まずは、ちゃんと話すこと

「申し訳ありません……ローズ様。これではご希望に添えませんよね」

「い、いえ……少なくとも先程見た私は不幸そうではありませんでしたもの……」


 そうは言いつつもローズはどこか不完全燃焼な様子を漂わせる。

 そんな彼女の様子にリリアンナはとりあえず、といった調子である提案をした。


「もしよろしければローズ様? 先程の映像、もう一度見てみませんか」

「出来るのですか? 出来るのでしたら是非……」

「えぇ、さっきの今ですから。ではべにふじ色の魔法を!」


 先程と同じようにリリアンナが呪文を唱えると、またしても窓の景色が何処かの家の部屋に変わる。


 しかし移されるのはさっきと全く同じ老婦人が刺繍に勤しむ姿であり、特に変わったところはない。


 リリアンナは思わずため息をついた。


「うーん……、少なくとも穏やかに暮らせます、と言う意味なのかしら……、でもそれじゃああんまりにも……」

「ちょっと待って! お二人共ローズ様の、映像のローズ様の手元を見て下さい」


 あんまりにも答えにならない、そうリリアンナが口にしようとしたところでソフィアが突然声を上げた。


「ローズ様の刺繍されているハンカチ、イニシアルがJ.Bだわ。これってジョン様のことじゃない?」

「つまり……このハンカチはローズ様から旦那様への贈り物、ということソフィア?」


 確かにJ.Bはジョン・バートランのイニシアルだ。リリアンナは女性の手元に集中しつつ、ソフィアに問いかける。とそこでまた映像がブツンと途切れた。


「えぇ、もちろんそうと決まった訳ではないけれど、ハンカチの柄は御歳を召した男性向けのものだったし……、だとしたらローズ様は少なくとも自分の手で刺繍したハンカチを贈るような関係をジョン様と築く、と言う意味なのではないかと思うのです」


 その言葉にローズはまさに薔薇のようにパッと表情を輝かせた。


「えぇ、えぇ! そうかも知れません。しかも私は正直刺繍はあまり得意ではありませんの。同じ淑女の嗜みでもピアノや語学は得意なのですが……」

「あっ、そう言えば部屋にピアノが、それも上等そうなのがあったような……もう一度みてみましょうか」


 リリアンナの提案に今度は2人共が大きく頷き「べにふじ

いろの魔法を!」と言う言葉が3度部屋に響く。


 3人の視線が窓の方へと集まった。


「やっぱり……そうだわ、なんだか居心地の良さそうなお部屋だと思ってたんですが、このお部屋! 設えから家具、小物までみんな私が好きな雰囲気のものばかりなんです」

「ジョン様はどうやら贈り物魔のようですわね」


 リリアンナが笑いながらそう言い、ブツンと映像が途切れる。しかしローズの目にはもう憂いはなかった。


「ありがとうございます! リリアンナ様、ソフィア様。実は私……これからジョン様とお約束が会ったのです。ただ……付添人の言葉を聞いて、一体どんな顔で会えばよいか分からなくなってしまって……、でも心が晴れましたわ! 私ジョン様に正直に聞いてみることにします。結婚をどう考えているのか」

「それが良いと思いおますわ。今映したのはあくまでも一つの可能性ですが、これを見る限りジョン様は素敵な方のようですもの」


 二人に何度も礼を言ったローズは店に来た時とは反対の、明るい表情で代金を支払い、店を後にしたのだった。






「ローズ様……上手くいくと良いですわね」

「ええ、でもきっとうまくいくと思うわ」


 先程まで何度も不思議な現象の舞台となった窓を見つめつつ、二人は微笑み合う。とそこでソフィアが思い出したようにリリアンナに問いかけた。


「そう言えばリリアンナさんは良い方とかいらっしゃいませんの? それこそ……兄様とか!」

「兄様って……アル? ないわ、ないわよ。彼はただの心配性の幼なじみ。私は魔法屋の仕事が楽しいもの。まだ結婚は考えられないわ」

「えぇー! なんだか怪しいですわ。だいたい街の女性は結婚しても働いている人も多いでしょう? 魔法屋さんなら上流の方でも結婚しても続けている方もいますし」

「いや、そうなんだけどね、でも、とにかく! アルはそういう関係じゃないのよ」


 昼下がりの店には少女たちの明るい声が響くのだった。






 ラベンダー通りを出たローズは待たせてあった馬車に乗り、アッシェルトン駅の方へと向かう。予定どおり付添人と合流し、ジョンに指定されたティールームへ向かうと、既にジョンの方はテーブルについていた。


