まつばいろの贈り物
勝手に動くぬいぐるみ
アッシェルトンの夏は短い。夏至の祭りを過ぎた頃から、徐々に陽が沈むのは早くなり始める。とはいえまだまだ澄んだ空が広がり、じっとしていてもやや汗ばむくらいの暑さ。
昼を食べたからずっと刺繍とにらめっこをしていたリリアンナはふと喉の乾きを感じて古めかしい置き時計に目をやった。
「あら、もうこんな時間。2時間も集中していたのね。にしても今日もお店は平和なこと」
2時間集中していた、ということはつまり、2時間誰1人としてお客がない、ということだ。それどころかここ3日間魔法屋としての仕事は1つもない。それはリリアンナとしても、ブリーズベル王国の魔法屋としても珍しいことではなかった。
人々が魔法に頼り切りになり、技術や文化が発達しないことを嫌った魔法使いたち(実際にそれが原因で滅びた国も合ったとかなかったとか)は魔法の対価を高く設定し、かつ仲間たちの抜け駆けを禁じた。
それに加え、当時の王侯貴族達も魔法に頼りすぎるのはよくない、という風潮を積極的に作る。
結果、この国で魔法といえば、祭りや人生の節目、あとは本当に「神頼み」をしたいような時に限って使う、特別なものとなった。
もちろん、そのおかげでブリーズベルは魔法使い、という不思議な人々を残しながら、世界中で巻き込んだ産業革命の渦に取り残されることなく発展出来たのだから、おおよそ過去の人々の目論見は成功した、と言えるだろう。
ただし、そのかわりというべきか、魔法屋だけで食べていける魔法使い、というのはおそらくこの国に一人もいない。
リリアンナとて、生活を支えているのは、馴染の仕立て屋から注文される刺繍なのだった。
それはさておき、ここ最近はずっと暇だったせいで刺繍の納期にも余裕がある。ここは一つティータイムにしようかしらと店の奥に続く居住スペースに向かおうとしたところで、リーンと来客を知らせるベルがなった。
「いらっしゃいませ、さて今日は何いろの魔法がお望みかしら?」
「まあ、その……ここが魔法屋さんなのね?」
入口に立ち、キョロキョロと不安げに店を見回すのはもう60は超えているだろうか。ずいぶんと年齢を重ねた老婦人だ。
よそ行きの服装にやや訛のあるブリーズベル語、そして魔法屋のことをあまり知らない様子からして旅行者かしら? と思ったリリアンナはそっと、老婦人に近づいた。
「ええ、こちらはしょうびいろの魔法屋にございます。私が店主のリリアンナですわ。立ち話もなんですからどうぞ中へお入り下さい」
そう言って、彼女の手をそっと取ると、リリアンナは店の中央に鎮座するアンティークの机へと彼女を案内した。
「しょうび……とっても素敵な名前のお店ね。昔一度だけかけてもらった魔法がそんな名前だったわ。懐かしいわね」
「昔、魔法屋に依頼された経験がおありなのですか?」
「私が結婚した時だから、本当に遠い昔だけどね。私は結婚してすぐに旦那様とカーセル王国へ移住して、以来ほとんど向こうで暮らしてきたのだけどーーもともと生まれはブリーズベルなのよ」
老婦人は大切な思い出をそっと取り出すように、当時のことを話す。
「旦那様はカーセルの大店のひとでね、仕事でやってきたブリーズベルの王都で偶然会ってお互い一目惚れ。私は小さい商会を経営する家の一人娘だったから随分反対されたけど……フフフ、今考えても無茶したわ」
婦人は少しお茶目な顔をして笑い声を漏らす。
「ほとんど駆け落ち同然でーーでもせっかくだから守護の魔法はかけてもらいましょう? って二人で話してね、王都の下町にあった小さな魔法屋で魔法をかけてもらったの。とっても素敵な色の光に包まれて、いつの間にか道に出てきてた街の人達が初対面だ、というのにいっぱい祝福してくれて、とっても素敵な時間だったわ」
「まあ、それは素敵な思い出ですね。それからはずっとカーセル王国で?」
「ええ、旦那様はそれはお忙しい方だったから。でも義実家にも、子宝にも恵まれて素敵な暮らしだったわ。両親に子どもたちを見せることも、仲直りも出来たしね。あれだけの無茶をしたのに、こんなに幸せになって良かったかしら、と思うぐらい幸せな人生だったの。これもきっと魔法屋さんのおかげね。結婚式の時にかけてもらう魔法はパートナーとずっと幸せになれる魔法でしたよね」
