幸せを願ういろ

 アッシェルトン城を見上げる小高い丘の上。そこにリリアンナの母は眠っている。墓標の前に彼女が昔から愛してやまなかった赤い薔薇の花束を捧げたリリアンナは目をつむり、母に語りかけた。


「私、きっといつかお母様に誇れる魔法屋になるわ。みんなを幸せにする……そんな魔法屋に。だからこれからも見守っていてね」


 これまでもリリアンナは幾度もこの場所へ来ている。ただしこれまでと違うのは父にここへ来ることを告げてから来たことだ。


 彼女がこっそりとここへ来ていることは知っていたが、それを誰にも言わない理由も理解していた父は、娘が帰り際に言った、


「ラベンダー通りへ戻る前にお母様にご挨拶をしてくるわ」


 という言葉に一瞬目を見開き、それからこれまで見たこともない柔らかな笑みを見せる。父が「もっていくと良い」と持たせてくれた立派な冬薔薇を抱えてやってきたこの場所。彼女の後ろにはいつものようにアルフォンスが立っていた。


「ありがとう、アル。付き合ってくれて」

「何を言ってるんだリリ? 僕も義母上へご挨拶が出来て良かった」

「フフフ。お母様喜んでくれるかしら」

「それはそうだろう。娘の結婚を喜ばない母親なんていない。後は二人で幸せになるのがなによりもの孝行になるはずさ」

「それもそうね。……じぁあ、戻りましょうか。魔法屋へ、アル?」

「そうだな、リリ」


 二人が頷き合うと、リリアンナは笑みを浮かべて歩き出す。アルフォンスは一度墓標に深く頭を下げてから、すこし大股でリリアンナを追いかけていった。






「あっ! いたいた、リリアンナ姉さーん」

「本当だ、リリアンナさん、こっちー」

「こら、急かさない! ごめんなさいリリアンナお姉様」


 乗合馬車に揺られ、ラベンダー通りへ戻ってきたリリアンナとアルフォンス。彼らが魔法屋の前へ向かってみると、そこには上は15歳から下は8歳くらいまでの子ども達が大勢集まっていた。リリアンナが知る限り、ラベンダー通りの子はみんないるだろう。


 リリアンナの顔を見るなり、はしゃぎだした彼らを統率するのは一番年長のお姉さん、アメリアだ。


「まあ! アメリアじゃない、それにみんなも。何かあったの?」

「はい、実は魔法をお願いしたくて、それでみんなで来たんですけど……『臨時休業』なんですよね。都合が悪ければ日を改め……」

「いえ、大丈夫よ。ちょうど戻ってきてこれから店を開けようと思っていたところなの」

「ありがとうございます!」


 どうやら集まった子どもたちは、魔法屋のリリアンナに用があったらしい。しかしこれほど大勢、それも子供ばかりでお願いしたい魔法とは何だろうか? その疑問は口にする前に、新たな登場人物によって明らかになった。


「おーい、みんな! なかなか呼びに来ないから、おばあさんを連れてきたよ」

「こら、アンドリュー! おばあさまを走らせないの!」


 やや興奮した様子で老婦人の手を引くのはアメリアの弟、アンドリュー。いつの間にか大股になっていたらしい弟を一喝すると、アメリアはバタバタと老婦人に駆け寄りその手をとった。


 そのまま彼女の手を引いて、魔法屋の前までやってくる。その間にリリアンナは彼女がここへ呼ばれた理由を推察していた。


 レイチェルはこの通りでも古株の食料品店の店主だ。チョコレートやキャンディといった菓子類も扱う店は通りの子どもたちにとっては馴染みのお店。経営こそ子供に譲れど、今も店先に立つ彼女は子どもたちの人気者だ。そして今日はそんな彼女の70歳の誕生日だった。


「こんにちは、レイチェルおばさま。そしてお誕生日おめでとうございます」

「リリアンナちゃん。なんだかこの歳でいわわれるのも何だけど……でも嬉しいよ、ありがとう」

「それでね! ほらおばあさん70歳でしょ! 何かみんなですっごいプレゼントがしたくて、ね、姉さん」

「そうなんです。私達だけじゃどうにもならなかったんですけどみんなで協力したら集まったんです! 金貨1枚!」


 そう言うと、アメリアはこれまでずっと片手に持っていた布袋をリリアンナに手渡す。それは想像以上にずっしりと重く、リリアンナはそれを慌ててしっかりと持ち直した。


「これってもしかして……開けても良いかしら」

「もちろん! お改めください」


 なんとも難しい言葉を済まし顔で使う様はこれまでのお姉さんらしい姿とは異なり、年相応。その様子を可愛らしく想いつつ、リリアンナは布袋を開ける。そこには大量の銅貨が詰まっていた。


