第38話 真剣勝負
蔵之助が伊織に打ち込んでくる。
「蔵之助! 待ってください!」
伊織はあまりの打撃の強さに、つい蔵之助に訴えるが、そんなこと操られている蔵之助が聞くはずがない。
思ったよりも不利な戦いに、伊織は目に見えてうろたえる。
操られている蔵之助は、伊織を殺す気で打ち込んでくるのに、蔵之助を傷つけたくない伊織は、どうしても打ち込みが甘くなる。
タマと五社の元で、『天然またたび流』を学び、命のやり取りをする覚悟を決めて修行してきたつもりであった。
だが、いざ仲間と真剣での勝負をしなければならない場面となれば、こんなに剣先が鈍る。こんなザマは伊織には思ってもみなかったことだ。
ずしんと重い蔵之助の打撃を受け流して、伊織は間合いを取る。
残念だけれども、これではとても勝てるものではない。
「負けて勝てばよい」
タマは、そう言っていた。
負ければ死んでしまうような気はするのだが、伊織は考えてみる。
よく分からなくても、今は、それしか縋るものがないのだ。
蔵之助に勝つのが目的ではない。
勝負なんてどうでも良いから、ともかく生きて取り戻せればよい。
しかし……。
考えている間にも、蔵之助は容赦なく打ち込んでくる。
受けるだけで伊織の手がしびれる。ジンと震える手からは、気を抜けば、剣が叩き落とされそうだ。
向こうは、伊織を殺すのが目的で打ち込んで来るのだから、負ければ死んでしまうではないか。
腕に噛みついても、蔵之助は、取り戻せなかった。何が違うのだろう。
蔵之助を正気に戻せた時と今では。
考えても、違うところが多すぎて、どれが原因か、伊織には測りかねる。
まず、噛んだところが違う。今回は腕で、前回は耳だ。
術を解けた場所も違う。無念からずっと離れた場所だった。道場の中では、無念の影響が強くて術が解けないということか。
考えてみれば、絶対解けるものとして挑んだ伊織の心持ちも違うかもしれないが、そんな目に見えないことや、細かなことを考えだしたら、きりがない。
まずは、蔵之助の動きを止めないと……。
伊織は、そこまで考えて、はたと思いつく。
「そうか……何も、勝つ必要はないんだ」
今は、蔵之助の動きを止めさえすれば良いのだ。
別に勝たなくたって、止めれば良いんだ。
……でも、どうやって……。
伊織は、周囲を見渡す。
屋根を破った無念とタマが、周囲をがれきだらけにしている。
勝つとなれば、それらは動きを妨げる邪魔ものにしか見えないが、今の伊織には、蔵之助の動きを止めるために必要なものだ。
伊織は、剣を鞘に納めて、がれきの山を一目散に登る。
当然、蔵之助も伊織を追って登ろうとしてくるが、剣を右手に持ったままである。
そう簡単にがれきを登ることはできない。
しかも、上から伊織ががれきを投げて、蔵之助が登るのを妨げる。
剣術の試合としては、こんな場外行為は負け以外の何者でもないが、今や伊織が高みにいて、蔵之助は下から伊織を見上げている。
猫が喧嘩をする時には、高いところにまず登る。より高い場所をとった者が、勝つのだ。これは、猫だからではない。高い場所を取るということは、戦いを有利に進めるのに有効なのだ。
ましてや、タマに教えを乞うてきた伊織と蔵之助である。『高い所に立つ』ということは、より重要度は増す。
伊織の足元で、蔵之助は伊織を攻めあぐねて守る一方になっている。
ついに、伊織の投げた瓦礫が蔵之助の持っていた刃を真っ二つに折った。
「今ですね!」
すかさず、伊織は、ぴょんと飛んで蔵之助の首を掴むと、そのまま飛び降りた勢いを利用して蔵之助を投げ飛ばした。
激しく床に体を叩きつけられた蔵之助は、気絶したのか、そのまま動かなくなってしまった。
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