くるみいろの宝物

伯爵令嬢の恋は多難

「本当にすごい人数ね。私、こんな場所にいて良いのか心配になってきたわ」

「何を言っているの? リリアンナさん。家格で言えばこの場でも上から数えた方が早いのに……」


 リリアンナとソフィアはやや声を潜めつつそんな話をする。今日のリリアンナはいつものワンピースでなく、令嬢らしい青色の絹の夜会服姿だ。


 もちろんソフィアも含め、このホールにいる数え切れない程の淑女達も色とりどりの夜会服を身に纏い、紳士達はテイルコート姿。


 シャンデリアの眩い光が磨き抜かれた床に反射しているのを見ると、リリアンナはここが現実世界かわからなくなるような心地さえした。


 ここはアッシェルトンでは一番高位であるブロンメル公爵家のタウンハウス。現王妃の生家であるブロンメル家はアッシェルトンどころかブリーズベルでも指折りの大貴族だ。


 そんな公爵家が開く大夜会、と言えば毎年アッシェルトン社交界終盤のハイライトの一つ。貴族はもちろん名のある資産家、売れっ子俳優までアッシェルトンの社交界に出入りする者は一人残らず呼んだのではないか? そう思うほど多くの人がホールを行き来し、微笑みを振りまいていた。


 それでなくても毎年賑わうブロンメル家の大夜会だが、今年はさらに特別。何しろ今年社交界入りしたばかりのセオドア王太子、さらには彼の両親ーーつまり国王夫妻までもがこの夜会に参加することになっている。


 いくら王妃の実家で公爵家といえ、現王夫妻を招待することは大変な名誉。それも王都でなくわざわざこのアッシェルトンまで足を運んでもらう訳で、今年の夜会の会場は例年以上の並々ならぬ気合が込められていることが見て取れた。


 基本的に社交界には出入りしていないリリアンナ。しかし現王妃の実家ということで、ことさらにハートウェル家に恩義を感じているブロンメル家はリリアンナにも毎年律儀に招待してくれている。


 さすがのリリアンナも公爵からの招待状を無視するわけには行かず、今年も朝早くから実家に戻り、ドレスアップしてこの場にいる、という訳だった。


「でも兄様がいらっしゃらないのは残念ね。ダンスのお相手はどうされるの?」

「招待されていないんだもの、仕方ないわ。ダンスはそうね……あんまり得意じゃないから出来るだけお断りするわ。ソフィアさんはどう? 殿下にはお相手いただけそう?」


 今日の夜会はあまりにも呼ぶべき人物が多いため、基本的にどの家も当主夫妻と跡取り夫妻しか呼ばれていない。そのため伯爵家の次男であるアルフォンスはこの場にいないのだ。


 一方ソフィアの想い人であるセオドア王太子はもちろんこの場にいる。むしろ主賓扱いだが、ゆえに簡単に近づける訳もないのだった。


「……多分、としか。殿下は私と踊ることを楽しみにしているとお手紙書いて下さったけど、こればっかりは他の方との兼ね合いもあるし。少なくともファーストダンスは決まっているとか……」

「ええ、そうよ! 今日の一曲目は私が務めさせていただくわ」


 珍しくやや自信なさ気な表情でうつむくソフィア。とそこに随分勝ち気な声が割り込んできた。


「初めまして、フェルディ公爵の娘、メイよ。どうぞよろしく」

「お初にお目にかかります。ハートウェル公爵の娘、リリアンナにございます」

「ガードナー伯爵の娘、ソフィアでございます」


 フェルディ公爵と言えば、王都近郊に領地を持つ、ブロンメル家と肩を並べる名門公爵家。現王の忠臣の一人だが、基本的に王都の社交界に出入りしていることもあり、リリアンナやソフィアとの接点は少ない。


 そんなことを考えつつ、リリアンナは深く腰を落とす礼をとった。


「楽になさい。ハートウェルというと魔法使いの家ね。お噂はお聞きしているわ。あなたも魔法使いなの?」

「はい、街でしょうびいろの魔法屋を営んでおります」

「街で!? 珍しいのねーーまあ良いわ。そしてソフィアさん。あなたの名前はよく知っているわよ。最近殿下が随分気にかけているご令嬢がいる、とね」

「恐れ多くも殿下とは親しくさせていただいております」


 相手は貴族では最高位の公爵家の娘だ。普段は元気いっぱいのソフィアも淑女の仮面を最大限に貼り付け淑やかに答える。しかしそんな彼女にメイはフンと言わんばかりに彼女を睨みつけた。


「親しくさせていただいている? そんな軽いものじゃないでしょう? 私的な時間に何度も会って、手紙もしょっちゅう交わしてるとか。……でもね、私だって負けてないの。この夜会での殿下のファーストダンスの相手を陛下直々に拝命したのだから」

