のための笑顔を貼り付けていた彼女の瞳がふわり、と綻び、そして慌てたようにまたすぐにもとの表情に戻る。


 一瞬のことだから、よく見ていないと気付かないだろうが、少なくともその表情の変化に『落ちた』貴公子も何人かいるはずだ。


 どうしたのだろう、と先ほどの彼女の視線が向いていただろう場所をリリアンナが見ると、そこには随分と威厳をまとった男女がいる。


 王族もかくや、というその立ち姿にリリアンナは、なるほど、とひとりごちる。


 王太子とのファーストダンス。それは彼女の両親にとっても大事な晴れ舞台なはずだ。


 大親友の恋敵を助ける形になったリリアンナだが、魔法屋としては満足している。どこか晴れやかな気分で、彼女はダンスを終え、礼をとる二人に拍手を贈ったのだった。

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