突然の騒動

「……そうか。ならこのまま話を進める。今度顔合わせの機会を設けるよう」

「わかりましたわ。お父様」


 リリアンナが頷いたことで、二人の会話は途切れる。もともと雑談などする親子関係ではなかったが、リリアンナが家を出てからは、さらにその傾向が顕著だ。


 微妙な空気が流れる二人。その空気が図らずも変わった理由は時の最高権力者だった。






「ここにいたのか、ジェイク。それにハートウェル嬢も元気そうで何よりだな」


 二人に声をかけたのはブリーズベルの国王、フレッド。その横には妃のジュリアもいる。突然の国王夫妻の訪れにリリアンナは目を見開きつつ、深く深く腰を落とした。


「陛下並びに妃殿下に置かれましてはご機嫌麗しく」

「久方ぶりにございます。陛下、妃殿下」


 硬い表情のまま口上を述べる父に続き、リリアンナもまた口を開く。ただその声が若干震えるのは致し方のないことだった。


「ハートウェル嬢にお会いするのは随分久しぶりな気がするわね。元気そうで何よりよ。噂は聞いているわ、魔法使いとして遺憾なく力を発揮しているとか」

「先日はセオドアが世話になっていたな。私からも礼を言う」

「いえ……私は魔法屋の本分を果たしただけに過ぎません」


 国王夫妻の称賛にもリリアンナは硬い表情のまま、当たり障りのない答えを返した。


 リリアンナにとって国王夫妻、特に妃であるジュリアは母親が死んだ原因そのものだ。彼らの愛息子であるセオドアにこそ自然体で接しているリリアンナだが、流石に夫妻にはどうしても言葉が固くなってしまう。


 魔法を使うか否かの判断は魔法使いがする、と理解はしていても、禁忌を依頼した相手に笑顔を向けられるほどリリアンナは出来た人間ではなかった。


「だが私達はハートウェル嬢に非常に感謝している。そのことは伝えておこう」


 自分たちがリリアンナにとって怒りの感情の対象である、ということは国王夫妻も知っている。だからこそことさらにリリアンナのことを気にかけてくれている、ということもリリアンナにとっては国王夫妻に苦手意識を感じる理由の一つと言えた。


「ありがたいお言葉にございます」


 もう一度国王が告げた感謝の言葉に対し、リリアンナは表情を変えぬまま、言葉と深い礼で答える。礼には則っているが、随分硬い振る舞いに、国王夫妻は少しだけ微妙な表情をして顔を見合わせるが、結局


「では、二人共。また後ほど」


 と短く言い残して、向こうへ去っていった。






 アッシェルトンでも指折りの貴族の当主であるジェイクの元には次から次へと今夜の招待客たちが訪れる。最初こそ父の隣で笑顔を貼り付けていたリリアンナ。しかし慣れない夜会に疲れたのか、はたまたギュウギュウと締め付けるドレスのせいか、少しだけ貧血を覚えたリリアンナは


 少し人酔いしてしまったようだ、と言って壁際へと移動した。給仕人に頼んで用意してもらった水を一気に飲み干し、人心地ついたリリアンナは、ぼんやりと会場を見渡した。


 メイ嬢からの挑発に、ハートウェル家の養子の話、そして国王との挨拶。色んなことが一気にありすぎて頭が一杯になったのもフラリとした理由だろう。


 公爵家を飛び出したリリアンナだが、こうして夜会の場にいることでわかるように、ジェイクはリリアンナを侯爵家の籍から外すようなことはしていない。


 一人娘である以上、跡継ぎ問題をはっきりさせない限り、勘当も出来ない、という問題もあるが、リリアンナはこれをジェイクの愛情表現だと認識している。


 いつでも帰る家はあるのだと。この程度の夜会すら耐えられないリリアンナにとって、上流の世界は帰る場所とは思えないが、完璧に放逐もされていないあたり、甘やかされている、という自覚がない訳ではなかった。






 そうこうしていると、急に会場がざわつき出し、いつの間にか人波が大きく動いて、ホールの真ん中にポッカリと穴が空いたようにスペースができる。


 すると誰の合図でもなく、一人の美少年がその真ん中に向かい、同時に真っ赤なドレスで美しく着飾った令嬢もまた美少年の方へ進む。


 彼らはセオドア王太子とメイ嬢だ。王族も揃い、ついにファーストダンスが始まるのだろう。一瞬の静まりの後、ヴィオリンの音色が響き出す。


 と、そこで優雅さに溢れた会場にはあまりにも似つかわしくない叫び声、とも呼べる声がその場にこだました。


「ぬれば色の魔法を!」


 突如唱えられた呪文に会場中がざわめく。もちろん突然発動させられた魔法に抗う術を持つものなど誰もいない。


 どこからは現れた青みがかった濃い黒色の光はまたたく間に美しい絵画で彩られた天井を染め上げ、一直線にメイ嬢に向かう。とっさにセオドアが彼女をの前に躍り出て庇おうとしたが、魔法の前には無力だ。


