なんどいろの大騒ぎ

おめかししましょう

 アッシェエルトンは夏真っ盛り。一年中曇り空の多い島国であるブリーズベルの国民にとって、キラキラとした陽の光が降り注ぐ夏は、とにかく何かしないと! という気持ちに駆られる季節である。


 社交界は最高潮に盛り上がり、街の人々も夜毎気の合う仲間と酒場に繰り出しては、飲み明かす。


 どことなくウキウキとした雰囲気がそこかしこに漂うこの季節だが、今日のアッシェルトンはいつも以上にそわそわしている。それはラベンダー通りにあるしょうびいろの魔法屋の扉をノックする少女もお同じだった。


「リリアンナさーん! お待たせっ」

「まあ! ソフィアさん。とっても可愛くしてもらったわね」


 語尾を跳ね上げて店の主を呼んだのは、街有数の大貴族の令嬢、ソフィア・ガードナー。彼女の可愛らしい装いを見たリリアンナは手をパチンと合わせて、彼女の姿を称えた。


 いつもは貴族のお嬢様らしく、可愛らしくも品のあるドレスを着ているソフィアだが今日の彼女は一味も二味も違う。


 可憐な花がいくつも刺繍された白いブラウスに真っ赤なスカートはくるぶし丈、美しいブロンドの髪を可愛らしいリボンで一つにくくった庶民のスタイルだ。


 そうはいっても、よく見ればその一つ一つの服が一流の仕立てであることは一目瞭然。街に溶け込むよう、しかし見る人が見れば良家のお嬢さんのお忍びとわかるよう、ガードナー家の関係者一同が腕をふるったのが今日のソフィアの姿だった。


「でしょう? 夏至のお祭りに行くのですもの。せっかくだったらうんと可愛くしてもらわないとね」


 大好きな友人に褒められたソフィアは、頬を薔薇色に染めつつそう答える。


 夏至のお祭りはアッシェルトンの夏の風物詩。一年で一番昼が長くなる日。人々は秋の実りを約束する明るい日差しに感謝をしつつ、長い夜を踊り明かすのだ。


 リリアンナにこのお祭りの話を聞いたソフィアは、


「なんとしてもこのお祭りに行ってみたい!」


 と両親に掛け合い、なんとか祭りに行く許可をもぎ取ったのだった。


 そんな訳で今日のソフィアはとっても上機嫌。待ち合わせの場所である魔法屋についた時間も、約束の時間より随分早い。しかしソフィアに言わせれば、早めにここについたのはそれ以外の理由もあった。


「ところでリリアンナさん? 一応聞くけどリリアンナさんはこれから着替えるつもりなのよね?」

「着替え? いや、もう準備万端よ」


 今日のリリアンナが着ているのは薄緑色のワンピース。柄がないので地味といえば地味だが夏らしく爽やかな生地が気に入っている。


 特に祭りだから、と特段普段と違う格好をするつもりもないリリアンナはこの姿のまま出かけるつもりだ。そう話すとリリアンナは芝居がかった仕草で大きくため息をついてみせた。


「やっぱりそう言うと思ったわ。リリアンナさん! 今は夏なのよ。それに夏至のお祭りよ、アッシェルトンの夜が一番賑わう日。目一杯おしゃれしないでどうするの? ねぇフレーゼ?」

「お嬢様の言う通りにございます」


 腰に手をあてて力説するソフィアに、今まで存在感を完全に消していた侍女が大きく頷いた。


「そ、そういうものかしら? というか、付き添いの方がいつもと違うわね」

「フレーゼはね、主に衣装方面をお世話してくれてるの。今日はこんなこともあろうかと、ここまで来てもらったのよ」

「こんなことも?」

「ええ、そうよ。予想通りじゃない。さ、フレーゼ、リリアンナさんをアッシェルトンで一番の美少女にして、お兄様をメロメロにしましょう!」

「は、はい? アッシェルトンで一番は流石に無理! っていうかアルは関係ないでしょう?!」

「何言ってるのリリアンナさん。今日は兄様も来るのでしょう? さ、クローゼットを見せて頂戴?」


 ある意味貴族らしいとも言える強引さで、リリアンナを店の奥の住居スペースへと押していくソフィア、彼女の勢いに飲み込まれ、リリアンナは渋々クローゼットを案内するのだった。






「とっても素敵だわ! リリアンナさん。フレーゼもさすが! 良い仕事をしたわね」

「お褒めいただき大変光栄にございます」


 満足気に手を合わせるソフィアに、あまり表情を変えないらしいフレーゼも少し頬を緩ませて膝を折る。


 一方リリアンナは少し心配そうな顔で店の隅に立てかけられた古そうな鏡を覗き込んだ。


「た、確かに素敵だと思うけど……少し派手じゃないかしら?」

「いいえ、リリアンナお嬢様。その美しい生地を活かすにはこのぐらい華やかにしませんと。それに普段は目立たない服装をお好みのようですが、お嬢様はこういった装いがもともと似合う素質をお持ちですよ」

「そ、そう? なら良いけど……」

「安心して、フレーゼは衣装に関しては一家言有る人よ。相手が誰だっておべっかは言わないわ」


 矢継ぎ早の主従の言葉にリリアンナも流石に、じゃあ、似合っていないことはないのか、と思い出す。それでももう一度鏡を見てしまうほど彼女の装いは普段とは違っていた。


 華奢な体躯を包むワンピースの色は海を思わせる青。それもブリーズベルではあまり見ないような青色の糸をいくつも使っていて、まるで本物の海のようなグラデーションを見せる。そう、ソフィア達が選んだのはリリアンナの師匠、クレアのお土産から生まれた一品だった。


