夜空へ向けた魔法

 それからも、いろんな屋台を回ったり、路上絵師がみるみるうちに本物そっくりの画を描く様に驚いたり、突然始まった劇団の芝居に拍手を送ったり、と思う存分祭りを楽しんだ3人。気がつくと、長い夏の陽も西の空へ沈みかけていた。


「リリ、もうこんな時間だ。そろそろ行かないと行けないんじゃないか?」

「本当だわ! アル、ありがとう。じゃあ、ソフィアさんをよろしくね」

「あぁ、任せてくれ。リリも頑張ってな」

「もちろん! 任せて頂戴」


 アルフォンスの激励に元気よく答えたリリアンナは広場にいつの間にか作られていた舞台のほうへ歩き出す。その姿を見送りつつソフィアは不思議そうにアルフォンスを見上げた。


「頑張るって? リリアンナさんが街の魔法屋は夏至のお祭りのメインイベントを担当するって言ってたけど?」

「そう、その通り。ほら、今年の区長が出てきただろう?」


「お集まりの皆様! どなたさまもどうぞこちらをご注目!」


 芝居がかった仕草で、舞台の上に立ったのは燕尾服を来たやや年配の男。彼はラベンダー通りの2つ隣の通りで食堂を営む男だ。


 区長は持ち回り制で、それぞれの区を代表する。通年あれこれと行われる行事の差配はその大切な仕事の一つだ。


 彼が出てきた、ということは祭りのメインイベント開始の合図。これまで思い思いに過ごしていた人たちも広場の舞台を向き足を止めた。


「さて、本日は皆様大いに楽しんでくださっているようでなにより。今日という日を迎えることが出来ましたのもひとえに皆様のご協力あってのことと……」

「おーい! 長いぞー」

「挨拶はそれぐらにしとけー」


 せっかくの晴れ舞台、ということでピシリと晴れ着で決めて畏まる彼だが、既に酒の入っている人たちから野次が飛ぶ。


「あー、ごほん。まあ堅苦しい挨拶なんてらしくないですな。じゃあ早速登場してもらいましょう! 今年も我が街の魔法屋は彼女! リリアンナ!」

「皆様、今年も呼んでいただきありがとうございます。じゃあ、私も早速始めさせてもらいますね」


 リリアンナが挨拶も本当にそこそこに広場を見渡す。それからわざわざ持ってきた大きな革表紙の本を大仰な仕草で開きだした。


「じゃあ、皆さん。今宵をお楽しみあれ。なんど色の魔法を!」


 そう言って満面の笑みで呪文を唱えると、本からどこか神秘的な緑がかった青色の光が飛び出し、夜空へ吸い込まれる。濃紺の夜空とはまた違う青色が、星が散りばめられた空と溶けあった。


その光はやがて空に反射するように、今度は地面を目指す。空から降り注ぐ光は美しい青緑色にきらきらと輝き、広場は眩しいほどの輝きに包まれるのだった。


 その美しい光景に広場の人々が歓声を上げたのも束の間、その光がパッと弾けたか、と思うと、まるで色とりどりの宝石が舞い踊るかのように広場を様々な色の光の玉が漂い始めた。