「直々に! なんと名誉な……」

「フフフ、我が家は陛下に大変信頼頂いているのよ。それにこの田舎町でのほほんと暮らしているあなたと違って、王都の社交界で日々揉まれた私は殿下を影日向に支えることが出来る。殿下のファーストダンスを務める。それが何を意味するかはもちろんご存知でしょう?」


 妻や婚約者がいる場合、夜会で一番最初に踊るのはパートナー、というのが社交界のルールだ。セオドアの場合、まだ決まった相手はいないが、この大きな夜会で最初のパートナーを務め、しかもそれが陛下たっての依頼、とあればメイは王太子妃選びで数歩リードした、と評価されるはず。


 社交界に疎いリリアンナでもその程度の推測は出来た。


「ま、安心なさい。殿下はまだいろいろと問題をお抱えだし、すぐに婚約する予定もないそうだわ。あのお方の側にいたいならせいぜい頑張ることね」


 まるでお芝居の悪役のようにツンと顔をそらし、そう言い放つとメイは美しい礼を披露して、ドレスの人波へ消えていった。


「大丈夫? ソフィアさん。気にすることはないわ。最終的に大事なのは当人同士の気持ちよ」


 セオドアを慕うソフィアに対し、真っ向から喧嘩を売っていったメイ。しかも彼女の立場がソフィアよりも王太子妃に近いことは明白で、リリアンナは友人の精神状態が心配だった。


「ありがとうリリアンナさん。でも大丈夫よ、殿下と親しくさせていただいた時点でこういうことがあることは想定していたわ。それに殿下がどうしたって独り占め出来ない相手だってことも」


 仮に思いを遂げて、セオドアの妃になったとしても、王太子、ひいては国王というのは常に政治的な存在であることが要求される。


 当然こういった社交の場では、好む好まざるに関わらず、様々な人と交流しなければならないし、今日もおそらく王太子の相手は側近たちによって綿密に計画されているだろう。


「でも、殿下は私とも踊りたいって仰って下さったし、根回しもしてくださるそうだわ。だから今の私に出来るのは大人しく待つこと。なんだかお姫様みたいね」


 そう言ってカラリと笑うソフィアだが、瞳は不安に揺れている。しかしリリアンナに何か術があるわけでもなく、


「そう……何かあったら、相談して。聞くだけしか出来ないけど話し相手にはなれるわ」


 と微笑みかけることしか出来なかった。






「リリアンナ! 何をぼうっとしている? 場をわきまえろ」


 その後両親に呼ばれたソフィアと分かれたリリアンナ。やや重い気持ちを引きずったままでいると、鋭い声が彼女を叱責する。それは彼女の父、ジェイクのものだった。


「申し訳ございません。お父様」


 公爵家の夜会で気もそぞろとなっていたのは事実だ。リリアンナが神妙に頭を下げた。それで納得したらしいジェイクは


「ところでリリアンナに伝えなければならないことがある」


 と真剣そうな面持ちでリリアンナを見つめる。いつも厳しい表情の父だが、今日の父はそれとも違う気がして、リリアンナはゴクリと唾を飲み込んだ。






「養子? ……ですか?」

「ああ、そうだ。そろそろ考えなければならんだろう」


 ジェイクの話とは、ハートウェル侯爵家に養子を迎えようとしている、という話だった。


 リリアンナには兄弟がいない。まずこのブリーズベル王国において、女性が家督を次ぐこと自体は認められているが、実際にはハードルが高い。それ以上の問題としてリリアンナは実家を出て、貴族社会と離れた暮らしをして久しい。


 と、なるとハートウェル家の跡取りとして、誰か養子を取る、というのは自然な選択肢だった。


「私の知り合いの男爵家の次男でディマンド、という青年がいる。なかなか優秀な人物でアッシェルトン大学で医学を専攻している。成績もかなり良いようだ。父親は医師だが、医院は長男が継ぐらしく、そして彼には魔法の素養もある。もくらんいろの魔法屋としてやっていくならうってつけの人材だ」


 リリアンナの母が得意としたもくらんいろの魔法ーー治療の魔法を使うには医学の知識があるとなお良いとされる。事実治療の魔法を得意とする魔法使いは医師と兼業のものも多い。


 今は別のいろを掲げているものの、妻の魔法に思い入れがあるらしいジェイクは将来的にはもくらんいろの魔法屋に戻したい、と考えているようだった。


「私は……家を勝手に出た身ですもの。何も言うことはありませんわ。お父様からみて優秀なのでしたら、きっと素晴らしい方なのでしょう。どうぞ進めて下さいませ」


 父は厳しい表情のイメージがあるが、実際、特に人の能力については厳しい人物だ。その父が優秀と評す人間なら問題ないだろう。しかしリリアンナの言葉にジェイクは少しだけ顔をしかめた。


「養子を取る、ということはリリアンナが家を継ぐ可能性が完全に消える、ということだぞ。もくらんいろの魔法屋も。それでも構わないのか?」

「私はすでにしょうびいろの魔法屋の店主ですもの。構わないわ」


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