ひまわりいろの願いごと

答えのない問い

 もうそろそろ秋も終わりになろうか、というある日。リリアンナとアルフォンスは小型の馬車の中で向かいあっていた。


「アル? もしかして……緊張してる? 手がとっても冷たいわ」


 いつも余裕のあるアルフォンスだが、今日はいつになく口数が少ない。なんとなく手を握ってみると、それは氷のように冷たく、リリアンナは思わずそう口にしていた。


「いや、そういう訳では……あるかもしれないな。なんといってもリリと結婚させて下さい、って言いに行くんだから……」

「緊張しているアルってなんだか珍しいわね。そうだわ! こうしたらちょっとは温まるんじゃない?」


 そう言うとリリアンナはレンガ通りの揺れを拾う馬車の中だ、ということを気にもせずひょい、とアルフォンスの隣へ移る。そうしてさっきよりしっかりとアルフォンスの手を握り込む。リリアンナのぬくもりで、彼のこわばった手がほぐれていくのがわかり、リリアンナは頬をゆるめた。


「あぁ、確かにあったかいな。悪いリリ。みっともないところを見せて」

「みっともなくなんてないわ。これから……その夫婦になるんだもの。困った時はお互い様よ」

「リリ……。それもそうだな」

「その代わり私がアルのご両親にご挨拶する時はアルが励ましてね」

「それもちろん! ……けどうちの両親とリリはもともと仲良いだろう?」

「そりゃあ、とってもよくしていただいてるけど……それでも緊張はするものなのよ!」

「そういうものか?」

「ええ、そういうもの」


 二人で同じ言葉を繰り返し、そしてクツクツと笑い合う。そうして馬車が貴族街に入る頃にはアルフォンスの表情のこわばりも解けてきていたのだった。






 二人が馬車に揺られてやってきたのは貴族街の一角にあるハートウェル家のタウンハウス。夕方のお茶の時刻より少し遅いくらいについたリリアンナが侍女達に身なりをととのえてもらい、自室で少し休んでいると、程なく父の従僕からライブラリへ来るように、と伝言が届いた。


「ハートウェル侯爵閣下。本日はご招待いただき大変光栄に存じます」

「お父様、今日は忙しいのに時間を作ってくださりありがとうございます」


 重厚な雰囲気の丁度に厚い本がいくつも置かれたライブラリ。その雰囲気をそのまま身にまとったような、娘とその幼馴染の硬い挨拶にリリアンナの父は少し苦笑いをした。


「何もそこまでかしこまらなくてもよいだろうに……まあ良い」


 そう言うと、フッと目を細め、リリアンナの父は二人を交互に見渡した。瞬間部屋の空気がさらに固くなる。


「それで? 私に話とは?」

「ではまず、私から……」


 父の問いにまず動いたのはリリアンナだった。


「私の話は私の将来についてです。以前伺った我が家の養子の件。私は、やっぱりいつまでも街の魔法屋でいたいと思ってます。無責任は承知ですが、この家は継ぎません」

「ほう……養子の件はもとより進めているが、もくらんいろではなく、しょうびいろを継ぐと……」

「はい。私は街に住んで、街の人に寄り添う魔法屋でありたいと考えています。どんな人の望みでも、それが叶えられるものであれば叶えたい」


 その言葉にリリアンナの父は一つ息を吐いた。


「身分を問わず魔法をかける……か。それがいかに難しいか……はさすがに何年も街で暮らせば分かるか」

「はい、お父様。私の周りの人たちはアッシェルトンでは比較的裕福な人達です。もっと生活に余裕がなくて、金貨1枚など夢のまた夢ーーそんなことより今日のパンを買うお金がない。そんな人がたくさんいることも知りました」

「なら分かるだろう? 望めば誰でも魔法をかけるなんていうのは所詮綺麗事だと」

「はい……でも、少しずつ状況は変わってきています。余暇は今や上流階級の人々だけのものではないし、苦しい状況にある人を救う制度も少しずつ広がっている。魔法屋もいろいろ工夫すれば、もっといろんな人の望みを叶えられると思います」

「工夫すれば……か。オリヴィアと同じことを言うんだな」


 そう言ってリリアンナの父が今度は天井に目をやる。一方リリアンナは突然出てきた母の名前に目を丸くした。


「お母様が!?」

「ああそうだ。もくらんいろの魔法屋がひっそりとしたサロンのようなものなのも、元はこの貴族街で一般市民を受け入れるには秘密主義である必要があったからだ。……まあ知っての通りうまくいかなかったが」