 星明かりと月明かり、それに街灯が仄かに照らす広場は、魔法によって数え切れないほどの色に包まれる。

 いつの間にか楽団が小気味よいワルツを奏ではじめ、どこからともなく踊りの輪が広がり始める。


 光が作る幻想的な世界の中で踊る人々の姿は、まるでおとぎの国の中の出来事のようにさえ見えた。


「まあ……素敵。これが夏至のお祭りなのね」

「ああ、そうだ。もともとは魔法屋の宣伝の一環だったらしいがな。いつの間にか夏の風物詩になったらしい」

「本当にただきれいなだけの魔法なんだけど……素敵でしょう?」


 いつの間にやらソフィアとアルフォンスの元へ戻ってきていたリリアンナが得意げに言う。その言葉にソフィアは何度も大きく頷いた。


 そのまましばらく幻想的な光景に見入っていた3人だが、10分もたたないうちにソフィアが残念そうな声を上げた。


「じゃあーー私はそろそろ帰らなくちゃ。お父様とお母様が心配なさるわ」

「え……ソフィアさんもう帰っちゃうの?」

「もともとは日暮れまで、という約束だったの。でも兄様が日暮れに素敵なことがあるって教えてくれたから、そこまではいさせて、ってお願いしたのよ」


 よく見ると、すでにいつもガードナー家のお抱え御者であるジェフがこちらへ来ているし、護衛や侍女もややソワソワし始めていた。


 ガードナー家の馬車は広場から少し離れた通りの馬車止めに停めてあった。ソフィアはもう一度空に浮かぶ不思議な光を目に焼き付けるように振り返ってから、馬車へと近寄った。


「確かに……これからは大人の時間ね。じゃあ、もう少し大きくなったら、殿下とこの広場に踊りに来てちょうだい。今日はとっても楽しかったわ」

「ああ、来年も楽しみにしているよ。殿下にもよろしく」

「ありがとう、リリアンナさん、兄様。今宵をお楽しみあれ」

「今宵をお楽しみあれ」

「今宵をお楽しみあれ」


 名残惜しそうにしつつ、お決まりの挨拶を口にしたソフィアは馬車に乗り込み。侍女や護衛も乗り込んだところで、滑るように馬車が動き出した。






「どうぞ、リリ、お疲れ様」

「あら! いつの間に買ったの? ありがとう」


 少ししょんぼりしつつ、ソフィアが帰っていった貴族街の方角をリリアンナが眺めていると、その肩にそっと手を添えつつ、アルフォンスがなにかのグラスを手渡した。

 それは、屋台で売られているラベンダーの香りのするお酒をソーダで割ったもの。


 その香しい香りと、可愛くも品のある薄紫にリリアンナの表情が明るくなった。


「これからは大人の時間だ。そうだろ?」

「ふふふ、それもそうね。じゃあアル? ……今宵をお楽しみあれ」

「リリも、今宵をお楽しみあれ」


 そう笑いあってグラスを軽く触れ合わせる。そうしてグラスの液体をグイッと煽ると二人は手を繋いで再び広場へと戻っていった。


 すでに魔法の効力は切れ、いつの間にか広場を照らすのは街灯と月と星の光だけだが、祭りの賑わいは冷めやらない。


 楽団の奏でる音楽はより早く、そして小気味よいものになる。程よく酔いの回ったアルフォンスとリリアンナは手を取り合って、その踊りの輪へと入っていった。


「あら、アルったら相変わらず器用ね。この踊りは貴族の嗜みには入ってないでしょう?」

「リリこそ、街に来たばかりの頃はみんなの足を踏んで回っていたくせに……」

「もう! いつの話をしているのよ」


 賑やかなヴァイオリンの音色に合わせ、二人は跳ねるようにステップを踏む。


 普段は街に溶け込みつつも実は大貴族の子息だ、ということも知れ渡っている二人が器用に庶民のステップを踏めば、周りからは歓声が湧き上がる。


 その声に軽く礼をとって答えたのも束の間。二人はそれぞれに次のパートナーと手を取り合う。そうして相手が変わってはステップを踏み、時にダンスの輪から外れて手拍子を送る。


 そしてまた誰かに引っ張られるようにして踊り始める。


 やや火照った体に夜風が気持ちよくて、また一曲、もう一曲とステップを踏みたくなる。


 それはきっとこの場にいる全ての人がそうだった。


「ふふっ、ねえアル? こんな夜、最高だと思わない?」

「あぁ、間違いないな」


 音楽と酔いに身を任せ、一年で一番長い夜を踊り明かす。


 そうして翌日は誰も彼も仕事にならないのもまた恒例なのだった。

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