 当初は普段遣いのワンピースにしよう、と馴染の仕立て屋であるブルーベルのもとに生地を持ち込んだリリアンナだったが、遠い異国の不思議で美しい生地はブルーベルのイマジネーションを大きく掻き立てたらしい。


「何を言っているの! こんな素敵な生地、とっておきの品にしないともったいないわ!」


 そんな鶴の一声でよそ行きワンピースとなることが決まった生地は、ブルーベルの手で、どこか異国情緒を残しつつも、洗練されたワンピースへ変貌を遂げた。


 ストンと体の線を美しく魅せるラインに、襟ぐりは大胆にとって肌を見せる。やや挑戦的ではあるものの、不思議な魅力を持つ青色を存分に魅せる。ブルーベルの技術が詰まった素敵なワンピースである。


 その美しさに息を呑んだリリアンナだが、自分が着る、となると話は別。まるで夜会服かのような露出の高いデザインに尻込みし、気づけばせっかくのワンピースはたんすのこやしとなっていた。


 もちろんそんな素敵な一品を伯爵令嬢が信頼する侍女が見逃すはずもない。一目でこのワンピースに惚れ込んだらしいフレーゼは


「こんな素敵な服、着ないなんてありえませんわ!」


 と宣言し、用意していた小物やら化粧道具を取り出しつつ、あっという間にリリアンナを普段とはかなり違う、少し大人な雰囲気の美少女に仕立ててしまったのだった。


「本当に素敵だと思うわ! クレア様に感謝しなくちゃ、ね、兄様?」

「あ、あぁ……そうだな」

「アル! いつのまに?」

「いや……さっき来たところだが……」


 そう言いつつ、アルフォンスは視線をリリアンナと一瞬合わせたか、と思うとすぐにさっと目をそらしてしまった。


「アル? どうしたの? ーーってそうよね、普段とは全然服が違うものね。やっぱり似合わないかしら……」

「いや、違う! 似合っている、とっても可愛いから着替えなくて良い!」


 アルの微妙な反応にやっぱり着替えよう、と踵を返すリリアンナだが、すぐに追いかけてきた声に今度はピタリと動きを止める。その顔は耳まで茹で上がったように真っ赤になっていた。


「ほ……本当? アル?」

「ああ、あまりにも普段と雰囲気が違うから戸惑ってしまった。けど本当に綺麗だよリリ、海の妖精のようだ。むしろ街を歩くのが心配になるくらいだ」

「それはちょっと言いすぎじゃない?」

「いいや、リリはいつも可愛いけど、今日のリリは特別に可愛い。まるで女神のような魅力をもっているよ」

「そ、そうかしら?」


 アルフォンスの手放しの賛美にリリアンナは嬉しいような気恥ずかしいような表情になる。アルフォンスもまた普段とは違うリリアンナの姿に珍しく耳を赤くしている。そのまま向かい会うこと数秒、どちらとも何も言い出せない微妙な空気に割って入ったのはソフィアだった。


「でしょう、兄様! リリアンナさんとっても素敵よね。あと私も褒めて! とっても可愛くしてもらったんだから」


 アルフォンスの前に躍り出たソフィアはそのまま赤いスカートを翻してくるりと回る。明らかに舞い上がっているソフィアに苦笑いしつつ、普段のペースを取り戻したアルフォンスはポンポンっとソフィアの頭を撫でた。


「あぁ、とても可愛いよソフィア。祭りの日は悪い人も大勢いるからな、絶対に僕とリリアンナの側を離れないように」

「もう! だから私は子供じゃないって何度言えばわかるの? 私だってリリアンナさんみたいに褒めてもらいたいわ」

「ソフィアのその姿を見せたら、褒め称えてくれる王子様がソフィアにはいるだろう? その役目は彼に譲るよ。それよりソフィア、返事は?」


 王子様の一言でリリアンナと同じくらい真っ赤になったソフィアは、


「わかりましたわ、兄様」


 と素直な返事を返し、頷くのだった。


「それにしてもセオドア殿下は残念だったわね。彼もこのお祭りを楽しみにしていたのに」

「えぇ、本当に。お詫びのお手紙を頂いたけど、それはそれは残念そうだったわ。でも仕方ないわね」

「あぁ、狙われている、とわかっていて出歩くわけには行かないからな。その上祭りの場所で命を狙われればどんな巻き添えが起きるか分からない」


 もともと夏至のお祭りには、最近魔法屋によく来ていたセオドア王子もお忍びで来る予定だった。ソフィアが祭りに行く、ということを聞きつけた王子が周囲を説き伏せたのだ。


 だが、先日の市長公邸での暗殺未遂事件で状況は一変する。市民の大勢いる中でも躊躇なく発泡する相手に狙われている、という中でのお忍びは危険過ぎる。


 流石にそのことは理解しているセオドアは止むなくお忍びを中止にした。


 それどころか、街に出ることもやめざるをえなくなり、ソフィアですら直接会うことは叶わないのが現状だった。


「まあ、こればかりは早く黒幕は捕まるのを願うしかないわね」

「それもそうだな。よし、じゃあそろそろ出かけようか。ソフィア、くれぐれもお転婆はしないようにな」

「分かってるわ! お兄様」


 アルフォンスとソフィアの相変わらずな言い合いにクスリと笑いつつ、リリアンナは店の戸締まりを始めるのだった。

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