「かさばってしまってごめんなさい。でもちゃんと金貨1枚分あります」

「つまり……?」

「これで、お祖母様に何か魔法をかけて欲しいんです」

「わ、私にかい!?」


 アメリアの言葉に大仰に反応するのはレイチェルだ。今にも断りの言葉を口にしそうな様子で目を白黒させる彼女を子どもたちが囲む。


「そうだよ。いつも美味しいお菓子を売ってくれるし」

「お店が暇な時は一緒に遊んでくれるし」

「お祖母様への感謝を込めたプレゼントです!」


 子どもたちは口々にレイチェルに感謝を伝える。最後にみんなを代表してそういったアメリアの言葉にレイチェルは「ハッハッハ」と笑った。


「魔法ねぇ……ホント久しぶりだね。でもみんながそういうってくれるならありがたく受け取ろうかしらねぇ」


 その言葉に子どもたちがわっと湧く。その姿にリリアンナも頬を緩めつつ、アメリアの方を伺った。


「それで、どんな魔法にするかは決めているの?」

「そうだわ! それが……」

「やっぱり長生きする魔法でしょ!」

「お店をやってるんだから商売がうまく魔法の方が良いって」

「……という感じで。だからおばあさまに決めてもらおうかと思っているんですけど、どうですか?」


 少し首を傾げてアメリアがレイチェルに訊ねる。レイチェルは少し考える素振りを見せてから口を開いた。


「そうだねぇ。長生き……はずいぶんしたし、商売もうまくいっている。あとは毎日慎ましく、楽しく生きていけたら充分なんだけどねぇ」

「でしたらひまわりいろの魔法はいかがでしょう? 幸運を呼ぶ魔法。なにか良いことがあるように願う守護の魔法です。もちろん……効果はお気持ち程度ですが」

「そりゃあ良い! 私の望みにぴったりだ。じゃあそれでお願い出来るかい?」

「はい! じゃあ、すぐ準備しますね」


 意外と魔法はすんなり決まり、リリアンナは魔法屋に姿を消す。と、すぐにいつものどっしりとした本を抱えて通りに戻ってきた。守護の魔法が得意なリリアンナにとってひまわりいろはしょうびいろの次によく依頼される魔法。本がどこに置いてあるかは目をつぶっていてもわかるのだった。


「じゃあ始めますよ! ひまわりいろの魔法を!」


 彼女が本を開き、そう唱えると黄色の明るい光が澄んだ寒空へ吸い込まれていく。と今度は光がレイチェルをめがけて降り注ぎ、やがて消えた。


「いやぁ……やっぱり何度見ても魔法ってのは不思議なもんだねぇ。これをみれただけでも充分幸運だよ。ねえ! みんな」


 そう言って同意を求めるレイチェルの視線の先にはいつのまにやら子どもたちだけでなく、通りの大人たちまで集まっている。ワイワイとした声につられて出てきた彼らは突然始まった、しかしいつもの魔法の時間にしばし見とれていたようである。


 誰からともなく始まった拍手にリリアンナはくすぐったい気持ちを抑えつつ、ちょこんと膝を折って答える。ふと視線を上げると、アルフォンスが彼女に「よかったな」とでも言うように微笑んだ。


「さ! 楽しい時間はあっという間だ。みんな仕事に戻った戻った。今日は夕方から雪かもってーーおや、もう降ってきたのかい?」


 ブリーズベルでは国中、秋の終わり頃から雪が降る。アッシェルトンでは身動きが取れない程の雪は降らないが、それでも街を白く染める雪は冬の風物詩であり、人々の苦労の種だ。


「わあ! 雪だ。つめたーい」

「ホントだ! つもるかなぁ」

「やめてくれ! まだ雪かき道具出してないんだ」


 はしゃぐ子どもたちに慌てる大人たち。リリアンナも早く冬支度を終わらせなければならない。そんなことを考えていると、ふわり、と暖かいものに包まれた。何か、と思えば彼女を包むのはさっきまでアルフォンスが着ていたフロックコートだった。


