王太子の助け舟
「あら、ハートウェル侯爵令嬢。お久しぶりですわね。随分お顔を見なかった気が致しますわ」
「ハートウェル侯爵令嬢、ごきげんよう。侯爵閣下にはいつもお世話になってますわ。たまにはハートウェル嬢も家へいらしてくださいね」
知り合いを見かけたから、とどこかへ向かったジェイク。と、彼がいなくなると同時にどこからともなくドレス姿の女性達がリリアンナの側へやってきた。
色とりどりのアフタヌーンドレスを纏った彼女達はアッシェルトンの貴族夫人やその娘たちだ。
「あら、皆様ごきげんよう。お久しぶりにございます」
普段社交界に出ないリリアンナがいる、ということでやってきたのだろう。ほんの少し棘も感じる挨拶に顔をしかめそうになるのを堪え、リリアンナは社交用の笑みを貼り付けて挨拶を返した。
「ふふっ、本当にお久しぶりね、お母様はよく私達の集まりにも顔を出してくださったのに……」
「仕方がないわ、ハートウェル嬢は魔法屋のお仕事がお忙しいのだから」
「街のお店で市井の人にも積極的に魔法をかけているとか……ハートウェル嬢はお優しいのねぇ」
優しい、と言いつつその言い方には棘がある。高位貴族に生まれながら、貴族社会に溶け込まず、街で魔法をかけることを選んだリリアンナへの蔑み、そして自分達を優先して魔法をかけてくれる存在が消えたことに対するいらだちがそこには垣間見えた。
「ですが、人にはそれぞれ立場、というものがありますからね。あまり下々の者に良い顔ばかりしていては足をすくわれましてよ。いえ、これはあなたのことを思っての忠告で、決して市井の人々を悪く言うわけではありませんが……」
「ただ、彼らは強欲ですからね。リリアンナ嬢のような優しい方はいつか傷つくのでは、と心配で……」
「それに私達との繋がりも貴族社会ではとっても大切ですのよ。まあ、若いうちは煩わしくお思いかもしれませんが……」
「おやおや、これは皆さんお揃いで。初めまして」
自分に対する苦言ならともかく、街の人々まで悪く言われ、流石のリリアンナもカチンとくる。いい加減反論しなければ、と思ったところで、よく通る声が彼女たちの間に割って入った。
「これはこれは皆さんお揃いで。何のお話をされていたのかな?」
「第一王子殿下!」
「皆さんにはご挨拶が遅れて申し訳ない、セオドアだ。どうぞよろしく。さて……随分とお話が盛り上がっていたようだけど何の話をしていたんだい、リリアンナ嬢? あぁ、僕のことはいつもみたいにセオドア殿下で良いからね」
茶目っ気のあるウィンク混じりにそう言う美少年に周囲はざわめく。同時に王子がリリアンナを名前で呼んだこと、その名をリリアンナに許したこともさらに彼女たちを驚かせた。
「それではお言葉に甘えまして、ご機嫌麗しく存じます、セオドア王子殿下。皆様とは少々街の話をーー私は普段街ぐらし故、皆様は随分心配なご様子で」
「おや? 心配? まあ令嬢の一人暮らし、というのは珍しいからね。けどラベンダー通りの人は良い人ばかりだから安心だ。この前ケーキを頂いたロイドさんは元気かい?」
「はい、殿下がお喜びだったと伝えましたら、随分嬉しがっておりました」
「それは良かった」
「あ、あの! 殿下はハートウェル嬢とお知り合いで?」
リリアンナと王子と会話に無謀にも割って入ったのは昼間にしては少々きつめな黄色いドレスを纏った令嬢。
その後ろでは母親らしき人物が「しまった!」とでも言いたげな顔をしているが、王子は気を悪くする風でもなく、その問いに答えた。
「あぁ、リリアンナ嬢にはエドワード、あぁ僕が飼っている犬の名前なんだが、彼のことで随分世話になってね、それ以来の関係なんだよ。彼女は本当に優秀な魔法屋さんだ」
「いえそんな……過分なお言葉にございます」
「いやぁ、本当のことだよ。……それにしてもやっぱりアッシェルトンの夏は王都と比べて随分と風通しが良いね。そこの通りも今日は別にしても、いつもいろんな人が行き交っている。まあ、先程の話を聞くに、意外とそうでもないのかな? って気もするけどね」
