危険な魔法

 王太子としての経験をそろそろ積まなければ間に合わない。そういうことで、アッシェルトンで公務に出始めたセオドア王太子だが、決して敵が消えたわけではない。


 セオドアを消して、代わりに自分に都合のよい人間を王太子に据えよう、と画策するウェルテリア公爵は依然力を持っている。セオドアを害しよう、という目論見が表に出る度、王家は必死になって、犯人を捕まえているが、いくら調べようと捕まるのはトカゲの尻尾ばかりだ。


 そんな訳で、裏ではかなり厳重な警備が行われた今回の園遊会だが、結局は特に何事もなく、王子の出番は終わった。


 この後も園遊会は続くが、王子は一足先に会場を後にするらしい。父に教えられた王子の予定をリリアンナが反芻する。とはいえ、馬車に乗ってしまえば会場にいるリリアンナ達に出来ることは少ない。自分の役目もそろそろ終わりか、と思った矢先にそれは起きた。


 パーン!


 空に響く高い音は銃声だ。

 何事か、と思いリリアンナが音の方へ顔を向けると、更に続けてパーン、パーンと音が響く。


 と、同時に銃声に驚いたのだろう。何頭もの馬の甲高い鳴き声がし、さらに人々の悲鳴が続いた。


 何が起きたのか? とっさに手帳を取り出すと、隣の父が音の方へ走り出している。リリアンナもそれに続こうとしたところで、さらにいくつもの悲鳴が上がった。


「キャア」

「大丈夫か!」

「誰か! 血が」


 誰かが撃たれたのか、重いドレスに舌打ちしそうに鳴りつつ、前の父を見ると、その手は手帳をパラパラとめくっていた。


「お父様! 駄目よ!」


 この状況でどんな魔法を使うつもりなのか。本能的に気付いたリリアンナは思わず叫ぶ。しかしその声は届いたのか、ほんの一瞬で目的のページを開いたらしき父は、そのままリリアンナが一番聞きたくなかった言葉を口走った。


「もくらんいろの魔法を!」


 そう言うと同時に、手帳からは稲妻のようにまっすぐに淡い黄色の光が上がり、それはそれに反射して、まっすぐに悲鳴の中へ消えていく。


「おい! 何が起きたんだ?」

「魔法だ! 誰かが魔法を使ったんだ」

「このいろは俺見たことあるぞ! 治療の魔法だ」


 突然発動した魔法にあちこちからざわめきが聞こえる。しかしリリアンナの頭には、数年前のあの日、棺の中に横たわる冷たい母の顔が蘇っていた。


「いやよ、お父様」


 思わずギュッと目をつぶり、立ち止まる。と頭上から心配そうな声が降ってきた。


「大丈夫か? リリアンナ」


 恐る恐る目を開く。こちらを覗き込む父に少なくとも大きな怪我はなさそうで、リリアンナの瞳からは勝手に涙が溢れて来るのだった。






「もう! 信じられないわ。殿下がかすり傷だったから良かったものの……あんな規模のもくらんいろの魔法を、怪我の程度も見ずに使うなんて……もしかしたらお父様が……本っ当に信じられない!」

「いや……思わず体が勝手にだな……」


 公邸から帰る馬車の中。リリアンナは父に向かって思い切り声を荒らげる。流石の父も、無茶をした自覚があるのか、語気には随分と勢いがなかった。


「勝手にって……確かに殿下をお守りすることは貴族として大切かもしれないけど……何も自分を犠牲にしなくてもいいじゃない。お父様も、お母様も……」


 あの襲撃の際、セオドア王太子は確かに怪我をした。しかしそれは急な襲撃に、王太子が転んでしまったからで、結局は軽いかすり傷ですんだのだという。その傷も、リリアンナの父が、病気や怪我を治すもくらんいろの魔法を使ったことで、すぐに消えたようだった。


 そして、人通りの多い場所で何発も銃が発射されたにも関わらず、幸い流れ弾にあたった人もおらず、犯人は全員護衛達により拘束された、という。


 結果的に大きな被害は出ずに済んだ襲撃だが、それはそれとして、とリリアンナは改めて恐怖に身をすくめた。


 あの強烈な光の輝きからして、父はもくらんいろの魔法を最大限の出力で使っていた。考えたくはないが、銃弾が誰かに当たり、瀕死になっていたとしても救えただろう。


 ただしそれは3つの約束を完全に破ってしまうことを意味する。


 約束を破った者には、その魔法に紐づけた罰が与えられるのが決まり。怪我や病気を治療するもくらんいろの魔法であれば、相手の怪我や病気が術者に跳ね返ってくる。リリアンナの母のときのようにだ。