「あらアル? 良いの?」

「冷えるだろ? ここではコートを着てる必要もないしな」

「ありがとう……でもそれじゃアルが凍えちゃうわ。さ、私達も店に戻りましょうか。お茶でもごちそうするわ」


 さっきまで騒いでいたみんなも段々と連れ立って自分の家や店へ戻っている。リリアンナもまた、隣に立つ大切な人に微笑みかけて、そっと手を差し出したのだった。


「いろの数だけ魔法がある」


 そんな言葉で知られるブリーズベル王国。魔法使い達は今日も人々の望みを叶え続けている。






「リリアンナさーん! とっても素敵だったわ」

「まあ、ソフィアさんありがとう!」


 薄紫の可憐な花が咲き乱れる初夏のラベンダー通り。誰かの祝い事があったのか、着飾った人々でごった返す通りの真ん中で、真っ赤なドレス姿のリリアンナがソフィアと手を取り合っていた。それを見守るのはフロックコートに赤いクラヴァットを締めたアルフォンス。今日は彼らの結婚式なのだ。


 あの後、春になり大陸へ向かったアルフォンスは諸国を周り、そして当初の予定通り1年でアッシェルトンへ戻ってきた。


 まあこれはリリアンナのためだけでなく、アッシェルトンに常駐して商会を守る、という暮らしにアルフォンスの叔父が耐えきれなかったからという事情もあるのだが閑話休題。

 とにかく、無事各国の取引先に挨拶をし、叔父の養子となったアルフォンスは商会長になる。慌ただしい中で準備を進め、1年と少し。ついに今日、二人は祝いの日を迎えたのだった。


 式の出席者の大半はラベンダー通りの住人やアルフォンスの取引先といった街に住む人々だが、中にはお忍びで高位貴族やら、街を代表する資産家やら、今売出中の人気女優も混じっている。

 本当は国王一家も来たがっていたらしいが、大混乱が起きるから、とリリアンナの父とゴーディンが丁寧に一蹴したらしい、とはあとでリリアンナが聞いた話。

 代わりに王家から直筆のカードが届き、新婚夫婦をずいぶんと恐縮させた。


「あら、ハートウェル侯爵がいらっしゃったわ。じゃあ私は一度お暇するわね、祝宴でまた」


 人々の間を縫うようにリリアンナのもとへ来たのは彼女の父ジェイクだ。ソフィアは王太子の婚約者としてさらに磨かれた礼を一つ見せ、人混みへ消えた。


「お父様! とっても素敵な魔法だったわ! ありがとう」

「お義父上。私からもありがとうございます」

「あぁ。だが二人とも、分かっていると思うがしょうびいろの魔法はあくまでも気持ち程度だ。これから君たちが幸せになれるかは君たち次第だ、ということを肝に命じなさい」

「はい! お義父上」

「分かってるわ、お父様。いつも私が言っていることだもの」


 先ほどまでこの小さな通りには美しく気品のある赤い光が広がっていた。

 相手とずっと一緒に過ごせることを願うしょうびいろの魔法。それをリリアンナとアルフォンスへかけたのはほかでもない、リリアンナの父だった。


「でも本当に美しいいろだったわ。わたしの看板なのに……なんだか複雑な気分」

「魔法は経験がモノを言うんだ。そう思うならさらに精進しなさい」

「おやおや、ずいぶん生意気なことを言うんだねぇ、ジェイクも」

「クレアさんは黙っておいていただきたい」


 父の小言に水を指したのは、大役を花嫁の父へと譲ったリリアンナの師匠、クレアだ。あまり見ない組み合わせの彼らは早速なにやら言い合い始める。


 その間にもまた、たくさんの人に祝われて幸せそうなリリアンナに微笑みつつ、アルフォンスは懐中時計を取り出した。


「お義父上。クレア様も。そろそろ祝宴の時間です。少し歩きますが会場の方へ」


 そう言いつつ、アルフォンスは招待客の案内を務める商会の従業員や実家の使用人たちに目配せする。彼らによって少しずつ人波が消え始め、リリアンナ達も移動しよう、と思ったその時、人波に逆らうようにして1人の少女がやってきた。旅装姿の彼女は18くらいかだろうか? 服装から見るにそこそこ裕福な家柄らしかった。


「あの! お話中ごめんなさい。ちょっとお尋ねしたいのですが……」

「あら? どうかされましたか?」


 特に目立つドレスだったからだろう。少女に問いかけられたリリアンナは笑顔で振り向いた。


「実は……この通りに魔法屋があるって聞いたんですけど……ご存知ですか? 私、魔法を依頼したくって」

「でしたら、私がしょうびいろの魔法屋の店主リリアンナだわ。どうぞよろしく」


 そう言うと、リリアンナは一度傍にいるアルフォンスを見上げて


「ちょっとだけ時間を頂戴」


 と言い、それからもう一度少女に向き直る。そしていつもの決め台詞を口にするのだった。


「さて、今日はなにいろの魔法がお望みかしら?」


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しょうびいろの魔法屋さん 五条葵 @gojoaoi

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