荒事もお手のもの

 訛りの強い言葉にどこからか漂う酒の匂いと怪しげな煙、街暮らしの長いリリアンナも知らない世界を馬車は進む。明らかにお金を持っていそうな香りのする馬車に向けられる鋭い視線は馬車の中からでも感じられるが、御者席に明らかに屈強そうな護衛の男を乗せているからか、彼らが近寄ってくることはなかった。


 ところどころが崩れかけたレンガ積みの建物が並ぶ一角に来た辺りで馬車は急に速度を落とす。と、そこで窓の外に目を凝らしていたソフィアが突然声を上げた。


「いたわ! ウィルよ。あの子に違いないわーーってあの子どこに行くつもりかしら!」


 ソフィアが指差す先にいたのは12,3くらいに見える少年。ところどころが擦り切れたズボンにチョッキ、やや大きめの鹿撃ち帽、と言う姿は先程から良く見かけた格好だが、ソフィアははっきりと言い切る。その彼は明らかに怪しげな今にも崩れそうな建物の方へと歩いていった。


「あっ、待てソフィア。危ないことはするな、と言われたろ? リリもここで待っててくれ」


 今にも馬車から飛び降りる勢いのソフィアを制したアルフォンスは大股で少年を追いかけつつ、「ウィル君か?」と言葉をかける。がその問いに対する答えは慌てたように地面を蹴り走り出す音だった。


 なにかやましいことでもあるのか、建物の方へと走り込もうとする少年。しかし彼の倍とは言わずともそれに近いほどの背の高さのあるアルフォンスはあっという間にウィルに追いつきその手を掴んだ。


「おい! 離せよ、なんだよお前」

「誰かわからないのに逃げたのか? やましいことがある、と言ってるようなものじゃないか」

「ウィルぅ、やっと来たか……金はよういできたんだろうなぁ」

「いや、ヘンリーさん……それはその……もう少しだけ待って欲しくて……」


 言い争いをするアルフォンスとウィル、とそこへ割って入ってくる人物。アルフォンスよりさらに背の高いその男はウィルの言葉に彼を見下ろして、鋭い眼差しで睨みつけた。


「なんだとぉ! もう2回も待ってやったじゃぁねぇか。しかもえらいお上品なのまで連れてきて……ふざけんじゃねぇそ」


 そう言いながら、男は大きな拳を思い切り振り上げる、


 が、その拳がウィルに届く前に男の体が後ろへよろける。突然の横から飛んできたパンチに不意を付かれた男は、その出処に気づき、睨みつけた。


「なんだ、てめぇ、やんのか」


 さらに頭に血を上らせた男は、今度はアルフォンスの方へ拳を向ける。しかしそれをいとも簡単に避けたかと思うと、鋭いパンチと蹴りを食らわす。膝と腹に続けざまに強い攻撃を食らった男の巨体は「ウッ」といううめき声とともに吹っ飛んだ。


「お、お兄さん強いね」

「守りたいものがあんならそのための力は持ってないとな! さあ走るぞ」


 そう呟いたアルフォンスはウィルの手を引いて、馬車の方へ走る。今度はウィルも何も言わず、アルフォンスに引かれるまま懸命に脚を動かした。


「アル! 無事だったのね」

「お兄様! ウィルも一緒ね。ありがとう」

「あぁ、だが追手が来るかも知れない。ジェフさん!」

「はい、少し揺れますよ」


 アルフォンスの言葉を正しく理解したジェフは手綱を引き、馬車が動き出す。馬車は東端地区の中を駆け抜け、最初に馬車を止めた辺りまでやって来た。






「このあたりまで来れば安全でしょう……お二人共まずはご無事でなによりです」


 馬車を止め、振り返ったジェフが声をかけた。


「あぁ、二人もありがとう。……でウィル君? か。君はどうしてまたあの大男の元へ? 金を要求されていたようだが」

「ジェフさんって言うのか? お隣のおじさんもありがとう。それでヘンリーの野郎のことだよな」

「ああ、何か話せないことでもあるのか?」

「きっと……きっと私のせいよね! ウィル。私を助けてくれたから」


 アルフォンスの問いに微妙な顔をするウィルにソフィアは泣き出しそうな顔をしながら悲痛な声を上げた。


「ソフィア? あぁあの時の無鉄砲なお嬢。いやあんたは関係ねぇ、関係ねぇから泣くなよ!」


 泣き出しそうが泣き顔に変わったソフィアに心底困ったような顔をした。


「あぁ、分かった言うよ、ヘンリーの野郎に金をせびられたのはトムってやつの件だ」

「トム? それはお友達?」


 ウィルにリリアンナが優しい声音で尋ねる。


「あぁ……、おれはこのあたりで仕事……分かるだろ? 色々とやってるんだが、トムは1年前くらいに知り合った。8つぐらいじゃねえかな? あのヘンリーの元で盗みをしている。小さければいろいろ都合が良いだろ?」