 ジョンはローズより7歳上の25歳。この国では当たり前の歳の差だ。男爵家の次男ながら経済状況故にバートラン銀行に入った苦労人。しかし大学でも奨学金を受けていた、という秀才は銀行でも早速その才覚を発揮していると言う。


 そんな来歴を思い浮かべつつ、ローズは眼の前で人の良さそうな笑みを浮かべる男を見上げる。ローズが将来有望な銀行家、と聞いて想像するのは父のような、少し冷たさも感じさせる人物だが、ジョンは穏やかで朴訥とした雰囲気さえ漂わせている。何ならば貴族の次男坊という肩書さえ似合わないかもしれない……むしろ田舎の農夫のようなそんな雰囲気の持ち主だと感じていた。


 そんな彼は今日もプレゼントを用意していた。それも今日は花や菓子ではなく繊細な細工のブローチだ。流石にこんな高級品もらえない、と困惑するローズに


「貧乏貴族とは言われていますが、これでも結構高給取りなのですよ……。私のため、と思ってもらって下さい」


 と言われるとお礼を言ってもらうしかなくなる。こんな風にしてローズの私室は自分のお気に入りに囲まれるようになったのだろうか? そう思いつつ、ローズはテーブルの下で拳を一つ握った。


「あの! ジョン様」

「どうかされましたか? バートラン嬢」


 突然出された思い詰めたような声にジョンは驚いた表情をする。しかしローズは躊躇せずに言葉を続けた。


「私、これから夫婦になるのでしたら隠し事はしないほうが良いと思いますの」

「そ、それは私も同感ですよ……ですが急にどうされたのですか?」

「短刀直入に申し上げます。どうしてジョン様はこんなに私に愛情を示してくださるのですか?」


 その言葉にジョンは疑問符をいくつも浮かべたような表情を浮かべ、後ろの席では付添人が息を呑むのがわかる。これはあとでお説教間違いなしだろう。


「愛情ですか……? 私達は夫婦になる予定でお会いしているのです。妻となる女性を愛するのはおかしなことではないと思いますが」

「確かにおっしゃる通りですし、とても素敵な考えだと思います。でもそれはある程度関係性があってのことでしょう。私達は先月始めてお会いして、今日が直接会うのが3回目。それにしては……なんといいますか、愛情表現が強すぎるといいますか……いえ、嫌ではないのですよ……ただ、他の方にもそうなのかな……と邪推してしまうのです」


 後ろの席で声のない悲鳴が上がるのが感じられる。一方眼の前のジョンの表情は大きく歪み、ローズはそこで「あっ、怒らせたかしら」と鼓動が早まり始める。


 が聞こえてきたのは怒り、ではなく慌てた様子の声だった。


「そんなことはありません! 誓って、私が愛を捧げたいのはあなただけです。……そして、ローズ様はこの前の見合いが私との初対面だとおっしゃいましたよね」

「え、えぇ、そうですよね」


 その答えにジョンは大きく嘆息する。もともと歳上の彼がローズにはさらに一気に老けたように思えた。


「なるほど、そこからでしたか……いや、思えば何も言っていない私が悪いのですね。ローズ様と私はお見合い以前に一度お会いしているのですよ。バートラン家のお茶会で」

「我が家のお茶会で、ですか?」


 初耳の話にローズは混乱するように目を瞬かせる。一方ジョンは当時を思い出すように少し上を見上げた。


「当時の我が家は今よりも困窮度合いがひどく、資産家でいらっしゃるバートラン家のお茶会には参加したいものの、着ていく盛装すら用意できない有り様。やむを得ず私は祖父のフロックコートを少し直して出席したのです。もちろんものは良いものですが、明らかに時代遅れ、私はあちこちから嘲笑を浴びることになりました」


 確かに3代前のデザインなら古めかしくはなるだろう。だがそれ以上に周囲が嘲笑ったのは盛装一着新調出来ない男爵家の困窮具合だ。特権階級の意識がある一方、上流との間に見えない壁も感じている中流上階級の人々にとっては格好の標的になったであろうことはローズにも分かる。


 が、同時に若くしてそんな嘲りを受けることになったジョンに同情し、ローズは眉を潜めた。


「お金を持っていることだけが価値ではありませんわ。それに例えデザインが古くとも、茶会に出席出来る、ということはそれだけ大事にそのコートを使われていた、ということです。感心されこそすれど、誹られる必要はないと思いますが……」