「しょうびいろの魔法ですね。ええ、確かにそういう魔法です。でもあの魔法はあくまでも効果があるかもな? 程度ですわ。きっと御婦人がとっても素敵な方だからこそです。でも、そんな風に思っていただけたら魔法屋としてとても嬉しいですわ」
「まあ、買いかぶりすぎよ。まあ、いつの間にか思い出ばかり話しちゃったわね。ごめんなさい、依頼の話よね。依頼というか相談かもしれないのだけど……」
リリアンナの言葉に軽く頬を染めた老婦人は話題を変えるように、ここへ来た本来の目的について話し始める。
リリアンナももう一度居住まいを正して、老婦人の言葉に耳を傾けた。
「そうだわ! その前に自己紹介もまだだったわね、私ったら……改めまして。アリス・フローリアよ。よろしくね」
その場で立ち上がり、アリスは腰を落として優雅な礼を見せた。
「こちらこそよろしくお願いします。もしかするとですが……カーセル王国でフローリアといいますと、フローリア宝飾店の?」
「えぇ、ご承知おきいただき光栄ですわ。今はもう子どもたちに引き継いでますけどね」
フローリア宝飾店といえば、カーセル王国どころか世界的に有名な宝飾店だ。なんなら世界一と言っても過言ではないだろう。この街の小さな魔法屋に来た老婦人がとんでもない人物だと知り、リリアンナは少し身震いした。
「それで、ご相談の内容なのですけど、リリアンナさん? ーー人形とか、ぬいぐるみが勝手に動くような魔法ってありますでしょうか?」
「動く人形ですか?」
老婦人の話しはこうだ。もともと今回ブリーズベルに来たのは1年ほど前に亡くなってしまった夫からのプレゼントだったという。
その話を聞いてすこし寂しげに顔を歪めたリリアンナだが、アリスは
「旦那様とは歳が離れていて……だからなかなかの大往生だったのですよ。むしろ『最期は見送って上げる』と言う約束が果たせて一安心なくらいだわ」
とカラリと笑った。
とにかく、妻、子どもたち、孫たちに囲まれて長い人生を存分に楽しめたらしいアリスの夫だが、唯一二人が残念に思っていたのが、アリスの夫が引退直前に脚を痛めてしまい、あまり遠出ができなくなってしまったことだった。
それでも引退後は、ようやく出来たゆっくりした時間を使い、あちこち出かけたらしいが、海を隔てたアリスの故郷、ブリーズベルを二人で旅行する、と言う夢は結果叶わなかった。
そのことを随分気に病んでいたらしい、アリスの夫が死の間際に計画したのが、このプレゼントだったという。
「子ども達にその話を聞いたときには、サプライズ好きの旦那様らしいな、と思ったものです」
そうして、子どもたちと帰省して以来、久しぶりにブリーズベルの地を踏んだアリス。
南から順に、あちこち見て回り、そうしてやってきたのが古城の街、アッシェルトンなのだと言う。
「アッシェルトンに来たのは本当に数えるほどなのですが、本当に素敵な街ですね。それに私が若い頃とは随分様変わりしたような気が致しますわ。あの頃はホテルも少なくて、観光客もこんなにいなかったですし」
「アッシェルトンが観光都市として有名になったのはここ50年ほどですからね。楽しんでいただけたら嬉しいですわ」
「えぇ、あちこち見て回らせてもらってますわ。それでね、滞在中は駅の近くにあるホテルに泊まっているだけど、そこで少し変わったことが起きるようになったの」
「変わったこと? ですか?」
その言葉にリリアンナは少し身を乗り出し、慌てて姿勢を正した。
「えぇ、少し気恥ずかしい話ですが、私はいつも寝室においているぬいぐるみがありまして、2匹で1対のくまのぬいぐるみなのですが……」
なんでもそれもまた、夫からのプレゼントなのだという。つぶらな瞳が可愛らしいくま達は、もともと仕事で留守にすることも多い自分がいない時にも彼女の眠りを護れるように、とプレゼントされたそうで、なんでも片方は夫そっくりなのだという。
