天然またたび流! 猫又が剣術指南いたし候!
ねこ沢ふたよ@書籍発売中
第1話 看板持っていかれました
道場やぶりなんて、この三人しか門下生のいないオンボロ道場に来るとは思わなかった。
タマと伊織がちょっと魚屋で夕飯のオカズを買いに行っていた間の出来事であった。
「天然またたび流」の道場の看板がなくなり、長年看板のあったところが白く跡になっている。周囲の壁が日焼けや汚れで黒ずんでいるのに対して、白い綺麗な壁が看板のあったところだけ残っている。
「これは……やっぱり道場破りですよね?」
それ以外に、オンボロ道場の古い看板なんて需要がなさそうだ。
「まぁ、仕方ないのぉ。良い爪研ぎ板であったのに」
タマが看板の跡を前足の肉球で撫でながらクククッと笑う。二本に分かれた長い尻尾は、タマの後ろでゆらゆらと楽しそうに揺れている。
「タマさん、そんな笑い事じゃないよ。これは大変なことだよ」
「そうかの? 笑いごとのように思うがの。いや、むしろここは笑うべきところじゃろ。ここで笑わねば、後はどこで笑って良いのやら。ハァッハッハッ」
タマの猫にあるまじき高笑いに、伊織は呆れる。いや、そもそもタマは猫と言っても普通の猫ではない。猫又という妖のタマであるから笑うことは普通なのだろうが、それでも、ほぼ猫と同じ姿のタマの高笑いは、少し伊織には違和感がある。
「いや、そんなの困る。もっと笑うところのある人生でないと困るから」
「そうかのぉ」
人と話す猫、タマ。
タマも昔は普通の猫であったそうだ。だが、この道場の創始者に出会った時にはすでに猫又という妖であった。すでに剣豪であった創始者がコテンパンにタマにしてやられて猫又のタマに教えを乞うたのが、そもそもの始まり。
『天然またたび流』このどう考えても格好悪い名前は、タマが創始者に指南した剣法に由来するのだ。
そして『天然またたび流』の代々の道場主に、その秘技と共に猫又のタマは受け継がれ、タマの飼い主であることこそが、『天然またたび流』の継承者の証となってきたのである。
『天然またたび流』は、剣の道を説く流派であるが、このふざけた弱そうな名前であることもあいまって人気はほぼない。
現在も、伊織を含めて門下生は三人だけ。
当然、道場の仕事だけでは食べていけないから、用心棒を始めとする剣術を使う仕事から、洗濯や買い物、子守までして、日銭を稼いで過ごしていた。
だが、不思議と途絶えることはなく、この明治の世になり人々が剣を捨てた今でも、なんとなく細々ではあっても続いているのだ。
「まあ、我らが流派ほど世の真理を捉えた流派も、そうそうあるまいからの」とは、猫又のタマの言葉。
弱小流派のくせによく言うよ。と、伊織は呆れていたのだが、その弱小流派に気づけば自分もドップリはまってしまっているのであるから、そうそう文句も言っていられない。
「盛大に取られたもんじゃのぉ! 次はかまぼこ板ででもつくるかぁ!」
道場に入るタマが、大きな声で中にそう声を掛ける。
「タマさん! 伊織!」
出てきたのは、半泣きの少女だった。桜崎由岐は、もう一人の門下生である松谷蔵之助と一緒に、道場主である五社佐内が用心棒の仕事に出ている間に留守番をしていたはずだ。
「タマさーん! 看板盗られちゃったぁ!」
タマに抱きついて、ウェーンと由岐が泣く。タマのモフモフの毛皮が、由岐の涙でみるみる濡れていく。
「うわぁ! 由岐ぃ! 落ち着けぇい!」
タマが次第にしっとりと濡れてゆく毛皮に焦ってジタバタと暴れている。
確か由岐は、伊織より二つ歳上の十六歳であったか。負けん気が強く男相手でも立ち向かっていく由岐は、どうもその負けん気の強さが逆に災いして、勝負ごとに負けた時に涙が止まらなくなるのだ。
「ま、話は中で五社先生が戻られてから聴きましょうか。それまでは、とりあえず片付けでもいたしましょうよ」
「伊織? 看板盗られたんだよ? 一大事だよ?」
「分かっておりますよ。表に看板はございませんでしたし」
「だったら……」
「これ!」
ピシッと由岐の鼻先に伊織が掲げたのは秋刀魚だった。
「僕たちがジタバタしたって看板は戻ってきませんが、秋刀魚は今すぐに処理しなきゃ困るんです。腐るんです!」
「まぁ……そうだけど……」
あまりに冷静な伊織に、由岐の涙は引っ込んだ。
「盛大に取られたもんじゃのぉ! 次はかまぼこ板ででもつくるかぁ!」
タマと一語一句変わらない言葉で大笑いしながら五社が帰って来たのは、秋刀魚が七輪の上で美味そうな匂いをさせ始めた頃だった。
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