第44話 心のリセット

咲子さんが少し休みたいと言い出してから数日、私たちは無理に集まることをやめ、それぞれが自分の時間を過ごしていた。焦らず、自分たちのペースを守ること。それが私たちの中で大切にしている暗黙のルールだった。


ある日、咲子さんから短いメッセージが届いた。

「今度の土曜日、少しだけ一緒に公園に行きませんか?」


その言葉に、美香さんと私はすぐに「もちろん!」と返事をした。彼女が自分から誘ってくれるのは珍しいことで、それだけで嬉しかった。


土曜日、公園には春の風が心地よく吹いていた。桜はもう満開に近く、花びらが風に舞い、地面には淡いピンクの絨毯が広がっている。そんな景色の中で、私たちは久しぶりに三人で並んで歩いていた。


「少しは休めた?」と美香さんが優しく尋ねると、咲子さんは「……うん、少しね」と微笑んだ。彼女の表情は、以前よりもどこか穏やかになっているように見えた。


しばらく歩いた後、咲子さんが持ってきた紙袋を取り出した。「……これ、作ってみたの」と言って、中から小さな手作りの布小物を取り出した。それは、春をテーマにした淡い色合いのコースターで、端には小さな桜の花が刺繍されていた。


「すごい!かわいい!」と美香さんが声を上げた。「この桜の刺繍、すごく綺麗だね。」


私も手に取ってじっと見つめ、「本当に素敵だよ。春の優しさが伝わってくる感じがする」と言った。


咲子さんは少し照れたように「……皆がいてくれるから、少しずつだけど、また作りたいって思えるようになったの」と静かに話してくれた。


私たちはベンチに座り、そのコースターを見ながら話し続けた。美香さんが「咲子さんって、こういう優しい作品を作るのが本当に得意だよね」と言うと、咲子さんは「……そうかな」と小さく笑った。


「そうだよ。咲子さんの作品には、なんだか安心する力があると思う」と私は言った。「それって、すごく大切なことだよ。」


その後、私たちはシートを広げて持ち寄ったお菓子や飲み物を楽しみながら、何気ない話で笑い合った。それは特別なことは何もない、ただ静かで穏やかな時間だった。でも、そんな時間こそが、私たちにとって一番大切なのだと思えた。


帰り際、咲子さんがふと空を見上げて言った。「……春って、少しずつだけど、全部が新しくなる感じがするね。」


「うん、わかる。新しいことが始まるって感じだよね」と美香さんが応えた。


「私たちも、そうだよね」と私は言った。「少し休んだら、また新しい気持ちで前に進んでいける。」


咲子さんはその言葉に、静かにうなずいた。「……ありがとう。皆といると、そう思える。」


帰り道、桜の花びらが風に乗って私たちの足元に落ちた。春の訪れが、咲子さんだけでなく、私たち三人に新しいエネルギーを運んでくれているように感じた。


立ち止まること、休むこと。それは後退ではなく、前に進むための大切な「心のリセット」だ。そう教えてくれたこの春の日を、私たちはきっと忘れないだろう。


新しい季節、新しい気持ちで、また私たちは一歩ずつ進んでいく。

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