「不思議とこのくまさんがいると、夢見が良くて……旅行の時も必ず連れて行ってるんです。ただ一昨日部屋で起きてみたら、その……くまさん達が移動していたのです」
「移動? ですか? 失礼ですが気の所為ではなく?」
思わずリリアンナがそう質問してしまうのも無理はなかった。
「えぇ、侍女たちも気の所為ではないか? と言ってましたし、私も最初はそう思っていました。でも今日も朝起きてみたらやはりくまさん達が移動していて……それも今度は侍女たちですらはっきり動いた、と言うくらいだったのです」
と、なると本当に動いたのだろう。不思議な話にリリアンナは目をパチクリとする。
「侍女たちなどは『旦那様がいらっしゃたのでは?』なんて言ってて……でもでしたら旦那様との思い出のある、王都で動く方が自然ですし、それで……ふと魔法の存在を思い出したのです。ここはいろの数だけ魔法がある国、だったなと」
アリスの言葉にリリアンナは少し考える素振りをし、それから彼女に向き直った。
「そうですね。確かに人形などを動かす、という魔法はあります。規模にもよりますが、少し動かすだけなら難しくもありません。ただ、となるとその人形の近くに魔法使いがいるはずなのですよね……」
時間差で発動する魔法、というものも存在はしているが、アリス曰く、くまさん達は寝室にいるか、もしくは鞄の中にいるかだったという。となると、魔法屋がぬいぐるみに魔法をかけるタイミング、というのはなかなか見当たらない。
それに魔法を時間差で発動させるのはかなりの高等技術で、するにしてもせいぜい1日差程度が限界だ。と、なるとやはり近くに誰か魔法使いがいる、という線が有力だった。
「侍女の方々の中に魔法使いがいる……と言う線は低いですよね?」
「そうねぇ……彼女達はみんな生まれも育ちもカーセル王国の子ばっかりだし、魔法が使えるというのは噂ですら聞いたことないわ」
アリスの言葉にリリアンナはそれもそうか、と頷く。このあたりで魔法使いがいる国といえばこのブリーズベルくらいしかない。
しかし、となるとやはり誰かが部屋の中、もしくは隣室から魔法をかけたのか? しかし何のために? リリアンナはあれこれと懸命に考えては見たものの、なにも答えは見当たらない。袋小路に入った様子のリリアンナを見てアリスは「そうだ」とある提案をしてきた。
「もし良ければなのですが、実際にくまさんを見にいらしては下さいませんか?」
「実際に? ですか。それはありがたいですし、何か手がかりが見つかるかもしれませんが……しかし良いのですか?」
くまさんを見る、ということは寝室に入る、ということだ。ホテルとはいえ、婦人のごく私的な空間に入ることは同姓のリリアンナでも即座に頷けることでない。しかしアリスは特に気にする様子もなく、頷いた。
「えぇ、もしかしたらそれで何かわかるかもしれませんもの。特に見られて困るものもありませんしね。もちろん無理にとは言わないけど……」
無理にとは言わずとも、是非、という強い気持ちを感じる視線を向けられたリリアンナに断る、と言う選択肢はほとんどなかった。
「分かりました。でしたら、謎が解けるかは分かりませんが、そのお部屋を拝見させていただければ、と思います。可能でしたら事情を話して、ホテルに魔法使いが宿泊しているかだけでも確認もしてみようと思います」
「えぇ、お願いするわ。やっぱりぬいぐるみが勝手に動くなんてちょっと気になるもの。リリアンナさんさえ良ければ、これからでも良いのだけど、ご都合はいかが?」
「私はすぐにでも問題ありません。魔法屋は大体常に暇をしているんです」
そのどこか胸をはった答えにアリスは思わず軽く吹き出す。
「あら、それは頼もしいわね。そう言えば昔魔法をかけてもらった魔法屋さんも暇だって言ってた気がするわ」
「ブリーズベルの魔法屋はたいていそうなのですわ」
その答えにまたアリスは笑い、それから馬車を回してもらうよう、後ろに控えていた侍女に何か指示を出し始めた
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