 そう言うとリリアンナの父は自嘲気味に笑い、それから厳しい目をリリアンナへ向けた。


「何度も言うが身分を問わず魔法をかける、そんなものは綺麗事だ。……だが、悪くない」

「え……?」

「いろんなことを試していれば、いずれいくつかは正解も生まれるだろう。その舞台がラベンダー通りだ、と言うならやってみるが良い。応援しよう」

「ありがとう。……ありがとう! お父様」


 その言葉に、リリアンナの父は今日始めて穏やかな笑みをリリアンナに向ける。その視線をリリアンナは真正面から受け止めるのだった。






「で、アルフォンス君。娘の話は聞いたが、君の方は? 一体どういう要件かね?」

「はい、侯爵」


 リリアンナの父のまた、もう一度鋭さをました視線から目を逸らさず、アルフォンスはリリアンナと入れ替わるように、彼の前へと進み出た。


「私は来年の春から1年の予定で大陸へ参ります。主な目的は私が勤めるウェルスリー商会の顧客へ顔を売ること。そして戻りました暁には、叔父の養子となり、ゆくゆくは商社を継ぐことが内定しております」

「ほう、それはーーで、なぜわざわざそれを私に」

「はい。本題はここからです。侯爵、私はリリアンナ嬢を愛しております、どうか、大陸から戻りました後、私とお嬢様が結婚することを認めていただきたいのです」

「……」


 そこまで一息にいい切ったアルフォンスにリリアンナの父は剣呑な視線を向ける。それはリリアンナでも一度も見たことのない鋭い目線だった。


「なぜ、今からなのかい? 大陸は誘惑も多い。危険も多い。婚約のみとはいえ、それは娘を縛ることになる」

「それは承知の我儘を申しております。確かに大陸は危険もあります。万が一にもリリアンナ嬢を未亡人になどできない。しかしさりとて、私はもう彼女を手放せないのです。大陸へ行く、その話が出た時に初めてそのことに気付いた私は大馬鹿者でございます」

「だったら私も大馬鹿者だわ」


 そこでリリアンナはパタパタと音を立てて、アルフォンスの横に並んだ。


「私も、ずっとアルが傍にいるのが当たり前だと思ってたの。アルが大陸に行くって聞いて初めてそれが当たり前じゃないって気付いたわ。アルのこと、もう離せないってことを。だからお願いお父様! 私達の結婚を認めて下さい」

「お願いします。リリアンナ嬢と結婚させて下さい。絶対に幸せにします!」


 いつの間にか膝をついていたアルフォンスの隣で、リリアンナもまた膝を折る。その姿にジェイクは「ふぅ……」と息をつき、それからカラリと笑った。


「二人ともそう悲壮な顔をするな。わざわざ今から婚約するのを不思議に思っただけで、アルフォンス君からはいずれ『娘と結婚させて欲しい』と言われていると思っていたよ。君は私がリリアンナを守れない間、ずっと娘を守っていてくれていた。私が反対をする理由はない」

「こ、侯爵!?」

「ああそうだ。ただ一つだけ聞いておきたいことがある。……リリアンナは魔法使いだ」

「はい」


 そう言うと、リリアンナの父はもう一度笑顔を消し、真剣な表情でじっとアルフォンスを見つめた。


「今後……リリアンナが私の妻と同じように……禁忌を犯しても誰かを助けたい、と願ったならば……君はどうする?」


 その言葉にリリアンナはヒュッ、吐息を呑む。「そんな事あるはずない」という反論はジェイクの鋭い一睨みで封じられた。


「私は……例えリリアンナ嬢に嫌われてもそれは許可出来ません。私はリリアンナ嬢を守ると決めておりますので」

「……アル」


 リリアンナがポツリとつぶやき、そして重い沈黙が落ちる。アルフォンスの言葉を噛みしめるように目を閉じていたジェイクはまぶたを上げると、ふわりとアルフォンスに微笑みかけた。


「……正解はない、アルフォンス君。君の考えが知りたかっただけだ」

「侯爵……」

「分かった。君たちの結婚を認めよう。アルフォンス君は大陸へ行き、リリアンナを苦労させないような立派な商売人を目指したまえ。娘と結婚する以上、リリアンナを幸せにしないと許さん。良いな」

「はい、侯爵。約束します」

「ありがとう! お父様」


 アルフォンスは深く腰を折り、リリアンナは膝を曲げて、ジェイクに感謝を伝える。


 そんな二人を交互に眺め、リリアンナの父は満足げな、しかし少し寂しげな顔を浮かべるのだった。

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