はとばいろの謀りごと
人が多いのも考えもの
7月のラベンダー通り。ぽかぽかとした日差しは、満開の時期は過ぎたものの、まだまだたくさん咲いている可愛らしい薄紫の花を照らしている。
アッシェルトンの夏はまさに観光シーズンだ。大陸の北に位置する島国であるブリーズベル王国は冬が厳しい代わりに夏でもそこまでの暑さにはならない。
美しい街並みと爽やかな風を求めて、この街には多くの観光客、とりわけ大陸の南の国々から多くの人が訪れていた。もっともお客様が多いのは良いことばかりではないようで……
「まぁ、旅行者を装った泥棒ですか? 物騒ね」
「えぇ、彼らは上流の家に比べて防犯意識が薄い、ということでこのあたりの通りに目をつけたようです。リリアンナさんもくれぐれも戸締まりは念入りに。アルフォンスさんは相変わらず、いらっしゃってますか?」
「えぇ、ここ数日は仕事が忙しいらしくてちょっとご無沙汰だったけど、それまでは何かと理由をつけては来てくれてたわ」
「女性の一人暮らしは物騒ですからね。我々も見回りを強化しますが、くれぐれもお気をつけて。なにかあればすぐに知らせてください」
「分かったわ。ありがとう、お巡りさん」
その言葉に紺色の制服にヘルメット姿の警察官は敬礼を返し、それから隣の店のドアもノックする。
その姿を見送ってから、リリアンナも店に戻るのだった。
「泥棒ねぇ、観光客が多いのも良し悪しね」
リリアンナは客のいないガランとした店内を見回しつつつぶやく。
そもそもアッシェルトンが観光都市となったのはここ数十年程のことだ。
正確には旅行、というものが一般的になって数十年、と言う言い方が正しい。
蒸気機関が発明されて、王都とアッシェルトンの距離が汽車で数時間に短縮され、さらに外国との往来も蒸気船の就航で飛躍的に安全かつ早くなった。
そこに目をつけたのが豊富な文化遺産を持つ街、アッシェルトンだった、という訳だ。
そんな訳で今でこそ旅行者向けの店も多いラベンダー通りだが、住人達の防犯意識は旅行者が増える前からあまり変わっていない。
しかし、旅行客が増えたことで街は潤ったが、それに乗じた犯罪者が増えたこともまた事実なのだった。
それはそれとして、観光シーズンを迎えて大賑わいの店もあるが、魔法屋はその限りではない。
そもそも外国ではまだ魔法屋の知名度は低いし、リリアンナを含め多くの魔法使いは、近くの人々のちょっとした願いを叶える穏やかな暮らしに満足している。
とはいえ、時には魔法屋という珍しい看板に気を引かれた旅行者がフラッと店に来ることもあるのだった。
「この魔法屋、というのはなにを売るお店かね?」
「いらっしゃいませ……あら、魔法屋は始めてですか?」
「あぁ、リーゼル王国からやってきてね、向こうでは聞き慣れない看板を見かけて入ってみた、という訳だ」
リーン、という鈴の音と共に入店したとんの麻の上着をまとった旅装の男性。大体20後半くらいだろうか。
ブリーズベルではあまり見かけないやや日に焼けた姿は確かに異国から来た旅行者、という風情だがその割には流暢なブリーズベル語を使う。
リーゼル王国といえば大陸でも南端に位置する国。随分と遠い場所から来たんだな、と思いつつリリアンナは彼の質問に答えた。
「確かに魔法屋はブリーズベル特有の店ですものね。ここはお客様のご依頼を魔法で叶えるお店ですわ。お代は金貨1枚です」
「金貨1枚! それはまた随分な……」
「確かに高価ですが、これは魔法使いの間での決まり事なので。どこの魔法屋でも同じ値段ですわ」
金貨1枚というなかなかの値段に目を白黒させた紳士だが、リリアンナの説明を受けて一応は納得したようで更に質問を続けた。
「まあ……では仕方ないでしょう。それで……魔法、というのもあまり聞き慣れないものですが、そんな夢物語のようなものが本当に存在するのですか?」
「えぇ、もちろん。大陸では随分昔にすたれてしまいましたが、世界にはまだまだたくさんの魔法があります。ブリーズベル王国はそんな魔法を使える人が今も大勢いるのですわ」
「なんとも驚くべき話だが、まあ実際に見てみんと信じられんな。よし、せっかく来たのだから魔法を頼むことにしよう。どんな願いでも構わないのか?」
「ありがとうございます。ただどんな願いも、という訳には参りませんわ」
