第43話 止まっていた時間
四季をテーマにした展示の準備が進んでいたある日、咲子さんがふと、言葉少なげに「少し休みたい……」とつぶやいた。
私と美香さんは一瞬驚いたが、彼女の表情には少し疲れが滲んでいた。
「無理しすぎちゃったかな」と美香さんが心配そうに言う。
咲子さんは小さな声で「……違うの。少しだけ、自分の時間がほしいの」と続けた。
彼女はいつも私たちと一緒に新しいことに挑戦してきた。でも、きっとその過程で、頑張りすぎていたのだろう。人と一緒に何かをすることの楽しさと同時に、彼女にとってそれは大きな負担でもあった。
「休んでもいいんだよ」と私は言った。「咲子さんのペースでやっていこう。」
「そうそう!」と美香さんも笑顔で続けた。「私たちが焦らず進んでるんだから、咲子さんもゆっくりしていいんだよ。」
その日は、私たちも少しだけ作業をお休みして、三人で公園を歩くことにした。春の空気が少し暖かく、柔らかな日差しが咲き始めた桜の枝を照らしていた。
「こうして歩くの、久しぶりだね」と美香さんが笑う。「最近はずっと作業ばかりだったから、なんだか新鮮。」
咲子さんは静かに歩きながら、遠くのベンチに座っている小さな子どもたちを眺め、「……私、小さい頃、こんなふうに何も考えずに外で遊んだ記憶がないかも」とぽつりと言った。
「ずっと?」と私は尋ねると、咲子さんは「……うん。話すことが怖くて、いつも人と距離を置いてた。でも今は、皆とこうしている時間が好きだから……少し、自分でも驚いてる」と微笑んだ。
その表情には、ほんの少しだけど、確かな成長が感じられた。
私たちはベンチに座り、ただ目の前の桜を見つめた。ゆっくりと時間が流れる中で、何も話さずとも安心できる空気がそこにはあった。
「焦らなくても大丈夫だよ」と美香さんが言った。「私たちは、咲子さんのペースでいいって、ちゃんと分かってるから。」
私も「止まることも大事だよね。立ち止まった分、また新しい一歩が踏み出せるんだから」と伝えた。
咲子さんは、桜の花びらがひらりと落ちるのを見つめながら、「……ありがとう」と小さな声で言った。
その日、私たちは何も急がなかった。ただ、春の空気を感じ、静かな時間を共有した。それは、忙しく過ごしていた毎日では気づけなかった「止まることの大切さ」を教えてくれた時間だった。
「また少しずつやっていこうね」と美香さんが言うと、咲子さんは「……うん。少し休んだら、また頑張りたい」と穏やかに答えた。
春の風が私たちの間を通り抜け、桜の花びらを優しく揺らした。止まっていた時間が、静かに動き始める音が聞こえた気がした。
私たちはこれからもそれぞれのペースで歩んでいく。そのことを改めて感じた春の午後だった。
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