 光はあっという間にメイ嬢を包み込み、かと思えば弾けるように消え去る。そして残されたのは呆然としたように立ち尽くすメイ嬢と彼女に心配そうに声をかける王太子の姿だった。


 と、そこでバタバタと誰かの走り去ろうとする音が聞こえる。とっさにそちらへ視線を向けたリリアンナの目に入るのはフロックコートを翻し、ドレスの女性たちを突き飛ばすように走るレーティア卿、と呼ばれていた男だった。


「あの男を確保! 出入り口を封鎖しろ!」


 警備を担うブロンメル家の護衛たちの声が会場に鋭くこだまする。しかし人で溢れた会場での捕り物は難しく、その声がする頃には、すでにレーティア卿の姿はどこにもなかった。


「あぁ、皆様。このような事態になり誠に申し訳ない。すこじ時間をいただきたく、その間皆様にはご歓談を……」


 警備達が右往左往する中、王太子とメイ嬢は別の使用人達と共に一度別室へ消え、ブロンメル公爵はやや顔をひきつらせつつ、会場をなんとか納めようとしている。


 大変なことになったわ……とリリアンナが考えていると、どこからかお仕着せ姿の使用人が現れ、彼女に声をかけた。


「リリアンナ・ハートウェル嬢にございますね。恐れながら王太子殿下より頼み事があるから来て欲しい、とご伝言仕っております。ご案内致しますのでこちらへ」


 口調は丁寧だが、断ることは一切許さぬという口調。それにはやや顔をしかめつつ、セオドアの依頼を断るつもりもないリリアンナは、一つ頷き、使用人とともに足早にホールを後にした。






「殿下、お待たせ致しました……ってあら、殿下は?」


 使用人に案内されたのはホールにほど近い応接室のうちの一つ。小さな部屋だが、とは言え調度品は豪奢でブロンメル家の財力が伺われる。


 しかしそこにいたのはややうなだれた表情のメイ嬢と彼女を取り囲む侍女たちだけだ。


 一瞬謀られたか? と思ったリリアンナだが、その疑いを晴らすようにすっ、と侍女のひとりが紙片を手渡した。


『突然呼び出して済まない。魔法は彼女の足元に吸い込まれた。フェルディ嬢は『大丈夫だ』というがなんとなく脚をひきずっている気がする。君の魔法屋としての腕を見込んで彼女の手当てをお願いしたい』


 かなり慌てて書いたのだろう。走り書きだが、確かに何度かみたことのあるセオドアの筆跡に似ている気はする。


 とりあえず手紙の主は王太子だ、と信じることにしてリリアンナはメイ嬢の側により跪いた。


「恐れ多くも殿下の命により魔法への対応をするよう言付かりました、しょうびいろの魔法屋の店主、リリアンナにございます。恐れ入りますが怪我を少し見せていただけますでしょうか?」


 とりあえず歩けてはいるようだから、骨が折れたりはしていないが、何しろ相手は禁忌の魔法も恐れない男だ。


 自分の魔法で治療できるのか、やや顔をこわばらせつつ話すリリアンナにメイは少し呆れたような顔をして答えた。


「怪我? 殿下になんて言われたのか知らないけど怪我なんて一つもしてないわよ。それよりあなただって侯爵の娘でしょう? そんなにへりくだらなくても怒らないわよ」

「今の私は魔法屋のリリアンナですので。それよりフェルディ嬢。悪いことは申しませんので正直にお答え下さい。魔法による怪我を甘く見てはなりません」


 ぬればいろの魔法はなにかを壊す魔法。人に対してかければ相手に怪我をさせることもできる。そもそも人に対してそんな魔法を向けること自体、リリアンナに言わせてみればありえないが、さらに王太子と踊ろう、という人物に魔法を向ける、となると3つの約束の3つ目、「国の秩序を乱さぬこと」にも反するだろう、とリリアンナは考えた。


「あぁそう。けど本当に怪我はしてないわ。壊されたのはこれよ」


 リリアンナの答えにため息でかえしたメイ嬢はバッとドレスの裾をめくって見せる、その行動に侍女たちが慌てふためくが、リリアンナはというと、見せられたものに大きく顔を歪めた。


「まあ! こんな……酷いですわ。素敵な靴ですのに」

「かかとが完全にポキっといっちゃってるわね。そりゃあ脚も引きずるでしょう? これじゃあ踊るなんて到底無理よね」


 メイが履いていたのは真っ白な美しいダンスシューズ。しかしそのかかとの部分が根本から見事に折れてしまっていた。

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