魔法屋について知らない、ということは3つの約束についても知らない、ということだろう。微笑みつつもリリアンナは釘を指した。
「おや? 何でも、という訳ではないのですか」
「えぇ、ちなみにどんな魔法をお望みなのですか?」
「そうですねぇ、実は私、国に意中の人がおりまして、ここ1年程口説き続けているのですが、一向に振り向いてくれません。本当ならこの旅行も彼女と来れたら良かったのですが、断られてしまいましてね。それで寂しく一人旅、という訳です」
「まあ……それは」
「と、言う訳で魔法が使える、というのでしたらその魔法で彼女の心が私に向くようにしてくれませんか? 金貨1枚も取るんだ。そのくらいできるでしょう?」
「お断りしますわ」
意中の相手が振り向いてくれない、という紳士の身の上ばなしには同情を示したリリアンナだが、その後に続いた魔法の依頼にはきっぱりと断りの意志を示す。
ぽやんとしてそうだ、と思っていた少女の予想外の強い拒絶に、紳士はやや驚きつつも不満の表情を浮かべた。
「どうしてでしょう? 魔法というのはそんなこともできないのですか?」
「できない、というよりもしてはいけないのです。ブリーズベルの魔法使いは3つの約束を守らなければなりません。一つ世の理を変えぬこと、一つ人の心を曲げぬこと、一つ国の秩序を乱さぬこと。これを破れば魔法使いには罰が与えられ、それは時に依頼者は国全体にも影響が及びます」
「なんとも面倒な話だな。つまり私の依頼はその3つの約束? の2つ目に反すると」
「そういうことになりますわ。恋愛がうまくいくよう運気を上げるような魔法でしたらありますが……」
「運が良くなるだけで物事がうまくいくなら苦労はしないよ! 私はもっと明確な結果が出るような魔法をだな……」
「でしたらご希望には添えませんね」
声を荒げる紳士だが、リリアンナは努めて冷静に、しかしきっぱりと再びの拒否を示した。
「な……そうだ! こういうものには大抵抜け道みたいなのがあるもんだろう? そういうのはないか? もちろん金はだす。金貨1枚と言わず何枚でも。それならどうだ?」
「金額の問題ではありません。幸い生活には困っておりませんし。そのようなご依頼でしたらお受けできませんのでどうぞお帰りを」
街の魔法屋となって数年。何人かではあるが、こうした依頼をしてきた客も見たことがある。リリアンナは柔らかな笑みを浮かべたままドアの方を示す。
一方紳士はというと、自分よりずっと年下の少女の余裕たっぷりの振る舞いに、段々と頭に血が上ってきたようだった。
「何だと! 黙って聞いていれば……私は客だぞ。それに帰れと言うのか」
「あなたのご依頼内容ではお受けできませんので。他の依頼でしたらお受けできますが」
「うるさい! 小娘が。魔法屋だとか言うんだったらつべこべ言わずにこっちの言う通りに魔法を使えば良いんだ! それでも無理だと言うならこっちにも……」
ついに我慢の限界となったらしき紳士が拳を振り上げつつ、リリアンナに近づく。
とっさに何かしらの魔法を発動させようか、と手帳をいれたワンピースの隠しに手をやるリリアンナだが、その前に店のドアはバタン! と大きな音を立てて開かれた。
「こっちにも……何なのかな?」
「アル! どうしたの?」
「やっと時間が取れたから来てみたら店から大声が聞こえて、それで慌ててドアを明けたんだが……まさか女性に手を上げようなんて真似を考えた訳じゃないですよね?」
フロックコートを一分の隙もなく着こなし、背もなかなかに高い。そんな彼に胸ぐらを捕まれ詰め寄られた紳士は、先程までの勢いはどこへやら。急に借りてきた猫のように大人しくなった。
「い、いやぁそれはその……つい興奮して……ちょっと脅すだけのつもりで……」
「それも紳士の行いじゃないなぁ!」
紳士の言い訳にさらに凄むアルフォンス。これではどちらが悪役かわからない迫力だ。
「す、すいません! 帰ります、帰りますからぁ……」
そういう紳士の言葉を聞いてアルフォンスはようやく胸ぐらから手を話す。
開放された紳士は、慌ててドアを開けると一目散に通りを走っていくのだった。
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