 相手の状態を見ずに魔法を使う、というのはそのぐらい危険なことなのだった。


「別にわざわざ屋敷までついて来なくても良いんだぞ」

「いえ、今日は一緒に帰るわ。家に着くまで安心できないもの」

「ふん、いつもは呼んでもなかなかこないくせに……」


 父の言葉は最もだが、普段屋敷に寄り付かないリリアンナが自分から屋敷に行こうとするぐらい、あの柔らかい黄色はリリアンナを恐怖させていた。


 馬車は大通りに入り、他の馬車や車が行き交う中をゆっくりと走る。窓の外の人混みを眺め、父がポツリとつぶやいた。


「しかし……襲撃犯もとんでもない場を狙ったものだ。殿下はもちろん巻き添えが出なくて良かった……」

「えぇ……本当にそうだわ」


 厳重に警備されているとはいえ、それでも公邸の周りには多くの人が歩いている。銃声が響いた際にも幾人もの市民の悲鳴が聞こえた。もし彼らにも被害があればぞっとする。


 と、そこでリリアンナは一つの違和感を覚えた。


「そう言えばお父様……どうして殿下が怪我をされたって分かったのかしら?」


 リリアンナの小さな小さな呟きが父に届いたかは分からない。少なくとも父は何も答えなかった。






 リリアンナはあくまでも父を屋敷に送るだけのつもりだったが、結局そうはならなかった。


 リリアンナが家を出た後に使用人の顔ぶれは随分と変わったようだが、彼らはなかなかの世話好きが揃っているらしい。久しぶりの令嬢の帰宅に感激した侍女頭を始めとした使用人達は喜々として、泊まって行くように勧め、リリアンナも断りきれなかったのだ。


 勿論父が心配だ、というのも多少はある。


 使用人達に、よそ行きのドレスから、室内用のドレスに着替えさせてもらい、恭しく給仕されながら最高級のお茶を飲む。


 昔は当たり前だったものの、久しぶりの感覚にリリアンナがなんともいえない居心地の悪さを感じていると、トントントン、規則正しく部屋のドレスが叩かれる。侍女がドアを開けると姿を表したのは、執事だった。


「お嬢様、旦那様がお呼びです。書斎へお越しください」

「お父様が? どうしたのかしら……分かったわ。とりあえず向かいましょう」


 侍女たちを数人引き連れて室内を歩く、ということにこれまたむず痒い気持ちに鳴りつつ書斎に向かうと、そこでは父がなんとも難しそうな顔をしていた。






「お待たせしましたわ」

「ああ……リリアンナか。こちらへ」


 父に促されるままに書斎に置かれたソファに腰掛ける。と同時に父が軽く手を払うような仕草をした。人払いだ。


 瞬時に音もなく部屋から出ていく使用人達に嘆息しつつ、リリアンナは怪訝な顔をして、父を見た。


「本当にどうしたの? 人払いなんて」

「さっきアッシェルトン警察から電話があってなーー王太子殿下を襲撃した犯人がウェルテリア一派の者に金を渡されたことを白状したそうだ」

「まあ! ……ということは今回の襲撃はやっぱり公爵の仕業ということですか」

「ああそうだ……まあ、今まで通り金を渡した人間も一派の中では下っ端の男爵。今警察が拘束に向かっているそうだが、捕まえても公爵まではまず繋がらんだろう」


 そう言って父は嘆息し、天井を見つめる。実行犯とそれを雇った下っ端の貴族だけが捕まる。これまでと同じ流れだ。


「それはさておき、これでウェルテリアの一派がアッシェルトンでも足場を作っていることが明確になった。殿下の行動もかなり見直さなければならんだろう。……でリリアンナ」

「はい」

「殿下はお前の店にも出入りしているだろう。まあ……殿下にはあまり街に出ないよう進言するとして、お前も殿下との付き合いは慎重にしろ」

「慎重にって……殿下は何も悪くないのにですか?」

「たとえ、殿下に罪がなくとも、狙われていることは確かだ。殿下と繋がりを持っていればお前まで標的にされかねん。それでなくても彼らは巻き添えを気にしないことが今回のことではっきりしただろう?」

「それは……」

「関係のない者を巻き込みたくなければ、殿下とは距離をとれ。分かったな」

「はい……わかりました」


 せっかくの新しい繋がりだが、父のいうことももっともだ。リリアンナは重い声でそう答えたのだった。

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