そう言いながら、リリアンナを遠巻きに見つめる婦人や令嬢たちを見回す王子。市民階級を散々馬鹿にしていた先程の会話が聞こえていた、と確信して顔を真っ青にする彼女たちを尻目に王子はニコッと笑ってみせた。
「さて、そろそろ式典が始まるね。それにソフィア嬢を向こうに置いてけぼりにしてきてしまってるからそろそろ戻らないと。じゃあ、また今度」
「はい、殿下。楽しみにしております」
ガードナー伯爵令嬢とはどんな関係なんだ? という爆弾を、今だ真っ青な貴婦人たちの間に落とし、リリアンナには軽く手を上げて挨拶したセオドア王太子は、そのままさっそうとその場を後にした。
「リリアンナ……いつの間にセオドア王太子とお知り合いになったんだ?」
その行方を腰をおとしたカーテシーの姿勢のまましばらく見送っていたリリアンナ。彼女が姿勢を戻したところで、後ろから父、ジェイクの訝しげな声が聞こえた。
「お父様! 戻っていらしたのですね。殿下はご愛犬が……その……迷子になられた際に魔法を使って差し上げたのです。それ以来、お見知りおき頂いております。お父様ならご存知でしょう? ソフィア嬢と殿下の関係もそれからですわ」
「あぁ、ソフィア嬢の話なら知っている。犬好きが繋いだ縁だとは聞いていたが、まさかリリアンナが関わっているとはな」
ややため息交じりの声にリリアンナは少しムッとした表情を作る。
「なにか、問題でもありますでしょうか?」
「いや……全く社交界に出る気のない困った娘だと言うのに、不思議な縁をつれてくるものだ、と呆れているだけだ。だいたいお前は王子のことを憎んでいるものだと思っていたが……」
「憎む? どうしてですか?」
「どうしてって、お前は王族を嫌っているだろう。そもそもセオドア王太子はお前の母の命と引換えに……」
「お父様! 殿下はその話をご存じないはずです。聞こえたらどうするのですか!? ……お母様が魔法を使ったのは殿下のせいではありませんわ。私は立場ではなく、その人の人となりを見て、誰が大切か決めます。お父様といっしょにしないで下さいませ!」
父の言葉を強く押し留めたリリアンナはそのままの勢いでそう言い切る。
「相変わらずお前は考えが甘い。貴族社会というのはそれだけで生きていける場所じゃない。お前もいずれ分かる」
「そんな……」
勢いに任せたリリアンナに対し、冷静に口を開くジェイド。なおも言い募ろうとするリリアンナだが、そこで会場がざわめきだし、ジェイドは表情を引き締めた。
「あぁ、そろそろ殿下がご挨拶をなさるようだ。狙うなら今だろう。お前も不審な者がいないか目を光らせろ」
「……わかりましたわ。お父様」
釈然としない気持ちを持ちつつ、リリアンナは今だざわめきに包まれている会場を見回し始めた。
「紳士淑女の諸君! セオドアだ。……ああみんな楽にしてくれて構わない。このような素晴らしい会に招待してくれて、とても感激している! ……」
王太子がグラスを片手に挨拶を始めると、一瞬会場がわっとわき、それから彼の言葉に聞き入るように静まりかえる。
会場中の人々の目線を一手に集める王太子は、しかしあたかもそれが当然であるかのように、堂々と挨拶を続ける。
そして最後に彼が、
「それでは、アッシェルトンのますますの繁栄に乾杯!」
とグラスを掲げると、「乾杯!」の声がいたるところから上がり、会場は異様な程の高揚に包まれた。
「殿下ったら、普段はそんなところあまりお見せにならないけど……さすが王子様よね」
普段の少し甘えたで子犬大好きのセオドアを見ているリリアンナ。彼女からすれば、立派な王太子として振る舞うセオドアの姿は尊敬に値する一方で、やはり遠くの人物なんだ、と実感してしまい少し寂しくもある。
「あらーーでも、見直した、って子もいるみたいね」
ふと目線を上座のソフィアに送ると、こちらの視線にも気づかないほど、セオドアの勇姿に釘付けでその目はキラキラと輝いている。
なんとなくそんな予感はしていたが、ソフィアも大変な人に恋をしてしまったものだ。そんなことを考えつつ、リリアンナは引き続き、おかしな動きをする者がいないか、会場中を見渡すのだった。
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