 身寄りのない子供を集め、子供にしか進めない場所を通らせて盗みをさせる。そんな大人が大勢いる、ということはリリアンナにも聞き覚えがあった。


「けど、トムはどこかの家でヘマこいたらしくて足を悪くしちまった。これじゃあ稼ぎの種にならねぇ。ヘンリーがトムをボコボコにしていたところにあったのは本当に偶然だし、幸運だった。きっと俺がいなけりゃあいつは殺されてた」

「そんな……」


 ウィルの話にソフィアが悲痛な声を上げる。


「この街はそういうところさ。けどトムは友達だ。俺はあいつを一発殴ってひるませてる間にトムをおぶって教会にを目指した。運がよかったよ。トムのしてきたことも含めて洗いざらい話したけど、牧師さんはトムを保護してくれた。今はローテルドブリッジのところの孤児院にいる」


 トムがひとまず保護された、という言葉に馬車の中はホッとした空気に包まれた。


「でも問題はその後だ。ヘンリーの野郎ばっちり俺の顔を覚えていやがった。手下のやつにぶん殴られてヘンリーの元へ連れて行かれたと思ったらトムが抜けた分の金、金貨1枚よこせ、と言ってきた。無理なら孤児院を襲ってトムを連れ戻すって……だから俺、戻らないと、このままじゃトムが」

「それは大丈夫だ」


 だんだんと焦燥に駆られた顔になってきたトムを安心させるように笑みを見せたのはアルフォンスだ。


「大丈夫って、何が大丈夫なんだよ」

「俺は、ノーレフォード家の次男だ。ローテルドブリッジの孤児院といえば我が家が支援しているところだ。あの辺りは警察の目もあるし、近くには軍隊の兵舎もある。それに孤児院も含めて教会には護衛を派遣している。今まで生きてきた中で孤児院が襲撃された、なんて話は聞いたことがない」

「私もないわ」

「私もよ」


 アルフォンスの言葉にリリアンナとソフィアが同意する。


「ヘンリーってやつの言葉は脅しだろう。奴が訓練された護衛に勝てる思うか?」

「そ、それは……」

「それでも不安なら、俺が孤児院と連絡をとってトムの様子を手紙で知らせよう。そしたら安心だろう?」

「それは安心だけど……俺、字読めないし、家もないから手紙届かないし……」


 そう言って視線をさまよわせるウィルにソフィアはポンッと手を叩く。


「だったらいい考えがあるわ。もともとその為にここへ来たの。これを見て!」


 そう言ってソフィアは父から受け取った便箋を開く。字は読めない、といったウィルだがそれが何かはだいたい察したようだった。


「それは、紹介状か? 働く時に要る……」

「そうよ、ねえウィル? 我が家で従者見習いとして働かない?」

「俺が?」


 ソフィアの言葉にウィルは目を見開いた。


「えぇそうよ。もちろん仕事はきついと思うわ、給料も最初は安いし……。でも衣食住は保証されているし、使用人としての教育も施される。能力が認められれば従僕として働くことも出来るわ」

「けど……俺はいろいろやってきた身だし、誰から産まれたかさえわからねぇ、こんな奴貴族の家では雇ってくれねぇだろ?」

「大丈夫よ! お父様が書いてくれたののだもの。私があなたの身の上を保証する、という条件付きで。ねぇ……どう?」


 ソフィアは先程まで泣きそうだった瞳を輝かせ、ウィルを見つめる。その真っ直ぐな視線にウィルは少し考える素振りを見せてから、一つ頷いた。


「分かった。お嬢がそう言ってくれるなら……、正直なところこんなチャンスは二度とねぇ。俺、自分で言うのも何だが根性だけはあるつもりだから」

「じゃあ、決まりね! あなたならきっと私の期待に答えてくれると信じているわ。ではジェフ? 我が家に戻りましょう?」

「はい、畏まりました、お嬢様」


 自分は使用人、それも雑用係だから後から歩いていく、と言い張るウィルをソフィアは


「まだ使用人じゃないわ、それに私はこれ、と決めたらすぐに行動したいタイプなの。覚えておいて」


 と、言って馬車の中に留め、ガードナー邸を目指す。そして屋敷に着くやいなや、ソフィアはウィルと共に父親の元を目指すのだった。






「ウィル君、上手く馴染めると良いけど……使用人の生活も楽じゃない、と聞くし……」

「あれでソフィアはよく人を見ているよ……、きっと大丈夫だろう」


 ソフィアと連れられ執務室に入ったウィルはいかにも貴族、という伯爵の姿にすこし緊張しつつも、しっかりと挨拶をし、そして自分の身の上も正直に話した。その上で、


「俺は、根性には自身があります。どんな仕事でもやるのでこのお屋敷で雇って下さい!」


 と頭を下げる。


 そんな彼に突然椅子を立ち上がって近づいた伯爵は軽くポンッと肩を叩くと、


「話はソフィアに聞いている。見込みのありそうな少年だな。頑張りたまえ!」


 と言って、執務室を出ていった。


 そんな場面を思い出したソフィアは


「そうね、きっと彼なら大丈夫よね」


 と、隣に立つ幼なじみに微笑み返したのだった。

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