 その言葉にジョンはパッと目を輝かせた。


「あの時のローズ様もまさに同じように仰ったのです。その上、まだ小さい身体で私を庇うように立ち、『お父様はいつも、古いものを大事にすることは良いことだって言っているわ。だからジョンさんは良いことをしてるのね』と招待された方達に面と向かって仰ってくださったのです。それが私の初恋でした」

「そ、そうなのね。全然覚えてなかったわ……あら?でも待って、当時って言いましたわよね……どのくらい前のことでしょうか?」

「そうですね、10年ほど前のことになります」

「お、覚えているわけないではありませんか!」


 思わずでた大きな声は想像以上にティールームに響き、ローズは慌てて声を潜めた。


「その頃私はまだ8歳ですわよ」

「分かっています。当時の私でもあなたは恋をする相手としては幼すぎる、というのは理解してました。ただ……大学を卒業し、運良くバートラン銀行に入行したあと、突然頭取からあなたとの見合い話を頂いたのです。もちろん政略的な理由がお有りでしょうが、私は運命だとおもいました」

「そ、そうだったのね……」

「実際お会いしてみると……あなたは当時の優しさはそのままにとても美しくなっておられました。そうなると自分を止められず……突っ走ってしまった、という訳です」


 その言葉にローズは頬を染めつつも、同時に呆れたように息を吐いた。


「では……最初の花束は? 見合いに持ち込むようなものではないでしょう? 求婚するならまだしも……」

「いや……それは……。女性は薔薇が好きでしょう? 特にあなたはローズさんだ。だからお見合いとはいえ何かプレゼントはいるか、と」


 その言葉にローズは今度こそ嘆息する。そして苦笑いのまま口を開いた。


「お見合いで……初対面の手土産でしたら花は数本で良いですわよ」

「そうだったのですね。ですが私としてはもう2度と見合いをする機会はない方が良いと考えているのですが……」


 そう切り替えしたジョンの言葉にドキリとしてローズが視線を上げると、それは真っ直ぐなジョンの瞳にぶつかる。


 その瞬間を逃さないかのようにジョンは畳み掛けた。


「私達はおそらく紛うことなき政略結婚です。ただ同時に私はあなたに恋をしている。それも事実なのです。ローズ様、どうか私と結婚していただけませんか?」


 その真摯な表情にローズの心は大きく揺らいだ。


「そ、それは……もともと結婚するつもりでお会いしましたし」


 そんな返事しか出てこないローズだがジョンは満足したようだ。


「ありがとうございます! ローズさん。では私はあなたが心から私と結婚したくなるよう私は頑張ることにします」

「そ、そうですか……どうぞお手柔らかに……」


 ローズはその勢いに苦笑しつつそう答えた。


「さて、ではローズさん。今日なのですが、デートをしようと思ってお呼びしたのです。おそらく街歩き、などはほとんどしたことがないでしょう?」


 その言葉に先程までとは打って変わってローズは表情を輝かせた。


「街歩き、ですか?」


 ある程度以上の身分の女性はその行動が大きく制限される。今日の魔法屋とて、店のすぐ近くで馬車を待機することでようやく侍女の許しを得たのだ。街歩きなど夢のまた夢だった。


「えぇ、アッシェルトンの街は見どころがいっぱいありますから……あれこれ店を見て回るだけでも楽しいですよ」

「それは、とっても楽しみですわ!」


 ジョンの言葉にローズは満面の笑みを浮かべる。


 はやる気持ちを抑えてお茶を飲み干したローズを見たジョンは会計を呼び、二人は街でも最も賑やかな一角へ足を踏み出した。






 朴訥とした雰囲気のジョンだが、そのエスコートは流石男爵家の次男と会って様になっている。ローズはその腕をしっかりと掴んだ。


「じゃあ向かいましょうか。まずはあの辺りなんてどうでしょうか」

「ええ、そうしましょう」


 二人して微笑みあい、あるき出す。と、ローズはなにか思い出したように、急にジョンを見上げた。


「どうか……されましたか?」

「私達、きっと長生きしますわよ」


 突然の脈絡も何もない言葉にジョンはやや戸惑いつつも笑みを返す。


「それは……嬉しいことですか。また急に何故そんなことを?」

「ふふふ、内緒ですわ。でも私には分かるんです」


 魔法屋でみたあの光景、きっと同じ屋根の下には素敵に歳を重ねた彼がいるんだろうな、と思いつつ、ローズは笑うのだった。




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